応えること
瓶に入ったジュースをジョッキにたっぷりと注ぐ。拍子に中身が数滴飛び出すが、それもおかしくてちょっと笑ってしまう。
中に少し残った瓶を脇に置き、ギンタとジャックは、拳を合わせるようにコツンとジョッキを当て合った。
「今日もお疲れ、ジャック!」
「ギンタもお疲れっス!」
勢いよくジョッキを煽る。大人顔負けの飲みっぷりをたがいに笑いながら、二人は今日のウォーゲームの感想を述べ合う。
「あれすごかったぜ! えーと、何て言ったっけ。ロッククライミング!!」
「へへっ。まぁ、それほどでもっス!」
満更でもない様子のジャックに、ギンタは無邪気に訊ねる。
「あんなすごい技、一体どんなARMを使ったんだ?」
「いや、あれはARMじゃなくて、ただのど根性っス……」
瞳をキラキラさせるギンタに、わかってなかったのかとジャックは苦笑した。
「ギンタこそ、今回のバッボは何かすごかったじゃないっスか。えーっと……」
「クッションゼリー! えっへへぇ、いいだろー!」
得意そうに胸を張るギンタの横で、酒を傍らに置いたバッボが渋い顔でぼやいた。
「まったく……我が家来のセンスにはあきれるわい。能力はともかく、もっとマシな形はなかったのか…」
「いいじゃんか別にー。だってゼリーって美味そうじゃん!」
「……え、もしかしてそれが理由?」
思わず呟くがギンタが明後日の方向へ向いたので、ジャックはそれ以上の追求をやめた。
「けどあのハンマーが当たった瞬間、ジャックが小さくなったのはビックリしたぜ。てっきり消えたかと思ったもん!」
「あれはオイラもマジでビビったっスよ。ダークネスって、とんでもない効果を持つARMばっかなんスね」
数時間前にその身で感じた威力を思い出し、改めてジャックはしみじみと言う。
「……ダークネス……」
そういえばと思い、ギンタは彼を探すが見当たらない。
近くをふよふよ飛んでいたベルに聞く。
「なぁベル。アルヴィスはどこに行ったんだ?」
「アルなら向こうで兵士の人とお話してるよ」
「そっか……」
「? ギンタ?」
考え込むギンタにジャックが声をかける。しかし反応はなく、ジャックはベルと顔を見合わせる。すると再びギンタがベルに問いかける。
「……ベル」
「ん? なに?」
「アルヴィスの持ってるカゴの鳥も、ダークネスARMなのか?」
ジャックを鳥に変えたやつ、とギンタが添えると、隣の彼の顔が若干引きつった。
初めてアルヴィスと会った時、いきなり鳥に変えられたことは結構なトラウマとなり、ジャックの嫌な思い出ランキング上位に君臨している。
「そうよ」
「じゃあやっぱり、それも代償が?」
「そう。カゴの鳥の代償はスィーリングスカルと同じで、“全身を襲う激痛”」
「激痛……」
「……一体どのくらい痛いんスか?」
「知らない。でも使い慣れない人だと、痛みで気絶しちゃうこともあるんだって」
「お、おっかねぇっスね……」
「そう! だからダークネスを使う術者は代償に負けずに、次の技を出すための魔力を練る精神力が必要なの!」
「へぇ……」
じゃああの時、アルヴィスはその代償に耐えていたのか。
顔にも態度にも、全く出していなかったけれど。
己のことのように誇らしげに語るベルを見ながら、ギンタはある疑問を抱く。
(でも、何で?)
何故彼は、ジャックにカゴの鳥を使ったのだろうか。
彼の言っていた「バッボを目覚めさせた罰」ならば、それこそギンタ自身を動けなくしてしまえばいいのに。
(普通そうするよな。今日のジャックの相手みたいに)
ARMとは、本来そういうものだ。特に相手の動きを封じるダークネスARMならば尚更だろう。
樽型のジョッキを持ったまま思案するギンタの目に、ふと料理を口いっぱいに頬張るジャックの顔が映る。
(……ひょっとして、ジャックを巻き込まないように?)
あのとき、自分達の実力差は歴然だった。たとえジャックと二人がかり(いや、バッボも入れたら三人か)でも、彼には手も足も出なかっただろう。
にも関わらず、アルヴィスがあえてジャックを鳥に変え、「カゴの中に入れた」理由。
それは彼を、守るためだった?
