Re;birth 第七話
「そこのお兄さん、今晩お暇?」
賑やかな通りで華やかな声が響き渡る。声をかけられたナナシは振り向いた。
「良かったら寄ってかない? お兄さんイケメンだからサービスしちゃう」
胸の谷間を強調した服をまとった、色っぽい雰囲気を漂わせた女性。いわゆる夜のお店の客引きだ。
あでやかな化粧の彼女は、体格の良いナナシの肩にしなやかな体を寄せる。リップサービスだとわかっているが悪い気分はしない。
「どないしようかな〜」
とぼけるように口の端を上げたナナシに「いいじゃないの、寄ってって」と別の声がかかる。そしてもう片方の腕にも、さらに女性が増える。
なかなか美味しい状況に二つ返事で返そうとして、はたと連れの少年のことを思い出す。ナナシは彼を伺うように振り向いた。
「……好きにしたらどうだ?」
しかし振り向かれた人物……アルヴィスはただ小さく苦笑するだけだ。
「……ええの?」
「ああ。オレが口を出すことではないだろう」
もっともらしいアルヴィスの言葉に、ナナシはつかの間、奇妙な顔つきをする。
その反応をアルヴィスはいぶかしく思うが「ならゆっくりさせてもらうわ〜」と彼が続けて笑ったので、そのまま追求はしなかった。
きゃあと、女性たちが嬉しそうに声を上げる。
「坊や、あなたもどーう?」
「いえ、オレは結構です」
やんわりと、けれどはっきりと断るアルヴィスだが、女性たちは不快な顔をすることもかった。
余裕を持った落ち着いた態度で、その中でリーダー格らしい女性が微笑んで言った。
「それじゃあ坊や、このお兄さん少し借りるわね」
「はい」
「アルちゃん、先に寝ててええで〜」
「ああ」
鼻の下を伸ばしながら手を振るナナシに、アルヴィスは短く言うと踵を返す。
そしてすたすたと歩き去る。何の未練もないように。
「あらら、クールな子ね」
「でも格好良いじゃない」
きゃっきゃっとはしゃぐ若い女の子たちの隣で、妙齢の女性が艶っぽくナナシにしだれかかる。
「じゃあ、行きましょうか」
「ああ」
普段ならば、諸手を挙げて歓迎する状況だ。笑みを浮かべるナナシだったが、その表情はわずかに硬いものをしていた。
一方。アルヴィスはというと、寄り道もせずにまっすぐに宿に帰宅した。
オーナーに預けていた鍵を受け取り、部屋に戻ると扉を閉じる。普段ならばラフな寝衣がわりのシャツにでも着替えるところだったが、そのままベッドにぼすっと身を投げ出した。
わけのわからない衝動が、胸の中でぐるぐると渦巻いている。
何度か寝返りを打ったのち、アルヴィスは宿の天井を見上げた。
……最近のナナシは、よく夜の街に繰り出すようになった。
旅を始めた頃は、百年振りに目覚めたアルヴィスに気を遣って、夜は同じ部屋にいてくれることがほとんどだった。
こうして別行動を取るようになったのは、ナナシの中にアルヴィスに対する遠慮がなくなったということ。
それは本来なら喜ばしいことのはずだ。実際、もっと自分自身のことに時間を使って欲しいと、アルヴィスはかねてから彼に進言していた。
だが。
(……面白くない……)
今アルヴィスの胸中は、なんとも言えない気持ちでいっぱいだった。
理由のないイライラ、とでも言うのか。それが拭えないまま心を占領している。
女は柔らかいもの。男が好むのは当たり前。
……オレが女だったら、ナナシは部屋に残ってくれたんだろうか。
「……オレ、今すごく変なこと考えた」
アルヴィスは天井を見上げたまま、独りごちた。
……男だからとか女だからとか、そういう理由ではなく。
ただ、彼が自分の知らない時間を過ごしていることと、それを気にも留めてなさそうなこと。それが無性にモヤモヤする。
しかしアルヴィスは、それが理不尽な感情であると正しく理解していた。ナナシ本人にぶつけるのは、ましてやお門違いのものであることも。
けれど理屈ではわかっているのに、納得できていない自分がいることにも気づいていた。
……数え切れない日々を、一人で過ごしてきたのに。
たった一晩、一人でいることに、こんなにも空虚な気持ちになってしまうのは。
なぜ?
