but...

 

 

 

 夜の静寂に満ちた部屋に、抑えられた声が漏れ出る。

 

「くっ……はっ……」

 

 痛み始めた体に爪を立て、苦悶の声を押し殺して少年は起き上がった。

 震える腕で上着を着込み、何とかファスナーを首元まで上げる。物音を立てぬよう細心の注意を払い、共有の寝室を抜け出した。

 扉からそっと手を離す。かすかに閉まる音が響いたが、同室の仲間達は起こさずに済んだようだ。

 それにほっと息を付き、わずかに力を抜いた途端、また激痛が少年の全身を支配する。

 苦痛に顔を歪めた彼は、おぼつかない足取りで向かいの壁まで進み、窓枠へともたれかかった。

 

「アルヴィス……?」

 

 苦痛に瞑目した瞳をアルヴィスが開けると、窓から射し込んだ月明かりに、困惑したドロシーの顔が浮かんでいた。

 思いがけない遭遇にアルヴィスは目を丸くするが、再度襲いくる痛みに体をふらつかせる。

 

「! 大丈夫?」

 

 一瞬で全てを悟った彼女が、バランスを失った肩を支えた。

 「……すまない」と短く答え、乱れた呼吸の合間にアルヴィスは告げる。

 

「……頼む……人目に付かぬ所に……連れて行ってくれ……」

「……わかったわ」

 

 自分より幾分背の低い彼の背中に腕を回し、ドロシーは外へ足を向けた。

 

 

 

 

 廊下を行き、二人は城の外側に位置する柱廊まで来る。柱の一本にアルヴィスを寄りかからせ、ドロシーは反対側に腰を下ろした。

 しばらく待って、大分調子が戻ったらしい彼に声をかける。

 

「……どう、落ち着いた?」

「ああ………情けない所を見せたな」

「気にしないで。困った時はお互いさまよ」

 

 背中で少し、アルヴィスが笑った気配がした。ドロシーも軽く微笑み、頭上へと視線を移す。

 夜の世界を照らす月は、ただ静かに自分たちを見下ろしている。

 しばし決意を固めるかのように、ドロシーは目の前の景色を見据えた。

 

「………ねぇ」

 

 顔を見ずに投げかけられた声に、アルヴィスは後ろへ首を動かす。

 

「六年間……よね」

「?」

「アンタがそのタトゥをつけられてから……」

「……ああ」

 

 アルヴィスが手の甲に目を落としたのを見計らったように、ドロシーは振り返り、彼の顔を正面から見て言った。

 

 

「……手、見せて?」

 

 

 彼女の言葉と表情に、アルヴィスは少しだけ不思議そうな顔をしたが、体勢を変え掌を差し出した。

 ドレスと同じ闇色の手袋から覗く指が、タトゥの入った右手を取る。

 彼の指先から、刻まれた文様をなぞっていくように、ドロシーはじっとその手を見つめた。

 いたわるような手つきに、アルヴィスはくすぐったそうに微笑する。

 

 

「……もしさ、3rdバトルでロランと当たっていなかったら……ゾンビタトゥのことは、皆に言わずにいたの?」

 

 

 若干のためらいの後に発せられた問いを反芻するように、アルヴィスは二度瞬きをした。

 

 

「ああ。できることなら、言わないで済まそうと思っていた」

 

 

 穏やかな声音で答え、ドロシーに触れられていない左手を胸元の近くまで持ち上げる。

 

 

「ギンタは……ああ、バッボとジャックもだな。初めて会った時、腕にまで伸びているのを見ていたが。ウォーゲームに参加してからはこの服で隠していたし、仮に聞かれたとしても話すつもりはなかった」

「どう、して?」

 

 

 尋ねたドロシーの声が揺れる。だがアルヴィスはそれに気付かぬまま、苦笑に近い表情を作る。

 

 

「ウォーゲームに出るオレが、ファントムの呪いを受けていると知れたら、民衆達の不安を煽るだけだろう」

 

 

 膝の上に、手を戻した。

 

