Re;birth 第9話〈前〉

 

 

 

 首筋に当たる息や頬が、酷く熱い。はぁ、はぁ、と苦しげな呼吸が耳元で繰り返される。

 顔に降り付ける雨粒が、視界を時折奪っては気持ちを逸らせる。

 

「……もうちょいで街に着くで、頑張りや」

 

 ナナシは背負った彼に声をかけるが、アルヴィスに返事をする気力はないらしい。せわしない呼吸が響くだけだ。

 なるべく背中を揺らさないようにしつつ、ナナシは足を急がせる。

 草原に一筋、線を書いたように作られた街道をひた走る。

 雨除けのためアルヴィスに被せたフードから、飛び出た前髪がナナシの顔に当たる。

 動くたびに触れるそれは、雨に触れてしっとりと湿っていた。

 それとは正反対に、ぐったりと動かない熱を持った身体。喉の奥からこぼされる、熱い吐息。

 焦りばかりが募る。

 

「……これは、しばらく止みそうにあらへんな」

 

 雨雲は空を隙間なく覆っている。少しずつ街の景色が近づいてくるが、ずいぶんと工業が発展した街のようだ。

 ナナシの視線の先で、空を裂くように突き出た煙突からは、灰色の煙が吐き出されていた。

 

 

 

 数日前から、アルヴィスはどことなく具合が悪そうだった。

 いつも率先して行っている野営の準備のあいだも、何だかしんどそうで、ナナシは彼に無理するなと言って横にさせたが、一晩経ってもあまり回復した様子はなかった。

 疲れただけだから大丈夫、と本人は言うものの、顔色も良くならないままだったので、ナナシは早めに次の街へと向かうことにした。

 天候の悪さも重なって、つい早足で移動していたナナシを、か細い声が呼び止めたのは数刻前。

 慌てて振り向くと、離れた位置でアルヴィスはしゃがみ込み、動けなくなっていた。

 うずくまっていた体に走り寄ると、アルヴィスは残った力を振り絞って立とうとするが、足元がふらつき倒れ込んでしまう。とっさに触れて支えた体はやけに熱い。

 汗ばんだ額に手を当て、アルヴィスの熱を確認したナナシは思わず息を詰めた。人間であればずいぶんな高熱だ。

 焦るナナシに追い打ちをかけるように、雨が降り出す。ナナシは慌てて動けないアルヴィスを抱え上げると、荷物からフードを取り出し彼に着せて、街への道を急いだのだった。

 

 そうしてやってきた街は、これまで訪れた場所の中でもかなり近代的な土地だった。

 街の至る所に大きな建物があり、工場らしきそれらの場所からは、絶えず空中へ煙が吐き出されている。

 だが景色を見る余裕もなく、ナナシは具合の悪いアルヴィスを背負ったまま急いで宿を探した。

 街の中央通りに位置する宿屋に飛び込んだナナシは、すぐに空いている部屋をとった。

 ナナシの背中でぐったりとするアルヴィスを見て、心配そうに顔を曇らせた宿の主人は医者を呼ぼうかと申し出てくれたが、ナナシは丁重に断った。

 精霊である彼の正体を明かすわけにもいかないし、そもそも普通の医師に、彼を診ることができるかもわからない。

 こういう時、ドロシーのような精霊の生体に詳しい守護精霊(ガーディアン)使いがいれば良かったのだが。

 

 部屋に入ったナナシはアルヴィスをベッドに下ろし、濡れた服を着替えさせて横にしてやった。

 アルヴィスは身体を起こす気力もないらしく、ただされるがままだった。

 毛布を上まで引き上げると、苦しそうに息をする彼の額に触れる。

 やはり燃えるように熱い。ひどい熱だ。

 そのまま指を滑らせ、熱で真っ赤に染まった頬に触れる。

 アルヴィスは浅い息を吐いていたが、ナナシのひんやりとした掌の感触が刺激になったのか、うっすらと目を開ける。

 

「……ナ、ナシ……?」

「大丈夫か?」

「ああ……めいわくをかけて、すまない」

「気にせんとき、疲れが溜まってたんやろ」

 

 申し訳なさそうに答えるアルヴィスに、ナナシは頭を撫でてやる。

 大丈夫という言葉には頷きつつも、アルヴィスは高熱に潤んだ目を閉じ、辛そうに顔を歪めている。

 自分も濡れた服を替えたあと、宿の食堂から氷をもらってきたナナシは、アルヴィスが少しでも楽になるようにと濡れタオルを作り額に乗せてやる。

 熱は高いままでなかなか引かず、冷やしたタオルはすぐにぬるくなってしまう。

 ナナシはアルヴィスの額のタオルを冷やすのを繰り返す。

 そうしてその日は傍についていたが、アルヴィスの状態はほとんど変わらなかった。

 深夜になり、さすがに隣のベッドで身を休めたナナシだったが、どうしてもアルヴィスが気がかりなため、浅い眠りの合間に起きては彼を看ていた。

 

 翌朝になっても、アルヴィスの熱は下がる様子は見られない。

 前髪を除け、少し乾いた早い呼吸をしている額に手を当ててみるが、昨晩と変わらずとても熱い。

 

 精霊は本来、体調を崩さない。

 正確には、人間のように感冒症などにかかることはない。

 しかし力を極度に行使することで、体力を消耗してしまうことはある。それにより発熱のような、一時的に風邪を引いたかのような症状を起こすこともあるという。

 今のアルヴィスの場合は、力の使い過ぎか。もしくは以前のエルフの森の時のように、何か別の存在に反応しているのか。

 

「……もしかして、この街になんか原因があるんやとしたら……」

 

 早いうちにその原因を探して取り除くか、この街を出た方がいいだろう。

 熱が下がらないのも、そのためかもしれない。

 しかしだからと言って、今の状態のアルヴィスを闇雲に動かす訳にもいかない。それに荷物の補充もある。

 ここまでの道中で、けして無駄遣いしたわけではないが、旅の資材は確実に減ってきていた。

 次の街まで何も調達せずに向かうのは、いささか心許ない。

 また温くなっているタオルを水で浸し、絞ったあと、熱い額に置く。

 

「……アルちゃん。ちょっくら買い出しに行ってくるけど、一人で平気か?」

 

 瞼をゆるりと押し上げたアルヴィスは、熱に潤んだ青い瞳でナナシを見上げる。

 高熱でぼんやりしているのだろう、少し時間をかけて言葉を理解したあと、こくんと頷いた。

 

 いくぶん幼く見える仕草と、真っ赤に火照った頬。

 せわしない、熱い吐息。

 その様子に胸がちくりと痛むが、ナナシは彼を安心させるように笑ってみせた。

 

 

「なるべく早く帰ってくるからな」

 

 

 汗でしっとりとしている青い髪をそっと撫でた後、ナナシは小走りで宿を出た。

 

 

 

 残されたアルヴィスは、高熱にうなされるままベッドに沈んでいた。

 時折漏れるうわごとが、意味を持った言葉をかたどる。

 

 

 

「……くるしい…………」

 

 

 

 まっているの。

 

 

 

「……『くるしい………』……」

 

 

 

 ずっと、ずっと、まっているの。

 

 

 

「だれか………たすけて………」

 

 

 

 このこえをきいてくれる、だれか。

 

 

 

 

(続く)