勧酒
「ダンナの息子が言ってんだ。信じろ!」
ギンタがそう宣言した途端、自分の中で何かがクリアになった。
ずっとギンタに感じていた感情。
移りゆく季節の中、何度も変わらぬ輝きを見せる花に対する様な、懐かしさに似た慕わしさ。
弱い、でも賭けたい。そんな期待を捨て切ることができなかったのは。
身体のどこかで、知っていたのかもしれない。
自分の目の前にいる少年が、ダンナの血と想いを継ぐ者だと。
今度こそ、メルへヴンを救う勇者だと。
「——ひっく」
酒が回りひっくり返った彼に慌てて駆け寄る人々を、目を見開きながら見ていると、朗々としたガイラの声が響いた。
『我々の新たなる希望だ!!』
————希望。
その言葉が妙なくらい、胸に染み渡った。
————そうか、オレはコイツを喚んだんだ。
目の前で寝こけている少年を、暫くの間、アルヴィスはただ静かに見つめていた。
「あれ? アルヴィスは?」
ウォーゲームの休みの日、ジャックとの模擬戦を中断してギンタが一息つくと、さっきまで見 守っていた仲間の中にアルヴィスがいない。
「アルならさっき出かけちゃったよ」
いつも彼の傍らにいるベルがギンタの疑問に答える。
「出かけたって……どこにっスか?」
「わかんない。この時期になると、アルはいっつも一人でどっか行っちゃうの」
芝生に座り込み、戦いを見物していたスノウの肩でベルがさらに言葉を添える。
スノウが視線を向ける先で、ベルは膨れっ面でちょこんと座っていた。
ベルに小さく微笑みかけながら、スノウが話を続ける。
「よくは聞いてないけど、お花を見てくるって言ってたよ」
「花?」
「うん、薄いピンク色した、毎年この頃に咲く花って」
今度皆で見てみたいね! と笑うスノウにジャックも「いいッスね!」と花見のアイデアを次々提案し始める。
今度の休みの時はどうか、食べ物は持っていくかなど話が弾む横で、ギンタは一人口元に手を添え思案していた。
薄いピンク色の、春に咲く花。
「それって……桜か?」
呟いたギンタの隣を、春の暖かい風がゆっくり通り過ぎた。
立ち寄った店で酒を買い、アルヴィスはある街のはずれへと向かった.
レギンレイヴから程遠い、自分だけが知っている秘密の場所。
緑がうっそうと茂る森に大きく開けた一角。
薄桃色の木が立ち並ぶ、春の穏やかな陽光が差し込む世界。
空間に少し足を踏み入れただけで、ほんのりと甘い匂いが肌に触れてくる。
毎年訪れているこの場所に懐かしさに覚えながら、アルヴィスは奥へ奥へと進む。
小さな花弁が降り注ぐ向こうに見えてくる、一本の木。
この一帯でひときわ鮮やかに咲き誇る、大きな「サクラ」の木。
どっしりと大地に根を下ろし、長い年月を生きてきた風貌にも関わらず、なおかつ若木の様な生命力を感じさせる大木。
真直ぐ空に向かって、どこまでも伸びてゆくその姿が
今はいないあの人に似ていて
アルヴィスはここを見つけた年からずっと、毎年墓参りの様な形でこの場所を訪れているのだ。
その日は確か、ウォーゲームの中盤戦の時だった。
勝利の宴に賑わう席を離れ、アルヴィスは一人同胞たちの墓へと向かった。
手にしていたのは、宴席で振る舞われたいくつかの酒。
それを今はいない者たちの前にひとつずつ、ひとつずつ供えていく。
乏しい知識を総動員させながら、故人が好きそうな銘柄や種類を選んで置いていく。
「これどんな味なんだろう……」
時折ラベルを興味深げに見ては、亡くなった者たちの笑顔を思い出してアルヴィスは少し切なげに笑う。
「よぉ、アルヴィス」
ふいに一人だった空間に響いた声に顔を向けると、城の壁にダンナが片足に重心をかけてもたれていた。
「ダンナさん」
ダンナの姿を認めたアルヴィスはぱあっと笑顔になる。
アルヴィスが最後の瓶を墓に供えると、ダンナは手に持つ酒の入ったカップを示す様に振った。
「ご苦労さん、一緒に飲むか?」
「はい」
宴会の騒がしい声がかすかにしか響かない、城の近くに点在するわずかな廃墟。
崩れた壁や柱に適当にこしかけてアルヴィスとダンナは酒を飲んだ。
ダンナが持ってきたのはあまり酒のきつくない果実酒だった。
普段ダンナはもっとアルコール度数の強い酒を好んで飲んでいるから、きっと自分の為に飲みやすいのを選んでくれたのだろう。
両手でカップを抱えて口に含むと、独特の甘みと香りが広がった。
「いつもありがとな」
