シュガーレス・フレーバーオブライフ
「あ、ドロシー様」
「あら、姫」
ARM探しからレギンレイヴ城へと戻ったドロシーは、仲間の誰ともちがう声に振り向く。
廊下にいたのは淡いクリーム色のドレスを着た、レギンレイヴ国唯一の姫君だ。
「お出掛けされていたのですか?」
「ええ。いつものARMハントにね」
「それはお疲れ様です」
長く美しい艶ののった黒髪を揺らして、姫はにっこりと微笑んだ。
チェスに国民を人質にとられ、ウォーゲームが始まった頃は固く強ばった表情が多かった彼女だが、段々と本来のおだやかな表情を取り戻しつつある。
以前より柔らかい顔をするようになった彼女に気付き、ドロシーは内心ほっとしたような気持ちになる。
それから少し世間話をした二人だったが、姫がふとなにげなく尋ねた。
「ドロシー様、この後のご予定は?」
「え? そうねー……ギンタン達みたいに修行でも……なーんてね! 特にすることもないから、部屋でゆっくりしてようかな、なんて思ってるけど」
「でしたら……もし宜しければ、お茶に付き合って頂けませんか?」
きょとんと目を瞬いたのち、いくらか気後れした様子でドロシーは己を指差した。
「私なんかが、相手でいいの?」
対して、レギンレイヴ姫は嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「もちろんです。では、準備いたしますね」
「うわぁ……」
それからしばらくして。使いの者に呼ばれたドロシーは、城の上階にある姫の部屋を尋ねた。
扉を開けると、甘いお菓子の匂いが鼻をくすぐる。
シックなテーブルの上に並べられた、たくさんの焼き菓子にドロシーは感嘆の声を上げた。
「厨房の者が張り切ってくれたのです。せめてお茶の時ぐらいは……と」
ドロシーに椅子を勧めながら、レギンレイヴ姫も向かい側に腰を下ろす。
ランプの火の上で、アンティークなガラス作りのコーヒーサイフォンがこぽこぽと音を立てている。
光がたくさん入るよう大きく造られた窓には、華美と評するにはおとなしいが、優美な印象を与えるレースのカーテンが下がっている。
それと柄を揃えたのであろう、両端に繊細な刺繍の入った白いテーブルクロスと、上質な陶製の食器。
王族にしては控えめな装飾の部屋だったが、そこには外の世界とはちがう、ゆったりとした時間が流れていた。
ほう、と思わず感心の息をこぼしたドロシーとは対照的に、姫は美しい形の眉をほんの少し曇らせた。
「……こんな時ですから、私の勝手な都合で無理はしないので欲しいのですが……」
その言葉は本心からのものだろう。戦時下という中、傷病兵だけでなくMARへの衣食住の提供も行なっているレギンレイヴの財務状況は、けして豊かとはいえない。
だが一つ一つ手作りのお菓子は、少ない食材で工夫を凝らした、どれも心のこもったものだ。
それは厨房の者から敬愛する姫君への、精一杯の想いに違いない。
城の者とあまり面識のないドロシーでも、そんな臣下たちの心情が手に取るようにわかった。
「……慕われてるのね、あなた」
ドロシーはしみじみと言う。
王族のプライドを捨て、民を守るため城を解放する決断を下した彼女だ。戦争が終われば、きっと賢王となるに違いない。
歳も自分もそう変わらないのに、立派なものだ。
やさしげな面立ちに似合う大きめの瞳を細め、姫はゆるりと首を振った。
話題を変えるように、手の平をくるりと上に向け、テーブルの上の品を示した。
「珈琲と紅茶、どちらが宜しいですか?」
「そうね……」
普段ならば、お菓子には紅茶が好ましいと思うドロシーだが、今は苦めの珈琲を飲みたくなっていた。
「珈琲をお願いするわ」
「では私も珈琲に致します。今お入れしますね」
紅茶の準備もされていたが、姫はサイフォンですでに沸かしていた珈琲に手を伸ばす。
ランプの脇から危なげなく蓋を滑らせて、点火部を真空状態にして火を消す。
それからロートの中身をヘラのようなものでかき混ぜて、残った珈琲が数滴落ちるのを見守る。
そして、カップへ注ぐ。
優雅な手つきは、王族として洗練された仕草。
傷のない、綺麗な指先。整えられた爪。
……自分とは、ほんとうに大違い。
「どうされました?」
「え? ああ……」
我に返ったドロシーは、ごまかすように小さくはにかんだ。
