秘密の夜と朝
夜のしじまにまぎれそうな、か細い、小さなノックの音がした。
気のせいかとも思ったが、確かに聞こえたはずのそれに部屋の入り口まで行き、ドロシーはドアを開いた。
一瞬、誰もいないかと思った。視線を下にずらすと、神妙な顔でこちらを見上げる妖精の少女がいた。
「……ベル! アンタが一人で来るなんて珍しいわね」
「ドロシー……」
ベルは周囲を憚るように数度見回した後、躊躇いながら続ける。
「……あのね、ほかのみんなには内緒にして欲しいんだけど……」
「……いいわよ。どうしたの?」
声を顰めて優しく尋ねると、躊躇ったのち、ベルは口を開いた。
「アルヴィスが……」
そこでもう一度逡巡するも、ベルは続けた。
「アルヴィス……タトゥが痛むみたいで……今寝てるの……」
泣きそうに顔を歪めて綴られたのは、彼女が大好きな少年のことだった。
「大丈夫って言うんだけど、熱も下がらないし……ドロシーもホーリーARM持ってるんでしょ? アルは多分、ギンタとかには知られたくないだろうから……」
自分に治療してもらえないかと、頼みに来たということか。
「ほんとは、ベルがこうして頼むのもよくないんだろうけど……でも……」
苦しむ彼を見かねて、迷いながらも来た彼女の頼みを断る理由はない。
「……わかったわ」
ドロシーは彼女を安心させるように微笑んで頷くと、すぐに踵を返し準備を始めた。
「アルヴィス、入るわよ」
ノックと声かけに返事はなかった。ドロシーはそっと扉を押し開けて、部屋に入り込む。開いた扉の隙間から先に入り込んだベルが、窓際にあるベッドへと向かう。
ベッドには、肩で浅い呼吸を繰り返しているアルヴィスが眠っていた。
サイドテーブルのランプを灯す。アルヴィスの白い肌には、玉のような汗がいくつも浮かんでいる。
「……ひどい熱ね……」
暗がりでもわかるほど紅潮した頬に触れ、アルヴィスの額に手を当てると燃えるように熱い。
「うう……っ」
「アル……」
枕元にいた思わずベルが身を乗り出して呼びかけるが、アルヴィスの反応はない。
ベルの言うように、時々タトゥが痛むのか。苦しげな呼吸の合間にアルヴィスのうめき声が漏れ聞こえる。
夕飯の後、そのまま寝込んでしまったらしく、アルヴィスは普段着のジャケットを身につけていた。少しでも楽になるように、ドロシーはアルヴィスの首のファスナーを下ろし、襟元をくつろげる。汗が噴き出る熱く細い首筋が、忙しない呼吸に喘いでいる。
静かに魔力を込めたドロシーは、ジッパーからあるものを取り出す。短時間で体温を測ることのできる簡易的なARMだ。
熱い脇の下に入れて数秒後、ARMが光って値を示す。アルヴィスの平熱は知らないが随分と高い。
次に、ドロシーはもう一つARMを取り出した。カルデアから持ち出してきたホーリーARMの一つだ。
魔力の質を変化させることを意識しながら、ARMを発動させる。
しばらくの間、ホーリーの光を注いでいると、アルヴィスが「う……」とかすかな声を漏らした。
瞼が押し上げられ、海のように青い瞳が現れる。高熱で潤んだそれは、やや焦点がはっきりとせず、呼吸は早いままだったが意識は戻ったようだ。
「アル!」
「気がついた? 身体、ちょっとはマシになったかしら」
顔を覗き込むと、ぼんやりと熱に潤んだ瞳が向けられる。
「…………ドロシー?」
「ええ。ベルが泣いて頼むから、お節介かもしれないけど来ちゃったわ」
「ちょっとー、ベルは泣いてなんかないもん」
ぷーと頬を膨らませて抗議するベルに、ドロシーは悪戯っぽく言う。
「あら、さっき泣きそうだったじゃない」
「違うもんー!」
二人のやりとりを見上げていたアルヴィスは、荒い呼吸の間でくすりと笑みを刻んだ。
「ありがとう……お陰で痛みは引いた……」
「そう。……でも今夜は休んでいた方がいいわ。熱もまだあるし」
「ん……そうさせてもらう。ベルもすまない……心配かけてるな……」
「ううん、大丈夫。気にしないで眠って、アル」
「うん……」
ベルの勧めに大人しく頷いた後、アルヴィスは瞼を閉じる。痛みは引いたようだが、まだ熱は高い。それだけでも彼の体には負担だろう。
事実、綺麗な形の眉は辛そうに歪められたままだ。
それでも、いくらか安堵したのか。ベルが嬉しそうに言う。
「ありがと、ドロシー」
「このまま付き合うわよ。こんな状態のコを放っておけるほど薄情じゃないわよ、ドロシーちゃんは」
