Life Goes On
今日もまた、フォルトは墓守の仕事をしていた。
大陸の上に浮かぶ雲いっぱいに作られた霊園の手入れをし、聖堂の掃除をし、わずかばかりの植物の手入れをする。霊園を住処にしているカラス達には、墓を荒らされないよう適度に餌をやる。
黒い色をした彼ら以外に、生き物はほとんどいない。
響く烏の鳴き声。墓石に絶えず積もり続ける雪。太陽がのぼっては、薄雲越しにただ白い地上を照らして、青い影の長さを変えていくだけの日々。
フォルトの日々は、変わらない毎日と言うのがふさわしい。
それに特段不満はないつもりだったが、ふとした時に沸いた疑問から、とある計画に携わってしまったのがつい先日のこと。
(自分もひょっとしたら、『死ンデイル』んじゃないか?)
カルデア全土を揺るがす大事件は、異界の住人・ギンタを始めとするMARの尽力によって解決したが、シュバイツァやウィートらと同じように、フォルトは宮殿の魔法使いたちからやや尋問めいた取り調べを受けた。
しかしどれだけ問い詰められたところで、フォルトには初めからカルデアへの叛逆の意思などはなかった。
抵抗せず殊勝に調査に応じたこと、また首謀者であるダフィーの妹・イフィーの口添えがあったことも鑑みてか、結局大ジジ様からお咎めを受けることはなかった。
霊園の管理者が彼以外にいないというのもあったため、フォルトは早々に墓守としての仕事に戻った。数度イフィーが彼の様子を見に来たが、それ以外は相変わらず淡々とした日々のくり返しだった。
しかし今日は、今までとは少しちがう出来事が起きた。
毎朝の習慣である霊園の掃除を終えて、聖堂に戻ってきたところ、自分以外の誰かの声がしたのだ。
「おい」
凛とした、静謐な空間を破る声。けれど聖堂の中に人の姿はない。
空耳だろうか。でもその声に覚えがあって、フォルトは記憶を辿る。
「おい」
もう一度同じ声がした。やや慇懃な、高圧的にも感じる語調。
まるで彼のようだ、なんて思う。
先日の一件の折、ここで互いの力をぶつけ合った、呪いと戦う孤高な戦士。
彼を思い出しながら、もう一度まばたき。
「……おい」
彼は自分に対しては、終始つっけんどんな態度を崩さなかったが。
けれどその反応は、嫌いではなかったな。
「………おい」
声が少々呆れたものに変わって、おや、とフォルトは不思議に思う。
思い出のはずなのに、なんでこう、変化があるんだろう。
声の聞こえたような気がする方向に、なんとなしに視線を移す。
すると開け放している聖堂の扉の横に、その彼が本当に立っていた。
「……あれ?」
フォルトは驚いたように首を傾げ、ゆっくりと瞼を上下に動かす。
ほとんど背丈の変わらないその人物は、どこかため息をつくような様子で壁にもたれている。
フォルトより深い色をした、青い髪と青い瞳を持った少年。
何度見ても、やっぱり彼だ。
「……アルヴィス?」
「やっと気づいたか」
壁から背中を起こして、アルヴィスは数歩こちらへやってきた。
「どうしてここに?」と言いたげなフォルトの心情を察してか、アルヴィスはバツが悪そうな顔で続けた。
「……イフィーさんに頼まれたんだよ、お前に会いに行って欲しいって」
『あの子に、普通の人間らしい楽しみを教えてあげて欲しいの』
数日前ドロシー伝いにイフィーに呼ばれ、彼女の庵で聞いた頼み事をアルヴィスは明かす。
『もちろん、君が良ければだけど……』
しかし付け加えられた一言は、あえて口にはしなかった。
「そう……」
フォルトが彼女の優しげな微笑に思いを馳せていると、アルヴィスは身を翻す。
「行くぞ」
「え?」
「イフィーさんが長老に許可は取ってくれている。今日のお前の仕事は休みだ」
気恥ずかしさもあるのか、連れであるフォルトを置いていくような足取りで、アルヴィスはすたすたと歩いていく。
霊園の外へと向かうアルヴィスの背を、少しだけ迷った後、フォルトは小走りで追いかけた。
アルヴィスがイフィーから借りたアンダータで、二人はカルデアの外に存在するメルヘヴンのとある街へと向かった。
「……賑やかだね」
喧騒に溢れている通りを見て、フォルトは気圧されたように呟いた。
「……苦手だったか?」
するとアルヴィスは声を潜めて問うてきた。それにはどことなく気遣うような響きもあった。
「いや、苦手というか、ただ慣れてないだけだよ」
「そうか。……場所を変えてもいいが」
「ううん。せっかくだから、このままここを歩いてみたいな」
「……わかった。じゃあ行くぞ」
