同じ空を抱えて<2>
「アルヴィス……」
噛み合わない視線となにも掴めなかった掌に、ギンタは目を見開いた。
「お前目が……?」
ギンタの問いにアルヴィスは答えなかった。
だが彼らしからぬ戸惑った表情と続く沈黙が、何よりの肯定だった。
「……どういうことだよ、アルヴィス! 何でお前……」
「落ち着けギンタ!」
思わずアルヴィスの細い肩を掴んで問い質すギンタを、バッボがいさめる。
我に返ったギンタが力を緩めると、無意識に躰を強張らせていたアルヴィスは光を映さぬ瞳を伏せた。
肩から腕がするりと外れ、力なく下がる。
「私、アラン達に知らせてくる」
共に付きそっていたスノウが足早に部屋を出ていった。
「アルヴィスに詰め寄ってどうする。何の解決にもならんじゃろ」
「あ、ああ……」
バッボに諭されるギンタを気にかけつつ、視野を確認するように顔に手を当てているアルヴィスにジャックが訊ねる。
「目が見えなくなるのはよくある事なんスか? その……ゾンビタトゥで……」
「いや……初めてだ」
幾分落ち着きを取り戻した様子で話す彼に、ベルが問いを重ねた。
「ほかに痛い所、ない?」
「ああ」
「苦しいとかは?」
「ないよ……大丈夫」
自分たちを安心させるよう微かに頬笑む姿に、ギンタの胸に先程の愚行への後悔が押し寄せる。
するとそれを読んだかのように、アルヴィスが言った。
「……お前が気に病むことじゃない。ギンタ」
「え?」
自分の様子が見えているかのような発言に、ギンタは驚いた。
しかし彼は自分を見てはいない。依然周りの風景を認識してはいないようだ。
「オレが倒れたのは、何時(いつ)だ?」
「あ…えっと、昼過ぎくらいだ」
「今は、夕方か」
わずかばかりの斜陽と風を感じたのだろうか。いささかずれてはいるが、アルヴィスは窓の方へ向いた。
「とにかく皆と話し合わなくてはな。ウォーゲームのこともある」
「…ああ」
一番不安であろうに、それを表に出さず今後を話す彼に、ギンタは尊敬を覚えつつも唇を噛んだ。
「両眼共に視力は機能していませんが、視神経の方に問題はありません」
レギンレイヴに常駐する医者の見解に、寝室の隣で話を聞いていたギンタたちは額に皺を刻んだ。
「じゃあどうして……」
「……精神的なものかもしれません」
「精神的?」
「ストレスってこと?」
「彼はファントムからの呪いを受けているんですよね?」
「……ああ」
「それだけで、常人よりも疲弊しているはず。その上ウォーゲームで過酷な戦いを続けているわけですから、身体が悲鳴を上げるのも当然でしょう」
「そんな…」
悲痛な表情を浮かべるギンタを同情する目で見た後、医師はなだめるように柔らかい口調で続けた。
「ともかく、あまり刺激を与えず、自然と視力が戻るのを待つのがよろしいでしょう。ストレスによるものであるならば余計に」
「そうか……ご苦労だった」
「いえ、どうぞお大事に」
医師が退出した後、彼らは隣室で待つアルヴィス達の元へ戻る。
部屋に入った途端、付き添っていたスノウとジャックが席を立ち上がった。
「どうだった!?」
「原因はわからん、やて」
「そんな……マジっすか……」
「けど、ゆっくり休めば良くなるかもって言うとったわ」
ナナシが二人を安心させようと明るく話すのを横目に、ドロシーがベッドに近づいて、アルヴィスの前に屈みこむ。
浮かない顔のままの彼に指を伸ばした。
気配を察知して、アルヴィスが瞼を下ろす。
彼と同じように目を閉じて、数秒間、ドロシーはなにかを感じ取るように彼の目に指を押し当てた。
「……魔術が施されている感じがする」
指をそっと離す。
「傷もないのに、ほのかに熱い気がするの。……封印をされているみたいな」
「……何やて?」
振り向いたナナシが訝しげに眉根を寄せる。
「封印って……誰が?」
「わからないわ。でもこれは自然に発生したものじゃない。誰かが意図的にやってる」
仄かな熱さの残る指を見つめてドロシーは付け加える。
「もしくは……」
「……ゾンビタトゥの影響か……」
後を継いだアランの言葉に一連のやりとりを聞いていたベルが、涙の滲みそうな声で尋ねた。
「じゃあ、アルの目は……戻らないの?」
もしこの現象が後者であるならば、手の打ちようがないことを彼女はよく知っていた。
ホーリーにガーディアンの魔力が加わった、アリスですら解けなかった呪いなのだ。
回復する見込みは絶望的と言っていい。
ファントムの呪いは激痛をもたらすだけではなく、彼の視野までも奪い取ってしまうのか。
「……今の段階では何とも言えないわ」
