同じ空を抱えて〈12〉
その夜、アルヴィスは一人城を抜け出した。
視界の利かぬ今、危険なことは百も承知だ。ましてや昼間に拉致されたばかりである。
それでも行かずにはいられなかった。確かめなければいけないことがあったからだ。
足元から湿った匂いがする。歩いてきた距離から計算するに、城の近くにある湖まで来たらしい。
気配に導かれるままやってきた場所には、ある人物が待ち構えていた。
「よく来たな」
声が答えた。予想していた通りの人物だった。否、人物と言っていいのかどうか。アルヴィスの考える彼の正体が、当たっているとしたら。
アルヴィスと瓜二つの彼は、昼間と同じ、楽しげな態度で問いかける。
「殺されるかもしれないとは、考えなかったのか?」
「もう一度お前と会わなければならない……そう感じたからだ」
対峙したアルヴィスは、相手の気配を改めて全身の感覚で感じとる。
予感は、確信に変わる。
「……あの時、お前が言っていた意味がやっとわかった」
そのまとう魔力は、初めから答えを示していたのだ。
「お前は、オレの影だな」
「比喩などではなく、お前は、オレの心に潜んでいた影、そのものだ」
妖しげな笑みを浮かべたまま、彼は黙っていた。
だがその瞳は紅く不気味に煌めいたかと思うと、周りの闇を飲み込み一段と暗さを増した。目の見えないアルヴィスにも、身体全体に冷たい空気がまとわりつくような、そんな風に感じられる変化を見せた。
そうして続く沈黙は、問いへの肯定を如実に示していた。
「ふふふ……あっはっはっ」
しばらく小さな忍び笑いを響かせていた彼は、やがてパチパチと取って付けたような拍手をした。
「ご名答。……思ったより動揺してないんだな」
「お前が言ったんだろう、『俺は君だ』と」
「じゃあ認めるんだな、君自身の中に黒い感情があることを」
「……ああ」
苦々しくもうなずいたアルヴィスに、ふふっと彼は笑った。その様子はどこか嬉々としたものにも思われた。
「そうさ。俺は君の姿を真似しているんじゃない、俺は“君”なんだ。アルヴィス」
芝居がかった口調で、彼は両手を広げる。闇を背中に携えて。
対してアルヴィスは動きやすいように両脚を開き、全身の緊張を高める。
「俺がこうして実体を取れるようになったのは、君のお陰でもあるのさ」
「………」
「アルヴィス。弱冠十六歳にしてクロスガードに属する“聖なる騎士”。伝説の男、アランを凌ぐかもしれない戦闘能力を有する者……」
手を広げたまま訥々と語りながら、彼は距離を詰める。
「そして不死の男、ファントムに選ばれし者」
付け足された文言に、無意識に拳を握ってしまう。その反応を見逃さずに彼は続ける。
「ファントムが君にゾンビタトゥを付けたのは、君に同じものを見出したからさ」
「同じもの……だと?」
「ああ」
彼は正面からアルヴィスに向けて指を差す。
「君の中には、少なからず人を憎む心がある」
アルヴィスは表情を険しくし、目の前に立っているであろう彼と対峙する。
「正義を是として、悪を断罪する心。理不尽に対して憤り、己の命すら顧みずになりふり構わず力を発揮しようとする純粋さ。それは一歩まちがえれば、狂気と隣合わせの強烈な衝動だ」
微笑を崩さないまま、彼は語り続ける。
「……六年前、自分が殺されるかもしれないという状況で、大の大人たちを差し置いてファントムの前に立ちはだかった。幼い君に、ヤツはそんなモノを見出したんだろうさ」
アルヴィスは苦みばしった顔で吐き捨てる。
「……オレは、ファントムとは違う」
「力を振るうとき、まったく快感を覚えないとでも? チェスを打ち負かすとき、純粋な使命感だけで戦っていると? そこに恨みや憎しみはないと言い切れるか?」
アルヴィスは答えなかった。嘲るように、彼は笑みを深めた。
「言えないよな。だからこそ、オレは生まれたんだ」
静かに話していた彼が、不意に動作に転じた。実体を持った影が土を蹴り、前に踏み出す。
「ぐっ!」
警戒していたが、やはり目が見えないとどうしても反応は遅れる。音がする前に構えたものの、アルヴィスは容赦なく彼の一撃を身に受けてしまう。
殴りかかった彼は、ぶらぶらと片腕を揺らす。