「ホント?」
ベルの表情が柔らかくなる。やはり一人で付き添うのは不安だったのだろう。
一旦ドロシーは部屋を出て、平たい容器に冷やした水とタオルを用意してくる。
タオルを濡らし、固く絞って、まだ熱を持つ額に乗せる。すると辛そうだったアルヴィスの顔がほぅ……と少しだけ綻んだように感じられて、ドロシーはわずかに胸を撫で下ろす。
数時間経っただろうか。気づけば窓の外の月の位置が変わっている。
けれど、アルヴィスの熱はなかなか下がらない。それどころか、夜が更けるにつれ段々と熱が上がってきているようで、元々早かった呼吸がさらに早くなり、細い肢体からは汗が絶えず噴き出している。
湿って張り付いた前髪をかき分け、汗の滲んだ額に手を当てる。そこは数時間前よりも確実に高い熱を発していて、ドロシーは渋面を作る。
「ドロシー……」
心配そうに声を出すベルに促されるように、ドロシーは再びアルヴィスの体温を測ることにした。はぁはぁと喘ぐように呼吸する熱い身体に体温計のARMを挟む。程なくしてARMが光り、脇の下から出して確認する。
思っていたよりもずっと高い熱に、ベルが「どうしよう……」と顔を曇らせる。
「……今はもう少し様子を見ましょう」
「え、なんで!?」
「ホーリーARMは決して無制限に使っていいものじゃないのよ。いくらプラスのエネルギーでも、強い魔力を浴び続けることは体の負担にもなるわ。この熱はおそらくゾンビタトゥによるものでしょ。普通の病気とかだったらまだいいけれど、ホーリーはいわば呪いと反発する力。……あまり何度も使うと、逆にアルヴィスの体が消耗しちゃう」
「そんな……」
高熱に顔を赤くして、ふうふうと息を吐いているアルヴィスを見て、ベルは大きな瞳に涙を溜める。
「アルぅ……」
泣きそうなのを堪えるベルを慰めるように撫でた後、ドロシーは再びアルヴィスの額のタオルを取り替える。
その後も看病を続けるが、やはりというか。アルヴィスの容体は良くならない。どれだけ冷やしても熱は測るたびに値を更新し続け、触れた額も熱くなっていく。
何度目かの測定ののち、表示された体温にドロシーは思わず息を飲んだ。高すぎる熱に動揺するが、同じく自分を不安そうに見つめるベルの顔を認め、ドロシーの腹は決まった。
「……やっぱり、使ってみようか」
ベルの表情がパッと明るくなるが、数刻前の話を思い出し「でも、いいの?」と問う。
「このままやり過ごせたらよかったけど、これ以上熱が上がる方が心配だしね」
どのみち、タトゥの魔力を打ち消すにまでは至らないのだ。体力を消耗するなら、ARMの反動の方がマシだろう。そう判断したドロシーは、枕元に置いていたARMを手に取り、発動させた。
先ほどよりも長い時間、ホーリーの魔力を注ぎ続ける。
心なしか、苦しそうな彼の表情が和らいだような気がした頃合いで、ドロシーは魔力の供給を止めた。
汗で張り付いた前髪を避けて額に手を当てると、少しは効いたのか、触れるだけで火傷しそうだった熱は、幾分か落ち着いたように感じられる。
「……ふう。とりあえずは、よしと」
「アル……」
ベルが小さく耳元で呼びかけたが、アルヴィスは目を閉じたまま、浅い呼吸を繰り返すだけだった。
上かけを整えたドロシーは、汗でしっとりと彼の服が湿っていることに気付く。
「替えの服ってある?」
「あ、うん。ちょっと待って」
ベルがアルヴィスの荷物を探っている間に、今度は温かいタオルを用意してきたドロシーは、掛け布団を除ける。
すると外気に触れたためか、それともドロシーの手の感触に刺激を受けたのか、アルヴィスがうっすらと目を開けた。
「目、覚めた? 起きられそう?」
「う……」
未だ高熱に支配された体は思うようにならないらしく、アルヴィスはドロシーに体を預けながらなんとか身を起こす。
服を用意する間、アルヴィスの背中を壁にもたせかけようとするが、手を離すだけでぐらりと傾いてしまうので慌てて支える。触れた体はどこもとても熱く、やるせない気持ちになってしまう。
「下ろすわね」
自力での着替えは無理そうだと判断したドロシーは、彼に断ってからアルヴィスの服のファスナーを下まで下ろす。服の中に隠れていたゾンビタトゥの紋様が、左胸を中心として禍々しく存在を主張している。
(こんな綺麗な体なのにね)
