リトルフレンズ
メルヘヴンの北のはずれ、パヅリカ島に向かう船上。甲板に出たスノウは、近くを横切る海鳥の群れにわぁ……と呟いた。
船のへりに手をかけ海面に目を凝らすと、魚の群れが透けて見える。
銀色の尾びれを光らせて泳ぐ彼らは、船と同じくらいの速さだ。
どこに向かっているのだろう。私たちと同じ方向かな、とスノウはひとり考える。
「スノウ」
遅れて甲板に上がってきたアランの呼びかけに、スノウは少し緊張した面持ちで「はい」と振り返る。
長い付き合い故にわかる。今の彼の声音は、真剣な話をするときのものだ。
「向こうに着いたら、お前には修練の門に入ってもらうぞ」
「修練の門?」
「ディメンションARMだ。異空間の修行場所に繋がっている」
予想は当たっていた。修行場所という単語に、スノウの胸に重いものがのしかかる。
「オレは三日に一度しか出てこれねぇし、場合によっては別行動をとることになるかもしれねぇ。自分の身は自分で守れるようにしとけ」
「……はい」
こういう時の彼は、ただただ厳しい。中途半端に手を差し伸べることを欺瞞だと思っているからか、けして優しい言葉をかけようとはしない。
それが彼なりの思いやりであることも、スノウは理解していた。
……さっきまで温かかった陽射しが遠い。波の音が、遠い故郷への寂寥感を駆り立てるようだった。
港に降りた後、人気のない街外れまで来たアランは、腰のポケットからARMを取り出した。輪っかをくわえた獣が象られたものだ。
「しばらくしたらガーディアンを送る。そいつの指示に従って修行してこい」
「はい」
スノウはふーと一度大きく息を吐いた。それから己を奮い立てるように「よし!」と握り拳を作り構える。
彼女の呼吸が整うのを待ってから、アランはARMに魔力を込めた。
「ディメンションARM、修練の門!!!」
スノウの立つ地面が変化する。ブーツの下に、大きな扉が現れる。
「……わっ」
地面がなくなった。違う、扉が開いたのだ。
「きゃあああーーーーーーーー!」
渦巻く空間に、スノウは為すすべなく落ちていった。
「いたっ!」
いつの間にか、地面の上にいた。尻餅をついたのか少しお尻が痛い。ズボンをさすりながらスノウは腰を上げる。
気がつくと彼女は、見慣れぬ遺跡のような場所にいた。そして遥か頭上には、自然ではありえない色の空。
ここがどうやら、異空間の修行場所のようだ。
辺りを見渡しながらきょろきょろしていると、宙に銀色の光が現れる。
「これ、ARM……?」
先ほどアランが発動したものとは違うARMのようだ、
ARMはさらに光を増した。やがて光が炸裂した。
「ん!」
ポンッとファンシーな音と煙が立ち、何やらかわいらしい姿のガーディアンが飛び出した。スノウは目をぱちくりする。
「初めまして。私はメリロと申します」
スノウの目の前に降り立ったガーディアンは、鈴を転がしたような声でぺこりとお辞儀をした。
清楚な白と紺色が基調の衣装。ブラウスと長いスカート。上から下までまじまじと見つめる。
この格好は……いわゆる、メイドさんというものではないだろうか。
「アラン様のお申し付けで、あなた様のトレーニングのナビゲートに参りました。お名前は?」
「は、初めまちて……スノウです」
「スノウですね。どうぞよろしく」
ドキドキしながら答えたスノウに、メリロと名乗ったガーディアンはスカートを広げお辞儀をした。長くて柔らかそうな尻尾が、後ろでちろりと動く。
頭には、人間のものとは別の耳がぴこぴこ揺れている。
(……猫耳……)
「それではご案内いたしますね。こちらへどうぞー!」
(……アラン、こういうの趣味なのかなぁ……)
すたたたーと体重を感じさせない足取りで先を行く彼女を見つつ、ARMの持ち主にこれまでと違った思いを抱きながらスノウは付いていった。
「……美味しい!」
「良かった! ここの果物は、皆様に好評なんですよぉ」
愛用のARM・スノーマンで岩の魔物が出てくる関門「実戦」をクリアしたスノウは、割れずの門に辿り着いた。
シックスセンスで正しい場所を見極めないとすぐに再生してしまう壁。何度か挑戦して手応えはつかみつつあったスノウだが、ふいにくぅとお腹が鳴ってしまった。
「休憩も大事ですよ」と微笑んだメリロは、小腹を空かした彼女を美味しい木の実がなっている場所へと案内した。
「メリロさんは食べないの?」
「私はARMですから、必要ありません」
「あ、そっか……」
ガーディアンはほかのARMとは異なり、固有の意思を持っている。
とはいえ、人間とは本質的に違う存在だ。失言だったかもしれないと、不安に思ったスノウだが