 

「必要でないことは、知らせなくていいと思ったんだ」

「……あんたはそうやって、他人の事ばかり考えてるのね」

 

 

 赤々と刻まれた文様から目を逸らすことなく、ドロシーは呟く。

 

 

「少しは我が儘になればいいのに」

「……十分我が儘さ」

 

 

 淡い月の光を受けながら、自嘲するような笑みをアルヴィスは返した。

 

「この世界の争いにギンタを巻き込んだのは、オレの我が儘だ」

「……巻き込んだ?」

 

 繰り返すと「違うのか?」と言いたげな瞳で、アルヴィスはドロシーに視線をやった。

 

 

「あいつは本当なら、戦うことなく平和に過ごしていたはずの人間だ。それをこちらの都合で勝手に喚びよせ、戦いを押し付けた。異世界の人間という、ただそれだけで」

 

 

 真っ白な月を見上げるも、自然と地面の影を追いながら、アルヴィスは淡々と続けた。 

 声にほんの少し、自責の念を匂わせて。

 話を聞いていたドロシーは、彼の指を掴む力をかすかに強くする。

 

 

「だから“巻き込んだ”って、そう思ってるの?」

「ああ」

「……バッカじゃないの?」

 

 

 吐き捨てるように返したドロシーに、アルヴィスは怪訝な面持ちになり彼女を見た。

 掴んでいた手を放し、背を向けてすっくとドロシーは立ち上がる。

 

 

「あの子がここに来たのは、この世界のことが好きだったからよ。幼い時から夢見ていた、この世界が大好きだったからよ」

 

 

 初めて出会った時、目に映る全てのものに瞳を輝かせていたギンタを思い出しながらドロシーは言った。

 眩しい満月に、無邪気に笑った彼の顔が重なる。

 

 

「アンタが喚んだのは、ただの切っ掛けに過ぎないわ」

 

 

 もしアルヴィスが喚ばなかったとしても、彼は自力で扉を開けていたかもしれない。

 そう思わせるほど、ギンタの異世界への憧れは強く、彼はここに来れたことに微塵の不安も抱いていなかった。

 

 

「……だからアンタは、責任を感じる必要なんかないのよ」

 

 

 間を置いた後、咎めるようだった語調は、一転して優しいものに変化した。

 やや気圧された体だったアルヴィスは、彼女のその言葉に、一旦、ゆっくりと眸(ひとみ)を閉じる。

 しかし再び目を開くと、月に照らされ、シルエットになった背中へ声をかけた。

 

 

「責任を感じる必要はないと…そう言ったな?」

「ええ」

「……だったら、君もだ」

「……え?」

 

 

 ドロシーが振り返る。振り返った弾みで、長い桃色の髪が揺れる。

 

 

「オレの呪い(これ)に責任を感じるのは……もう止めろ」

 

 

 満月の中にある顔が、強張った。

 

 

「これはオレ自身の選択の結果だ。誰かに背負わせるつもりは毛頭ない」

「でも……」

 

 

 言いかけようとした彼女に首を振り、アルヴィスはドロシーの瞳から目を外さず言った。

 

 

「誰が呪いを持ち出したかも関係ない。オレ自身の運命は、オレ自身の手で決着を付ける。それだけだ」

 

 

 淀みなく紡がれる声は、月光のように澄み切っていて揺るぎない。凛とした面差しは冷たすぎる印象すら抱かせる。

 しかしそこで、アルヴィスの表情がふっと崩れる。

 

 

「……だから君が気に病む必要なんか、どこにもないんだ。……そうだろう?」

 

 

 突き放すようでいて、あたたかな響きを持った言葉に、ドロシーは詰めていた息を吐く。

 冷えていた掌が暖まるような、穏やかな空気が流れた。

 だがあえて、気を抜いたら浮かびそうになる笑みを隠しドロシーは言う。

 

 

「……わかった。じゃあその代わり約束して」

「……何を?」

 

