同じ空を抱えて〈9〉
「……またひどくやられたもんだな」
アンダータで飛び、眼前に広がる光景にアランは渋面を作る。
負傷している村人に寄りそっていた一人が、一同を見つけ驚きの声を上げた。
「あ、アンタら、こないだの……」
「いいからどけよ。怪我してるんだろ、その人」
そっけなく答え、ギンタはスノウを促す。スノウは心得たように頷き、うずくまっていた住人の傷を治療し始める。
「おまえら……性懲りもなく、また来たのか!」
「この村を襲ったヤツか近くにいないか見回って、怪我した人の治療が終わったら帰るよ」
「疑っとるんやったら、変なことせぇへんようにアンタらが自分らを見張っとけばどーや?」
ぶっきらぼうに続けたギンタに、ナナシも軽い調子で言葉を添える。だがもっともな正論に村人たちは口を閉じた。
後ろで疲弊した住民を見ていた村長の顔に、逡巡が浮かぶ。
「村長……」
「…………勝手にせい」
近くに襲撃者らしき魔力の気配は感じられなかったことから、数十分後に合流した一同は人々の介抱に専念することを決めた。
壊れた家屋の下から人々を助け起こしたり、瓦礫を片付けたり、畑を直すことなどに励む。
アルヴィスもまた、先日と同じようにホーリーARMで人々に治療を施していた。
怯えながらも、アルヴィスの誠実な様子に大人しく治癒を受ける者はいた。だが何人目かのとき、怪我をした親子の治療をしていた彼を見て、老婆が悲鳴を上げた。
「ひ、ひぃ!! 何でそいつまでいるんだい!」
それが引き金になったように、次々とほかの者もざわつき始める。痛みが引いて顔を上げた少年も、はっと大きく息を飲みその目に怯えを宿す。
アルヴィスは動揺するとまではいかなかったが、少しばかり悲しそうな瞳をした。
「こいつ、オレたちを襲ったヤツじゃないか!!」
「だーかーらー! この前も言ったけど、村が襲われたときアルヴィスは私たちと一緒にいたの。この村を襲うなんて無理なの!」
「もしそうだったとしても、そんなの偽者に決まってるっス!」
いつもはベルがするであろう反論を、城に残してきた彼女の代わりにドロシーやジャックが言う。頷くメルメンバーとは対照的に「……どうだか」と若者の一人が呟いた。
「オレ知ってるぜ……そいつ、ファントムから呪いを受けてるんだろ」
村人たちの視線が、アルヴィスの手の甲から覗くタトゥに集まる。
アルヴィスの表情は、変わらない。だが彼の拳が無意識に握られるのに、ギンタは気付いた。
「はっ、やっぱな。そんな怪しいモン持ってるヤツが、チェスにいつ寝返るのかわかったもんじゃねぇ」
「ああ、まったくだ」
「今だって、本当はチェスと繋がってるんじゃないのか?」
「そうだそうだ! この村を襲わせたのも、やっぱりお前なんだろ!」
あまりにも理不尽な言いがかりに、ギンタの頭が熱くなる。
「……なんだよ、それ……!」
怒りに体を震わせながら、ギンタは傍にいたスノウがびっくりするくらいの声量で叫んだ。
「アルヴィスはずっとアンタたちのために戦ってるんだぞ!! この世界のために!! メルヘヴンのために!!! オレをこの世界に喚んだのだってアルヴィスだ!! 何も知らないのに……!」
ギンタの脳裏に、さほど昔でない記憶が蘇る。
たった一人で泣いていた少年。
進むべき場所も何も見えないほどに、深く暗い、涙の海。
彼が受けた傷も、呪いの苦しみも、抱えていた孤独も何も知らないのに。
「アルヴィスのことを、アンタたちは何も知らないのに!! そんな言い方するなんて、あんまりじゃないか!!!」
「ギンタ、もういい」
叫ぶギンタの肩に、アルヴィスが手を置いた。
「なんで止めんだよ!?」
ギンタは怒りをおさえきれぬ様子でアルヴィスに向く。しかしわずかに微笑した彼の顔を見て、口をつぐむ。
いきり立っていた彼が静まったのを確認してから、落ち着いた表情でアルヴィスは周囲を見渡す。視力の戻った今では、人々の挙動がよく見える。
「……オレがファントムの洗礼を受けているのは事実だ。ロランたちを除けば、この地上で最もヤツに近い存在であることも」
しかしそこでぎらりと眼を閃かせ、住人たちに目をやる。
「天に誓って、このようなことはしていないがな」