「数日前に目覚めたオレの核には、あの村の人々の負の感情が詰まっていた。オーブに納められることなく放置され、形ないまま膨れ上がり、村を漂っていた見えない感情。限界まで高められた、人々の猜疑心、敵意、憎悪……ドス黒い感情……その中に、君の闇があった。ひときわ大きく、深い、まるで海のような闇だった。とても心地よかったよ」
続けざまに攻撃が加えられ、アルヴィスは一方的にいたぶられる。体勢を崩し、そのまま数メートル吹っ飛ばされる。なんとか空中で姿勢を直して着地したものの、湖の浅瀬に追い込まれたのか、衝撃とともにバシャンと激しい水音が立ち足元を濡らした。
「なぜそこに、遠い別の場所にいた、君の闇があったのかは知らない。けれど闇の中は君の記憶そのものだった。チェスへの怒り、己を理解してもらえないことへの憤り、タトゥの恐怖、絶望………」
隠していたものが、暴かれる。それに心乱されそうになりながらも、アルヴィスは意識を集中させガーデスを発動させる。すると彼はまた13トーテムポールに似た形の何かを手に作り出すと、今度は息もつかせぬ勢いでそれをアルヴィス目掛けて叩き込んでくる。
ガーデスを体の前面に構え、アルヴィスは必死に防御する。
鋼鉄の盾に遮られるが、まるで痛覚はないのか。何度も反響音が響くものの、彼は攻撃の手を緩めない。
「よく、人ひとりの身で背負っていたものだと、感心すらしてしまうよ」
繰り出される容赦ない猛攻。そのほとんどを、見ることのできないアルヴィスは避けられず受け止めた。
「そして今回もまたそうだ。村の人々から理不尽な感情をぶつけられ、あらぬ疑いまでかけられて。守っているはずの者には、罠にはめられて」
不意に攻撃が止んだ。無音が辺りを包み、その静寂をまるで切り込むように、彼の声が破る。
「悔しかっただろう?」
知らず唇を噛み締めたアルヴィスに、指摘するように彼はささやいた。
「憎かっただろう?」
甘美な誘惑を持ちかけるかのように、尚もささやいた。
「だから、俺が代わりにやってあげたのさ」
アルヴィスの表情が、苦悩に満ちたものになる。それを見届けた彼は、ほくそ笑んだ。
「俺の行動は、君の望み。君が心の奥底で押し殺していた感情を、映しただけさ」
「……ちがう。オレはあんなこと、望んでない」
「綺麗事はやめるんだな。もう十分傷ついたんだろう」
「……ちがう、オレは」
虚しく響く言葉を払い除けるように、彼はアルヴィスの手元を狙って攻撃を放ち、ガーデスを弾き飛ばす。一瞬立ち尽くす形になったアルヴィスの眼前に立ちはだかる。
無防備になった顔へと手を伸ばし、頬をなぜる。
「君がこんなことを考えていると知ったら、君の大事な仲間はどんな顔をするだろうな?」
勿体つけた言い方で問いかけ、彼は蔑むように低く笑った。アルヴィスの瞳が刹那、恐怖に似たもので細くなる。
しかし不意に揺らぎが止まる。揺らめいていた瞳の焦点が一瞬で定まり、やがて凪いでいった。
その変化に気づかない彼は、アルヴィスの顔を固定するようにグッと引き寄せ、畳みかける。
「誰だって知られたくないだろう、弱い自分なんて。だから一人で来たんだろう?」
「……ちがう」
「ちがわないさ。『確信が持てなかった』なんてのは言い訳で。君の心は、本当は触れられることに怯えてる。知って欲しい、理解して欲しいと望みながらも、伸ばされた手を取れない。矛盾を内包している」
「……ちがう」
繰り返すアルヴィスの声は小声だったが、彼を睨みつけるかのように視線は前を見ていた。その心を挫くべく、彼は冷たく言い放つ。
「君はとても弱い。君の弱さがオレを生み、大勢の人々を傷つけたんだ」
とどめの一言とともに、強烈な一撃が浴びせられた。まともに喰らったアルヴィスは、抵抗する間も無く、そのまま意識を飛ばしかけた。
あとは一方的な戦いだった。倒れ込んだアルヴィスに、彼は攻撃を何度も与える。その度に、夜の湖に飛沫と波紋が生まれた。アルヴィスが沈黙したのを確認したあと、誰にも聞こえない声で呟きながら水面を背にした。
「もう少しだ。もう少し集まれば、あとはこの身体を器にして……」
「……ち……がう」
しかし消え入りそうな声が聞こえ、弾かれたように彼は背後へと振り向く。
