「なにしてんの?」
ある晴れた日の午後。カルデアを訪れたあとのように、バルコニーの端に腰掛けていたスノウにドロシーは声をかけた。ワンポイントであるピンクのリボンが一瞬上に跳ねたあと、くるっと小さな頭が振り向く。
「ドロシー……うん、ちょっと考え事。ここって気持ちがいいから」
返す表情は、暗いものではない。彼女の言葉が嘘ではないことを、しっかりと確認したドロシーは隣へとやってきた。高さのあるバルコニーからは、遠くに浮かぶ雲までよく見える。
「そうね。前来た時は気づかなかったけど、ここからの眺めって良いわよね」
「アルヴィスもよく来てるみたい」
「そうなの?」
「うん、この前、朝早くにいたよ」
あの柱らへん、と、スノウは自分たちから見て右側に何本か位置する柱を指差した。へぇとドロシーは相槌を打つ。
「あいつ、たしか前のウォーゲームにも参加してるしね。もしかしたら思い出の場所だったりするんじゃない」
「そうかも」
あの時のアルヴィス、すっごく優しいカオしてたから、とスノウはそっと頰を綻ばせながら言った。クールな彼の意外な秘密を話す彼女に、ふふっとドロシーも小さな笑いをこぼす。
それからいくつか、とりとめもない話をしたあと。ドロシーは深い意味もなく彼女にたずねた。
「ねぇ、あんたは将来の夢とかって、あるの?」
「将来の夢?」
「ええ」
すると、スノウの顔が少し変わった。眉が少し上がり生き生きと輝き出した瞳に、ドロシーは意表を突かれる。
どこか楽しげに見える笑みを浮かべ、スノウは答えた。
「……私ね、戦争が終わったら、学校を作ろうと思うんだ!」
聞き慣れない言葉にドロシーは聞き返す。
「ガッコウ?」
「そう、学校!」
スノウは笑顔で頷いた。メルヘヴンにはない単語だ。いまいちイメージができないままのドロシーに、あのね、と前置きをして彼女は語り始める。
「ギンタの世界では、毎日決まった時間に大きな建物に集まって、頭の良くなる修業をするの」
「修行?」
「うん! 字の読み書きを習ったり、計算を練習したりするの。あと外国語とかもやってたな」
「ふ〜ん……『やってた』って?」
「あ、ああ! ええと、そんなことをするみたいなの」
まるで見てきたかのような語り口を指摘すると、スノウは慌てて言い添えた。
首をかしげるドロシーだったが、それ以上の詮索はしなかった。
スノウはレギンレイヴ城からの景色を臨みながら続ける。
「……レスターヴァから出て、たくさんの国と街を見てきて思ったの。私が当たり前だと思っていることができなくて、困っている人がたくさんいるんだなって」
大国の姫として生まれたスノウは、幼少期から城で家庭教師による教育を受けた。王族としての知識・振る舞いだけでなく、世間一般の教養も余すことなく。
だがこの広い世界では、彼女が学んだことを知らない人々がたくさん存在しているのだ。
もちろん商人やナナシのようなギルドの人間たちは、職業柄計算が得意だし、占い師や魔法使いといった特殊な生業に就いている者は知識も豊富だ。
しかし日々を過ごすだけで精一杯の人達には、学問や芸術に触れる余裕はない。
町から離れた土地では、意欲があっても学ぶ機会や施設もなかなか無い。
「簡単な計算ができないとお買い物で困るし、字が読めなかったら、面白い本も読めないでしょ? それってすごく勿体ないことだと思うの」
幼い頃、スノウが母に読んでもらった童話を知った時のような、あの感動も味わえないのだ。
それらは必ずしも、人生に必要なものとは言い切れないかもしれない。
でももしも、触れられるようになったなら。
「今は無理でも、それが出来るようになったなら、もっと可能性が広がると思うんだ。だからお金のない人でも通える、読み書きとかを学べる学校を作るの!」
「……教育を充実させるのね」
自分の言葉に置き換えたドロシーは、思っていたよりも練られていた計画に感心する。
……高度な教育は優秀な人材の育成に結びつき、国の繁栄へと繋がる。
国の発展は、世界の安定と平和には欠かせない。
何よりも、夢がある。
「素敵じゃない」
素直に称賛するドロシーに、スノウはえへへと照れたように笑い返した。
「ねぇ、ドロシーは?」
「え?」
「ドロシーは何をしたいの? この戦争が終わったら」
他意のない顔で明るくたずねるスノウに、彼女は言い淀んだ。
「私は……」
そこに続く言葉を、なぜだか見つけることができなかった。
本当に、何となく聞いたのだ。話のひとつとして。
彼女はこうで。それなら自分は、なんて。簡単な問いのはずなのに。
考えたことがなかった。終わったらどうするかなんて。
「……まだ考え中」
時間をかけたのちに、ドロシーが紡いだ言葉は、ふだん強気な彼女らしからぬ曖昧な響きを持っていた。
「とりあえずカルデアに戻るわね。それからだわ」
そうドロシーが付け足すと、スノウは納得したようにそっかぁ、と声を漏らした。
答えをごまかしたことには、気付いていないようだった。
ドロシーはこっそりと、憂いを帯びた眼差しを遠くへとやった。
それから数時間したバルコニーには、別の人物がやってきていた。先刻までの真っ青なブルーから、空はほんのりとピンクを含んだグラデーションへと変わりつつある。