「これが……寂しい?」
己に問いかけるように、アルヴィスは呟いた。
甘い酩酊をもたらす匂いが、鼻をくすぐった。意識が現実に引き戻される。
やはり彼は追いかけてはこなかったなと、色っぽい女性たちに囲まれながらもナナシは内心嘆息する。
彼女たちに勧められるまま、酒を煽る。それなりに高く美味いはずのものだったが、心なしか苦味が舌に感じられた。
唇に残った雫を、乱暴に拭う。
……アルヴィスは、自分からは望みを決して言わない。
彼がはっきりとした「何か」を望んだのは、初めて会った時と、ギンタたちと会った晩だけだ。
最近の彼は、ナナシの提案を何でも受け入れている。「別に構わない」「好きにしたら良い」と。
今日のようにこうして夜を別々に過ごすのは、彼が旅に少しは慣れ、危なっかしさが抜けてきているということで。おたがい自由に時間を使えるのは、本来なら歓迎すべきことだ。
だが。
「なーんも言われんのは、ちょっとなぁ……」
まがりなりにも、ナナシはアルヴィスよりも(見た目だけだが)年上で経験がある。
彼のわがままとも言えないような、ささやかで、時に微笑ましい要望を聞くぐらいの度量はあるつもりだ。
……そう言えば、かつてナナシの語る外の世界の話に輝いていた、キラキラしたあの眼差しを、最近見ていない気がする。
ナナシは酒の香りを吐き出すように、息を深く吐いた。
多分、もどかしいのだ。彼に素直に話してもらえないことが。
けれど彼がこちらを慮った上でしてくれていることなら、その考えを汲むことが良いのではないかと。そうも思うのだ。
そうして結局、ただ足踏みをしているだけに終わっている。
「……もっと気持ちを言うてくれたらええのになぁ」
「どうしたの? ナナシさん?」
「何でもあらへん、さぁ、もう一杯頼もうか〜!」
「きゃ〜さんせ〜い!!」
数時間後、アルヴィスはまだ悩んでいた。
ベッド上で天井を睨んだまま、悶々と時を過ごしていた。
ふいにドアを叩く音に、思考が深いところから浮上する。気だるい体を起こし、訪問者の元へと向かう。
木製の宿の扉を開けると、目の前で桃色の髪がゆらりとなびいた。
「ドロシー……」
「こんばんは、お邪魔してもいい?」
小首を傾げる彼女に、アルヴィスは目を丸くする。
「……ああ、オレしかいないけど、いいか?」
「ええ、もちろん」
アルヴィスは部屋のドアを引いた。室内を軽く見回したドロシーは、くるりと振り返って尋ねる。
「ナナシと何かあったの?」
「……何か……ということはないが……」
聞かれるままに答えるが、自分の心情を見通されたことをふしぎに思い、彼女に聞き返す。
「……どうして?」
「顔に書いてあるわよ。アルヴィスってわかりやすいもの」
「……そんなにわかりやすいか?」
「うん、私に似てるから」
「似てる?」
「ええ。私と同じだから、わかるのよ」
問いを重ねたアルヴィスに、ドロシーは親しげな微笑を浮かべた。
「私も寂しがり屋のくせに、強がりだから」
アルヴィスよりもわずかに背の高いドロシーは、彼の宝石のような瞳を正面から覗き込んで言った。
「ね、少しお話ししましょ」
彼女の提案を呑むことにしたアルヴィスは、同意の代わりに寝台へと腰を落ち着ける。
その隣に、ドロシーも腰を下ろす。二人分の重みを受けて、ベッドのスプリングが微かに軋んだ。
「君は……寂しいと、感じているのか?」
「ええ」
冗談っぽい響きで軽く言葉を紡ぐ彼女を、アルヴィスは少しすごいと思った。
彼女みたいに、己の心情を素直に言えたらいいのだろうか。
考え込むアルヴィスを横目に、ドロシーはブーツを脱いだ長い足をぶらぶらと動かす。幼子が暇を持て余すような、少し拗ねたような仕草だ。
「大丈夫って突き放して、いざ一人になったら、とてつもなく寂しくて。ずっとお姉ちゃんを探してる」
「……姉さんを?」
初めて聞く話に、アルヴィスは思わず首を向ける。
「ええ、私よりももっと優秀な精霊使い。今はどこにいるのやら……」
ディアナという名の彼女の姉は、ドロシーがまだ精霊使いになる前、突然故郷を出ていってしまったという。彼女の旅の目的は、多くの精霊と出逢うことだけでなく、姉を探すことでもあるのだと。
「いつも『子ども扱いしないで!』って怒ってたのに、こうしてお姉ちゃんがいそうな場所を回ってるのよ。笑っちゃうわよね」