全身水浸しで傷だらけだが、倒れていたアルヴィスが顔を上げていた。
「……驚いたな。まだ動けるのか」
「お前は……真実を語っていない」
「へぇ?」
小馬鹿にするような笑みを浮かべた彼だったが、アルヴィスは挑発には乗らずに、力を振り絞り、両腕に力を入れて身体を起こす。
「お前は、確かにオレの影なんだろうが、お前の行動全てが、オレを映しているわけじゃない」
「……それはどういう意味だ?」
「自分で言ったんだろう。人々の心の闇が集まってできたのが、お前だと」
訝しそうにたずねる彼を尻目に、アルヴィスはゆっくりと立ち上がる。
「……お前はオレの一部だが、同時にあの村の人々の感情を映した存在でもある。つまりは意識の集合体だ。オレだけでない、様々な人の思念も反映されて当然の存在」
声と気配を頼りに、彼の方向へと顔を向けながら、アルヴィスは不敵に口の端を上げてみせる。
「あいにく、他人の感情まで責任を負うほど、殊勝な性格ではないんだ」
「……ふぅん。意外と図太い神経をしていると見た」
「そう答えるということは、今のオレの見解が正解ということだな」
アルヴィスの指摘に、彼は顔をしかめた。明らかに不快そうな空気を醸し出す彼に、アルヴィスはさらに続ける。
「もう一つ疑問がある。お前があの村にばかり執着するのはなぜだ」
反射的に、彼はジロリと視線だけをアルヴィスに向ける。
「なぜあの村しか襲わない。それだけの力があるのに、なぜ留まり続けている?」
沈黙したまま、彼はアルヴィスを見つめ続ける。その態度を見透かしたかのか、まるで試合の時のように、アルヴィスはふっと挑発の意を込め笑ってみせた。
「出られないんだろう? お前の行動範囲は、おそらくあの村と、魔力の一部となったオレの周囲に限定されているんだ。レギンレイヴへは来られても、ほかの場所を襲撃しないのがその証拠だ」
「黙れ……」
「お前の行動は、自由に動けない感情を持て余しているだけの、子供の駄々みたいなものだ」
「黙れ!!!」
突然カッと目を見開くと、彼は瞳を血走らせて駆け寄りアルヴィスに殴りかかる。流儀も何もない、暴力的なものだった。
「感情を持て余しているのは、お前も同じだろう! 死ぬのが怖いくせに! 呪いが恐ろしいくせに!!」
再び水辺に倒れ込んだアルヴィスへ屈み込みながら、彼は攻撃を続ける。
アルヴィスと同じように濡れながら、拳を振るい続ける。
「強がるなよ!! 弱いくせに強がるなよ!! 強い振りして生きてんじゃねーよ!!!」
何度か殴った後、襟首をつかんで彼は思い切りアルヴィスを投げ飛ばす。放り投げられたアルヴィスは、そのまま浅瀬に仰向けに倒れた。大きく息を乱しながら、彼は今度こそ動かなくなったアルヴィスを見下ろす。
「器の分際で……生意気な口を叩くなよ」
ハッと鼻で笑った後、苦々しく呟いた。
「忌々しい。お前も、この身体も」
そして彼は姿を消した。
夜の湖に静寂が訪れる。数刻して意識を取り戻したアルヴィスは、時間をかけて岸までなんとか這い上がる。
だがそこが限界だった。肘を支えに進んでいたが、力が抜けたまま、動けなくなる。意識が再び遠のいていく。
そこに、新たな人影が現れた。
アンダータでそこにやってきた人物は、目にかかるほどの銀髪を揺らめかして、喘ぐように苦しげな呼吸を繰り返すアルヴィスを見つめる。
そして何も言わず、どこからかホーリーARMを取り出し発動させた。
「だ……れ……?」
身を包む癒しの波動を感じながら、アルヴィスはすぅ……と安らかな息を吐いて眠りに落ちていった。ARMを発動させていた人物は、感情を計りきれない表情で目を細める。
「友達だよ。……一方的な、ね」
そう答えて、倒れ伏したアルヴィスの身体を大切そうに抱え上げた。
傷や呼吸の具合を確認した後、城の方角へと向けて彼は一人つぶやいた。
「大事なものはちゃんと守りな、ギンタ」
翌朝。アルヴィスは、何事もなかったかのように城のベッドに横たわっていた。
昨夜の記憶が、途中で途切れている。
“彼”との会話は覚えている。けれど、どうやって部屋まで戻ってきたのか。いくら考えても、最後の方が思い出せないのだった。
→ 第13話