冷たい海【8】
「アルヴィス!」
緊張が解れたメンバーは、依然としてギンタに抱えられたまま、目を覚まさないアルヴィスの様子を見に集まる。
一人その光景を背にして、先程までファントムがいた所にドロシーは向かった。
足下に転がる小さなARMを拾い上げる。
「ギンタ、ファントムはアルヴィスに何をしたんだ?」
「……よくわかんねぇ。アルヴィスの悲しみとか、恐怖を増幅させたとか言ってた」
ARMを拾い、仲間たちの元に戻ってきたドロシーにジャックが気付き訊ねる。
「姐さん、そのARMは……」
「このARM……『クローズドウィング』は、人の心の中を見ることができるの。そして、使い方によってはその人の心を占めている感情を増幅させ、異空間を作り出すこともできる」
「異空間?」
「そう。その人の心を具現化した空間」
「だから、ディメンションなのか」
「なるほどな。それで、アルヴィスは負の感情を増幅させられ、自分の心の闇に飲み込まれちまったわけか」
「……本来は、心を病んだ人の治療やカウンセリングのための物なの」
こんな風に、人を苦しめるために使う物じゃなかったと、哀しそうに呟くドロシーを労りの眼で見ながらスノウは言った。
「ドロシー、アルヴィスは大丈夫なのかな?」
「……ちょっと待って」
クローズドウィングに魔力を込め、目を閉じるドロシー。
異空間に具現化されたアルヴィスの心を覗くためだ。
一瞬視界に水のような世界が現れる。
目に映る限りでは、空間の主のアルヴィスの姿は見えない。
魔力の供給を止め、目を開けたドロシーは渋い表情で言う。
「不味いわね……闇が深くなりすぎてる。このままだと多分、アルヴィスは目覚めない」
「そんな!」
「マジっすか!!」
「いえ……目覚めないだけじゃない、下手したらそのまま死んでしまうかも……」
「「!!」」
驚愕に顔を青ざめるメンバー。しかし、ギンタは自分を奮い立たせるように言った。
「このままだったら、だろ。何か方法はないのか、ドロシー!」
そんなギンタを少し驚いたように見つめたドロシーは、やがて小さく微笑み言った。
「一つだけあるわ。誰かがこの異空間に入り、アルヴィスに直接干渉する」
「干渉って?」
「アルヴィスを見つけて、連れ戻すの」
合点がいかないメンバーに、ドロシーは続けて言う。
「今のアルヴィスは、心の闇に埋もれて迷子になってる。完全に埋もれ切る前に、アルヴィスを見つけなきゃいけない」
「よし、分かった!!」
ギンタは今まで抱えていたアルヴィスの身体をスノウに預ける。
「うおーし! 皆、行くぞぉ!!」
そのままずんずんとあらぬ方向に向かおうとするギンタを、慌ててナナシが呼び止める。
「ちょ、ちょっと待ちぃギンタ。君は歩いて異空間に行くんか!?」
「あ」
今気付いたとばかりに立ち止まるギンタ。
メンバーから思わず溜め息が漏れる。
照れたように頭をかき、苦笑しながらギンタは言う。
「で、どうやって行けばいいんだ? ドロシー」
「……君は相変わらずどっかヌケてるわねぇ」
大仰に溜め息をつくと、ジャックやバッボがギンタに軽い揶揄の言葉を口にし始める。
しかし、緊張していた場の空気を一気に解され、メンバーにもどこか余裕が見え始めてきた。
これもギンタの才能なのだろうと、ドロシーは小さく笑う。
……それでこそ、メルのキャプテンだ。
「はいはい! おしゃべりはもういいから、説明するわよ」
彼ならば、必ずアルヴィスを助けられる。
「じゃあ、行ってくる」
ドロシーの説明はこうだ。
クローズドウィングが作った異空間に行くには、術者の魔力を異空間の持つ魔力_チャンネルに合わせる必要がある。
そして、クローズドウインズの魔力も常に不定形な為、誰かがチャンネルを固定していなければならない。
その為ドロシーとジャックがチャンネルを固定し、スノウはそのあいだ無防備になる彼らのガードを。ナナシとアランは残ったチェスの殲滅に再び街へと繰り出すことになった。
