同じ空を抱えて〈11〉
────誰しも、暗闇を恐れる。
それは希望と呼ぶべき、光の裏側にあるからか。
────闇失くして、光は光たり得ないというのに。
…………暗い。
息が、しづらい。
なぜと考えて、身体が地面のない空間に放り出されていることに、アルヴィスは気付いた。
散らばっている曖昧な意識を、体の中心に据えるように持ってきて目を凝らす。
感覚を、集中させる。
そこは水の中だった。ただひたすらに暗く、深い海のような場所。
底のない深淵。
この世界を、アルヴィスはよく知っていた。
(これは、あの時の……)
以前ファントムが使用したARMで増幅させられた、自身の心の迷宮とも言える世界だ。
そこでアルヴィスは、現状(これ)が夢であると理解する。
しかしなぜ、今さら夢に見るのだろうか。自分はもう孤独ではないと知っているのに。
すると、どこからか声が聞こえた。
たすけて。
たすけて。
すすりなくような、弱々しい声。幼子のものだ。声のトーンから察するにどうやら少年らしい。
たすけて。たすけて。
やめて。いやだ。なんでオレが。
いたい。くるしい。
たすけて。だれか。……どうか。
…………死にたくない。
「……これは、昔のオレなのか?」
アルヴィスの問いに答えるように、幼い少年の姿が現れる。
声の主はちいさな膝を抱えてうずくまり、誰にも助けを求められずにいた。今にも闇に押しつぶされそうな、ちっぽけで非力な存在の自分。
深海のなか、小さな体が一人、沈んでいく。
その小さな背に、上方から手が差し伸べられる。
何もなかった水中に、唐突に現れた新しい息吹。
金色の髪。力強い手のひら。笑顔。まるで、光を体現したような少年だ。
その彼が、どこからともなく現れて、小さな青い髪の少年をぐっと引き上げる。
動作につられて、顔を上げた少年の顔が見えた。やはり、自分だった。
金色の少年がなにか言葉を発した。
それを聞いた幼い自分が、笑った気配がした。
そうして繋がれた二人の手から、光が生まれた。
光は周囲に溶け込み、温かな波紋となって海に広がっていった。アルヴィスもまた、指先から温もりが全身を満たすのを感じた。
波動が空間の端にまで伝わり、暗かった世界が色を変えたような感覚すら覚えた。
やがて、幼いアルヴィスと仲間の少年である人物の姿は、二人とも消えた。水面に差し込む光に薄く溶け合うようにして消えていった。
だがそれでもなお、その空間は消えずにあった。
……そう。消えずに、存在していたのだ。
主に置き去りにされた世界は、深い闇を湛えたまま、その場所にあったのだ。
一人残された記憶の世界に、アルヴィスは困惑しながらも漂っていた。
ふと視界の奥、何かがちらりと光った気がした。
アルヴィスはそちらに首を向ける。
石だ。透き通った六角形の、まるで透明な水晶のような石。
(……なんだ?)
