それでもまた
そこは書物でしか見たことのない、宇宙のような空間だった。
上も下もない。自分が浮いているのかそうでないのかもわからない。
どちらに向かって進んでいるのか? それとも静止しているのか?
光はなかったが漠然と自分の姿は確認でき、アルヴィスは周囲に首を巡らせた。
「ここは……」
自分たちは修練の門の内部に創られていた、亡きクロスガードの残留魔力による異空間から戻ってきたはずだった。
しかし自分はここにいる。同じように脱出したはずの仲間たちは見えない。
どこか別の場所へ迷い込んでしまったとしか思えない。
まさか彼女との決着はついていなかったのか、そう考えが思い至ったとき、目の前で光が収束し一つの形になる。
「君は……」
現れたのは仮初めの平和のなかで何度か目撃した、長く艶やかな黒髪の女性。
かつてクロスガードで顔を会わせたこともある、リリスという名の女。
彼女は異空間で対峙した際露にした現実を拒絶する雰囲気ではなく、生前の穏やかな様子でそこにいた。
「オレをここに留めたのは君か?」
「厳密には私の力じゃない。でも少しこの立場を利用したわ」
「立場?」
限りない数の銀河が点在する世界に、浮かんでいるような感覚を覚えつつアルヴィスはリリスに問う。
「肉体の死後、何年も意識と魔力が異空間に残っていたことで特殊な存在となった私は、次元を超越する力を得た」
彼女はいったん目を閉じた。
「世界の監視者はこちらの次元では空席だったから、そこに宛てがわれたの」
「……何のことだ?」
「貴方たちにはスケールが大きすぎて理解しにくいかもね」
訝し気な表情のアルヴィスに、リリスは苦笑するように微笑んだ。
「ここは、世界と世界の間」
向き合っている彼らの周囲には星雲がゆっくり渦巻いており、視界の向こうにはコロナと呼ばれる太陽の大気が淡く赤い炎を揺らしている。
絶えず動き続ける時の流れのもとに存在するそれらは、アルヴィスとリリスから見えているものの、その熱や質量を感じさせない。
彼らは、隔絶された別世界にいた。
「端的に言えば、私はこのメルへヴンとも、あのギンタって子がいた異世界とも違う空間で、世界を見守る役割を担うことになった」
時折どこか感情のこもっていない平坦な口調になるのを、アルヴィスが疑問に思っているとそれを察したのか、リリスの姿をした者は微笑んだ。
「私は『リリス』という人格を継承した存在。世界の監視者の意思とリリスの意識が混ざり合った、生前のリリスとも彼女の残留意識とも違うもの。リリスであってリリスではない。違和感を感じてもしょうがないわ」
第三者のような視点と、彼女本来の口調が入り交じる説明にアルヴィスはさらに困惑を隠し切れなかったが、意識を切り替え、当初からの疑問をぶつけた。
「どうして、オレをここに?」
リリスはアルヴィスを真直ぐ見つめて答えた。
「貴方が、あの世界に一番未練があったように思えたから」
「未練?」
「ええ」
思いもかけない言葉に瞳を大きくしたアルヴィスに、彼女は頷き続けた。
「あの世界は欠けたものを満たしていた。それぞれが心の奥底で望んでいたものを与えていた」
頼りにされたい。負けたくない。
心を埋めたい。守りたい。
愛されたい。愛したい。
強くありたい。自由でいたい。
「貴方が最後まで見つからなかったのは、あの世界に一番馴染んでいたから。違う?」
問い返されたアルヴィスは、異空間での自分を思い返し静かに瞑目した。
「……そうかもしれない」
戦いから遠く、沢山の人を失った辛く悲しい記憶もなく。
世界を背負う必要もない。
傍には、差し迫った命の期限だけがあり。
ただ生きたいと思う気持ちと、同じ痛みを知る琴美とだけ向き合えばいい世界。
「あの世界は、とても優しかった」
一瞬の使命からの解放には、手放すのをためらってしまう程の安らぎがあった。
「……望めばなかったことに出来るのよ」
「……え?」
「貴方を苦しめるその呪いも」
唐突に進み出たリリスは、不思議そうなアルヴィスの手の甲のタトゥを指差し、
「胸に巣食う悲しい記憶も」
いたわるような手つきで、彼の胸に触れた。
彼女の指先から水に触れたような感触が身体に奔り、アルヴィスの胸にぽうっ、と僅かな光が灯る。
するとそれに呼応したように、銀河に鏡のようなものがいくつも現れた。
「……皆……」
ガラスのような表面が映すのは、戦乱の中に散っていった仲間たちの顔。
そして、はっきりと思い出すにはいつも痛みを伴う、叶わない永遠を望んだ遠い日。
「ダンナ……さん……」
「……ここは沢山の時が混在する場所。貴方が望めば、これらの時間軸から再び歩むことが出来る」
切なく顔を歪めていたアルヴィスは、リリスの言葉に弾かれたように視線を向けた。
「今までの悲劇(できごと)をなかったことに出来る。潰えた未来を繋げられるかもしれない」
驚愕しまじまじと自分を見つめるアルヴィスを、リリスは真正面から見返し、念を押すようにしっかりと言う。
「やり直せるのよ」
微かに縋るような表情で、アルヴィスは仲間の死に際や、彼らと談笑した時間を見つめた。
……過去に戻り、道を選び直せば。
己の身体を這う忌まわしき呪いも、繰り返して来た数々の悲劇(できごと)も回避できるかもしれない。