石畳で作られた、思ったよりも人の多い大通りを歩き出す。時々人のあいだをすり抜けるようにしながら、傾斜のついた通りを二人は下っていく。
少し声を張り上げて、フォルトは前を行くアルヴィスにたずねる。
「君はいつもこんな所に来てるのかい?」
アルヴィスもまた、人々の声に飲まれないよう、普段より大きめの声量で答える。
「いつもではないな。買い物をしたりする時ぐらいか」
オレも人混みが得意なわけではないし、と人の波をかき分けるようにしつつ彼は言った。
少したたらを踏むように、買い物客の一群を抜け終えたフォルトは、アルヴィスの隣に並んだ。
「ふうん、そうなんだ」
「……なんだ、意外そうな顔だな」
「君みたいに人の繋がりを大事にする人は、もっと賑やかなところが好きかと思った」
「オレは人と話すことは嫌いではないが、あまり人が多いのは得意じゃない。でも賑やかな場所が好きな人間や、年中お祭り騒ぎみたいな奴もいる。ナナシみたいにな」
「ナナシって……髪の長い、変なしゃべり方の人かい?」
フォルトの物言いに一瞬きょとんとしてから、アルヴィスは「ははっ」と笑った。
「そうだな。確かに変なしゃべり方だ」
アルヴィスの反応に、フォルトはこっそりと目を丸くした。初めて見た、彼の嫌味のない笑みだったのだ。
ふいに目の前に、朝の仕事帰りの女たちだろうか。お喋りに興じながら歩く一団が横切って、まごついたフォルトは身体にブレーキをかける。
バランスを崩しそうになったフォルトの腕を、アルヴィスは掴んだ。
「はぐれるなよ」
そのまま手を引いていく彼に、フォルトは驚きつつも素直に従った。
フォルトと同様にアルヴィスもまた、けして社交的な性格とは言い難い。だが連れ出すからにはと、彼なりに計画を考えてくれたらしい。
通りにあるたくさんの店を、順繰りにのぞいていく。露天に広げられたARMショップ、分厚い書籍がひしめき合う本屋、こじんまりとした雑貨店。
そのうち昼食の時間になったので、出店にあったものをそれぞれ買ってみた。
イフィーに頼まれたとはいえ、以前戦った人間の相手など、適当に済ませてもいいだろうに。
律儀なところもあるものだと、野菜とチキンの挟んだサンドイッチを口にしながら、フォルトは甘めのクレープを無言で、しかし美味しそうに食す彼を眺めた。
それから二人は再度街を散策した。その間、時折ぽつぽつと会話をした。
初めて会った時は、アルヴィスに一方的に興味のあったフォルトが聞くことがほとんどだった。
今回は、お互いの気になることを気ままに聞いては、答えて、そして黙って。そのくり返しだった。
けれど、沈黙はそこまで気まずいものではなかった。二人とも元来お喋りではない性格であったし、フォルトはこうして霊園の外に出ていること自体が滅多になく、全てが新鮮だった。
アルヴィスもそんな彼の空気を感じとってか、残りの時間はフォルトの気の向くまま、のんびりとした会話と散策に付き合っていた。
「お前は、生まれた時から役目が決められていると言っていたな」
「うん。カルデアは代々続く名家が多いんだ」
イフィーの生家・ペンダルタン家は、カルデアでも稀代の彫金師。
シュバイツァ家は、アウント島にあるカルデア神殿の神官といったように、カルデアの人々は、先祖代々受け継がれてきた家業を継ぐ者がほとんどだという。
ドロシーのように特殊な事情がありながらも、外に出る人間はごく稀なのだと。
「でも僕の場合はちがう。……僕の両親は、僕が生まれてすぐに亡くなったんだ。あいにくほかに身寄りもいなかったらしくて……行き場のない僕にあてがわれたのが、マグリット霊園の管理人という役目だった」
もしかしたら、どこかの家の養子になるという手もあったのかもしれない。
だがカルデアの人々は皆生まれながらにして優秀な魔女・魔法使いであり、それぞれの家の歴史も長い。ゆえに自然と魔力も、その一族特有の性質が見られることが多い。
「身内の不始末は身内で」といったように、血のつながりを重んじるカルデアの風土では、全く縁のない家が養子を迎え入れることは、一族の者と養子の間で不和・軋轢を生みかねない。
そんなことも危惧されたためか。大人たちの話し合いの後、幼いフォルトに宛てがわれたのは、墓守の仕事であった。
先代が亡くなって以降、空席だったその職務に就かせることで、彼の衣食住を保証する。
そしてフォルトは物心つく前より、絶えず雪が降るマグリット霊園で、死者の守りをすることを義務づけられたのだった。
「……そうか」