ギンタはさらに当時の状況を思い出す。あの場所には、近くに崖と滝があった。
アルヴィスの13トーテムポールは、地中から出現させるその特性故に、発動すると地形を変えてしまうほどの変化をバトルフィールドにもたらす。
上級者のテクニックでは、ARMでフィールドを自分の動きやすい地形に変えて試合を有利にするという手もあるのだと、ギンタはガイラに以前聞いたことがある。
しかしもしあの場所で、万が一崖を崩壊などさせた場合、異界の人間であるギンタならともかく、まだ戦闘訓練を受けていない普通の人間だったジャックは大怪我をしてしまう危険もあった。
だからおそらく、アルヴィスは彼にカゴの鳥を使ったのだ。
鳥になって話すことは出来ないが、金属製のカゴの中はある意味もっとも安全な場所だった。
現にジャックは13トーテムポールの被害に遭うこともなく、二人の対決を見届ける証人となった。
当時はてっきり、こちらを挑発するためと考えていたが、成長した今ではさまざまな可能性が推測できる。
ふと、ギンタはこれまでの場面を思い出す。あの後、倒れた耳に聞こえた言葉。
レギンレイヴ城で再会した夜。ウォーゲームの一番最初の試合。
彼の言動の、裏にある意味。
(……もしかして、ずっと守ってくれていたのか?)
見定めるとか偉そうなことを言いながら、本当はずっと前から守ってくれてた?
あの時にはわからなかったことが、急にクリアに見えてきたように感じて、ギンタは確信に頬を叩かれたように顔を上げた。
周囲の景色が、やけにはっきり視界に入ってくる。
「……ギンタ?」
「……」
「あ、アル! おかえりー」
「うん、ただいま」
突然顔を上げたギンタを不思議そうに見るジャックの横から、アルヴィスに気付いたベルの声が響く。
たった今気付いたことに、ギンタはただ、戻ってきた彼を見上げるだけしかできなかった。
「……どうしたんだ? ギンタ」
アルヴィスが問いかける。その声色に様子のおかしいギンタを気遣う気配があるのは、気のせいではないだろう。
——オレが見ているのは、世界の断片的な事柄で。
もしかしたら気付かないうちに、誰かが傷付いてるのを見過ごしているのかもしれない。
義母(ディアナ)に追われていたスノウの心が、すでに限界だったことに気付かなかったように。
アルヴィスの顔を見つめ、ギンタは逡巡する。
…………謝るべき、なんだろうか。誤解していたことを。
悶々とするギンタを見下ろしたアルヴィスは、ベルの傍に腰掛けながらふっと笑いかけた。
「お前らしくないな。何を考え込んでる?」
「……いろいろ」
でも、ここで「ごめん」とかの言葉を口にすれば。
きっとあの時のアルヴィスの思いを、踏みにじることになる。
軽い口調の中に込められた労りを感じ取りつつ、ギンタは言葉を濁した。
「ギンタ?」
ジャックが再度名前を呼んだ。それをどこか遠くで聞きながら、ギンタは手元のジョッキの底をじっと見つめる。残り少ないジュースに、小さな波紋が生まれた。
…………応えることって、なんだろう。
城内に戻り、部屋に戻る道すがら。夕食の途中から黙りこくったギンタを、ジャックは数歩後ろから追う。
時々たわいない会話をしかけるが、反応は薄い。こういったことは、これまでにも何度かあったことだ。ギンタはいつも前向きだが、彼なりに考えたり悩む一面があることを、ジャックはすでに知っている。
レギンレイヴ城から割り当てられた寝室を通りすぎる。先ほど宴を開催していた場所を見渡せるバルコニーまで出て、ギンタは足を止めた。
その隣まで歩き並んで、ジャックはぼんやり彼が話を切り出すのを待つ。
「なぁ、ジャック……」
「なんスか?」
「応えることって、何だろうな」
そんな言葉から始まったギンタの話は、ジャックにとってもこれまで考えることのなかった視点のものだった。
ジャックはバルコニーの手すりに手を伸ばし、自然と上を見上げる。見えるのは、ギンタと出逢った夜にも浮かんでいた月だ。ギンタの世界にあるものよりもずっと大きいという、メルヘヴンの月。
肘から上を手すりに乗せ、視線を下に向けているギンタの話を、ジャックは黙って聞き終えた。
「……ギンタ。ちょっとオイラの話、聞いてもらってもいい?」
首肯したギンタに、ジャックは話し出した。
「オイラには皆みたいな目的や、ギンタみたいな特別な力もない。母ちゃんに背中を押されるまで、旅に出ることだって考えたこともなかった」
ジャックの脳裏に思い出されるのは、ルーガルーブラザーズに目を付けられていたときの記憶だ。母と畑を守らねばと、しかしどうすることもできなかった、震えていただけの頃。
