Two of one
太陽の眩しい光が入り、開きかけた目をアルヴィスは一瞬瞑った。
「あ、やっと起きたー!」
庇代わりに持ってきた手の隙間から、可愛らしい声が聞こえてくる。
「もう日が昇ってるよ」
起き上がったアルヴィスの前には、夕べ出逢った小さな少女がいた。
少女はアルヴィスよりもずっと小さい体に、絶えまなく上下に動く透き通った羽を持っている。
昨晩月の光に煌めいていたそれは、今は朝の陽射しを映していた。
「あ……お前……」
「……あたしのこと、もう忘れちゃった?」
むーと膨れる顔に、アルヴィスは慌てて首を振る。
「えっと……ベル?」
「うん!」
覚えたばかりの名前を呼ぶと、妖精の少女はにこりと笑った。
「あんたは?」
「オレ? オレは……アルヴィス」
「アルヴィスね」
そう言い、ベルはアルヴィスの湖のような色彩の瞳を覗き込んだ。つられてアルヴィスが少し藍色に近いそれを見つめ返していると、空っぽのお腹がぐうと鳴る。ベルはくすくすと笑いを零した。
「まずは朝ごはん食べなきゃね。こっちに木の実があるの。付いて来て!」
「あ、ちょっと待って!」
道のない木立の方へ飛んでゆく彼女の小柄な背を、草むらを踏み分けてアルヴィスは追いかけた。
案内されて着いた樹には、薄桃色をした実がいくつも生っていた。近くの枝からベルが採るのに倣って、アルヴィスも自分の分をもぎとる。
甘そうな木の実は、子供のアルヴィスには両手ぐらいの、ベルには身の丈ほどにもなる大きさだ。
「どう? おいしい?」
「うん」
「えへへ、良かった! この実、あたしのお気に入りなの」
先に食べるよう促されたアルヴィスが食べ始めてから、ベルは小さな口で果実を齧った。ぎっしりと詰まった果肉を、薄い皮ごと頬張り、慣れ親しんだ味に口元を綻ばす。
「ベルはずっとこの森に住んでるの?」
「そうよ。生まれた時からずーっと」
「ふうん……」
「ねぇ、アルヴィスはどうしてこの森に来たの?」
「え?」
「この近くに住んでる人じゃないでしょ?」
彼女から視線を外し、アルヴィスは森の向こうにあるはずの城を見据える。己に言い聞かせるように答えた。
「……強くなるためさ」
「強く? 何のために?」
「ファントムを、倒すため」
「ファントム?」
疑問を含んだベルの言葉に、アルヴィスは答えなかった。蜜が滴り落ちそうな実を再度口に運ぶ。
残った欠片を飲み込み、口元を拭い立ち上がった。
「あ、待ってよー!」
まだ果物を食べているベルが慌てる。彼女を置いて、アルヴィスは来た道へと戻り出した。
「待ってったらー! アルヴィスー!」
滝の音が徐々に近くなる。背の高い草を手で押しのけ繁みを抜けると、先程目を覚ました場所でガイラが待っていた。
「お待たせしました、ガイラさん」
「うむ。食事は済ませたな」
「はい、今日もよろしくお願いします」
遅れて繁みを出たベルは、昨日アルヴィスを一方的に叩きのめしていたガイラに気付く。「あっ」と驚いた表情になった後、少しばかり非難を込めて彼を睨んだ。
アルヴィスの小さな友人に、ガイラは暫し目を丸くしたがわずかに頬を緩めた。
アルヴィスの前に、ガイラは担いできた獲物を放り投げた。
「好きなものを選べ」
数本の武器の中から、アルヴィスは昨日使った剣を選ぶ。
幼い体に似合わぬそれを、慣れない手つきで握ったのを見て、ガイラも一方の手で剣を構えた。
「では、始めるぞ」
「はい!」
返事をしたアルヴィスは、まず相対するガイラの動きを待った。
ガイラが足を開き、姿勢を低くする。腰を落とすという一つの動作だけで、彼の纏う空気が変わったのをアルヴィスは肌で感じた。
無意識に唾を呑む。
「……たぁああ!!!」
果敢に剣を振り上げ向かっていくが、一太刀目は先日と同じように受け流された。逃すまいと、アルヴィスは体重全体を使って刀身をガイラに押し込む。
だがガイラが僅かに足をずらし体重移動をすることで、アルヴィスの体勢は簡単に崩れる。バランスを失った足元がもたつく。
「むん!!」
すかさずそこに掌底が飛んだ。吹っ飛ばされたアルヴィスは草むらに背中から落ちた。
しかし掴む剣を放しはしない。
「ARMと同じだ!! 剣を体の一部と思え!!」
「はい!!」
「満足に使いこなせないようでは、身を守ることさえ儘ならぬぞ!!」