う、と怯んだように声を詰まらせたり、顔を背ける人々を見たアルヴィスは、視線を凪いだものに戻す。
「……オレは先に帰った方がいいな」
そして己をずっと不安げに見ている幼い少年に、再度気付く。手を伸ばすと、少年はびくっと身体を震わせた。
アルヴィスは一度伸ばしかけた手をためらって、また伸ばした。
ぎゅっと目を閉じうつむいた頭に、ふわりと優しい感触が降りる。
「怖がらせてすまないな」
少年が見上げた先で、アルヴィスはかすかに痛みを含んだ表情で微笑んだ。
「村の外れで待ってる」
「あ……アルヴィス……」
去ってゆく背中を、誰も呼び止めることはできなかった。
彼を追い払った村人達さえも、気まずそうな雰囲気になる。
「……なんで……?」
沈黙が支配する中、ぽつりと少年が呟いた。その場に会した一同が不思議そうな目を向ける。
「あいつと……みんなを襲ったやつと、同じ手なのに……」
アルヴィスの触れた髪に手を当て、それから自身の小さな手を見つめた。
少年の瞳から、涙が溢れる。
「なんでこんなに、やさしいんだろう……」
なぜ涙が出るのか。その理由がわからぬまま、少年は目をゴシゴシとこする。
母親がなだめるのを見ながら、一人の村人がこぼした。
「……なぁ、これで良かったんだろうか」
「……何がだ?」
「彼は私たちを助けてくれた。どう見ても悪い人間とは思えない。なのにあんな仕打ちをして……」
そう感じていたのは、その人物だけではないようだった。数人が同じような反応を見せた。
「しかし、あいつは村を襲ったヤツとそっくりなんだぞ!?」
「でも間違ってないか? 似た人間が襲ったからと、彼まで疑うのは」
「だが同じヤツでないという証拠はないだろう!」
「……けど彼は、ずっと世界を守ってくれていた」
やや感情的な議論が交わされる場に、芯の通った声が響いた。片足を包帯で巻いた青年だ。
「ジィさんたちはウォーゲームを見てないだろうけど……俺は見てた。彼は戦えない俺たちの代わりに、ウォーゲームで戦ってきてくれていた。君たちと一緒に。そうだろ?」
「あ、ああ」
ふいに同意を求められて、ギンタは驚きながらも頷く。他の若者たちもウォーゲームを見ていたのだろう。メルの面々を見つめ、何人かは青年に同調するように首肯した。
「だがワシらとチェスは、まったく関係ないだろう!」
「そうさ! この戦争に私たちは一切関わっちゃいないんだ!」
「……だから感謝する義理もねぇってか?」
老人たちを中心とした村人の頑なな態度に、静観していたアランが口を挟んだ。
ガタイも良く、鍛えている彼の声には独特の威圧感がある。
人々が肩を縮こませたのを視界の端に見ながら、アランは苛立たしげに葉巻を取り出した。
「まぁ別に、こっちも感謝してもらいたい訳じゃねぇけどよ」
深く息を吸った後、私情をおさえつつも、やり切れなさが滲んだ声音が煙とともに吐き出される。
複雑な表情で周囲が見つめてくる中、アランは左手の指で煙草を外した。
「……言っとくが、この村が襲われなかったのは、おそらくチェスにとって大した意味をもたなかったからだ。辺境な上に人口も少ねぇこの村に、わざわざ戦力を割こうとは思わなかったんだろう。あいつらがその気になれば、アンタらなんざいつでも潰せるんだろうぜ」
「……アラン」
正義の軍勢らしからぬ乱暴な物言いを、咎めるようにスノウが彼の名を呼ぶ。
アランはきまり悪そうに頭に右手をやる。
「……脅してるみてぇな言い方になったが事実だ」
「ああ。それにチェスの被害を受けている場所は一つやあらへん。メルヘヴン全土や」
ルベリアの光景を思い出し、話すナナシの目が一時激情を秘めたものになる。
「自分たちは関係ないからそれでええっちゅうのは、ちと古臭い考え方なんと違う?」
「それは……」
「…………」
声のトーンは抑えつつも鋭い口調のナナシに、村人たちは黙りこくる。
「…………儂らを襲ったのは」
これまで沈黙を守っていた村長が、唐突に口を開く。
「本当に、彼ではないのか……?」
以前とは違う表情で問いかけてくる彼に、ギンタはかすかに目を見開く。
先ほどまでの怒りとは違う、表現しがたい気持ちが沸き起こった。
「……そんなの、当たり前だろ……っ!!」
ギンタの表情と返答に、村人たちは戸惑った様子で顔を見合わせた。
→ 第十話