「今はギンタと同じように、父ちゃんの敵討ちって目標があるっス。けど時々ここにいることが、すごく不思議に思えるんスよ」
それは試合に出るたびに。無力さを感じるたびに、自分の中で繰り返し思うことだった。
そして、間近でぐんぐんと成長する親友を見るたびに、頭をよぎること。
初めて聞くジャックの話に、ギンタは目を丸くする。
「……いて良いのかなって、思うことも正直あったっス。多分このチームで一番弱いのはオイラだし」
「なに言ってんだ! そんなこと……!」
「自分のことは、自分が一番よくわかってるっスよ」
気にしない風に笑うジャックに、ギンタは唇を噛む。ジャックが人一倍修行に取り組んでいたことを知っていたからだ。
ギンタの真摯な反応に、少し救われた思いになったジャックは、自嘲ではない笑みを浮かべた。
再び夜空を見上げ、眩しいほどに輝く満月を仰ぐ。
「……でもこうも考えたんスよ。自分の実力が足りないことはわかってる。じゃあオイラはどうしたいのかって」
月光を見据えるジャックを、ギンタは見つめる。
「そして思ったんス。『それでも、ここにいたい』って」
影がないほどに、地上を照らし出す月光の下。
ギンタには、隣に立つ親友がなんだか大きく見えた。
「……アルヴィス、今日言ってたじゃないっスか。『メルヘヴンが好きか?』って」
「……うん」
「オイラにとっては、メルヘヴンを守るってでかすぎることだけど。でもやりたいことはわかってる。島で待ってる母ちゃんを守りたい。ギンタたちの役に立ちたい。父ちゃんの仇を討ちたい。……そのために何が出来るか。そう考えたら、やっぱりオイラはオイラに出来ることをするしかないって」
「自分に出来ること……」
「いや、当たり前のことっスけどね」
すぐさま言葉を付け足し、ジャックは苦笑する。頭をぼりぼりと掻きつつ、眼下に広がる世界を眺めた。
「……父ちゃんは戦いに向いている人じゃなかった。それでもパヅリカを出てウォーゲームに参加したのは、きっとオイラと母ちゃんが暮らすパヅリカを、この世界を守りたかったからだと思う」
それは多分、オヤジと同じだ。ギンタは、ダンナと呼ばれていた父の面影を思い出す。
「オイラも同じっス。父ちゃんが守ろうとしたオイラの故郷と、島で待ってる母ちゃんを守りたい。だから戦う」
それは六年前、まだ幼い子供だったアルヴィスが、クロスガードに入ったように。
ドロシーがカルデアの掟から逃げずに、ARMの回収を続けているように。
スノウが義母に追われる身でありながら、家臣であるエドたちを守ろうとしたように。
「皆、きっと同じだと思うんス」
それぞれ立場や目的は違うけれど。
皆おそらく、同じことと向き合っているのだ。
「だから、知らなかったなら、それを受け入れて。それから自分に出来ることを考えてやればいいと思うんス。それがきっと“応えること”っス」
「出来ること、か……」
ジャックの言葉をギンタは噛みしめる。丸い満月を、緑の眼に映す。
「……当たり前だけど、難しいな」
頷くように一度瞬きをして、ジャックがこちらを向いた。
ギンタは自分の手のひらを見つめる。これまで垣間見てきた、色んな人たちの思い。
己に求められるものと、求めるもの。
「……もっと」
指を折り曲げ、内側に力を込める。爪に月影が当たり、ちらりと光る。
「強くならなきゃな」
新たな決意とともに、ギンタは握り直した拳の感触をたしかめた。
END
以前書いた「覚悟と責任」からつながるような話です。
最初は冒頭のゼリーの会話が書きたかっただけだったんですが、テーマをまたまた難しいものにしたために、「毎度おなじみ時間かけすぎ案件」になりました。
アルヴィスがなぜ、ジャックにカゴの鳥を使ったか。
これは原作を初めて読んだ時からずっと不思議に思っていたのですが、今回の解釈はアニメルのゾンネンズ戦をヒントにしました。
ナナシをサポートするのに使ったあのアイデアは、アニメオリジナルですが秀逸だと思います。レスターヴァでのロラン戦といい、アニメルでのバトルは映像ならではの工夫がされてて好きです。
原作の1stバトル後や、カルデア訪問後など、ギンタが考え込む時は親友であるジャックと一緒にいる場面が多い気がします。
そのため今回は、それらのやりとりを意識しながら書きました。
最後はありきたりな台詞ではありますが、自分では二人の気持ちを掘り下げられた上でのラストなので、皆様にも納得いくものであれば幸いです。
最後までご拝読くださり、ありがとうございました。
2017.2.28