夢で見たスカイ・ブルー

 

 

 

 喧噪に包まれているのにそれを騒がしいと思わないのは、きっと集まっている誰もの表情が歓喜で溢れているからだ。

 大勢の人に埋め尽くされた広場の前の方で、ギンタはバッボと一緒に来たるべき時を待っている。

 再び地上に戻って来たメルへヴンの象徴、レスターヴァ城。

 広場から見て丁度中央に作られた、開放的なバルコニー。

 そこに病に倒れて以来行方不明だった王が、久方ぶりに国民の前に姿を現す予定だった。

 予定の時刻を回ると、据え付けられたカーテンの向こうからアランが現れた。

 クロスガードのNo.2であり、今回の大戦でまたしても世界を救った英雄の登場に群衆が沸き立つ。

 そして豊かな口ひげをたくわえたレスターヴァの王が、ようやく再会を果たした愛娘・スノウと共に手を繋いで現れる。

 人々から歓声が上がる。

 中には、王の無事な姿に涙を浮かべる者さえいた。

 戦乱を生き抜いた民に向けて、二人が大きく手を振る。

 距離のあるバルコニーからギンタを見つけたスノウが、彼にだけわかるよう小さく手を振った。

 ギンタも笑って振り返す。

 

 しばらく民衆の声に答えた後、王が前へと進み出る。

 

 

「チェスは壊滅した!」

 

 

 大国の王によるこの輝かしい宣言は、マジックミラーでメルへヴン全土に届いている。

 

 

「今度こそ、真の平和がメルへヴンに訪れたのだ!」

 

 

 歓声がひときわ、大きくなった。

 

 

 

 

「戦いは終わったが、多くの犠牲も出た」

 

 

 平和をもたらした戦士達への賞賛のあと、王は沈痛な面持ちで言葉を続けた。

 

 

「ここに集まる者の多くが、大切な“誰か”を亡くしたことであろう」

 

 

 王の両脇に控えるアランとスノウが、痛みを含んだ表情で視線を落とした。

 自然と生まれた静寂に、広場に集まった人々も面を伏せ、目頭を抑える。

 

 

「この戦乱で命を散らした全ての者たちへ、しばし皆の祈りを捧げて欲しい」

 

 

 人々が黙祷を始める。

 離れた所でなりゆきを見ていた、ナナシやドロシーたちも目を瞑る。

 

 

 腰に揺れるチェーンの重みを意識する。

 

 

  共に戦場を駆け抜けた

 

  夢を叶えてくれた

 

  いつも自分を支えてくれた、隣にあった笑顔。

 

 

 その色褪せない面影を思い浮かべて、ギンタは目を閉じた。

 

 

 

 

 

「育て!! アースビーンズ!!」

 

 父によく似た少年の掛け声とともに、柔らかい土に蒔かれた種に向かって勢いよくスコップが振り下ろされる。

 膨らんだ魔力に光を放つと、種は芽を出し空へとぐんぐん蔓を伸ばしてゆく。

 あっという間に大きくなった蔓は、遂には雲まで到達し、一同は思わず声を上げた。

 

「ギンターーっ!!! オイラ空まで蔓を届かせるようになったっスよーーっ!!」

 

 『夢は天まで届く蔓を育てる事!! 高いトコロからこの世界を一望してみたいんスよ!!!』

 

「スゲエぜジャックーっ!!! よっしゃのぼろう!!!」

 

 言うが否や、風呂輪中学の制服に着替えたギンタは太い蔓にしがみつき、大きな葉っぱを足掛かりにして登っていく。

 それに身軽な動きでジャックが、器用に飛び跳ねるバッボが続いていく。

 

「皆も来いよーっ!」

 

 興奮が溢れんばかりの表情でギンタは上から声を響かせるが、肩にベルを乗せたスノウは残念そうに眉を曲げる。

 

「私は高いトコ怖いから無理」

「私はこれで行く!!」

 

 そんな彼女とは対照的に、ドロシーは明るく笑って箒に飛び乗る。

 青空に映える桃色の髪を風になびかせて、上昇気流に舞い上がり三人を追いかけていく。

 見上げるダンナ達の優しい眼差しを受けて、登り続ける彼らの傍にあたたかな風が吹きわたった。

 それは地上で、ギンタたちを見守るベルの若草色の髪をも揺らす。

 

 

 “やれやれ、子供だな”

 

 

 

「……?」

 

 

 

 不意に大気の流れと一緒に、誰かの声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

「ぷはぁ!!」

 

 誰が一番速く登れるか、ジャックたちと競争をしていたギンタは一番乗りで雲の上に辿り着いた。

 

 

「うわぁ……」

 

 

 緑の葉から白の固まりに降り立つと、ふかふかとした不思議な感触が足の裏に当たる。

 雲は水蒸気の固まりだが、こっちの世界では乗ることもできるらしい。

 見渡した世界には、地上で見上げたどの青空よりも濃いブルーが広がっていた。

 

 

「……空って、こんなに青いんだ」

 

 

 暫しその光景に圧倒されて、言葉を失う。

 身体を包む静かな感動に笑みながら、ギンタは尊い世界を端から端まで望んだ。

 

 すると、視界の先にあるひとつの人影。

 

 

 

「……え……?」

 

 

 

  誰もいない筈の雲の上に

 

 

  一人の少年が立っていた。

 

 

 

 

「……あ…………」

 

 

 

 それは、世界を占める、尊い青と同じ色をした

 

 

 

 今はもう、いない筈の

 

 

 

 

 

「————アルヴィスっ!!!!!」

 

 

 