「……そんなことはない」
自嘲めかした笑みに、アルヴィスは静かに首を振る。姉の面影を追う、彼女の気持ちがわかる気がした。
「オレにも姉さんがいたんだ。……今は、もういないけど」
「そう……そうなの。そんなトコも似てるんだ、私たち」
見た目だけで言ったら、アンタはスノウとかと兄妹みたいなのにね、と続けた言葉に、アルヴィスはそうかもな、とだけ同意する。
今はまだ、詳しく語るのをどこか避けたいような反応だった。
おのずと降り立った静寂を受けて、今度はドロシーが話を切り出す。
「……私の話ばっかじゃあれよね。アンタたちは? どうしたの?」
再度聞かれた彼女の問いに、アルヴィスは今度はふいと目をそらす。途端に居心地の悪そうな表情になる彼を、苦笑しつつドロシーは見つめる。
「一応普通に話してはいたし、喧嘩したわけじゃなさそうね」
「そうだな……喧嘩、ではない。たぶん」
「だけど、上手くいっていないと」
「…………」
言葉に詰まるアルヴィスだったが、気まずい沈黙の中から声を振り絞る。
「……ナナシは」
頭にある思いを少しずつ、言葉にしていく。
「オレの心にあった……ずっと空いていた、穴を埋めてくれた。そんな感じがするんだ」
頼りなく続く声に、ドロシーは静かに耳を傾ける。
「だからあいつに距離を置かれるのは……なんだか、胸が苦しい」
己の胸に手を当てながら、アルヴィスは自身も思いを確かめていくように、気持ちを吐露していく。
「……けれどこんなことを、あいつに言っていいのかわからない」
そうして気持ちがはっきりと形になればなるほどに、アルヴィスは自分に問いかけてしまう。
どこまでなら、傷つけずに済む?
どこまでなら、傷つかずに済む?
どこまでなら、嫌われずに、済む?
どこまでが……人として、当たり前なのだろう。
……今までは、ただ一緒に旅ができたら良かった。
同じ時間を過ごして、新しいものが見られたらよかった。
でも今は。
彼のことを、もっと知りたい。
そしてできるなら。
もっと……傍に、いたい。
「そっか。望みが増えて、それで戸惑ってるのね」
ドロシーの言葉に、アルヴィスは自身のことながら納得する。
……そうだ。きっと自分でも、新しく生まれた願いを持て余しているのだ。
こんな感情(きもち)を知ったのも、考えるのも初めてだから。
「……たぶん、そうだ。望んでいいのかが、わからない」
小さな声で呟いたアルヴィスに対し、ドロシーは幼い子供にするようにそっと頭へと手を伸ばす。
「……正直に生きていいのよ、アルヴィス。望むことは、生き物の本能なんだから」
優しく髪を撫でる感触に、アルヴィスはあどけない眼差しでドロシーを見上げる。
……不思議な人だ。人間なのに、彼女は色々なことを知っている。
そう素直に印象を述べると「だって魂はどれも同じでしょう?」と返された。
「どんなものにも魂は宿るわ。形は変われども、その本質(なかみ)は変わらない」
「魂……」
「……ある人の受け売りなんだけどね」
とドロシーは笑った。それが彼女の尋ね人であることは、態度から明らかだった。
「私は……まだ探している途中だけど。アンタたちは近くにいるでしょう」
この気持ちを覚える人も、伝えたい人も。
「だったら、することは決まってるんじゃない?」
まるで背中を押すように。アルヴィスの本心を肯定するように、ドロシーは緩く笑んだ。
肩の力を緩め、アルヴィスは視線を持ち上げる。自然と地面ばかりを見ていた瞳を、外へと続く扉へと向けてみた。
店を後にしたナナシは、なんだかんだと理由をつけ、うだうだした足取りで帰路を辿っていた。
酒も飲んだのに、結局気が晴れない。その心情を体現するかのような、煮え切らぬ歩みだった。
すると、ほとんど明かりの落とされた宿の表に、見慣れた影を見つける。
「……アルちゃん?」
顔を認識し、遅い足取りだったのが途端に早くなる。猫背にしていた体を伸ばして大きく足を動かし駆け寄ると、宿の玄関に身体を預けていた彼も姿勢を正した。
「……まだ寝とらんかったん?」
「……ああ」
夜中という時刻を慮り、少し小声で話しかけると、アルヴィスもまた同じように答える。
ナナシは驚きのまま、数時間ぶりに会った彼の顔を見つめる。
……待っていてくれたのか? ずっと?