ドロシーは正直に、しかし希望を消さぬ言い方で答えた。
「とりあえず、しばらく様子を見るしかないわね。……明日になったら、あっさり戻ってるかもしれないし」
冗談めかしてドロシーは続けるが、内心その希望が叶わぬであろうことは察しがついていた。
しかし、仲間たちにはそんな様子を見せず、空気が沈まぬよう笑ってみせる。
流れを後押しするように、アランも同意する。
「そうだな。思いがけない休みが取れたとでも思っとけ。アルヴィス」
戦力にならない自分を責めているらしい彼の、頭をぽんと叩いてやる。
驚いてきょとんとした表情でアランの位置を見上げたアルヴィスに、残りの面々も普段の勢いを取り戻して言う。
「そうそう! お前が試合に出られなくても、チェスはオレ達がぶっとばしてやる!」
「だから安心して、アルヴィスはゆっくり休んでね」
「……ありがとう」
仲間たちにアルヴィスは微笑んで、しかし眸を見返せずに答えた。
「ええーと……皆さん、おはようございます」
心なしか、いつもより剣呑な視線を浴びせてくるメンバーを見渡して、ポズンが遠慮がちに挨拶をした。
「はよざいまーす……」
「昨夜はゆっくり……お休みになられていないようですね」
「うるせぇー、文句あっか!」
「アンタには関係ないわよ」
「はよサイコロ振らんかい」
「さっさと終わらせてやる」
「それがですね……」
男性陣を筆頭に詰め寄る一同に腰を引かせつつ、ポズンは話を切り出した。
「ファントム様からご命令で、ウォーゲームを一時休止にすると」
「……何だって!?」
予想外の話に、試合を見物しに来た民衆たちからも驚きの声が上がる。
数日前、ドロシーの故郷・カルデアから出られなくなったメンバーに対し、フェアな勝負を望むファントムがゲームを中止してからさほど日が経っていない。
「一時休止って……どうして?」
「私も詳しくは存じ上げませんが、何でもクィーンたってのご希望だそうで」
「クィーンって……」
「……ディアナ……!」
スノウが自身の義母に思い至った横で、ドロシーは姉の名を呟き歯軋りした。
冷静にアランが尋ねる。
「再開するのは何時だ」
「それも聞いてません」
「使えねぇ……」
「……とにかく!」
彼の文句を遮って、ポズンは姿勢を正し再度話し出す。
「ゲーム再開の目途がつきましたら、こちらからまた連絡させて頂きます。前回の時と同じように、アラン、あなたの通信用ピアスに」
「……わかった」
「それでは皆様、休暇をお楽しみください」
怪訝そうに己を見る空気に居たたまれなくなったのか、ポズンはそそくさとアンダータで姿を消した。
太陽はまだ昇ったばかりだが、試合が延期ならばと人々がぞろぞろと帰路につく中、ギンタたちも張り詰めていた気を緩める。
「……ってことは、ウォーゲームのことは暫く考えなくていいってことだな!」
「そういうことっスね!」
「うむ! アルヴィスの目を治すARMとかが探せるの!」
「早くアルヴィスに知らせに行こう! ギンタ!」
「ああ!」
「あ、待って下され! 姫様!」
子供達が素直に喜びを表し、アルヴィスの部屋へと駆けていく中、大人達は晴れない表情のままだった。
「……どう思うよ?」
「……喜んでいいんかな、これ」
「絶対なにか裏があるわ。タイミングが良すぎる」
断定する口調でドロシーは言い切った。
「もしかしてディアナが……?」
ふと一つの可能性に考えが及び、さらに思案する。
「アルの目もディアナの所為なのかしら……」
「……かもしれねぇな」
静かな相槌に、思案に沈むドロシーの面持ちが硬くなる。
「まだわからんやろ。それにゲームが暫くないんなら、ギンタたちの言うように、アルちゃんのことに集中できるってこっちゃ」
彼女を励ますように、ナナシが笑みを浮かべた。
「……そうね。アルヴィスの目がこのまま元に戻らないようなら、イフィーたちにも相談してみるわ」
「あの頭の良いお嬢ちゃんなら、何かわかるかもしれねぇな」
「ええ」
「お、イフィーちゃんか! 確かウィートちゃんも一緒なんやろ?」
「ええ。帰る所がないから、今はイフィーの庵に居候してるって」
「ほんなら、そん時は自分も一緒に行ってええ?」
「バカは留守番してなさい」
「あ、ひっど!」
最後の方は話が脱線しつつも、頼りになりそうなカルデアの魔女たちに協力を仰ぐことで、ひとまずこの場の結論は付いた。
爆発だと思った。
投げ出された身体に、瞬く間に血が滲むのがわかる。
轟音が殴打した耳が、使い物にならない。
何がどうなっているのだろうか。