 目の前にある情景を信じられず、ギンタは泣きそうな表情で少年の許へと駆け出した。

 

 

 

 白い地を蹴り、

 

 

 綿菓子のような雲を踏みしめ、

 

 

 彼の許へ確実に歩を進めた。

 

 

 

「アルヴィス!! お前どうしてここに……」

 

 

 急き込んで訊ねるギンタに、青空を背に立つアルヴィスは穏やかな顔で微笑みかけた。

 しかし声は発さない。

 その事実にギンタは困惑するが、不意に目の前にいる彼と自分が同じ存在ではないことを悟った。

 理屈では説明できないが、そう感じた。

 現に、白が基調の服から覗く彼の手にタトゥはなく、綺麗な肌が見えるだけだった。

 

 

「あ……」

 

 

 

 そうか、お前はもう解放されたんだな。

 

 

 

 元いた世界とは違うメルへヴンだ。ここにはきっと、そんな奇跡もあるのだろう。

 再認識した現実に、ギンタは少し寂し気な目になった。

 

 しかし、明るく笑って話し出す。

 

 

 

「アルヴィス! オレ、チェスを倒したぜ!!」

 

 

 

「ファントムもクイーンも倒した。黒幕だったオーブも、全部倒したんだ!!」

 

 

 

 ギンタの話を、アルヴィスは楽しそうに聞いている。

 彼に時々向けていた、幼い弟を見守るような、暖かく柔らかい眼差しで聞いている。

 

 

 

「オヤジも生き返ったんだ。お前に会いたがってた」

 

 

 話していくうちに切なさが込み上げるが、ギンタは喜びだけを伝えた。

 一通り話し終え、改めて、ギンタは彼の名を呼んだ。

 

 

 

 

「……アルヴィス」

 

 

 

 

「オレ……お前にまだ言ってなかったよな」

 

 

 

 

 

 

 満面の笑みで、言う。

 

 

 

 

 

「ありがとう」

 

 

 

 

 

「オレをこの世界に呼んでくれて」

 

 

 

 

 

 

「やっぱ最高だよメルヘヴン!!! 来てよかった!!!」

 

 

 

 

 その言葉に、アルヴィスは何よりも嬉しそうに微笑んだ。

 

 

 

 

 すっと、アルヴィスがギンタに右手を差し出した。

 細く長い指が何かを握っている。

 

「手?」

 

 閉じられた指がそっと開かれる。

 自分よりもほんの少し大きい、彼の掌の中にあった、それは。

 

 

「 ……“逆”…… 門番ピエロ……」

 

 

 忘れもしない、アルヴィスがギンタをこの世界に喚んだときに使ったARM。

 それと対になる存在だった。

 よく見てみると、十字目の配色が、その時見たものとは逆になっている。

 

 

「…………オレに?」

 

 

 

 顔を仰ぐと、頷いたように見えた。

 

 

 

 

「……サンキュ」

 

 

 

 

 小さな小さなリングを、両手を伸ばして受け取った。

 

 ギンタに答えるように、アルヴィスはスカイブルーの瞳を細めて、笑った。

 

 

 

 

 

  笑顔が  ぼやけた

 

 

 

 

  徐々に  輪郭が  薄れ

 

 

 

 

 

  彼が   透明に   なる

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰よりも世界を愛した青い少年は

 

 

 

 

 

 

 

 

 青空へ光の粒子となって、消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……夢、かな」

 

 

 

 変わらずに存在し続ける世界に、ギンタはぽつりと呟いた。

 

 

 

 

 

「いや……でもこれは」

 

 

 

 

 

 彼の温もりがあったかの様に、手をぎゅっと握る。

 すると伝わってくる、掌のARMの、冷たさ。

 

 

 

 

「夢じゃ、ない」

 

 

 

 

 

 

 

 

「——ギンタぁー!」

 

 ぼすぼすと、雲独特の質感を思わせる足音を立て、蔓を登り終えたジャックが駆け寄ってくる。

 

「は、早いっすよ……まったく、すぐ先行くんだから……」

 

 ぜぇぜぇと息を切らしていたジャックは、黙りこくったままのギンタを不思議に思い、彼をじっと見つめて声をかけた。

 

 

「……どうしたんスか、ギンタ」

 

 

 

 

 

「……いや」

 

 

 

 

 

 空いた手で、目の端を拭う。

 

 

 

 

 

 

「なんでもない」

 

 

 

 

 

 

 微かに残った涙に、空の色が映った。

 

 

 

 

 

END

 

 

 

 

 

 漸く書き終えることが出来て、自分的にも感慨深いです。

「涙に染まる雨」アフターエピソード、いかがだったでしょうか?

 構想は去年の4月頃から出来ていたのですが、本編執筆に膨大な時間がかかり、そして書き終えた後暫くは燃え尽きた灰になってしまい、構想段階からほぼ一年後の完成となりました。

 文量はともかく、「涙に染まる雨」は「冷たい海」以来の長期連載で、しかも大好きなアルヴィスを殺さなければいけない話だったので、自分で思い付いたとはいえ書くのにエネルギーがいる作品でした。

 イメージ曲はGARNET CROWの「スカイ・ブルー」。この曲は、元の世界に戻ったギンタの心情をも表しているようで、明るい曲調の中の僅かな寂しさがこの話にぴったりだと思いました。

 

 本編・アフター共に幸せな話ではないですが、それでも前を向く人の心とか、継がれていく思いとか、寂しい気持ちの中にある微かな光のような、そんなものを少しでも表現出来ていたら嬉しい限りです。

 

 最後まで御拝読下さり、本当に有り難うございました!!

 

2010.3.18