するとアルヴィスは、ナナシを真正面から見上げた。
そして、ゆっくりと口を開く。
これまでと同じように、一度は口にするのを躊躇って。
それから、そっと言の葉に乗せた。
心の内を。
「……逢いたいと、思ったから」
まっすぐな青い目。いつかも魅了された瞳がナナシを捉える。
「だから、逢いに来た」
その宝石のような光を持つ瞳を逸らさずに、自分を見てくるアルヴィスを、ナナシは虚をつかれた表情で見返す。同時に、表現しにくい気持ちが湧き上ってくる。
「……駄目だったか?」
「……いや」
その反応に、やや気まずそうにするアルヴィスだったが、ナナシは静かに首を振った。
感じているのは、多分嬉しさだ。ほんのりと暖かい何かが、胸を満たしていく。乾ききっていた心が、潤うように。
どこか揺れていた気持ちが、凪いでいく。ナナシはそっと笑んだ。
「奇遇やな。自分も君と会いたいと思っとった」
その言葉に、安心したようにアルヴィスは表情を和らげた。微笑の形に細められたまなざしを、ナナシもまた同じような表情で見つめ返す。
……なんだ。初めからこうすればよかったのだ。
もっと素直に、自分から伝えればよかった。
「アルちゃんはお酒、平気?」
「果実酒の類なら何度か飲んだことはあるが……」
「お、意外やな。じゃあカクテルとかどうやろ?」
「かく……それは何だ?」
「酒にジュースとかを混ぜて作った飲みモンや。せやったら教えよか。アルちゃんも飲めそうなもんもきっとあるで」
「……もしかして、今からまた出かけるのか?」
「せやせや。夜はまだまだこれからやで」
この数日間のぎこちなさから一転して、楽しげに会話を交わす二人は、宿から離れて夜の街の明かりへと向かう。
足取りはたがいに、軽かった。
……心を埋めていく方法は。
時として。知っているのに、遠回りになる。
「じゃあ、オレたちはこっちだから」
「またいつか、会えたらよろしくっス」
「オヤジに会ったら伝えといて!たまには母ちゃんの所に顔出せって」
「ああ、キミらも元気でな」
「皆、体に気をつけて」
「うん、アルヴィスとナナシさんも」
「あばよ、また会おうぜ」
先に少年たちを見送ってから、別の方角を目指すドロシーは二人を振り向いた。
「じゃあね。また会えると嬉しいわ」
「ああ。ドロシーちゃんも気ぃつけてな。あ、今度会った時こそデートしてーな!」
「はいはい、気が向いたらね」
慣れた様子であしらわれ、つれないわーとナナシは肩を落とす。そんな二人を見るアルヴィスはくすくすと楽しそうに笑う。
二人の会話が途切れたのを見計らい、アルヴィスも進み出る。
「色々ありがとう、ドロシー」
「どういたしまして。……アンタはもっと、我がままになってもいいと思うわよ」
「……努力、する」
きまり悪そうに答えるアルヴィスに、ドロシーは苦笑する。
「ま、そこが不器用なのも、アンタのいい所なのかもね」
と、ドロシーは彼にだけ聞こえるように、ふいに声を潜める。
「ねぇ。アンタが契約を交わしていない事、ナナシは……」
アルヴィスはただ首を横に振った。ドロシーは思わず口を開きかけるが
「……ううん、それは私が言うことじゃないわね」
同じように頭(かぶり)を振ると、困ったように笑って口をつぐむ。アルヴィスもまた、彼女の気遣いに感謝の意を込めて微笑する。
わずかに湿っぽい雰囲気を吹き飛ばすように、ドロシーは思い切り破顔した。
「じゃあ、元気でね!」
「ああ」
「また絶対会おーやー!」
手を振る二人へ何度か手を振り返したのち、魔法で起こした風に乗って彼女は去った。
幾日かぶりに二人だけとなる。この数日間、賑やかな面子と行動していただけにふしぎな感じだ。
喧騒を名残惜しくも思いながらも、互いだけの慣れた空気は心地よくもあった。
とりあえず、向かうのは東だ。どちらからともなく歩き出す。
「……最後ドロシーちゃんと何話してたん?」
「ん?」
ナナシの何気ない質問に、アルヴィスは刹那彼をじっと見返す。
どこか透明な印象を受ける表情で見上げたあと、唇に指を当てて茶目っ気のある顔を作る。
「……内緒」
悪戯っぽい笑みの中、瞳だけがかすかに淡い色をしていた。
END
お待たせしました。痴話喧嘩(?)であり、今後のフラグばらまき回です。
割とあからさまになってきましたよね。アルヴィスの正体やこれからの展開とか、もし予想とかしてくださったらぜひ教えてしてください(笑)
さて、次はナナシの過去編です。このパラレルもようやく折り返し地点にきましたので、残りの話も頑張ります。
2018.9.2