Re;bitrh 第四話 <前>

 

 

 

 周りの山が、徐々に緑から石や土の色へと姿を変えて来ている。大地も草に覆われたものから砂混じりになり、整備されているらしく平坦で歩きやすい。

 

「この林道を抜けてしばらく歩いたら、もうすぐやな」

「鉱山の街・ヴェストリだな」

 

 じゃりじゃりと音を立てる地面の感触を、心なしか楽しんでいるようなアルヴィスは小さく笑っている。

 本人の口から「楽しみだ」とは聞いていないけれど。初めて見る景色やこれから行く街に、気持ちが向かっていることはすぐにわかる。

 

「着いたらまず、アルちゃんの旅荷物を揃えんとな。それからお宝のありそうな場所を聞いて回ろ」

「ああ」

 

 差し当たりの予定を並べるナナシにアルヴィスは同意するが、ふと大事なことに気付いたのか、心配そうに顔色を変える。

 

「どないしたん?」

「………お金」

「ん?」

「結構かかるんじゃないのか?」

 

 深刻そうに曇る表情に、ナナシは思わずくすりと笑ってしまう。

 

「心配ないわ。そん位なら十分持っとる! それに君のいたあの洞窟で、でっかいクォーツぎょーさん見つけたしな。これを売ればかなりの額になるで」

「けど水晶は、鉱山の街なら珍しくもないんじゃないのか?」

「いやいや。そうでもないで」

 

 人差し指を横に振り、ナナシはアルヴィスに得意気に話し出した。

 

「これから行くヴェストリは金や銀の鉱山や。そういう所やと、クォーツはあんま採れへんから高く売れる。逆にアルちゃんのいたあの山の麓とかやと、クォーツはありふれてるから買い取ってもらえん。けど金や銀は珍しいから、高値で買って貰えるっちゅーこっちゃ」

「へぇ………」

「その差額で、商売人は利益を得るわけや。自分みたいなトレジャーハンターもな」

「成る程な……」

 

 真面目に頷くアルヴィスの様子は微笑ましい。実際に魔法を発動しているところを目にしなければ、高位の精霊とは想像が付かないだろう。

 

 ………麓の村で聞いたことを、ナナシは当のアルヴィスには聞いていない。

 

 生け贄の話をしてくれたのは、畑で会ったあの老婆だけであったし、そのほかも結局は人伝に聞いた限りの話だ。

 ナナシが知っているアルヴィスは、今目の前にいる彼。

 自分たちに関わることなら、いつか自分から話してくれる日が来るだろう。

 

(それに過去がはっきりしないのは、自分も同じやしな)

 

 そうならば下手に考えを巡らすより、彼の口から聞くのを待とうと思う。

 

「……ということは、ヴェストリで手に入れた金製品などは、別の街で高く買ってもらうんだな?」

 

 合点がいって瞳を大きくしたアルヴィスに、ナナシはにっと歯を見せて笑った。

 

「そういうこと!」

 

 

 

 

 街の名が彫られた大きなアーチをくぐり抜けると、たくさんの建物と露店の間を、活気に満ちた鉱山の人々が忙しく行き交っている。

 

「凄いな……人が沢山いる……!」

 

 アーチから数歩駆け出し、すぐに立ち止まったアルヴィスは、鉱山に囲まれた街ヴェストリを見渡して感嘆の声を上げた。

 

「街にはこんなにたくさんの人がいるのか……」

「ここよりもっと大きい街もあるんやで」

「もっと?」

「せや。街がたくさん集まった都市や王城やと、もっと沢山の人がおる」

 

 幾分幼く見える顔で、素直に首を傾げたアルヴィスは街を見ながら呟く。

 

「………想像がつかないな」

 

 足元を砂埃が舞う。

 ゆっくり瞬きをする彼に追い付き、頭一つ分ほど背の低い彼を窺った。

 

「よし。まずは買い物といこうか!」

「……ああ!」 

 

 

「あんま鞄自体が重くても駄目なんや。肩が疲れるからな。けど薄くてもアカン………お! アルちゃん、これなんかどうや?」

「………それ明らかに女物だろう」

 

 ビーズの付いた工芸品のポシェットをひらひら降ってみせるナナシに、アルヴィスは渋い顔をする。

 二人は目についた露店で、アルヴィスの身に合いそうな鞄を探していた。

 

