Time goes by
ひとつの決着の後。殺風景だった景色から一転し、緑に満ちたパルトガイン島を後にしたメル一行は、レギンレイヴに戻ることにした。
チェスのリーダー・ファントムを倒し、残る敵はディアナと謎の者キング。連戦も考えられたため、一晩休み英気を養ってから、本陣であるレスターヴァ城に乗り込むことになったのだ。
その日の夕食中、アルヴィスはどこか精細に欠けた表情だった。
気遣う仲間たちに笑みを返しながらも、疲れからか、それともかねてからの目的を達成した故の虚無感からか。
時折遠くを見るように、青い眼差しをすがめていた。
「アルヴィス!」
先に休むと言った彼を追いかけ、寝室に向かう背をギンタは呼び止める。
振り向いた彼の顔を見て、やはりギンタは自分の感覚が間違っていなかったことを知る。
アルヴィスの瞳には、道に迷った幼い子供のような色が見えていた。
彼のそんな表情は、これまで見ることがほとんどなかったもので。
複雑な気持ちになりながらも、ギンタはたずねる。
これだけは、はっきりしておかねばと。
「……なぁアルヴィス。なんでお前、あの時ためらったんだ?」
ギンタが指したのは、数時間前のパルトガインでの出来事だった。
アルヴィスの長年の悲願である、ゾンビタトゥの解呪。
それが目前であるにも関わらず、アルヴィスはファントムを消滅させることを、なぜか躊躇した。
呪いを解く唯一のARM、プリフィキアーヴェを持った手を、下ろそうとまでした。
……それは結局、他ならぬファントム自身の手によって、差し込まれることになったのだけれど。
ギンタの問いに、アルヴィスは黙って口を閉じたままうつむいた。実直な彼にしてはとても珍しい。
自分でも言葉にしにくい感情を、なんとか整理しようとしているようだった。
「……ゾンビタトゥを付けた当人であるアイツが、『人として生きろ』とオレに言った」
いつもより殊更ゆっくりと、アルヴィスは語り始める。
「アイツは間違いを犯したが、最後にそれに気付いた。時間はかかったが、もしかしたら解り合えるかもしれないと思ったんだ」
アルヴィスの返答に、ギンタは海岸でキャンディスを庇ったり、アルマの亡霊に微笑んだファントムの姿を思い出した。そのことには、少なからず同意を覚える。
「……けど……」
自身の命を諦めてまで、彼を救おうとしたのはなぜなんだ。
言葉を選ぼうとするギンタだったが、それを遮るようにアルヴィスが答える。
「わかってる。ヤツはこの世界に混乱をもたらした者の一人で、たくさんの仲間の仇だ。……実際ヤツに対しての感情は、同情より憎しみの方がまさっている」
アルヴィスの青い目に刹那、消しきれない闇が宿った。しかしやがて、それとは違う色がまた浮かぶ。
その感情の意味を、ギンタは計りかねる。
彼を憐れむような、悲しむような、そんな表情に見えたから。
「だがタトゥに自我を支配されていた時、ファントムがオレに望んだのは一つだけだった」
アルヴィスは遠い眼差しをしながら続ける。忘れられない光景を思い返しながら。
寂しそうな瞳をしたファントムが、片方だけの腕を伸ばして己に告げた一言。
『…………手を』
「……それだけ?」
意外そうに聞いたギンタに、アルヴィスはただ頷いた。戸惑いを隠せない彼に、何度も考えた己の推論を述べる。
「ゾンビタトゥが完成するとは、人でなくなること。……同志であり、同じゾンビタトゥを持ったペタを失ったアイツは、とてつもない孤独を感じたんだろう」
あの時、パルトガインで洗脳されていたアルヴィスの心には、タトゥを介してファントムの偽りない感情が流れ込んできていた。
それはチェスの王者として君臨していた姿からは、想像もできないほどの。