「その役目が嫌だと思ったことはないよ。ただ……前も君に話したみたいに……あまりに変化のない、死を見つめる日々だと、同じように思えてくるんだ。死と生の境界はとても曖昧で、肉体がただこちら側にあるだけではないかと。あの雪の下で眠っている人々と自分の、どこが違うんだろうって」
「………」
アルヴィスは何とも言えぬ表情で、フォルトのどこか虚ろな色をした横顔を眺めた。
複雑な心地で、己の手の甲に刻まれたタトゥへと目線を落とす。
ふいにオレンジ色の光が目を射した。顔を上げたアルヴィスは瞳を庇うように、一瞬だけ手を目の前にかざした。
赤く輝く太陽が、ゆっくりと地平線の向こうへと沈んでいく。全てのものが、淡いオレンジ色に照らされて、同じ色に染まっていく。
残照に目が慣れてきたアルヴィスは、横のフォルトを見やる。すると思わぬ光景があって、アルヴィスは瞠目した。
フォルトはえも言われぬ表情で、眼前の風景を見つめていた。まるで圧倒されているかのように、視線を目の前から外さぬまま立ち尽くしている。
ほのかに夢見心地な瞳は、まるで見入られたかのように太陽の光だけを映していた。
「……夕焼け、初めて見るのか?」
「……夕焼け?」
アルヴィスの問いに、フォルトは振り返る。朴訥とした、子供のような仕草だった。
「……そうか。これが夕焼けなんだ」
感慨深げに呟く彼に、アルヴィスは彼の感動に水を差さぬよう、そっと返す。
「もう一日も終わるな」
「うん…………綺麗だね」
「……ああ」
「こんな景色は、初めて見たよ」
フォルトは再び前を向くと、目に焼き付けるように夕焼けをじっと見つめる。
その表情には、確かに憧れが宿っているように、アルヴィスには見えた。
「……今までカラス達しかいない、あの青と白の空間にいたけれど。地上には血が通っているんだね」
「……血?」
だしぬけに奇妙にも思える単語が出てきて、アルヴィスは夕日から視線をずらし聞き返す。
「うん。ほら、あの太陽。まるで血の色に見えないかい?」
発言した主は、のんびりと前を指差した。
「それは……」
「ああ……別に変な意味じゃないんだよ」
ほんの少し困惑したように言葉を濁らせるアルヴィスにようやく気付き、フォルトはゆるりと弁解した。
「血は生き物の体を流れている色。生きている証だろう? ……だから温度を感じて、あたたかいなって思って。太陽に照らされている世界も、生きているんだな、と思ってね」
己の感情に鈍いフォルトは、じっくりと時間をかけ、考えながら言葉を選んでいく。
だが理屈づけて話していくうちに、胸の内に悟ったような、冷め切った思いも湧き出てくるのを感じた。
「やっぱり地上(ここ)は、あそことは……僕のいる霊園とはちがうんだね」
血の通う地上と、死者の眠る霊園。
その差異に気付いてしまい、先程までの感嘆とはちがう思いがフォルトの胸を占めた。
悲しいような、寂しいような。
それが「切ない」という感情であることは、フォルトはまだ知らなかった。
手に届かない空を望むかのように、空色の瞳をすがめ、それでも見入っているフォルトの顔を夕日が照らす。
光の角度が徐々に変わり、太陽の赤が、少しずつ地面に隠れていく。
地上はまだ橙色に染まっていた。
その柔らかい光を、全身で名残り惜しむように、フォルトはじっと浴びていた。
ふいに、黙っていたアルヴィスがぽつりと呟いた。
「……見られると思うぞ。あそこでも」
「え?」
「お前が気付いていないだけだと思う」
ささやくように付け加えたのち、アルヴィスは微かに笑ってみせた。
深い青をした瞳に、太陽の切れ端がちらりと光ったのを、フォルトの目は捉えた。
すっかり日が暮れて、二人は夜の蒼色に沈んだ霊園に戻ってきた。
明かりを灯していない聖堂もまた、静かな青に染まっている。
「今日はありがとう」
「礼ならイフィーさんに言え。オレはもともと来る気はなかった」
「そう」
刺々しくも感じられるアルヴィスの態度に気分を害した様子もなく、フォルトは続ける。
「でも、何だか自然と言葉が出ていたんだ」
己の気持ちの赴くまま、気負いなくフォルトは礼を告げた。
「だから、ありがとう。アルヴィス」
するとアルヴィスは冷たくも感じる面立ちに、苦笑いのような顔を覗かせた。
「……まぁ、一応受け取っておいてやるよ」
それが不器用な彼の照れ隠しであるということは、フォルトにはまだ分からなかったが。彼が不快な感情を抱いているわけではないことは、理解できた。
そういえば感謝を口にするなんて、社交辞令以外では初めてかもしれない。