 彼女の普段の行いを警戒してか、アルヴィスの表情が渋いものになる。しかし気にする素振りも見せず、ドロシーは澄ました顔で後ろを向いた。

 

「次からタトゥが痛んだ時は………そうね。三回に一回くらいは私の所に来て」

「……ホーリーARMでもしてくれるのか?」

 

 ドロシーは首を振る。訝しげなアルヴィスの顔を横に見ながら、彼女は深い緑の目を薄く開けて答えた。

 

 

「傍に、いてあげる」

 

 

 アルヴィスが、目を、点にした。

 

 

「……勘違いしないで。アンタは一緒に戦う仲間だからよ。仲間なら、お互い気にかけるのは当然でしょ?」

「……そうだな」

 

 

 仲間だからな、とアルヴィスが繰り返す。それを聞いたドロシーは、服の裏地が見える勢いでまた彼に背を向ける。

 月明かりの下で見るまでもなく、その頬は赤い。しばしお互い黙りこくり、不思議な沈黙が降りた。

 

 

「……それに」

 

 

 幾らか頬の熱が治まったらしい。まだ虚を付かれたままのアルヴィスに、ドロシーが再度口を開く。

 

 

「一人では辛いことでも、誰かがいると案外楽になるものよ」

 

 

 柔らかい空気をはらんだ言の葉は、実感に似た確かな感触を伴っていた。

 それまでとは違う驚きに、アルヴィスはまた目を丸くしていたが、やがてゆるりと唇の端を上げる。

 

「……それは心強いな」

「……でしょう?」

 

 少し調子を取り戻したドロシーが首だけ振り返る。

 

 

「覚えておくよ」

 

 

 木々の小さな葉の影さえ、くっきりと照らし出す月光の中でもわかる彼女の得意げな瞳の輝きを見ながら、アルヴィスは微笑を返した。

 

 

「……しかし……今のは少し驚いた」

「え?」

「言葉だけ聞くと、まるで告白みたいだな」

「こっ……!」

 

 ドロシーの顔が、効果音が付きそうな勢いで赤くなる。

 

「さ、さっきも言ったけど、あれは……!」

「わかってるさ。仲間だから、だろ?」

 

 耳まで真っ赤に染まりそうなドロシーに、アルヴィスはくすりと笑いを零した。

 

「……その言い方、何だかムカつくんだけど」

「そうか? 気のせいだろう」

 

 ジト目で抗議してみるドロシーだが、アルヴィスはさらに可笑しそうに笑うだけだ。

 そのまま彼女は彼を睨みつけていたが、程なく自分も頬を緩める。

 口元を押さえて笑うアルヴィスの手には、ゾンビタトゥがまだ刻まれている。

 だが笑い合う二人の表情に、暗い影は浮かばなかった。

 数分前まではなかった確信を胸に感じながら。ドロシーは微笑んだまま、自分たちの頭上にある白い月を見上げた。

 

 

 

 

END

 

 

 

 

時間をかけすぎた6万企画リクエスト作品4作目です。お待たせしまして申し訳ありません…!(土下座)

 過去に書いたss「team」や宝石シリーズ「真珠:光る、涙」とシチュエーションが似ているので、今作はそれらとはまた違った雰囲気になるよう気を付けました。

「team」は明るめ、「真珠:光る、涙」はドシリアスなので、今回は切なさが根底にありつつも「何とかなる」、楽観的な空気が感じられるよう意識したつもりです。

…ちゃんとなっているでしょうか?(苦笑)少し心配です。

 

タイトルの「but…」は日本語で「そのかわり、」といったニュアンス。ドロシーの台詞からです。

戦争中の恋人ではないけれど、不思議な距離にある二人が好きです。愛称で呼ぶようになったのはやはり理由があるんでしょうか?色々想像するのが楽しいです。

 

こんなにもお待たせしてしまいましたが、この度匿名でリクエストして下さいました方、有り難うございました!

書き直しならいつでも承りますので、どうぞ遠慮なくご連絡下さい。

 

最後までご拝読下さり、有り難うございました!

 

2013.5.28