「アール」
愛称で呼んでみると、珍しく体を崩して腰を落ち着けていた少年が振り向く。
「やっぱりここにいた」
「……なんだ?」
「別に。ただ何してるのかなーって思って」
ドロシーは、後ろ手を組みながら一歩ずつ彼に近づく。
「ここ、お気に入りなの?」
「……まあな」
返ってきた返事は短いものだった。どこか気安さも感じられる口調は、それだけ二人の距離が以前よりも近いものとなった証でもある。
ドロシーはしばし黙って、彼のクロスガードの紋が刻まれた背中を見つめた。
「……ドロシー?」
てっきり更に話しかけてくると思いきや、沈黙したままの彼女に、アルヴィスはもう一度振り向いた。
ほんの少し心配の色が乗った声。それに心ほぐされたドロシーは安心させるように微笑むと、話を切り出した。
「ねぇ、アルは戦争が終わったら何をするか、考えたことある?」
ドロシーの問いかけに、アルヴィスは瞳を見開いた。
青い綺麗な色をした虹彩が大きく開き、動きを止める。
多分、さっきスノウに聞かれた時。私も似たような反応をしたんだろうな。そう彼女は思う。
「この戦争が終わったら……?」
首を再び目の前の風景へと向け、しばらく経ってから、アルヴィスはぽつりと呟いた。
「………考えたことも、なかった」
「したいことは、ある?」
「そう、だな。とりあえずクロスガードに合流して、レスターヴァを拠点に動いていくことになると思うが」
「そうじゃなくて、やりたいことよ」
「やりたい、こと?」
おうむ返しにくりかえして、アルヴィスは思案したあと、ゆっくりと口を開いた。
「………わからない」
それは、とても心もとない口調だった。
「オレはこの六年間、ファントムを……チェスを倒すことだけを目的として生きてきた」
アルヴィスは視線を自身の手のひらに落とす。思いの行き場をつかむかのように。
「だからやりたいことと言われても、何をしたらいいのか……正直わからない」
「そうよね……」
アルヴィスの言葉に、ドロシーはしみじみと相づちを打つ。
呆れられてしまうかと思っていたアルヴィスは、数度瞬きをしドロシーを見つめた。
「私もよ」
秘密を打ち明けるように、ささやかな響きを持ってドロシーは言う。やわらかな風がそっと言葉をさらう。
「ずっとお姉ちゃんを見つけること、散らばったARMを回収することだけを考えてた。だからこの先のことって聞かれても、なんだかピンと来ないの」
立っていた身体をストンと下ろし、彼の隣にドロシーはしゃがみこむ。
「……望んでいいかもわからないし」
多分、それが本音だった。長い鮮やかな桃色の前髪のあいだから、寂しげな瞳がつかの間現れる。
「……そうだな」
アルヴィスもまた、静かに同意する。午後の日差しが角度を変えて、顔に当たった。少し、眩しかった。
「似てるわね、私たち」
同じ目の高さでたがいを見合って、二人は苦笑した。
いつもは年下の仲間たちの手本となるように、強く振舞っているけれど。
自分のために生きることを、二人はまだ知らないのだ。
「これから、どうしよっかな」
ドロシーはそろえていた両の足をバルコニーの端に投げ出した。幼子のような彼女の仕草に、アルヴィスは唇に微笑を乗せる。
昼よりも暖色を帯びた森の木々が、視界でやさしく揺れている。
だんだんと太陽の色へと変わってきた雲の行き先を眺めながら、答えを口にした。
「見つけていけばいいんじゃないか。オレも……君も」
その声は先ほどよりも、しっかりしたものだった。
具体的なことなど、何一つ決まっていないけれど。彼の言葉に、なんだか安心感に似たものを覚えて。
その感覚がおかしくなったドロシーは、くすっと笑った。
「そうね。……一緒に考えてくれる?」
おどけたように小首を傾げてたずねた彼女に、アルヴィスは再度微笑した。
「ああ」
それから二人はひとしきり、色の境界線が曖昧な空が移り変わるのを、ただゆっくりと眺めていた。
着地点のない二対の足が、不揃いながらもベランダによりそって並んでいた。
……貴方と私の、これから。
END
少し気恥ずかしいタイトルにしてしまいました。
だいぶ迷いましたが、「アルヴィスもドロシーもまだ十代だしな」ということで、迷子・異邦人といったイメージのstrangerに、将来について思い悩む二人に「青春」を合わせてみました。
この二人は、なんとなく背中合わせが似合うというか。
アニメル「スノウ奪還」でのシーンの印象もありますが、あまり多くの会話をかわさなくても、通じ合えるような、分かり合えているような感じがあります。
スノウの未来のビジョンは、小雪の目を通しているので語り口がふしぎという設定です。
最初はもっと彼女の夢を書く予定でしたが、オリジナル設定並みに話がこんがらがりそうになったので、結果的にドロシー視点でありながらアル・ドロの二人を掘り下げることに。
時間軸としては、ラストバトル前、ゲームのカルデアorクラヴィーア後。
ドロシーがアルヴィスのことを愛称で呼んでいることから、少し親しくなった後という設定です。
タイトルから、イメージ曲にGARNET CROW「strangers」を聞いていました。
ご拝読くださり、ありがとうございました。
2019.1.28