同じ空を抱えて<5>

 

 

 

 それから三日が過ぎた。

 その間、再び襲撃者が現れたという知らせはなかったが、カルデアからの連絡も依然としてないままだった。

 

「あ、ギンタにバッボ、それにジャック!」

 

 昼食を終え中庭に向かう道すがら、ギンタたちはベルとアルヴィスに行き合った。

 目が見えなくなってから、アルヴィスは「ほかの人に余計な心配はかけたくない」と食事はベルと共に自室で取るようにしていた。

 

「よぉ、アルヴィス、ベル。昼ちゃんと食ったか?」

「ああ。ギンタたちは広間からの帰りか?」

「そうっス。一息ついたら、またARM練習の続きをするつもりっス」

「そうか。……ギンタ、お前はダガーを使うとき、最初が大振りになりがちだ。敵に突っ込むのはいいが隙を作るなよ」

「あ、ああ……わかった」

「それと、ジャック」

「は、はい!」

「お前は魔力を練るのに時間をかけ過ぎている。もっと早くできるようARMに意識を集中しろ」

「りょ、了解っス……」

 

 一瞬たじろいだ二人を見透かしたようにくすりと笑ったアルヴィスは、ベルの誘導で彼らの脇を通り過ぎる。ベルのきめ細かな指示が聞こえる。

 

「アルヴィス、あと五歩で右に曲がるよ」

「わかった」

「そこから階段だから、足元気をつけて」

「ああ」

 

 危なげなく足を動かし、アルヴィスは階下へと降りて行った。すっかり目を丸くしたジャックが改めてといった風に言う。

 

「……すごいっスね。見えなくても、オイラたちの癖や動きがわかるんスね」

「……ああ。思ってたより平気そうだな。良かった!」

 

 ギンタ達の予想よりも、アルヴィスは平静に日常生活を送っていた。

 事情を知る者は皆、初めは彼の一挙一動に心を砕いていたが、ベルの手助けのもといつも通り修行をこなす様子や本人の希望から、最初ほど手や口を出さなくなった。これといった怪我も、今の所していないようだ。

 

「何のことや? ギンタ」

「ああ、ナナシ。アルヴィスっスよ」

 

 後から来たナナシに、ジャックがアルヴィスの消えていった階段を指差した。

 

「今そこでアルヴィスに会ったんだけどさ、アイツすげーんだよ。目が見えないのにオレやジャックの癖を当てたんだぜ!」

「……『すごい』ねぇ……」

 

 明るく話すギンタに、ナナシは含みを持たせた冷めた声音で返した。

 

「そんだけで済ませられる事やないけどな」

「? どういうことだ?」

 

 ムードメーカーの彼にしては珍しい態度に、ギンタはきょとんとして彼を見上げた。

 すると、ナナシの目付きが鋭く変わる。

 

「気付いとらんのか、ギンタ」

 

 隣のジャックがわずかに息を飲む。昼食後の和やかな空気が、ぴんと張り詰める。

 ナナシの表情の険しさに、ギンタも戸惑いを隠せない。

 

「……何に?」

「アルちゃんがなんで目が見えんのに、普通に動けとるのか」

 

 押し黙る三人の前で、ナナシは宙に指を立てる。

 

「人間は、自分の周りの景色や状況といった情報を、五感で取り入れとる。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚……そのうちの大半を視覚……つまり目に頼っとる」

 

 一つずつ指を立てた後、わかりやすいようにナナシは自分の瞳を指した。

 

「目が見えんってことはな、入手できる情報が格段に少なくなるってことや。残された四つの感覚で情報をかき集めんとあかん。生まれつき全盲の人ならともかく、急に見えんようになった場合、三日かそこらですぐに慣れると思うか?」

「……それは………」

 

 決まりきった答えにギンタは口ごもる。

 

「…ならばアルヴィスは、どうやってこれまでのように情報を得ておるのじゃ?」

「……第六感(シックスセンス)や」

 

 彼の代わりに問うたバッボに、ナナシは答えた。

 

「アルちゃんは今、残った感覚と第六感で周囲を探り、情報を得とる。空気の流れ、人の気配、動きや呼吸、そして魔力までも感じ取って、状況を把握するための手がかりにしとる。言うなれば、魔力を常に発動させた状態なんや」

