傍にある春風
窓から入る光の眩しさに、無意識に喉から呻きが漏れる。
眠気に抵抗するように体をねじりながら、重い瞼をこする。
「……やべぇ、寝ちまった」
今日は何日目だろう、犬はまだ寝ているのか?
高速で意識を眠りから呼び戻し、中にいる自分だけでも起きようと身体を起こすイメージを思い描くと、視点がその通りに移動した。
まるで計ったように同じタイミングで。
……こいつも今起きやがったのか?
「ん?」
何度か瞬きして、手を見た。
エアハンマーを付けた己の掌だ。
「お?」
視線を動かして、服を見た。
上着の下に着る黒いシャツだ。犬の穿いているズボンではない。
足元を覗くと、ベッドの下にいびきをかいている奴が転がっている。
そこまで確認してやっと、アランは自分たちが呪いから解放されたことを思い出した。
「……あっさりしたもんだな、オイ」
アリスといったか。ダンナの息子の想像したガーディアンは、六年間散々悩まされた呪いをあっという間に消し去ってしまった。
もう日付を気にすることもない。魔力の無さに煩わされることもない。
何より、自由だ。
自然と浮かべた笑みを消すことなく、いつになく上機嫌でアランは身支度をした。
バルコニーに出て煙草を吹かし、のんびり景色が移り変わるのを楽しむ。
銀時計で時間を確認し、朝食を取るため大広間に向かう。
「おはようございます、アランさん」
「おぅ、早いな。……いつもの鍛練か?」
「はい」
階段を降りると、自分とは逆に上がってきたアルヴィスと出くわした。
相変わらず勤勉な彼に感心しつつ、連れ立って食事の用意された広間を目指す。
「……呪いが解けたことド忘れしてよ、一瞬何日目かと焦っちまった」
あはは、と声に出してアルヴィスは小さく笑う。
「本当に良かったですね」
それに「ああ」と返事をしようとして彼を見ると、袖口から覗く紅いタトゥが目に入る。
途端、アランはたった今まであった高揚感のようなものが、一瞬で霧散するのを感じた。
先程のアルヴィスの言葉が羨むわけでなく。純粋な気持ちから言われたものであったから余計。
「どうしました?」
微妙に変化した雰囲気を感じ取ったのか、アルヴィスが不思議そうにアランを見上げる。
自分を信頼して隣に立つ彼に会わせる顔がなく、黙って目を逸らした。
「……悪かったな」
「え?」
「俺だけ楽になっちまってよ」
何のことですか? と、透明度の高い青い瞳が問うた。
「六年前、俺はお前が呪いを受けるのを止められなかった」
ファントムの前に立った幼い彼が呪いを受けるのを、何も出来ずに見ていた。
「戦争が終わっても、犬と合体しちまって傍にいてやれなかった」
レスターヴァに戻り、行く当てもないだろう彼を一人にしてしまった。
その他にも沢山。守ってやるべきだったのに出来なかったこと、呪いと一人戦うことを彼に課したこと、戦争を終わらせると言ったのに再び起こさせてしまったこと。
助けを求める仲間たちに背を向けたこと、ウォーゲームの重責を背負わせたこと。
いい年をして、自分のことで精一杯で、彼の為にしてやれたことなんて殆どなかった。
そもそも大人である自分たちが、子供だった彼が戦場などに立たなくていい世の中にしていれば……
「アランさん」
止めどなく続きそうだった暗い思考を、ふと凛とした声音が断ち切った。
「オレは自分を不幸だと思ったことはないんですよ」
言葉につられるように、目を閉じて言い切ったアルヴィスの横顔をアランは見る。
窓から差し込んだ朝の光が、一片の憂いもないささやかな笑顔を照らし出していた。
その表情が、綺麗だ、と。男に対して思うことではないが、アランは思った。
「それに、ギンタは貴方の呪いを解いたでしょう?」
光で明るく見えるブルーの瞳を開けて、アルヴィスは更に言う。
「あいつはもっと強くなります。ファントムもきっと」
倒してみせるはずです、と言葉を紡ぐ彼が、アランにはとても尊いものに思えた。
運命を呪うことの方が容易いのに、彼は決して堕ちることなくひたむきに生きている。
その強さが。ダンナや自分が惹かれたものだと、アランは思う。
時に氷のように冷たい眼差しを宿すのに、まるで春風のように優しい息吹をもたらす、その心。
「……そうだな」
彼のそれに答えるように、アランは暗い表情を消し口の端を上げた。
END
これを書いていて漸く、アルヴィスが何故前を向けるのかを解った気がしました。
アルヴィスだけでなく、他の様々な作品の悲しい運命を背負ったキャラクターたちが、何故前へ歩いていけるのか。
彼らは多分、自分を不幸と思ってはいないのだろうと。
他者から見たら不幸な人生の中でも、彼らは彼らなりの幸せを見つけているのではないか。
…上手く言えないのですが、そんな感じのことを思いながら書きました。
春風には二つの意味があります。
一つはアルヴィス。彼の持つ生来の優しさや強さ。
もう一つはギンタ。六年振りにメルへヴンに訪れた春風、という意味合いです。
ダンナ達を失って以来、必要以上他者に心を開かなかったアルヴィスを、もう一度仲間を作る気にさせた人物なので。六年間進展しなかったことを一気に進めている彼を、春をもたらす暖かい風と重ねて書いてみました。
当初はもっとギンタを押した話だったんですが、「勧酒」と被りそうなのでアルヴィスに焦点を置きました。
短い話ですが、少しでも何か感じて頂けましたら幸いです。
御拝読下さり、有り難うございました!
2010.10.3 初出