「ナナシの使っているような、ベルトに付けられるのがいいんだが………」

「アルちゃんの服、ベルト通せないしな。ウェストポーチもそんな沢山入るわけやあらへんし」

 

 かといって、リュックサックじゃ動きにくい…と小声でぶつぶつ喋りながら考えるナナシに、アルヴィスは静かに視線をやる。

 しばらく表情のない顔が、微笑に変わる。

 また鞄を探し出す手を、ふと「アルちゃんアルちゃん」という声が止め、アルヴィスはナナシを振り返った。

 

「これはどうや?」

 

 彼が掲げたのは黒い皮のショルダーバック。右肩から左の腰へと背中に斜めにかける、普通のものとは少し違った種類だ。

 ウェストポーチよりも大きな容量の上に、両手が空いて動きやすい。そしてバックパックよりも遥かに軽い。

 

「これ良いな」

「それじゃ、バックはこれに決まりや!」

 

 ナナシがポーチから銀貨を取り出すのを見て、アルヴィスは「あ……」と一瞬声を上げるが、そんな彼の心情をわかったように、ナナシは彼に向いて笑ってみせた。

 

「大丈夫やって」

 

 屈託のないそれに言葉を封じられ、アルヴィスは困ったような、照れ臭そうな顔で微笑んだ。

 

 その後アルヴィスの使うナイフや着替えを買い、(鞄も含めナナシは全ての店で交渉を行い、全ての品を定価よりも安値で提供させた)尊敬とも呆れともつかぬ眼差しで見上げるアルヴィスの横で、ナナシは更に住民達から情報を仕入れていた。

 

「廃鉱?」

「そう。街の外れの……ほらあそこ」

 

 店先でナイフを研いでいた見習いの少年が、街の背景の鉱山でなく、その左方にある小さな山の入り口を差した。

 

「あそこは昔、ドワーフ達が使っていた炭鉱なんだ」

「ドワーフ……?」

「うん。今はもう使われてないけど、掘り出し物があるとしたらきっとあそこさ」

「へぇ……」

「何や、ずいぶん自信があるんやね」

「だってここで一番古い廃鉱だもん! 誰も入らないし」

「……君はそこに?」

 

 入ったのかとアルヴィスが問うと、少年は悪戯っぽく瞳を輝かせる。

 

「うん! 少し前にこっそり忍び込んだんだ。 でも中は迷路みたいだし、石の魔物が出るっていうからすぐ帰ったよ。そのあと親方にこってり絞られてさー」

 

 仕事中に抜け出したから、と愚痴を零す少年を、アルヴィスは微笑ましい目で見つめる。

 

「石の魔物……」

 

 呟いたナナシは、顎に手を当てながら思案する。

 

「……確か昔、ヴェストリはドワーフだけの村やったけど、何十年か前にほかの種族も受け入れるようになったんやったな」

「そうだよ。その時あの炭鉱は廃棄されて、今使ってる鉱山を新しく開いたんだ」

「……ちゅーことは、あの廃鉱はドワーフ達しか出入りしとらん秘密の炭鉱………」

「……ナナシ」

「ああ。お宝の臭いがぷんぷんすんで」

 

 ナナシは強まるトレジャーハンターとしての勘に、口元ににっと笑みを浮かべた。

 

「さんきゅーな、ぼん。参考になったわ」

「お客さん達、あそこの炭鉱に行くの?」

「まあ、観光がてらちょっとな」

「何か見つけたら一割くれよ。情報提供料ってことで」

「了解了解、覚えてたらな!」

「うわ、ひっでー!」

「色々教えてくれて有難う。それじゃ」

「うん。また来てね!」

 

 礼の印に少年の頭をぐしゃぐしゃと撫で、ナナシは片手をひらひら振りながら別れを告げる。

 律儀に後ろを振り返り、手を振っていたアルヴィスが確信を持って尋ねる。

 