「はい!!」
何度も小さな身体が弾き飛ばされる光景に、驚いたベルは初めこそ目を覆っていた。だがアルヴィスが剣を支えに立ち上がる姿を、いつしか食い入るように見ていた。
「はあ、はあ、はあ……」
数え切れぬほど倒されたアルヴィスは、傷だらけの体をそれでも起こそうとする。
「っ……!」
しかし遂に限界が来る。膝から上が自由に動かず、地面に倒れ伏した。
「……今日はこれまでだ」
激しく息を吐くアルヴィスを見届けたガイラは、昨日に続き彼を残して森を後にした。
呼吸を繰り返すにつれ、苦しかった胸が落ち着いてくる。アルヴィスの瞳に、少しずつ周りの景色が戻ってきた。
うつ伏せていた体を転がし、枝葉が広がる空へ向ける。傷付いた腕を、アルヴィスは無造作に投げ出した。
ざわめく鳥や、樹々の声が聞こえる。
「はい」
ふと目の前に、木漏れ日に光る髪と羽が顔を出した。
「すり傷に効く薬草。水に浸して当てると治りが早いの」
「……ありがとう」
礼を言ったアルヴィスに、ベルはそれまでとは少し違う表情で微笑んだ。川の水で湿らせてきた薬草をアルヴィスの腕に乗せる。
「……ねぇ、アルヴィスのこと、アルって呼んでもいい?」
「? いいけど……どうして?」
薬草を片手で押さえ、腰を起こしたアルヴィスが聞くと、ベルは途端に無邪気に笑って答えた。
「だってアルの方が呼びやすいし。それにベルとアルで、お揃いみたいでしょ?」
「……ベルの好きにしていいよ」
あどけない笑顔に、アルヴィスは初めて彼女に笑いかけながら言った。
その日から、ベルはアルヴィスの側に付いて過ごした。
ベルはアルヴィスに、戦う深い理由を聞かなかった。
ファントムのことも、聞かなかった。
アルヴィスの身体に穿たれたタトゥのことも、滝に打たれていた時見たはずだが、訊ねることはなかった。
その方が良かった。アルヴィス自身も、修行を始めたばかりで、強くなることに精一杯だった。
己の心を整理して、誰かに語るにはまだ早かった。
だから、ベルが黙って修行を手伝ってくれるのは、アルヴィスにとって不思議であると同時に有難いことであった。
鍛錬の続いたある日、いつもの修行場所へガイラは武器を持たずにやってきた。
「今日は修練の門に入ってもらう」
「修練の門……?」
「異空間の修行場だ。お前にはここでARM使いとしての力を身に付けてもらう」
武器の代わりに、ガイラは腰に下げていたARMを掲げる。鎖に繋がれたガーディアンがリングを銜えているデザインだ。
「門の中には、まず野放しにしてある第一関門『実戦』がある。それを終えたら、第二関門『割れずの門』に進むのだ」
「はい」
「期間は六十日。終えるまで門から出てくることはできん」
「ろ……」「ろくじゅうにちぃ!!?」
言葉に詰まったアルヴィスの心情を代弁するかのように、ベルが素っ頓狂な声を出す。
「二ヶ月間も修行しなきゃいけないのー!?」
「左様。だがこちらの世界では一日にしか満たぬ」
「……こちらの世界と門の中では、時間の流れが違うんですね」
「そうだ」
「なんだぁ。じゃあ一日待てば、またアルヴィスに会えるのね!」
門の仕組みを理解し、ベルは安心した様子になった。
現実世界ではそれほど時間が経たないことに、アルヴィスも胸をなで下ろす。門の中にいる間に、ウォーゲームが終わってしまうなんてことは無さそうだ。
「お前が知っているクロスガードの戦士たちも、この中で修行した。強くなってくるのだ、アルヴィス」
父や兄のような人々の頼もしい背中を思い出し、アルヴィスは唇を引き結ぶ。
「頑張ってね、アル! 怪我しないでね!」
「うん」
アルヴィスが覚悟を決めたのを見計らい、ガイラは手に持ったARMを発動させた。
「ディメンションARM、修練の門!!」
ガーディアンの目に光が宿り、口から外れた輪が閃光を放ちながら大地に落ちる。
辺り一帯が輝いていたかと思うと、アルヴィスの足元に、異次元への門が出現した。
ガコン! と、重い扉が勢いよく開く。
地面がなくなった感覚に、アルヴィスは思わず声を上げそうになったが、辛うじてこらえ、重力の流れに身を委ねた。
「……?」
真っ白になった視界が空間を認識し始める。
いつの間にか硬く閉じていた目を、アルヴィスはおそるおそる開いた。
「……ここが……」