異空間に入れるのは一人までなので、バッボもスノウとともにジャック達のガードである。
「うむ、アルヴィスも我が家来じゃ。必ず連れ戻してくるんじゃぞ、ギンタ」
「任せろ!」
サムズアップをし、ギンタはドロシーとジャックの前に行く。
「頼むぞ。ドロシー、ジャック」
「気をつけるッスよ、ギンタ!」
ドロシーはただ静かに頷き、ギンタも了解の頷きをし、目を閉じる。
そして、三人が魔力を込め始め……
「待って!!」
……ようとした瞬間、背中からスノウが声を上げた。
三人がずっこける中、すーはーすーはーとスノウはいつもの独特な深呼吸を繰り返す。
「ど、どうしたスノウ?」
いち早く立ち直ったギンタが訊ねると、スノウは片腕を動かしながらよしっ! と自分を鼓舞した。
そして、「うまく言えないんだけど...」と前置きして話し始めた。
「……私ね、チェスから逃げてて、氷の中にいた時……とても、怖かった」
「……」
そう言われて、一同はスノウと初めて会ったパヅリカの城を思い出した。
そして、城の中心部で氷漬けになっていた、スノウの姿を。
「エドが誰かを連れて助けてくれるって信じてたけど……やっぱり、怖かった。このまま、真っ暗なところでひとりぼっちのまま、死んじゃうかもしれないって思った」
スノウの声は静かに、どこか穏やかな調子で続いた。
消えることのない不安、恐怖。
行き場のない気持ちは自分の中で繰り返し巡り続け、助けを求める声さえ出せない。
暗い暗い闇の中、たった一人。
そんな孤独の中。
ただ待っていた。光を。この闇を払いのけてくれる誰かを。
「だから、ギンタが来てくれた時、すごい嬉しかった」
再び瞳を開くと、暗かったはずの空間には光が溢れており、傍らには真直ぐな眼の少年がいた。
一緒に強くなろう、と手を差し伸べてくれた少年が。
「多分アルヴィスも、そんな誰かの手を待ってるんだと思う」
きゅっと手を握りしめ、抱えたアルヴィスを顔を見やる。
いつも凛としている、優しくて強い男の子。
彼もギンタと同じように、何度も手を差し伸べてくれた。
どんなに自分が辛いときでも。
「だから、」
そんな彼のために、少しでも何か出来たらいい。
「アルヴィスを、助けてあげて」
私の想いの分も、彼を助けて。
「自分らは……何を知っとんたんやろ」
アルちゃんの……と、ポーン級を手玉に取りながら唐突にナナシが呟いた。
その表情に苦いものが含まれているのは、アランの気のせいではないだろう。
「知ったつもりだったんだろ」
だから、自分も憤りを隠さずに自嘲を口にする。
今互いの胸に流れてる感情は、きっと同じ筈だから。
「あいつが弱さを見せないようにしてても……踏み込むべきだった」
いつも真直ぐに立っていたアルヴィスを思い出す。
初めて出逢った時から変わらない、強い表情。
その合間に、時折、脆く壊れやすい少年の瞳を覗かせていたことを知っていたのに。
あいつは大丈夫だ、と、
そう思っていた。
六年間一人で生きてきたから
前回のウォーゲームを知ってるから
いつも「大丈夫です」、と綺麗に笑うから。
同世代の少年より、世界を知り、強くなっただけの16歳の少年を、そんな理由で置き去りにした。
信頼と言う綺麗な言葉で、彼の弱さから眼を背けた。
「だが、後悔しても始まらねぇ」
その言葉が、言い訳にすぎないことはわかっている。
過去から未来へ眼を向けるつもりでも、自分たちはまた同じ過ちを繰り返してしまうかもしれない。
それでも
『だって、弱いから人は強くなれんだろ』
彼の言葉が嘘でないことを、信じて。
「そやな」
同意を示しにんまりとした笑みを浮かべた後、いつもの明るい調子でナナシは言った。
「戻ってきたアルちゃんに、『お帰り』を言わなアカンしな」
その言葉と共に、三人のチェスが吹き飛んだ。
→ 第九話