同じ空を抱えて<17>
庵のソファで身体を投げ出したウィートは、漏れ出た欠伸を手で押さえる。
ドロシーたちに頼まれたARMの彫金を手伝い、ほぼ徹夜の作業をしていたので、さっきまで仮眠を取っていたのだ。
「お疲れさま」とイフィーにねぎらいと眠気覚ましのお茶を手渡され、「ありがと」と返す。ゆっくりカップの中身を一口啜ったあと「イフィーねえちゃん」と彼女に呼びかけた。
「その村の人たちは、身内同士での争いが起こらないように、オーブに似たものを作ったんだろうって、そう言ってたよな」
「ええ」
「だったらさ、それを壊しちゃったら……今度は村の人同士で戦うことになったりしないのかな」
自分の分をカップへ注ぎながら、イフィーは落ち着いた調子で答えた。
「その可能性は否定できないわね」
「えぇ……?」
じゃあまずいのではないかとウィートは思ったが、慌てるそぶりのないイフィーにそれ以上は口を挟まずに先を待つ。
キッチンの方から、イフィーは話を続ける。
「でも、本来はそういうものでしょう? たとえ家族や友人、仲間同士であっても衝突したり、分かり合えないことだってあるわ」
相手を思うからこそ、冷たい態度をとり、傷つけてしまうこともある。
誤解がすれ違いを呼び、できた溝を埋められないまま、離れてしまうこともある。
意見が異なれば、なぜなのかと疑心が生まれ。
理解へと至らなければ、その嘆きは憤りに変わり。
そして愛情は、憎しみへと簡単に反転する。
そういった負の気持ちの回収が、追いつかないほどに増えてしまったことが、オーブの暴走の一因になったのではないか。
その推察を、イフィーは心の中だけに留めておいた。
「理不尽なことや、やりきれないことがあっても、私たちは皆、自分自身の気持ちと付き合っていかなければならないのよ」
「……」
厳しいともとれる言い方をしたあと、ウィートの真向かいへと座ったイフィーは自分のカップへ口を付ける。
熱いお茶を、香りも味わうように時間をかけて飲んでいく。
押し黙ったままのウィートを見た彼女は、カップを下ろすと眉を和らげ、穏やかな口調で続けた。
「……さっきはああ言ったけれど。私は今回の件に関して言えば、同じようなことが起きる可能性は低いと思っているわ」
「どうして?」
「感情は、ある程度一定のサイクルで昇華されるものだからよ」
「しょうか……」
「昇華、ね。……この場合は『変化』と言い換えてもいいかもね」
意味がわかっていないであろう彼女に、イフィーはくすりと笑いながら付け足した。
「感情はまったく同じまま、保たれるということはないわ。時が経てばいつかは変わるものよ」
知らないが故の不信が、年月を経て信頼に変わるように。
疑心がほどけ、理解に変わるように。
恋が、愛に変わるように。
人の気持ちは、変化する。
完全に消え去ってしまうことはなくとも、燃えたぎる怒りも、いつかはくすぶる火の粉のような、そんな感情へと、変わることがある。
「あのオーブに似たものが溜め込んでいた負の感情も、たぶんそうして昇華されたんじゃないかと、私は思うわ」
そうして過去を『思い出』に変えながら、人は悩むことを繰り返し、進んでいくのだ。
「……ふぅん」
鼻を鳴らすように相槌を打って、ウィートは口をつぐむ。
目線を落とす仕草は思い悩んでいるようにも見えたが、ウィートはカップを両手で抱えたままやがてポツリとつぶやいた。
「変わっていく……それは、受け入れるってこと?」
かつての彼女を思い浮かべながら、イフィーは優しく微笑する。
「……そうね。もしくは、うまく折り合いをつけるということね」
家族も友もなく、孤独に生きていたウィート。禁断のARM・ゴッチの力に縋ろうとして、過ちを犯した過去。
弱い自分を認められずにいた彼女が、ギンタたちとの邂逅を通して、今の形を受け入れたように。
「時には諦めたりする必要もあるだろうけれど……それがきっと、一番自然な形なのよ」
「……そっか」
ウィートはしばらくゆらゆらとカップを傾けて中身を揺らしていたが、やがて踏ん切りが突いたように一気にお茶を飲み干した。
お代わりちょうだい、と明るく振る舞う彼女に「はいはい」と頷いて、イフィーは再びキッチンへと向かう。
「……それが儘ならないのが、人間なのでしょうけれど……」
ポットの湧く音に紛れるような声音で、イフィーは少し寂し気に零した。
その物憂げな視線の先にはいつかの彼女と、彼女によく似た面影を持つ男性、そして彼女と髪と目の色以外、瓜二つの女性の三人が仲睦まじく並んだ絵があった。