「だからスノウが私の分まで美味しく召し上がってくださったら、とても嬉しいです」
そうメリロは笑顔で続けた。気に病まないよう、言葉を選んで返してくれた彼女に、スノウの胸にじんわりとあたたかいものが広がる。
こんな心のこもったやりとりを、アランとエド以外の誰かとできたのは本当に久しぶりだ。
「……うん! メリロさんの分までたくさん食べるね! 午後からまた頑張らなきゃ!」
「その意気です!」
「ちなみに今回は、こちらの異空間で六十日間のトレーニングを仰せつかっております」
「ろっ」
ぐしゃっと動揺で手に力が入ってしまった。掌の中で、せっかくの実が少し崩れてしまう。
「あらあら」
果汁で汚れた手に、どこからかハンカチを取り出したメリロが手渡す。半ば心ここに在らずで受け取り、スノウはもう一度聞き返す。
「ろくじゅうにち……!?」
「はい」
にこやかに肯定したメリロは、さらに説明を続ける。
「この異空間では、時間の流れは地上の六十分の一となっております。アラン様のいるあちらでは丸一日ですね。そのあいだ、みっちり修行しろとのご命令です」
「そう……そうなの……」
手を拭き終わったスノウはハンカチをメリロに返す。
先刻の意気込みはどこへやら、途方もない日数に呆然とした気持ちが消えなかった。
「……聞いてないよぉ〜アラン〜」
スノウのぼやきは宙へと消えていった。
そうして修行に励むこと、六十日。
覚悟を決めてしまえば、時間はあっと言う間にすぎてしまった。
「メリロさん、六十日間ありがとう」
「あっという間でしたね。今まで本当にお疲れ様でした」
労いを述べた後、メリロは丁寧に頭を下げた。それにスノウもぺこりと返す。
「それにしても本当に久しぶりでした。修行のお手伝いをするのは」
「そうなの?」
「はい、スノウが久しぶりのお客様です。前回がクロスガードの方でしたから……六年ぶりでしょうか」
「……さびしくなかった?」
スノウはおずおずと、しかしはっきりとした声でたずねた。ガーディアンの彼女にふさわしい問いではないと自覚していたが、聞かずにはいられなかった。
メリロは指を唇に当てて、少し考えたあとに口を開いた。
「寂しい、というのが当てはまるのかはわかりませんが……私たちARMは、使われてこその存在です。こうしてアラン様やスノウのお役に立てることが、何よりの喜びです」
メリロは自身の胸へと手を当てながら語る。ガーディアンでも、心はあるんだ。スノウは改めてそう思った。
「だから今回、お呼びいただけてすごく嬉しかったです」
本心からの笑みで答えた彼女は、修行中に時折見せていた、親しみのある優しげな眼差しになった。
「六十日間、ありがとうございました。スノウ」
「……あの、メリロさん!」
スノウは湧き上がる思いのまま、一歩前に出ながら話しかけた。
「私、またここに来るから! あ、遊びってわけじゃないけど……」
慌てて言葉を付け足すスノウに、メリロはどんぐりのような目を丸くする。
「でも、また会いに来るから。だからその時はよろしくね!」
背丈の高い彼女をまっすぐに見上げて、スノウは笑顔を弾けさせた。
そんなスノウをメリロはしばらく見ていたが、やがて同じように笑った。
「はい、お待ちしてます」
「約束!」
「……はい!」
小指を差し出したスノウに、メリロも背を屈め、指を絡める。
小さな戦士と指切りを交わしたガーディアンは、彼女を異空間に見送ったのち、光となってARMへと戻った。
「───ただいま戻りました!」
「おう、おかえり」
修練の門を発動している間、不眠不休のはずだったアランだが疲れはまったく見せなかった。
この修行期間で魔力の奥深さを学んだスノウは、やっぱりアランってすごいんだなぁと考える。
「? どうした? なんかご機嫌じゃねーか」
「うんっ。……けっこう、楽しかったよ!」
大変だったけど、と言いつつもスノウの笑みは消えなかった。
「……ほぉ。そりゃ良かったな」
軽く首を傾げつつも相槌を打ち、アランは微笑する。その傍で、小さな鈴の音が聞こえた気がした。
END
前から書きたかった、スノウとアランの旅の頃の話です。
と言っても、メリロとの出会いがメインになったので、アランの影が少し薄いのですが。
いつかアランとの関係も掘り下げたいな。
余談ですが、修練の門に落ちる時のリアクションの「いたっ!」は、ゲームをお持ちの方は攻撃を受けた時のボイスをご想像ください(笑)
かわいい二人ならではの、あったかい雰囲気になっていたら嬉しいです。
ご拝読くださり、ありがとうございました
2018.2.24