失われた者達の存在する未来を、手に入れることが出来るかもしれない。
仲間達を、ダンナさんを……。
喉の底から、狂おしい程の息が零れた。
記憶の渦に吸い込まれるように、アルヴィスの指がすっと伸びる。
しかしその先端は、鏡に到達する直前に止まる。
「…………」
手の動きを止めたアルヴィスは、束の間高ぶった気持ちを鎮めると、何かを悟った深い眼差しで己の記憶を見遣った。
今はもういない仲間たちと、笑い合った記憶。
——そう。あの時オレは、確かに永遠を望んだ。
皆で過ごすこの瞬間が、ずっと続けばいいと願った。
でもそれは、誰の手によっても
決して叶わない願いだと、もう知っている。
そして叶わないからこそ
胸の奥で輝き続けることを知っている。
「……いや……」
「オレは戻るよ」
一度目を瞑ると、アルヴィスは吹っ切れたような表情でリリスを見る。
「あったかもしれない未来を選ぶことは、今までのオレを……」
苦しみながらの選択を。
失意の先に得た出逢いを。
「ギンタを、否定することになる」
「……苦しかったことは沢山あるさ」
曇りない眼差しで言いきったアルヴィスは、何故と問いた気なリリスの視線をそらすことなく続ける。
「でも、なかったことにしたくはない」
「……一つも後悔がないわけじゃないでしょう?」
「ああ。……しかし道を歩み直したところで、別の未来を作れる保証はない」
「きっとオレは、同じ道を選んでしまう」
困ったように、しかし何かを愛おしむように笑ったアルヴィスを、リリスはしばらく見つめていたが、やがて納得したように小さく笑みを零す。
「……わかったわ」
ごう、と風が吹き出すような激しい音と同時に、記憶の鏡が消失し、別世界からやってきた強大なエネルギーのうねりがアルヴィスを包み込む。
「貴方をあるべき時間の流れに返す」
髪の毛が煽られる先に立つリリスは、次元を超越した監視者の、底が見えない表情で語る。
「この経路(チャンネル)は使えなくなるから、もう二度と会うことはないと思うわ。貴方の選択で運命がどう動いていくのか、見守ってる」
そこまで続けると刹那、リリスの姿をした者は少女の顔になった。
「さようなら……アランによろしくね」
「……ああ」
空間が歪み。
時の流れより隔絶された宇宙から、紺碧の少年の存在が消失した。
多元宇宙の中心で、リリスはぽつりと呟く。
「……不器用ね……」
哀れむような、同情するような声音だった。
「苦しむとわかっていて、またその生を選ぶなんて」
「……でも私も」
悲しみに沈んだ口の端が、緩やかに持ち上げられる。
「アランたちを助けたことは、後悔してないの」
あの時どうして村を離れたとか、家族を置き去りにしたとか、自分を憎みたくなることは沢山あるけれど。
たった一つでも、後悔していないことがある。
間違っていないと、誇りと思える選択がある。
それだけで、その道を生きた価値があるのかもしれない。
「……誰もがそうなのかもね」
屈託のない笑顔を浮かべ、次元の調停者となった少女は守れなかった大好きな家族を思った。
例え自分たちの村が襲われるとわかっていても、父と母はきっと自分を外へ送り出すのだろう。
そうあるべきなのだと、信じて。
リリスのいた世界がかき消え、鏡に映し出されていた記憶が洪水のように流れ出した。
己の存在が本来の時に向かって運ばれてゆく。
溢れ出す記憶の奔流の中、変わらぬ笑顔があった。
思い出の中のその人は、いつも優しいものだけをくれる。
「……貴方を選べなくてすみません」
そう。選ぶということは、切り捨てること。
ダンナさんがいたかもしれない未来を、オレは切り捨てた。
「でもオレは……」
「貴方を、忘れません」
ああ、今こんなにも泣きそうな気持ちなのは。
瞼を掠めた思い出が酷く、優しかったためかもしれない。
彼がくれた勇気も言葉も、全部覚えている。
世界が終わった瞬間も覚えている。
だが手放せない、ものがある。
失いたくない、出逢いがある。
涙を涸らす程泣いた先で、か細くも繋がっていた未来の光を、オレは見ていたい。
この先を、見ていたい。
世界は動く。
時は回り続ける。
迷って、選んで、悔やんで。
過去に戻りたいと願いつつも、何度でも同じ道を歩むことを繰り返し、人は生きてしまう。
苦しみと、悩むとわかっていてなお、足掻く道のりをゆくのは、知らない道を進めない弱さだろうか。
「……いや……」
「人間だからだよな、ギンタ……」
投げかけた言葉に「それでいいのさ」と、誰かが言ってくれた気がした。
ぱちりぱちりと瞼を動かせば、ぼやけた視界に映るのは見慣れた部屋の天井。
ウォーゲームに参戦する自分たちに宛てがわれた、レギンレイヴ城の寝室。
「あ、アルちゃん、気ぃついた?」
隣から聞こえて来た声に見返すと、ベッドを椅子がわりにして傍に付いていたらしきナナシが嬉しそうに笑った。
「体はもう平気か?」
「……体?」
「アルちゃん、修行中に倒れたんよ。覚えとらんの?」
上体を起こしたアルヴィスに、疲れが溜まってたんやないかなぁと語るナナシは、ベッドサイドに置いてある水差しからコップに水を注ぎ手渡した。
ありがとう、と小さく言いつつ、先程までいた世界を思い返してアルヴィスは自分自身に問うてみる。
(……夢だったのか?)