ちっぽけな、たった一人の人間の。
圧倒的な、孤独であった。
それを悟ってしまった時、自分のことは頭から消えていた。
この孤独な手を離せないと、確かに思った。
もぬけの殻になった玉座で「私では駄目なんです」とロランに吐露され、彼が自害したのを見届けた時。
アルヴィスは責任を取ろうと思った。愛を求め、悲しい道を選んだロランの所へ。
彼を……ファントムを、ロランの元に、連れて行こうと思った。
今も、その時の感情は変わらない。
「……ロランが言っていたように、もっと早く出逢えていたら。オレたちは別の関係になれていたのかもしれない」
アルヴィスはかつて何度もしたように、腕を持ち上げ手の甲を指でなぞる。見慣れた文様は、もうどこにもない。
この未来をずっと渇望していたはずなのに、覚えるのは拭いきれない虚しさだ。
「……あいつを消して、呪いから解放されたのは嬉しいけれど」
黙ってじっと見つめているギンタに、アルヴィスは無理に微笑もうとして失敗した。
いびつな微笑になった彼に、ギンタは無意識に唇を噛む。
「未だに、自分が正しかったのかどうか迷うよ」
アルヴィスの一言に対し、ギンタは何も言えなかった。
二人して立ち尽くし、やりきれない想いのまま黙りこくる。
その会話を、廊下の隅でこっそりと聞いている者がいた。
今なお晴れぬ霧のような心を抱えたまま、アルヴィスは寝室の扉を開ける。
部屋の明かりが点いている。室内の景色を見る前に、声が聞こえてきた。
「おかえり、アルヴィス!」
どうやらベルが来ていたらしい。どこか不自然なくらいに明るく出迎えた彼女に、アルヴィスは一瞬戸惑いを感じる。
だがすぐに彼女の心情を悟り、申し訳なさを覚えた。……こんなに気遣わせるくらい、心配をかけてしまった。
「……ベル……」
「ねぇ、アルヴィス」
アルヴィスの声を遮って、ベルは彼の顔をじっと見つめる。
その視線を、アルヴィスは逸らすことができなかった。真剣な、ある種の必死さすら感じるものだった。
しかしベルは、やがてその表情を和らげた。そして一つの願い事を口にした。
「さわって、いい?」
新調したアルヴィスの服の間から、見える彼の胸元。その左側を指して言った。
「……ああ」
ベルの意図を理解したアルヴィスは、寝台に腰を下ろして静かに待つ。
彼の動作が終わるのを待ってから、ベルは彼に近づいた。
アルヴィスよりもずっと小さな身体。その手が、指が触れる。
まるでこわれものに触れるように、慈しむように、やさしく撫でる。
「……ゾンビタトゥ、なくなったんだね」
「……ああ」
……初めてベルがアルヴィスと出逢ったときから、彼の胸にはその呪いがあった。
まだ幼い彼を捕らえ、苦痛を与えていた、禍々しい文様。
彼を暗いところに引きずり込み、離さないようにしていたもの。
だからこうして、ベルが何もないアルヴィスの体を見るのは初めてだ。
「良かったね。アルヴィス」
「…………ああ」
アルヴィスの声には、わずかに肯定と違う感情が混じっていた。
その迷いに似た声の揺れを聞き逃さなかったベルは、俯いて唇を噛みしめる。
廊下で耳にした彼の本音。やるせなさに、気持ちが負けそうになる。
だがベルは思い切ったように顔を上げ、彼にたずねた。
「ねぇ。アルヴィスは、後悔してるの?」
「何を?」
「ファントムを消したこと」
彼女の直球な問いに、アルヴィスは胸をつかれた。見上げる彼女の視線を、黙ったまま受け止める。
長い沈黙ののちに、声を絞り出した。
「…………いや」
「……そう」
その答えに対し、ベルはそっと笑う。安堵するのとは違う、静かな笑みだった。
「優しいもんね、アルは」
彼女の様子に、アルヴィスは己の心情が見透かされたことに気付く。