靄(もや)のように頼りない思考で、現状を把握しようとする。
日課の畑仕事が終わり、戻ってきたところだった。
突然前触れも無く、地面と身体が揺らされ視界を砂塵が覆った。
いとも簡単に、彼が数年前から一人で住む家屋は瓦礫と化した。
折り重なった、いくつもの折れた支柱から足を引き抜き、彼は何とか立ち上がろうとする。
そこで目の前に降りてきた影に、導かれるように顔を上げて、彼は思わず茫然とした声を漏らす。
「え……?」
見知った顔だった。いや己が一方的に知っていると言うべきか。
眼前に立っていたのは、本来こんな辺境の村にいるはずのない人物だった。
そんな予想外の“襲撃者”が、酷く楽しそうに笑みを浮かべるのを、彼は見た。
細長い武器が、音もなく振り上げられる。
記憶の中で感心した、しっかりとした戦闘訓練を受けた者の手つきだった。
短い悲鳴の後、彼の身体は地に落ちた。
「ジャックーもうちょっと右ー」
「……っと……どうっスか?」
「おし、いいぞ。 あと少しだ! 背伸びしてくれ!」
「えー!? これ以上は無理っスよ! ただでさえ足元不安定なのに!」
「あと少しなんだよ!」
「し、しょうがないっスねぇ……よっと。……うわ、マジで落ちそう……」
「……よっしゃ!! 取れたぞ!」
ガタン。
「……お?」
ガタンガタンガタンガタン
「どわぁー!! やっぱ崩れたっスーーー!!!」
ドシーン。
「いてて……大丈夫かジャック?」
「だ、だから無理だって言ったのに……」
レギンレイヴ城の書庫。ギンタとジャックは姫に鍵を借り、何か手がかりになる本がないかと探しに来た。
しかし参考になりそうな資料のいくつかは、彼らの背丈をはるかに超えた高い棚の上段にある。
……届かない。
考えた結果、椅子を数個積み重ね、その上に乗ったジャックがギンタを肩車をして本を取ろうということになったが。
案の定、二人はバランスを崩して落ちた。
「図書館とか図書室って、何でこんな高い棚なんだよ……」
「なっさけないのー。もっと踏ん張らぬか!」
「バッボは見てただけじゃないっスか」
「ワシはお主らの主人じゃ。主人の前で家来が働くのは当然じゃろう?」
「お前は手がないから本も取れないんだよなー仕方ないんだよなー」
「うぬぬ! 人が気にしておることを!!」
「……で、ギンタ。本は?」
「勿論! 死守したぜ!!」
転げ落ちた時もしっかり握っていた本を取り出し、天に積もっていた埃を吹き飛ばす。
重い背表紙を開き、数ページめくってみた。
「……やっぱりこれも読めねーや。ジャック、読んでくれ」
「了解!」
異世界から来たギンタはメルへヴンの文字を殆ど読めないため、ジャックが文章を読み上げることで本の内容を把握していた。
「“ARMの材料が魔力を通しやすい銀であるように、マジックストーンやそれに準ずる宝石も、魔力をダウンロードしやすい素材である必要があります”」
「“不純物の少ないマジックストーンほど、より高い魔力を封じることができます”」
「……あんまり関係なさそうじゃのう」
「これもハズレっスね」
バッボと同じような感想を述べると、ジャックは山になった本の上にそれを重ねた。
「けどオイラ達、そもそも何を調べればいいんスかね」
長く息を吐きながらジャックがぼやく。
「そりゃあ、目が見えなくなるARMとか、それの解き方とか」
「それだったら、ドロシー姉さんにカルデアで調べてもらった方が早いんじゃないんスか? カルデアの方が、ARMの資料だって沢山あるはずだし」
「………う〜ん」
最もな指摘に、ギンタは腕組みをして考え込む。
とりあえず何かしなければと書庫に来てしまったが、ジャックの言う通り、ここで自分たちが調べられることはこの世界でごく一般的な事柄ばかりだ。
問題の根本的な解決には程遠い。
かといって、ドロシー達に任せっきりにしておくのは自分の心が許さない。
何かしたい、少しでも。待つことが苦手なギンタにとって、それは必然的な思いだった。
しかしやはり成果はない。観念して、スノウが看ているアルヴィスのところに戻ろうかとギンタが腰を起こした時、部屋の外に慌ただしい気配がした。
「こちらにいらしたのですか、ギンタ殿!!」
「どうしたんだよ、一体」
「大変な事になっているのです! ともかく詳しくはこちらで!!」
「何かあったんスかね……」
「わからぬがとにかく行くぞ、ギンタ!」
「ああ!」
本来なら広げた大量の本を片付けなければいけないが、緊急事態ならばやむを得ない。
脇目も振らず、三人は兵士が開いた扉に駆けていった。
→ 第三話