水晶の中央部に、渦巻く黒い影が見える。
やがて小さかった黒い影が膨らんで、辺りを飲み込んでいく。暗い海の闇を吸い込んでいく。
アルヴィスの周りの景色も吸い込まれていく。暗い影が、怪しくうごめいた。
────それは知っている『何か』が、目覚める瞬間だった。
ぼんやりとしていた意識が、ゆっくり像を結ぶようにしてはっきりとしてくる。
視界は暗闇のままだが、先程までとは違う世界に来たのだと、アルヴィスは悟った。
「…………ゆめ?」
呟いた言葉が、音になって口から出た。やっぱり、現実だ。
「あ、気がついた!? アルヴィス!」
「ああ……」
アルヴィスのか細い声に重なるように、ベルの声がすぐ近くでした。
彼女が飛び付いてきたのだろう、頰に柔らかく触れる感触。あたたかい。
「起きたのね」
「よかった、心配したっスよ!」
「……また、倒れてしまったのか」
仲間たちの声が次々に降ってくる。アルヴィスが落ち着くのを待ったようなタイミングで、アランの声がかかる。
「血を流しすぎたせいだろうな。数時間だが気を失っていた」
「……そうですか」
視力以外、体の違和感はない。身じろぐと、気配を察したのか、近くにいた誰かが体を起こし支えてくれた。
指輪を付けた大きめの手のひらと、顔にわずかに触れる長い髪の毛から察するに、おそらくはナナシだろう。
「大丈夫か?」
「ああ。……ありがとう」
両の手を何度か握ってみる。体が問題なく動くことを確認した後、アルヴィスは首の辺りを探る。ジッパーを少し下ろし服の下を触ってみるが、そこにあったはずのARMは無かった。
「……すまないドロシー。ARM、壊されてしまった」
「いいわよそんなこと。それより身体はもう大丈夫?」
「ああ。……皆すまない、結局足手まといになってしまったな」
「気にしたらアカン。だーれも悪くあらへんし」
ひらひらとナナシは手を振る。その仕草はアルヴィスにはわからないが、雰囲気はなんとなく感じとれて、少しだけ表情を緩めた。
「それにしても、一体アイツ何者なんだ?」
「おそらく、あれが噂のアルヴィスの偽者で、一連の事件の犯人だろうが……」
「アヤツ、アルヴィスと魔力の気配まで同じであったな」
バッボの発言に、皆一様に難しい顔で押し黙る。
「アルちゃん、もしかして生き別れの双子がいたりとかは……」
「あいにく、心当たりはないな」
「ですよねー」
沈黙した場を慮ってか、少しおどけたようにナナシが尋ねたが、アルヴィスは冷静に返した。
「家族とか親戚も?」
「いないな。少なくとも、オレの知る限りは」
継いだジャックの質問に、さらに可能性は狭まってしまう。
全員の疑問をアランが口にした。
「……一体どんなARMを使ってやがるんだ?」
うーん、と皆で考え込む。
「……でも普通、ARMを使って別人に化けたとしても、魔力の気配まではごまかせないわ」
さらにこの中で最もARMに詳しいであろうドロシーの言葉に、一同は頭を悩ませる。
魔力は十人十色。二人として同じものはない。
血縁者や同じ土地の出身の者に、似た波長が現れやすいことは確かにある。だがその波長は千差万別である。
「ごっつ珍しい『魔力の気配を真似できる』効果のARMを使ってるなら別やけど……」
「その場合、アルヴィスの姿まで真似できる説明にはならないわ。姿と魔力、両方を模倣できるARMなんて、もっとレアのはずよ。そうそうお目にかかれないはず」
「へー、ARMにも色々あんのな」
つまりよっぽどの術者でない限り、まったく無関係の人物が、他人に完璧に化けると言うのは不可能なことなのだ。
「それに、何て言うのかな……あの人、アルヴィスとシンクロしてる感じだったよね?」
スノウがもう一つの疑問を投げかける。首を傾げて窺うように見上げた彼女に、ドロシーが頷いた。
「ええ。あの時ギンタンがバブルランチャーの弾を命中させた場所と、同じ場所に傷を受けてたから」
「あ、そうだった。ごめんなアルヴィス……」
「気にするな。お前が悪いわけじゃないだろ」
肩を落とすギンタに、アルヴィスは苦笑して答えた。
「でも見た感じ、そんなシンクロするようなARM使ってなかったよな?」
「うむ。戦い以外に魔力を割いている感じはなかったのぉ」
「余裕はかまされてたけどね……」
「アルヴィスにそっくりで、でも化けてなくて、ARMは使ってなくて…‥? う、なんだか頭こんがらがってきた……」
「オイラも……てか、あのからくりがARMじゃないんなら、打つ手なしじゃ無いっスか……」
頭パンク状態のギンタとジャックのもっとな指摘に、解決方法の模索どころではなくなってしまったメンバーは、態度には出さないものの同じように頭を抱えてしまう。
このままでは八方塞がりだ。
外もすっかり陽が落ちている。お開きとばかりにアランが腰を上げた。
「ともかく、考えるのは明日だ。魔力をだいぶ消耗しちまったからな」
「はーい」
ほかの面々が素直に返事する中、アルヴィスだけはまだ思案に沈んでいた。
→ 第12話