「ナナシ、その炭鉱に行くんだな?」

「ああ、けどもうちょい情報集めてからな。アルちゃん疲れたやろ? 荷物持って、先に宿行っててくれや」

「オレはまだ平気だが……わかった。先に行ってる。どの建物だ?」

「んーと……あ、あの看板んトコや」

「どの看板だ?」

「右の方のでっかいのや」

「……どこにもないが………」

「えー? アルちゃん視力悪いんちゃう? 目立つ字でヴェストリ民宿:地底亭って書いてあるやん!」

「そんな看板ないぞ?」

「あ〜、だからあれや、あれ!」

 

 訝し気に目を細めるアルヴィスの腕を取り、ナナシは宿屋の看板を指してみせる。

 

「どうや? あったやろ?」

「あの記号で書かれた看板が、宿屋なのか?」

「記号って…………」

 

 びしっと勢いよく指し示した建物の看板を、記号と称した彼にナナシは思わず返す言葉がなくなる。

 まだ納得いかない顔をしたアルヴィスの指から、力を無くした腕が外れた。

 

「………アルちゃん………」

「………何だ?」

「君はもしかして、字が読めんのですか?」

 

 何とも言えない沈黙が、二人を包んだ。

 

「し、失礼だな! ちゃんと姉さんに教わったんだぞ!」

「姉さん?」

「字の読み書きくらい出来る! 馬鹿にするな!」

 

 アルヴィスは心外だと憤慨するが、ナナシは冷静に、先程出てきたナイフ店の看板を指した。

 

「……じゃ、あれ何て読むんや?」

「……………」

「……読めんやないか……」

 

 はぁと溜め息を吐きそうになったナナシの耳に、憮然とした表情でそっぽを向いたアルヴィスの小さな声が聞こえた。

 

「……知らない言葉なんだ」

 

 嘘や誤摩化しではなく、正直な気持ちで紡がれたそれに、ナナシはしばらく考えてから答えへと辿り着く。

 

「………あぁ。きっとアルちゃんが知っとる文字は、今では違う書き方するんやな」

「……え?」

「アルちゃん、たしか百年振りに起きたとか何とか言うとったな」

「あ、ああ」

「百年も経てば、文字もきっと変わるんやね」

 

 発音など話す言葉は変わっていなくても、アルヴィスが眠っている間に文字は少しずつ変わっていったのだろう。

 

「オレが知っている文字は……今では使われていないのか?」

「少なくともこの国ではそうやなぁ」

「……そうなのか………」

「ほんなら先に一緒に行って、宿取っとこか。字なら今度教えたるわ」

「………ああ」

 

 ややあってから、ほんの少し悔しそうな顔をして、アルヴィスはナナシの後を追う。人の隙間を縫い付いてくる彼にナナシは聞く。

 

「アルちゃん、お姉さんがいるんか?」

「……! ……ああ」

「どんな人?」

「……………」

 

「………優しい人だよ」

 

 返ってきた言葉には、第三者にもわかる愛しさと切なさがあった。

 

 

 

 宿で二人部屋を取り、荷物の管理をアルヴィスに任せたナナシは、これまでの収穫物を持ちヴェストリのいくつかの店を廻った。アルヴィスと会う前に手に入れたアクセサリーや古物を、時に交渉を交えつつそれ相応の額に換えていく。

 数軒目に訪ねた宝石商で、ナナシがリュックから取り出した獲物を見た主人は、感心した声を上げ眼鏡を光らせた。

 

「ほぉ、こりゃ立派なもんだねぇ。ここまででかくて純度の高い水晶はなかなか見ないよ」

「せやろ?」

「こんなのどこで採ったんだい、お兄さん?」

「そりゃ企業秘密や。他の連中が知ったら穴場やなくなるからな」

「はは! 違いねぇ!」

 

 もっともらしい言葉に主人は相槌を打つが、ナナシは単に穴場を独り占めしたい訳ではなかった。

 彼と出逢ったあの神聖ささえ感じる美しい石の洞穴を、ほかの奴らに荒らされたくないと思ったのだ。

 

「そんじゃ、これ全部買い取るんでいいな?」

「ああ」

「よし、じゃあ今計算するな!」

 

 カウンターの下に屈み秤を出す主人の丸まった背を眺めるナナシは、このあと得られるであろう額を思い、満足そうに相好を崩す。

 しかし、ふと気が変わって、水晶でできた小さな山を見つめる。

 

「………」

 

 山の中から一つ手に取り、ナナシはそれをポケットに閉まった。

 

 

 

 

 

<後>