「手つきがきれいだったから。思わず見とれちゃった」
「ありがとうございます」と照れた言葉とともに差し出された一杯目の珈琲を、礼を言って啜る。
芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。でも砂糖もミルクも入れなかったからか、ちょっと苦い。
舌に残る苦味を紛らすため、バニラクッキーを運ぶ。
ちょうどいい焼き加減だ。でも、まだ苦い。さらに数個運ぶ。
なんとなしに口を噤んだまま、ドロシーは煽るように残った珈琲を半分ほど、一気に飲み干した。
飲み干してから、少し後悔した。……しまった、今のは無作法だった。
しかし目の前の姫は気にした様子も見せず、自分の分の珈琲を口に運んだ。
何度かに分けて数口。それから、一気に。
あ、と内心あっけに取られたドロシーだが、姫は「おかわりがいりますね」とおだやかに微笑んだ。……合わせてくれたのだ。
その気遣いに、胸のはじっこでささくれだっていた部分が、そっとほぐれる。
紅茶用に作ったポットのお湯を、姫がサイフォンに注ぐ。すると彼女は、思い切ったように言った。
「……あの、よければ、ドロシー様もやられませんか?」
思いがけない提案に、ドロシーは一瞬だけ息を詰める。
「……いいの?」
「ええ」
おずおずと聞くドロシーに、屈託なく姫は答えた。
他意のない笑顔でさぁ、とやさしく促され、ドロシーはサイフォンと向き合った。
姫の教えてくれる通りに、珈琲の粉をかき混ぜ、ロートの中に被せたフィルターにきめ細かな泡ができているのを確認する。この泡が美味しく淹れるための指標らしい。
中身が変に揺れないようにサイフォンを持ち、傾けて、
カップにじっと、こぼれないように。
注ぐ……。
「……ふ〜」
珈琲を淹れ終え、大げさなほど息を吐いたドロシーに、苦笑するように姫が言う。
「そんなに息を詰めなくても宜しいのに……」
「私、繊細な作業って苦手なのよ。ARMの彫金もうまくないし」
正直に白状したドロシーは、やや乗り出していた腰を落ち着ける。
ARMであれば、あらかじめ魔法がダウンロードされたマジックストーンを、別のARMに組み込んだりするといった作業はできる。ジャックのスコップが良い例だ。
しかしイフィーのように、新しいARMを一から彫金したり、複雑なレシピのそれを作るのは苦手だ。
「ちょっとアレンジ」と思って自己流を発動させると、すぐにおじゃんになってしまう。
「あなたはいささか独創的すぎるんじゃないかしら」とイフィーに真顔で言われたのは、いつだったか。
普段の彼女であれば、たとえ苦手でも態度にはおくびにも出さず、仲間たちにするように強がりを見せるところだった。だが彼女は姫に対し、存外なほどに素直に言葉を紡いでいた。
そんな自分に、少し驚いてもいた。
「料理もあんまり得意じゃないし……ARMだけ使えても、女の子らしくないわよね」
「そうですか? ドロシー様は、とても女の子らしいと思います」
「……どんなところが?」
「そうやって、気にしていらっしゃるところ」
「……」
「かわいいです、とても」
目を点にしたドロシーに、姫は優しげに微笑む。そして両手のカップを掲げる。
「それに、この珈琲もとても美味しいです」
「ほんとうに?」
「ええ」
頬をわずかに赤くしながら、ドロシーはカップに口をつけた。
「……本当、美味しい」
「でしょう?」
……微かにあった劣等感は、どこかへ溶けてなくなったようだった。
それから気分が明るくなったドロシーは、姫にいくつか話を披露した。話題のほとんどは彼女も知る、MARのメンバーのことだ。
ジャックやアルヴィスは早起きらしいこと。このあいだ、城下町でナナシがナンパしているのを見かけたこと。アランは休日はほとんど寝て過ごしていること、などなど。
姫は楽しそうに、上品な笑い声をあげる。
「皆様、仲が宜しいのですね、見ていてわかります」
「そうかしら? 喧嘩ばかりよ。チームワークもバラバラだし」
「でも私が言うのもおこがましいですが、日が経つにつれ皆様の息が合ってきている気がします。ドロシー様も、最初の頃より雰囲気が柔らかくなっておいでですし」
「私が?」
「ええ」
「……そんなに私、怖かったかしら」
ウォーゲーム初期の自分を省みる。
