知らない世界、知らない背中

 

 

 

 真っ白な淡い光を放つ月が、森の向こうの夜空に浮かんでいる。

 闇色に染まった樹々の陰で、ざくっと、土が抉れる音が響く。

 地面に突き立てられたそれから光が迸(ほとばし)り、同時に近く一帯の大地も光を含みもつ。

 月光の下(もと)ではわかりにくいが、つい先程よりも健康な色づきを取り戻した土に、スコップを持った少年は満足そうにうなずいた。

 

「……うん、これで大丈夫みたいっスね」

 

 腰を屈めて草や花に触れると、指先に葉の瑞々しい、弾力をもった模様が感じられジャックは自然と笑顔になる。

 

 昼間ギンタとの修行で通ったときに見かけた、元気のない木が気にかかっていた。

 キノコの採れる季節でもないのに、土の外に出た根に平たい小さなキノコの頭ができていたのだ。

 夕食後城を抜け出し来てみると、その木だけでなく周辺の草花も元気がない。

 どうやら土自体に栄養が不足しているようだった。

 住処にしているキノコには悪いが、木々が弱っていくのを植物使いとしては見捨てておけない。

 ジャックは地面に、バトルスコップにマジックストーンを付けてできた、大地のスコップを突き立てた。

 魔力を地波(アースウェイブ)のように爆発させずに、弱った大地に溶かし込むようにイメージすると、地波は起きずに魔力は大地に注がれた。

 こうして土壌を豊かにしてやれば、木も元気になるだろう。

 立ち上がると、突き刺したままだったスコップをアクセサリーに戻した。

 

 少し前までは、父の形見がこんなにも力を持ったARMだなんて知らなかった。

 パヅリカを出る日が来るなんて思わなかった。

 自分が世界の命運を決する舞台に立つことになるなんて、ほんの少し前までは信じられなかった。

 

 

 ウォーゲームと修行に明け暮れる毎日は目まぐるしいけれど、同い年の友達や頼りになる人達と過ごす日々はくすぐったい。

 そう。不謹慎かもしれないが、楽しい。

 こんなにも魔力が身に付いたことも、今の生活が良いものである証拠のようで、ジャックは父のスコップに笑いかけながら帰路を辿ろうと足を踏み出した。

 

 と。

 

 

 がさ がさ

 

 

 地面に足が着く前に、背後で何かが動く音がした。

 え? と思いつつも、草を踏みしめもう一歩進もうとする。

 

 

 がさ がさがさがさ がさ

 

 

 ………何かいる。

 ジャックは途中まで上げた足を、空中で固まらせた。

 

 かつて家の畑を襲った、獰猛な牙を持った狼たちを思い出す。

 ここは人が集まった城の近くだ。魔物だとしたら、放っておくと大変なことになるかもしれない。

 ごくりと唾を飲み、体の向きを転回。息をひそめ、いつでもARMが発動できるよう、腕のバトルスコップに手を添えて進み始める。

 城とは反対の方角に音が移動していることから、物音の主は森の奥へと向かっているようだ。

 気取られぬよう、距離を十分に保って後を追う。

 やがて視界が開け、ジャックの真正面に満月が現れる。

 わずかに歪んだもう一つの月が、波立つ地面に揺れている。

 音の主は、鏡のように夜空を映す湖の前でしゃがみ込んでいた。

 

 

「……え……アルヴィス……?」

 

 

 身を隠した木の後ろで、ジャックは思わず声を上げそうになった。

 先程の音の主は、魔物ではなく城にいるはずの仲間だったのだ。

 

 

「何でこんな所に……」

 

 

 ジャックはアルヴィスのことを、あまりよく知らない。

 彼について知っていることと言えば、ギンタを喚んだという事と、とにかく物凄く強いという事ぐらいだ。

 何せ初戦で、ルークを一撃粉砕だ。

 あとから聞いた話では、自分達と初めて接触する前、二十人ほどの盗賊を相手にしていたと言う。

 ガイラとアランとも六年前から知り合いのようだし、貴重な戦力として頼りにされているようだし。

 年はそう変わらないはずだが、自分たちとは全然違う。ARMもたくさん扱える強い少年だと、ジャックは彼のことを認識している。

 そんな圧倒的な強さを持つ彼が、人気のない所でうずくまっているというのは、ジャックの中ではない姿だった。

 彼の様子をもう少し近くで見ようと、ジャックは息を殺してそっと歩を進める。

 