本心の中にかすかに混じってしまった、ほんの少しの嘘。後ろめたさに青い目を伏せる。
その仕草に、ベルはしょうがないなぁと苦笑するような表情になった。
幼い弟を見守る姉のような、悪戯のバレた子供を見つけた母親のような、そんな表情を浮かべた。
彼女の反応に不意をつかれたアルヴィスは、数度瞬きをした。
ふと羽を動かし羽ばたいたベルは、アルヴィスの肩へすとんと降りる。
羽を折りたたみ、身を預け、アルヴィスの顔に触れる位置に落ち着く。
「……でもベルは嬉しいよ」
そうして彼の頰にもたれるように、自身のほっぺたを寄せる。
小さな柔らかな存在が触れる感触に、アルヴィスは一瞬だけ身じろいだ。
「もうタトゥでアルが苦しまなくていいし、それに」
あったかい頰。息遣い。
すぐ近くで見える、大好きな、綺麗な青い瞳。
それが確かに存在しているのを感じ、微笑を深くしたベルは、さらに身を寄せた。
小さな腕を回して、まるで彼を抱きしめるように。
彼の顔に、全身で触れた。
「これから、アルヴィスと同じ時を生きていけるもの」
その言葉に、アルヴィスは己の中の何かが、ことりと動いたように感じた。
あの時。ファントムにとどめを刺した時から、アルヴィスの中で止まっていた時間。
心の奥で時を止めていた部分が、動き出したように感じた。
アルヴィスは、瞼を閉じた。力をふっと抜き、肩にいるベルの方に顔をわずかに傾ける。
目を閉じて二人で寄り添い合い、これまでの月日を思う。呪いを受け、彼女と出逢ってからの六年間。
色んなことがあった。悲しい思いをした。
救えなかった、人たちがいた。
それらの出来事で見失っていた本音が、やっとアルヴィスの心からこぼれ落ちた。
「オレもだよ、ベル。……オレも、嬉しい」
「……そう」
ベルはその言葉を優しく受け止め、噛みしめるように相槌を打った。
抱き締めていた手の力を少し緩める。額を当てるようにして、彼に触れながらもう一度繰り返した。
「……よかったね、アルヴィス」
「……ああ」
ベルの呟きに今度こそ、アルヴィスは偽りのない答えを返す。己の発した言葉が、実感となって身体の奥に染み込んだ。
頰の一点から伝わる熱が、温もりとなって溶けあう。あたたかさが、顔から爪先まで満たしていった。
募るのは、愛おしさ。
「…………ねぇ、ベル」
「……ん?」
「…………ありがとう」
何度言っても伝えきれないであろう想いを、アルヴィスは口にした。
頰にくっついた彼女のほっぺが、そっと動いたのがわかった。
END
元々の草案は、アルヴィスとギンタの会話しかないものでした。
クラヴィーア編のファントムについての考察を絡め、アルヴィスが手を止めた理由。
それを自分なりに考えた、一種の解釈としてのつもりの話でした。
けれど書いているうちに「これはちゃんとアルヴィスの心に整理をつけたい」という思いが湧いてきました。
ならば、どうやって彼が前に進めるか。
考えた末に「やっぱりベルの存在が大きいんじゃないか」と思って、こんな話になりました。
私の中では、今までよりずっと近い距離にきた二人を描いたつもりです。
精神的な、魂の繋がりのような。そんな関係を表そうとした結果、密着度が今までで一番高くなりました。
それでいて、二人らしく変な色気はない、どこかプラトニックな感じも現せていたら良いのですが。
最後の「募るのは愛おしさ」という文を入れるか迷いましたが、この二人の間にあるものをはっきりと言葉で入れたいなと思い、結局書くことにしました。
自分としては、とても満足のいくものになったので、お読みくださった方にも少しでもお楽しみいただけたら幸いです。
ご拝読くださり、ありがとうございました。
2018.10.24