他人事のように自分を分析していると、「じゃあな」と言い置いてアルヴィスが立ち去ろうとする。
年頃らしい、さっぱりとした挨拶をした彼の背中に向けて、フォルトは呼びかける。
「ねぇ。また来てくれるかい?」
口を突いて出たのは、さらに思いがけない言葉だった。
足を止めたアルヴィスが、上半身だけ振り返りフォルトを見る。
小さな驚きに丸くなっていた瞳が、ゆっくりと表情を変える。
その横顔は、ささやかな微笑の形をしていた。
「……気が向いたら、な」
「……うん」
今度こそ聖堂から出て、アルヴィスは去っていく。
見送るフォルトも知らず、彼と同じ表情をしていた。
翌日。仕事を終えた夕方ごろ、フォルトは聖堂の裏手まで行ってみた。
偉大なる魔法使い・マグリットが、死者の安らかな眠りのために降らせ始めたと語られている万年雪。
止むことのない雪はまるでベールのように、雲の上に建造された霊園を覆っている。
これまでフォルトは霊園の外の部分を歩いたことはあったが、端まで行ったことはない。
霊園の中で、最奥に位置する聖堂。その裏手の奥の奥、雲でできた土地の外側に近い場所ならば、降り続く雪の勢いも比較的穏やかではないかと思われた。
そこならば、もしかしたら。そんな期待をどこかで抱きながら、フォルトは雪を踏みしめて歩いていく。
聖堂の裏手から出て、十数分。変わらず雪は降り続いていたが、少しだけ降り方が変わってきた。
……吹雪?
……ちがう、風だ。風の流れがあるんだ。
かすかに早足になっている自分には気づかず、フォルトは進んでいく。雪の勢いがどんどん弱まっていく。
そうして景色がひらけて、フォルトの前には雲の切れ目が現れた。
白い雲の地面が数メートル先で途切れ、崖のように切り立った場所になっていた。
覗き込むと、はるかな眼下に海とカルデアの大陸が見下ろせる。
そして、視界いっぱいに広がる、光。
暖かいオレンジ色。夕焼けの光。
西の空の水平線に、赤い太陽が浮かんでいた。
頭上からは粉雪が降り注いでいたが、フォルトの眼前では夕陽が世界を照らし出している。
「……本当だ」
そのあたたかな光は、霊園の上の雪雲に遮られているが、確かにマグリット霊園にも降り注いでいる。
そうだ。そうじゃないと、霊園の植物たちが育つはずがない。夜が明けないわけがない。
夕焼けの光は、当たり前のようにあった日常のささやかな事象をも、つまびらかに照らし出していくようだった。
「……僕はただ、死に囚われていただけで。本当はずっと前……いや、初めから」
雪でいつも温度の低い肌が、ほのかに温められていく。それに心地よさを感じながら、フォルトは手のひらを開いてみる。
フォルトの意思通りに、腕も、手も、指も動いた。
「世界は、僕の前に広がっていたのかもしれないな」
生きている。
その事実を、実感として確かにこの身で受け止めながら。フォルトはここにはいない彼に向けて、微笑みかけた。
「ねぇ、アルヴィス」
胸に触れた指から、とくんと、血潮の音が聞こえた。
E N D
書いているうちになんだか「手のひらを太陽に」の歌みたいな雰囲気になった話。
フォルトの生い立ちについては、「(管理人をしているのは)生まれたときからだよ」とか、「生まれてすぐに連れてこられたそうだ」とか、ゲーム内でも描写がちょっとまちまちなんですよね。
悩んだ末に、「幼少期に身寄りをなくしたため、霊園に連れてこられて以来、管理人の仕事をしている」という設定にしました。
その場合、当サイトでのアルヴィスの設定と同じだったりします。
(私の中では、アルヴィスの両親は幼少期に亡くなったため、街の人が親代わりになり、だから世界が好きになった…と考えています)
フォルトはもしかしたら、ロランと同じようにアルヴィスの対になるような存在なのかもなぁと思いました。
マグリット霊園の土地などの設定は、情報が少なかったので完全に捏造です。
そういえば、フォルトは続編のクラヴィーアには出てないですよね。
ゲーム本編ではイフィーとウィート、そしてシュヴァイツァだけでしたが、彼が関わるとしたら、どんなシーンになったのか。ちょっと考えるのも楽しいです。
今作はフォルトの変化が主軸ですので、彼の描写が丁寧になるように心がけました。
あと、彼に対してはぞんざいなアルヴィスも気に入っています。
アルヴィスは、自分と近い立場の人間には、意外とぶっきらぼうな物言いをするんですよね。
そんなところに、年頃の少年らしさが表れていたらいいなと願いつつ。
ご拝読いただき、ありがとうございました。
2021.7.2