むせることなく、こくこくと喉を鳴らして飲み進めるアルヴィスを安心した様に見た後、ダンナは頭上で輝く月を見ながら言った。
今宵は満月。
宴が盛り上がるうちに、それは丁度夜空の真ん中に上ってきていた。
「オレには、これくらいしか出来ませんから」
抱え込むカップの中で揺らめく綺麗な月。
その淡い光を瞳に映し、アルヴィスは育ち盛りの少年にあまりふさわしくない、自嘲を込めた小さな笑みを浮かべた。
幼い自分の無力さと、命の儚さを噛み締めながら。
「……あんまり自分を卑下すんな」
冷えた身体を包み込むような深い、優しい声で言われてアルヴィスは瞬きしてダンナを見つめ返した。
視線を受けたダンナはカップを傾かせて優しく笑み、
「オレたちは戦うことが役目だ。そしてお前は戦いを終えたオレたちを、いつも笑顔で迎えてくれる」
仲間の無事を誰よりも喜び、亡くなった命を他の者の代わりに悼んでくれる。
メンバーの誰よりも幼く、加護されるべき存在でもあるのに、同じ戦場に立ってくれている。
その純粋さにどれだけ救われただろう。他の者も自分も。
ぐびっと、酒を喉に流し込むと、ダンナは瞳を閉じて諭す様にゆっくり続けた。
「それがお前の役目だ。そうだろ?」
再び開いた、優しい光を宿す深い緑の瞳に見つめられて、アルヴィスはやがて柔らかな表情で微笑んだ。
「……はい」
その反応に満足そうに笑うと、ダンナはまた酒を口に含んで空を見上げた。
同じ様にアルヴィスも眩しいくらいに輝く満月を見ていると、遠い森の方から吹いてきた夜風が二人の服を揺らす。
さわさわと、涼しいけれど寒さを感じない風に、春がすぐ近くまで来ていることを気付かせられる。
「風が、あったかいですね」
「そうだな。もうすぐ桜の季節だな」
「……さくら?」
「メルへヴンにはないのか? 薄いピンク色した、小さな花だ。でっかい木に沢山の花をつけてな、すごく綺麗なんだぞ!」
「へぇ……」
ニホン、とは、ダンナさんのいた国の名前で、そこで「サクラ」は国花として人々に広く愛されているらしい。
大きな公園とかで沢山植えられていて、毎年街を薄桃色に彩り、春の訪れを告げる。
しかし、花が開いている間はほんの数日間で、時には風や雨等であっという間に散ってしまう。
「それは……ちょっと悲しいですね」
「うーん……そうかもなぁ」
説明を聞きながら酒を口に運んでいた動きを止め、小さく呟くアルヴィスにダンナは少し考えて相づちを打つ。
会社の同僚や家族と花見の計画をしたのに、あいにくの雨で見れなかったり、予定の日より早く散ってしまったということは結構あったからだ。
しかし、アルヴィスが指摘したのは別のことだった。
「散り際が美しいなんて」
「…………」
桜並木を歩いている時の、いくつもの花びらが降り注いでくる景色が、咲いているときよりも実は綺麗なのだと教えたのは先程だ。
綺麗な理由は他の花と違い、枯れて色褪せる姿を見せることなく、潔く散ってゆく様だとダンナは考えているのだが。どうやらアルヴィスは“散る”ことそのものに痛みを感じているらしい。
「……なんで、咲いたら散らなきゃいけないんでしょう……」
隣で悲しそうに顔を歪めるアルヴィスは、桜に死んでしまった仲間を重ねているのだろう。
散ってしまった沢山の命。
ずっと生きていて欲しかったのに。ずっと一緒に笑っていて欲しかったのに。
この世を離れる瞬間がなによりも綺麗だなんて。
まるで、死ぬ為に生まれてきたみたいじゃないか。
黙りこくったアルヴィスの肩を、ダンナは空いている方の手で引き寄せてやる。
動作に素直に従ったアルヴィスはすとんとダンナの身体によりかかる。
暫くの間身体をくっつけ合い、お互いの痛みを共有したあと、ダンナは一言一言を噛み締める様に言った。
「……生命には限りがある。人間も花も同じだ。生まれたら必ず死がある」
月が影をつくる。
ダンナの横顔にも、深い悲しみや苦しみを抱いた影が出来る。
でも、アルヴィスに振り向いたそこには、月光が眩しく照らし出す微笑みがあった。
「けどな、終わりがあるから、美しいんだ」
どこまでも優しいその表情を、アルヴィスが瞳を大きくして見つめ返すと、ダンナは少し楽しそうに続けた。
「花が散らずにずっと咲いてたら飽きちまうだろ?」
「……そうかも……しれません……」
「いつか散るってわかってるから、花が咲いている時間が大切に思えるんだ」
終わりがあるから、今を愛しく思える。