……たしかに初戦から相手に容赦はしなかったし、ギンタ以外の相手にはけっこう刺々しい態度を取っていた。自覚はある。
「いえ、怖いということではなく……なんて言いましょうか…。なんだかあえて他人を遠ざけてらっしゃるように見えて」
付け足された内容に、ドロシーはわずかに目を見開いた。
接触の機会が少ない彼女に、自分の裡を見透かされていたことに、驚いていた。
姫の指摘の通り、ドロシーは初めの頃、魔女であることを殊更強調して、他人を近付けないようにしていた。
それは多分、自分を守るための手段だった。ドロシーがあてのない旅に出てから、いくつもの土地を渡り歩いて身につけた処世術だった。
他人に期待もせず、最初から距離を置いておけば、離れてゆくこともなくなると。
「……すみません、差し出がましいことを言いました」
考え込むドロシーをどう解釈してか、姫は申し訳なさそうに長い睫毛を伏せた。
それにやんわりとした微笑で返す。
「いいえ、気にしないで。自分でもちょっと意外だっただけ」
「意外……?」
「今まで一人が当たり前だったから……私もずいぶん丸くなったなーって」
茶化すように言いながら、ああ、そうなんだなとドロシーは自身に納得していた。
自分が丸くなったこと。背中を預ける仲間ができたこと。
一人じゃ、なくなったこと。
「共に戦う仲間というのは、いいものですね」
心境を代弁するかのような言葉に、ドロシーは正面に座る彼女の顔を改めて見つめる。
姫は手に持っていた珈琲のカップを、そっとソーサーの上に置いた。カチャリと、ささやかな音が響く。
「私が過ごすのは城の中だけで、友達もおりませんから。……皆様が少し、羨ましいです」
そうして姫は少しだけ、寂しそうに笑った。
彼女の話を聞いたドロシーは、「そんなことないじゃない」と言おうとした。あんなに民衆たちに慕われているじゃない、と。
でも違うのだ。彼らは自分たちの領地を治める、使えるべき姫君としか見ていない。それが当たり前だ。
彼女が欲しいのは、おそらく。たった一人でも、本当の自分を見てくれる人なのだ。
「……きっと見つかるわよ」
彼女のことを思って作られたお菓子を眺めながら、告げる。
「私の仲間みたいに、あなたの大事な人が」
そう言い切ると、なんだか晴れやかな気持ちになった。珈琲のいい香りが、すぅっと胸の奥まで通り抜けた。
見つめ返してくる彼女に、いつもの自分らしく。悪戯っぽく、ドロシーは微笑みかける。
「案外、すぐ傍にいるかもね」
「え?」
「あなたのことを、こっそり想ってる誰かが」
「そうでしょうか……」
「そうよ。貴女自覚ないみたいだけど、かなりの美人なんだから」
「そ、そんなことありません!」
「謙遜しちゃって。本当のことよ」
それまでのおしとやかな仕草から一転、慌ててぶんぶんと擬音が付く勢いで首と手を振る。
真っ赤に頬を染めた様子は、どこからどう見ても普通の女の子だ。ドロシーの口に笑みが浮かぶ。
「……おかわり、いいかしら」
上品にカップを傾けてみせると、姫が心得たように笑った。
「はい、喜んで」
新しいお湯が注がれる。甘い空間に、ほろ苦くも心地の良い香りが広がった。
END
ドロシーとレギンレイヴ姫の年齢って、結構近い?もしかして同年代?と思い至ったことから、思いついた話だったと思います。
MARとの出逢いで変わったドロシーが、姫との会話でそんな自分を再認識する話です。
ドロシーの女の子としての無意識の劣等感や、姫との仲間意識など、くどくない程度に女子故の微妙な心の動きを描くのを目指しました。
またドロシーだけでなく、原作では憂い顔の多かったレギンレイヴ姫にも救いがあってほしいと思いまして、直接的な言及はありませんが、「厨房の兵士」の描写を入れて、アニメオリジナルキャラ・キャルの存在もほのめかすようなものにしました。
あの二人はアニメル最終話で、色んな過程を吹っ飛ばして見事にゴールインしてたので、放送当時は驚きました。
再登場した時には結婚していた二人…。ジェットコースターすぎませんか。めでたいけど!
タイトルは、「女の子は甘いだけじゃない、ほろ苦い悩みもあるよ」って感じでつけました。少女漫画みたいな。ほぼ勢いです。
かわいい感じにできていたらいいのですが…。
ご拝読くださり、ありがとうございました。
2019.8.13