ひとつの世界がおわった話
不安や恐怖は、とうに過去のものとなっていた。
奇妙なほど穏やかな、凪いだ気持ちで、彼は自身の終わりを悟った。
……その時が来たのだ。
迷うことなく指を掲げ、ポケットから取り出した指輪を嵌める。
いつか仲間の一人に借りたものだ。それはこの時のためでは無かったのだが。
(……返せなくて、すまない)
苦い表情を隠してさっぱりとした態度で送り出してくれた彼に、届かない念を送った後、魔力を込めた。
「……アンダータ」
行き先は決まっている。
「誰もいない、北の海へ」
辿り着いたのは、旅の途中で見つけた場所だった。
メルヘヴンで最も北に位置する、最果ての地。
氷の大地から望む海原には、流氷がところどころに浮かんでいる。
世界で一番冷たいシンと冷えた空気が、服越しからでも伝わってくる。
……終わりが来る時は、運命に抗わずこの海に身を沈めようと決めていた。
ここならば、おそらく誰にも見つかることはない。
沈んでいった体は、海へと還り、やがてこの大地に還るだろう。
骨になって、溶けて、循環して。
ゆくゆくは、世界の営みの一部となるだろう。
長い時間の流れに、けして取り残されることはない。
……そう思うと、少しだけ心が慰められる気がした。
落ちるように、足先を地面から離して、そこへ飛び込んだ。
全身を包む水。
視界が、青に埋め尽くされる。
体の抵抗をなくし、身を委ね、何もかも手放す。
指の先の力も、残った未練も、願いも、すべて。
空気の粒を連れて、ちっぽけな体は沈んでゆく。
地上が、世界が、離れていく。
代わりに、光がのぼっていく。
呼吸で口から生まれた泡が、見上げた空の色に混じって。
頭上で煌めいて、遠ざかっていく。
ふと仲間たちの顔が浮かんで、止まりかけた胸が軋んだ。
息が詰まりそうになって、彼は一度目を閉じた。
……通り過ぎれば、もう苦しくはない。
たおやかな笑みを浮かべて、空へと手を伸ばすように、彼は両手を広げた。
さだめを迎え入れるように。
……自ら選ぶ死は、逃げでしかないと思っていたが。
今の自分には、きっと最後の救いだったのだろうと。
消えていく意識の中、彼はどこかで思った。
————そしてもう一度苦しさを感じる前に、彼の青い瞳は、その光を閉じた。
その瞬間、心にぽっかりと穴が開いたような気がした。
己の半身が消えたような。
世界の一部を、切り離されてしまったような。
名状し難い、そんな感覚。
「……そう。死んだんだ、あの子」
ぽつりと呟いた彼は、ふと自分の頬を伝うものに気付く。
「……あれ?」
指でそれを絡めとると、濡れた感触と透明な水がその存在を伝えた。
「涙?」
まるでこんな、人間(ひと)らしい感情を、思い起こされるなんて。
最後まで己の元へは堕ちてこなかった者の眼差しを思う。
トモダチになりたかった、彼。
「涙を流すほど、僕は君が好きだったのかな……?」
虚空を仰ぎながら、青年は独り、呟いた。
同刻。少年の体に奇妙な衝撃が奔った。
それはテレパシーとでも言うべき、強い確信に満ちた感覚だった。
自分の大切なものがなくなってしまったと。
この世から永遠に失われたと、その感覚は語っていた。
刹那、彼の命が尽きてしまったことを少年は悟った。
だが、どうしたことか。
自分の身は変わらずにここにあるし、当たり前のように大気は存在しているし、時間は止まらない。
もう、彼はいないのに。
何事もなかったかのように流れていく世界を恨むかのように、少年は唇を噛み締める。
ああ、でも、結局。彼を救えなかったのは、自分なのだ。
血が滴るほどに拳を握り締め、天を振り仰いだ。
「───────!!!!!」
贖罪のように、少年はただ、彼の名前を叫んだ。
END
……問題作です。自覚がある故に、今まで書きかけのまま封印してきました。
なぜ今頃になって書き上げたのか。深い理由はありませんが、多分タイミングです。
ゲーム版クラヴィーアの特典カードの絵柄から思いついたお話です。
アルヴィスが座っていたあの氷のような、ガラスのような景色は一体どこなんだろうと。
あとEDでアルヴィスが言ってた「人知れぬ場所で…終えるつもりだ」と言う台詞が本当になってしまっていたら…という話です。
ゲームではフラット三姉妹が来てくれて事なきを得ましたが、あのままだったら、彼は仲間がいるレギンレイヴには留まらないだろうと思われたので、死に場所へと向かったという。
ちなみにアルヴィスが持っているアンダータは、ナナシが持っていたものという設定です。
ゲームとは別時空ですが、アニメル最終クールのイメージが強いのと、ナナシは盗賊ですから、複数個アンダータを持っていておかしくないだろうと。
もしかしたらパルトガインではぐれた反省を踏まえて、道中で渡していたのかもしれません。
アルヴィス以外の人物は、「青年」がファントム、後半に出てくる「少年」がギンタになります。
ファントムはタトゥの存在で、ギンタは原作でも時々シックスセンスなのか、スノウが攫われる直前「ダメだ……」と気付くような描写があるので、それで彼の終わりを感じ取ったということになります。
悲しい話ですので、あえて人物の明言はしないよう避けました。
無情さというか、切なさをうまく表現できていたらいいなと思います。
ご拝読くださり、ありがとうございました。
2023.2.27