考えてみると、リリスの思念が残っていた修練の門に迷い込んだのは何日も前の事だ。
しかしあまりにリアルな感覚は、それが現実ではないということを認めようとしない。
自分の深層意識とリリスのいた空間が、何らかのはずみで繋がったのだろうか?
(……わからない、けれど)
幻と片付けてしまうには濃厚だし、惜しい。
長い間割り切れなかった過去との邂逅は、悩みながらも前を見据えて歩いていけると、再確認できたものだったから。
「……ギンタ達は?」
「まだ修行や。アルちゃん、ギンタたちの前で倒れたから、ごっつ心配しとったで。そろそろ戻ってくる頃やと……」
その言葉を肯定するように、ばたばたと廊下から派手な音がしてくる。
「お、来た来た」
楽しそうなナナシにつられ、アルヴィスも微笑みながら扉に目を向ける。
「アルヴィス!! 大丈夫か!?」
眩しい、と一瞬思った。
「……ああ。心配かけてすまない」
ノックもおざなりに飛び込んできた少年の髪は、鮮やかな金色。
ダンナさんと、同じ。
そう。オレが選んだのは、ダンナさんではなく、お前。
お前がいたから、希望が続いてると、続いていくものだと思えたんだ。
この先を見ていたいと、思えた。
「ふぇ〜。よかった〜心配したぜ〜」
——失いたくない、出逢い。
「? なんだ、アルヴィス?」
オレの顔なんか付いてる? と言う彼に、「いや」と返した。
じゃあ何で、と続いた言葉には答えず、アルヴィスは不思議そうに自分を見るギンタに笑いかけた。
————出逢えて、よかった。
END
とにかく、色々な思いを込めて書いた作品です。
ギンタと出会わなかったら、多分アルヴィスはダンナさんを選んでいたと思うんですよ。
それくらい、彼にとって大きな存在で。
クラヴィーアのエンディングでも(カペルに言われたとは言え)「あるいは…ダンナさんを…」と言っているくらいですし。
自分の呪いのことよりも、失った人たちのことに比重をかけて考えている様子が、何というか…アルヴィスらしいと思いました。
イメージ曲はガーネットの「夢のひとつ」。この曲自体は別れて違う道を行く恋人たちを歌っているのですが、歌詞の
「夢のひとつ見ただけ 明日へ帰りましょう」や
「時は儚いものなのに 人は時に求めすぎる」という箇所などが、リリスの世界を離れる時のアルヴィスの心境を歌っているようで、なんだか胸を熱くさせながら聞いていました。
道が選び直せると言われたら、恐らく半分の人は選び直すと思います。
私自身も、後悔していることばかりだし、やり直したい経験がいくらでもあります。
でも、後悔や反省は次への必要な行動だけど、時々疲れるときもあるんじゃないか?
何かを後悔している『自分』は、その後悔していることを含めた、自分の歩いた道を抱えて生きている。それは全部、今の『自分』を形作るもの。
それら全部ひっくるめて、時には全てを肯定してあげてもいいんじゃないか?
そんなことを思いながら書いた話です。
自分なりに原点に戻りつつ、皆様への感謝を込めて書き上げさせて頂きました。
この度、サイト三周年を祝したフリー小説とさせて頂きます。
………が、全く萌えの欠片もないことは、自分でもしっかり自覚しておりますので(苦笑)
こんなんでも貰ってやるよ! という心の広い方は、どうぞお持ち帰り下さい。
(フリー配布期間は終了しました。お持ち帰り下さった方々、有り難うございました。)
いつも訪問してくださる皆様、本当に有り難うございます!!
今後もスローペースですが、サイト運営を続けて行きたいと思います。
自分も楽しみつつ、皆様にも楽しんで頂けるものが作れるよう、これからも頑張りますので、どうぞ宜しくお願い致します!!
最後まで御拝読下さり、有り難うございました!!!
2010.2.20