見慣れぬ色彩の空と、土の色をした遺跡。
メルへヴンのどこでもない場所————異空間。
うなりのような微かな音を生みつつ、渦を巻く空を見ていると、アルヴィスの前の大地が急激に盛り上がる。
「!」
盛り上がった土くれは、次々に人型へと変化した。ガイラの説明を思い返しアルヴィスは呟く。
「第一関門“実戦”……」
武器は無い。ARMも持っていないが、このくらい魔力が低いガーディアンならば自分の拳でも、体で一番脆い箇所に叩き込んでいけば倒せる筈だ。
その場所は………おぼろげだが、第六感(シックスセンス)でわかる。
全身の感覚を研ぎ澄ませて、アルヴィスはゴーレムに向かい駆け出した。
第一関門を終え、その後の第二関門もクリアしたアルヴィスは、近くで見つけた木の実で食事を済ませた。
門の中は気温が安定していて過ごしやすい。少し歩けば水辺もあり、衣食住の心配をせず修行に打ち込むことができる。
そのお陰だろうか。腕力も魔力も、今日一日だけでずいぶん上がった。
でも、何故だろう。何故か物足りない。
何故だか、心にどこか穴が空いている。
「……何でだろう」
夜のひんやりした空気に、アルヴィスは問うてみた。
瞼の裏に光を感じた。
「ん……」
自分自身の声に、意識がはっきりしていく。辺りには明るくなった世界が広がっていた。
「……あれ?」
見慣れた姿が見当たらず、アルヴィスは首を右へ左へと巡らせる。
彼女がいない。アルヴィスよりも早起きで、目を覚ますといつも声をかけてくれる彼女がいない。
「ベル……?」
そっと呼んでみたら、代わりに鳥の羽音が響いた。
「……あ」
そうだ。ここは門の中だった。
ここにいるのは自分だけだ。それなのに、ごく自然に彼女を探していた。
当たり前のように、彼女を探していた。
欠けた気持ちのわけを、アルヴィスは理解した気がした。
修行を開始してから日が昇る度、石に刻んでいた数字が一つずつ増える。
比例して、アルヴィスの魔力も高まる。
そして日数を数えるための石の傷が、六十個目に達したその日の終わり。
『時間だ』
どこからかガイラの声がしたかと思うと、門に入ったときと同じように光に包まれた。
空間を移動している感覚。扉が開いて、地上が近付いてくる。
「アルヴィス!」
旅立った日とほとんど変わりない、青空の下(もと)。
待ち望んでいた、懐かしいとも思える声が聞こえた。
「アルヴィス! おかえり!!」
迎えてくれた満面の笑みに、笑顔になる自分をアルヴィスは感じた。
END
まず何よりも始めに、リクエストして下さったまゆ様、お待たせして本当に申し訳ありませんでした!!!
リクエスト企画を立ち上げたのが去年の6月ですから…とんでもなくお待たせてしまいました。
もうこのサイト覗かれていないんじゃ…とも思いますが、気持ちは十二分に込めて書き上げましたので、宜しければどうかお受け取り下さい。勿論書き直しも承ります!
リクエストは「子アルとベルで修行風景の様子」とのことだったので、六年前の二人の出会いを書いてみました。アニメルだと1stバトル・レノ戦でのアルヴィスの回想時辺りです。
前半アルがベルに対して素っ気ないような印象ですが…アルヴィス、実は結構ベルの話聞いてないんですよ。
前述の回想でも「傷だらけのアルヴィス」の回でも。ベルが話し掛けてるのに服脱いで滝に入っちゃうし、すたすた歩いていっちゃうし(笑)
アルヴィスの意思はあくまで彼が決めるもので、ベルは自分が好きな彼の側にいるだけ。
周りが思ってるより依存はしてないけれど、お互いが大切な存在であることは明確ではないかと、二人の関係を改めて考えてそんな風に感じました。
そんな関係になるまでを、アルヴィスにとってベルが「当たり前の存在」になるまでをテーマにしました。
二人の話だとどうしてもベル視点になりがちだったので、今回は完全にアルヴィス視点です。
不器用な彼が自分の変化を自覚していく様子が、少しでも感じて頂けるものであったらと思います。
タイトルは下川みくにさんの同名の曲から。この言葉の意味する言い得て妙な関係が二人にぴったりだと思ったのでこれにしました。
かなり時間をかけてしまいましたが、その分少しでも楽しめる作品であったら幸いです。
最後までご拝読下さり、有り難うございました!!
2012.4.1 初出