夢の途中
メルヘヴンから帰ってきて数ヶ月になる。
前髪が窓から吹いてきた風を感じて、色鉛筆を動かす手を休め、ギンタは入道雲の立つ夏の空を眺めた。
長年抱いていた願いを叶えた所為か、メルへヴンに行くまで毎日見ていた夢は見なくなった。
夢を見た回数は102回で止まったままだ。
けれど、あの世界のことは忘れていない。
鮮やかな色で溢れていた世界の記憶は、色褪せない。
気持ちの赴くまま、ギンタは絵本を描き始めた。
最初は自宅にあったシャーペンと色鉛筆で、それから学校に置きっぱなしだった絵の具セットも持ち帰り、固まりかけていたそれを溶かして色を塗る。
元々絵を描くことは好きだ。美術の成績はさほど悪くない。
離れてから何日経っても、空気の匂いまでもリアルに思い出せるあの世界を描いて、文章を添え、とりあえず先達に意見を聞いてみることにした。
「なぁ母ちゃん、オレ絵本書いてみたんだけどさ」
「……え?」
振り返った母の顔には、軽い驚きがあった。彼女が机で愛用しているデスクトップパソコンは、ギンタが向こうに行く前は分厚いものだったが、今は近年主流の薄型のものに変わっている。
「絵本? アンタが?」
「……見てくんねぇ?」
頼みを了承する代わりに、母は黙って手を差し出した。彼女の掌にギンタは十数枚の画用紙を乗せる。
父が帰ってきたお陰か、最近めっきり本数が減った咥え煙草を灰皿に戻し、母はギンタの絵本を読み始める。顔付きがどことなく変わった。
プロに作品を見てもらう新人漫画家って、こういう気持ちなのかな。緊張しつつも手持ち無沙汰な時間を、ギンタはとりとめもないことを考えることに費やした。
数分して、ギンタの母が絵本から視線を離す。
「どう?」
「…………下手」
「うぇっ!?」
「物語の作り方がわかってないね。話に起承転結がないじゃん」
「……きしょーてんけつ?」
「……アンタは絵の前に、まず日本語の勉強をしなきゃね」
目を点にしたギンタを見て、母は深々と溜息を吐いた。
「何、このヒゲの生えた丸いの」
「バッボ……」
「誰よそれ」
「喋るケン玉……」
「何でケン玉が喋んのよ」
「えーと……カルデアのじーさんの意識が入ってて……」
「カルデア? 何それ。意識って?」
「えーっと……カルデアは魔法の国で……」
「何それ? 訳わかんない」
ページを捲るたびに逐一突っ込まれる。考えてみればギンタにとっては当たり前のことでも、メルヘヴンを見たことのない母には説明しなければわからない。聞かれてはその都度解説していくが、その度に辛辣なコメントを頂戴する。
やっぱそう簡単に描けないよなぁ……と、散々な評価にギンタは肩を落とした。
「……でも色遣いはいい」
しかし暫くの沈黙の後、母が言った言葉にギンタは顔を上げる。
「生き生きとした感じが出てる。アンタがこれをすごく楽しんで描いたってのはわかるよ」
「………」
「これが…アンタとダンナが見てきた世界なんだね」
愛おしそうに、母はギンタの描いた絵本をもう一度眺めた。
それからオレは毎日絵を書いている。
母ちゃんの添削は厳しいけど、文句も言わずに毎回作品を見てくれる。
オヤジは頼んでもないのに時々絵を覗いてくる。そして「もうちょっとここが……」などと言いながら、絵本のアイデアやオレの知らないメルヘヴンの話をしてくれる。
「どうしてだろう……何だか懐かしいな。私はあっちに行ったことないのに、不思議だね!」
両親以外の最初の読者は、勿論小雪だ。そのことを告げると「嬉しい!」と可愛らしい顔を綻ばせた。(スノウどうしてるかな。)
毎日夢の内容を聞かれた日々のように、今は毎日、どれだけ絵本が進んだかを彼女に答えるのが日課だ。
今描いているのは、メルへヴンで初めて見た景色のこと。喋る岩や木のこと。
いつか、ジャックやアルヴィス達のことも描こうと思う。
オレのワクワクは、まだ止まらねぇ!
END
「夢の途中〜夕立のあと〜」から続く話です。タイトルからわかりますように、こちらの方が実はメインエピソードで、夕立の方はサイドエピソードです。
例のごとく思い付いたのは○年前ですが、書き上がったのは今頃です。遅筆すぎる…。
タイトルはこれからもギンタの夢は続くということで、「途中」という言葉を使いました。
MARファンの方それぞれに、色々な形の「その後」があるかと思いますが、このお話が少しでも気に入って頂けるものであれば幸いです。
ご拝読下さり、有り難うございました!
2014.2.17