 

「……!  …っ……!」

 

 

 微かだが、押し殺したような声が聞こえた。

 

 

「……っ…! くぅっ…!」

 

 

 距離が縮むにつれ、ジャックは押し殺した声の正体を理解する。それはアルヴィスの呻きだった。

 どこか痛むのか、彼は端正な顔を苦悶で満たし、額に汗を滲ませている。

 樹に手をかけたまま、ジャックは声をかけようかかけまいか、しばし迷う。

 すると

 

 

「……頼む……オレの身体…」

 

 

 途切れとぎれの言葉が、静かな森に木霊した。

 

 

 

「もう少しだけ…時間をくれ…」

 

 

 哀願に同調するように、彼の掌が背中にいく。

 

 

「せめて、ギンタがもう少し強くなるまで……」

 

 

 身体が軋みそうな程、彼の肩に力が込められる。

 彼の呟いた友の名に、ジャックははっと息を呑む。

 

 

「オレはあいつに……責任があるんだ……」

 

 

 葉が落ちたのか。水面に一つ波紋が生まれた。

 

 

 

 

 覚悟とか、決意とか。

 彼と自分はあまりに違いすぎると、ジャックは思った。

 

 

 アルヴィスがギンタを喚んだ。

 だから、責任がある。

 彼を導き、強くさせる義務がある。

 だからといって、こうも孤高であらねばならないのか。

 自分とたった二つしか違わない、この少年は。

 

 

 もしかしたら、この戦い以外にも、アルヴィスは何か背負っているのかもしれない。

 こんな暗い森の中、一人うずくまって何かに耐えているのだから。

 でもそのようなことを、彼は一切言わないし、態度にも示したりしない。

 

 自分たちにも。

 ガイラやアランにも。

 己が喚んだギンタにも。

 いつも一緒の、ベルにすらも。

 

 

 こんな姿は誰にも見せていないし、これからも、見せることはないのだろう。

 短い付き合いのジャックでも、それは容易に想像がついた。

 ………それは、幼い時から彼が戦士であった為だろうか。

 

 その答えをジャックは知らないし、答えを聞くことも出来ないだろうと、知っているものより小さな背中を見つめながらジャックは思った。

 

 

 

 翌朝。彼は何事もなかったようにウォーゲームの舞台に立っていた。

 かつて世界に平和をもたらした救世軍の紋を纏い、頼りがいのある背中で、対戦相手を軽やかに撃破してみせた。

 涼し気な顔でポズンのコールを聞く姿に、昨夜の影は、微塵もなかった。

 

(やっぱ…すごいっスよ、アルヴィス)

 

 勝利に沸き立つ観衆の中、ジャックは改めて彼と自分は違うと思った。

 自分は少し前まではただの農夫で、他の大陸や国のこともちゃんと知らない。

 ウォーゲームもなりゆきで参加したようなものだ。けれど。

 

 

「…何だ、ジャック」

 

 

 彼みたいにすぐには強くなれなくても、自分に出来ることをもっと頑張ってみようと思った。

 例え、その距離が途方もなくとも。

 

 

「……いや。行ってくるっス!」

 

 

 その背中に、少しでも追い付けるよう。ほんの僅か決意を新たにした心を持って、ジャックはフィールドへの歩を進めた。

 

 

 

 

END

 

 

 

 

時間軸は1stか2ndバトルが終わった後です。

これまでジャックとアルヴィスの絡みをちゃんと書いた事がなかったので、何か一本書いてみようと前々から暖めていたネタに挑戦しました。

しかし二人ともほぼ全く会話してませんね。一方的にジャックがアルを見つけただけに終わってます(汗)

 

アニメルでも言及されてましたが、ジャックはあのメンバーの中で一番普通の立場なので、戦いにおける意識や心構えとかが、他の面々より少し甘かったと思うんです。

逆に言えば、彼は一番私たちに近い存在で。

だから、アルヴィスの覚悟を見て劇的に何かが変わる……という訳ではなく、表面上には現れていないけど確実にあっただろうささやかな変化を目指して書きました。

 

なおアルヴィスの「責任がある」という台詞は、サン・テグジュペリの「星の王子さま」から頂きました。…いや、頂いたと言うより、この言葉の印象が強すぎて他に思い付かなかっただけなのですが…(台無し)

 

短くまとまってしまいましたが、少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。

ご拝読下さり、有難うございました。

 

初出・2011.6.16