生きているこの瞬間を、かけがえのない大事なものにしようと出来る。
これは永遠を持てない“人”が見いだした、一つの幸せのかたち。
桜が綺麗なのは、散り際そのものが美しいからではなく。
散る間際に見せる一瞬の輝きと儚さに、何かを重ねた多くの人が、心を動かされるからかもしれない。
「アルヴィス、死に魅せられるな」
突然低く響いた言葉にドキッとすると、ダンナは戦いに望む時の様な厳しい目をして言った。
「死は確かに辛い。けど死を否定することは生きていることを否定することだ。
……ファントムの奴が捨てた輝きを、いつか死ぬオレたちは持ってる。それを忘れんな」
いつか自分も死ぬ。ダンナも死ぬ。
でも、だからこそ今生きている。
そのことを、絶対忘れない。忘れちゃいけない。
アルヴィスは、決然とした面持ちで強く、しっかりと頷いた。
それを見届けたダンナは満足気にふっと表情を緩めた。
「……それにな。死ってのは、終わりじゃねぇんだ」
「……?」
唐突に発せられた言葉に、アルヴィスは意味を計りかねて不思議そうにダンナを見た。
すると、穏やかな笑みでダンナは答えた。
時々向こうの世界のことを話す時の様な、懐かしさに満ちた笑顔で。
「お前にもわかるさ、いつかな」
あどけない様子で見つめてくるアルヴィスを優しく見つめ返したあと、ダンナはいつものにかっとした顔で彼の頭をぐしゃぐしゃさせながら告げた。
「安心しろ! オレは死なねぇ!」
うわぁとアルヴィスが悲鳴を上げる様子に構わず更に頭をかき回しながら、ダンナは彼特有の不安を吹き飛ばす明るい声で豪快に笑った。
「お前もな!」
心のどんな闇も消してくれる、ダンナの力強くあたたかい言葉に、アルヴィスは自分が笑みを浮かべるのを感じた。
木の前に立つと、アルヴィスはポケットから杯を取り出し手に持っていた酒を注いでいく。
それを桜の根元に供えると、自分の分も注ぐ。
そしてまだ半分ほど残っている酒瓶を地面の杯の隣に置くと、立ったまま木にささやきかける。
「……ダンナさん、ギンタが来ましたよ」
“死ってのは、終わりじゃねぇんだ”
「貴方の愛した、メルへヴンへ」
“お前にもわかるさ、いつかな”
「チェスは復活しました。ですがアイツがいる」
“ダンナの息子が言ってんだ。信じろ!”
「今度こそ、ファントムを倒せます」
目を伏せて柔らかく笑みながら告げると、ふいに木がサアァァァと揺れた。
瞳を開くと、桜だけが持つ、ふんわりとした緩やかな落ち方で、一枚の花びらが供えられた杯の中に着地した。
狭い世界で波紋をつくる光景に目を細めると、アルヴィスは手に持った杯を傾けて数口飲んだ。
小さく息を吐いて口から杯を離すと、目の前で立つ桜を見上げた。
ダンナから、ギンタへ繋がっていた想い。
生命の営みの中で絶えることなく続き、また生まれていくそれは。
一瞬のうちに散っても、また次の季節、鮮やかに新しい花をつける桜のような。
色褪せることのない、永久の輝きに似ている。
「……きっと」
まだ降り止む様子を見せない花吹雪の中、微笑んだアルヴィスの髪を、桜色の風が吹き揺らした。
END
ダンナさんの台詞と、桜吹雪の中、木にもたれるアルヴィスのイメージから生まれた話です。
...本文中ではもたれてませんが。
個人的に、カップを両手で持つアルちゃんを想像してきゅん(死語)としました。
そういう子供の仕草って、可愛いなーと思います。
ダンナさんの、奔放だけど人生を達観した大人の一面を書くのも、難しいけど楽しかったです。
この話を書く際、GARNET CROWの「春待つ花のように」を繰り返し聞いてました。
受験中、行き詰まったときにいつも聴いて自分を励ましてくれた、大好きな曲です。
いつかは終わり、散りゆくさだめを持つ人の、それでもひたむきに生きていく強さ。
そんな曲から来るイメージを少しでも伝えられていたら嬉しいです。
これも受験中に思いついてから、ずっと書こう書こうと暖めていた作品です。
未熟ながら思い入れの強い作品ですので、この度さくら様への相互記念に捧げさせて頂きます。
さくら様、リンク相互して頂いて本当にありがとうございます!
そして事あるごとに優しい言葉をかけて下さって……勿体ない限りです。
感謝の気持ちがちゃんと形になってるか不安ですが、どうぞ受け取って下さい。
最後まで読んで下さり有難うございました!
2009.4