インナーのタンクトップも脱がす。汗をかいている力ない体を、ドロシーはやさしく丁寧に拭いていく。されるがままのアルヴィスは、熱に潤んだ瞳でドロシーをぼんやりと見上げていた。
ベルが用意してきた、緩いタンクトップとTシャツを被せる。ようやく着替えの済んだアルヴィスを、ドロシーはベッドに横にならせた。
少しはさっぱりとしたようだが、高い熱に苛まれているのは変わらない。
ドロシーは熱い額に濡れタオルを置いた。それから彼の火照った頬を冷ますように手のひらを当てていると、アルヴィスは再びうっすらと目を開けた。
「……大丈夫?」
気休めとわかっていながらも声をかけたドロシーに、アルヴィスは辛そうに息をつきながらも小さく頷いて返す。
高熱で無意識に震える指をゆっくりと持ち上げ、頬に触れるドロシーの手のあたりにまで持ってくる。細く熱い指先が、ドロシーの手の甲にそっと触れた。
「きもち、いい……」
幼子のように表情を緩ませるアルヴィスに、ドロシーは静かに笑んだ。
「……ずっと、こうしててあげる。だから、寝なさい」
もう片方の手で髪を撫でながら、ドロシーは彼の頬を撫でる。
ふと、アルヴィスの唇が、何かを形作った。おかあさん、と言ったのか、そうでないのかは、わからなかった。ベルが黙って、彼の反対側の頬に座って寄り添う。
その後も、ドロシーはベルとともに一晩中看病を続けた。
翌朝。タトゥの発作はおさまったのか、回復したアルヴィスを見て、ドロシーとベルはほっと息をついた。
しかし体温計はまだ微熱を示しており、確認した二人はそろって難しい顔をする。
「う〜ん……」
「もう大丈夫だよ。このぐらい、熱があるうちに入らないから」
「でもまた上がっちゃったら……」
「昨日ゆっくり休ませてもらったから平気さ。それに、これには周期がある。しばらくは来ないはずだから」
「むむ〜」
ベルがなんとか休ませようと訴えるも、当のアルヴィスはなんだかんだ理由をつけて動こうとしている。真面目もここまでくると困るものだ。
これ以上何を言っても聞かないだろう。ため息をついた後、ドロシーは大仰に体を伸ばした。
「あーあ、流石にちょっと疲れちゃった」
「色々とすまなかったな……え、わっ」
髪の帽子を外しながら、ドロシーは大股でアルヴィスに近寄り腕を伸ばす。
そのまま、彼を身体ごと抱き込んで、ベッドに横になった。
「あの、ドロシー……」
「いいから、ちょっと付き合って。まだウォーゲームも休みなんだし。今日ぐらい寝坊したって、誰も怒らないわよ」
突然の強引な束縛に、呆気に取られてなすがままのアルヴィスに言った後、ドロシーは後ろでポカンとしているベルに視線を送る。
目配せを受けて、意図を察したベルもまたベッドに転がった。
「ベルも寝ちゃおー、朝寝坊、賛成―!」
ぽふっと可愛らしい音を立てて隣に着陸してきたベルを、ホールドされていて動けないアルヴィスは眺めることしかできない。息の合った様子で二人が言う。
「「おやすみー」」
両側を女の子たちに拘束されたアルヴィスは、しばらくベッドの上でなおも戸惑っていたが、やがて状況を受け入れて身体の力を抜いた。
怠さの残る身体を無視はできず、眠気に誘われるまま、目を閉じる。
そのまま優しい眠りの波に、身を委ねた。
END
これはいつものごとく数年前から…ではなく、実はごく最近に思いついた話です。
テーマはズバリ「推しを弱らせる」。身も蓋もない。
以前こちらでも告白しましたが、私には「弱った推しの姿が好き」という困った性癖がありまして(苦笑)
けれど先日ふとネタ出しのため過去作品を読み返している際に「推しを弱らせるの好きなのに、うちのサイトはそういうの少ないかも…?」と気付きました。
支部では好きCPで体調不良タグをついクリックしてしまうのに、自分ではあまり書いてないかも?と。
以前書いた短編「泡沫の影」でも看病シーンはあったりしたんですが、ワンシーンぐらいでがっつり書いてはおらず、読み返してみたら「なんか事務的かも」と思いまして。
こうなったらそれをメインに据えて、とことん弱らせよう、とことん看病させよう!そして甘やかそう!!となった話です。
欲に忠実に書いてみた結果、めっちゃダウンさせてしまいました。ごめんねアルちゃん。
いつも以上にアップに勇気がいった話ですが、少しでもお楽しみいただけますと幸いです。
ご拝読くださり、ありがとうございましした。
2023.11.30