「……魔力を?」

「ああ。例えば、自分らみたいなそれなりのARM使いになると、魔力っちゅーのは自然と溢れ出てくるもんやろ? 気配を殺したいときとかは意識して抑えるけど、普段はそんままにしとくやん。アルちゃんは自分らが発しとる魔力を第六感でとらえ、そして自分らの魔力とアルちゃん自身が持つ魔力がぶつかった時に起こる、魔力の微妙な歪みみたいなもんから、自分らがどんな事をしとんのかを判断してるんや」

「歪み?」

「そう。魔力の波長が、一瞬変わるってゆーんかな。君らも経験したことあるんとちゃう?」

 

 そう言われてギンタとジャックは、これまでのウォーゲームの戦いを思い返してみた。

 魔力と魔力がぶつかりあった時に感じる、あの波動。

 ARMに通わせた自分の意識が、第三の目となってフィールドを駆け巡る、あの感覚。

 

「ってことは、アルヴィスは今目が見えない分、オイラたちの動きを読むために普段以上に魔力を出してるってことっスか?」

「ああ。勿論聴覚とかも使っとるやろけどな」

「………全然知らなかった」

「そう振る舞っとるからな。けど………そんなんずっとしとったら、いくら凄い術者でも疲れてまうわ」

 

 気付かずにいた事実を、明るい緑の瞳を見開き聞いていたギンタは歯を噛み締める。

 掌にぎりぎりと力が篭り、指先が痛みを訴えた。

 

「……ギンタ」

 

 力の入った握りこぶしを解かずにいる彼を見て、ナナシは労りとも、突き放しとも取れる口調で言う。

 

「あの世界を見てきたのは……君だけやで」

「————っ!!」

 

 居たたまれない表情を浮かべ、ギンタは階段へと走る。

 慌ててその背をバッボとジャックが追うのを、ナナシは引き止めることなく見送る。

 

「……ま、後悔してばかりなのは、自分も同じやけどな」

 

 苦く笑った呟きを、拾う者は誰もいなかった。

 

 

 

「——アルヴィス!!」

 

 ギンタの切羽詰まった声に、陽が当たる中庭の樹の陰で、岩に腰かけていたアルヴィスは顔を上げた。

 ベルとの話を止め、片手を岩に着き身を起こす。

 

「ギンタ……? どうした、何かあったのか?」

 

 ギンタの元へ何歩か歩み寄る目の焦点は、合っていない。ギンタを向いてはいるが、目線の高さが微妙にずれている。

 話しかけようとして、ギンタはその場に流れる魔力に揺らぎを感じ、踏み出そうとした足を止めた。

 感覚を研ぎ澄ませると、わずかの間アルヴィスの魔力が周囲に広がり、ギンタのそれとかち合う。するとアルヴィスは首をほんの少し下へ向け、背の低いギンタと瞳が交わる位置に視線を修正した。

 その一連の動きを認め、ギンタは再度顔を歪める。

 

 ………何故、気付かなかったんだろう。

 少し手を伸ばせば、すぐにわかるのに。

 

 

「……ギンタ?」

 

 

 大丈夫だと思い込んで、見過ごして、

 

 

 ——————また同じ間違いをするのか。

 

 

 

 足音を大きく立てながら近付き、アルヴィスの前に立ったギンタは、彼には見えないとわかっていつつも顔を俯けた。

 泣きそうに肩を震わすギンタを見て、どうしたのかという問いをベルは飲み込む。

 

 

「……絶対、助けるから」

 

 

 アルヴィスの肩に両手を伸ばし、ギンタはくぐもった声で言った。

 不意に訪れた手の感触に、アルヴィスは刹那見えぬ目を丸くする。

 だが微かに震える指を感じ、ギンタを安心させるかのように穏やかに笑う。

 距離を探りながら、腕を伸ばし、アルヴィスはギンタの頭に手を乗せた。

 最初は確かめるように浅く、それから優しく触れ、幼子にするように数度叩く。

 

 

 ………こいつって、何で自分がこんなに辛い時に

 こんなに優しい表情が出来るんだろう。

 

 

 アルヴィスを見て、ギンタは気付かなかった後悔と同時に、かねてからあった思いが強くなるのを感じていた。

 

 

 

 ——————絶対に、助ける。

 

 

 

 

 

→ 第六話