背中合わせで、寄り添って<後>
窓の外に、白み始めた空が見える。山際の間から差し込んだ太陽の光が眩しくて、アルヴィスはぼんやりと開けた目をすがめた。
アルヴィスが横たわっていたのは、レギンレイヴ城で割り当てられた部屋のベッドだった。
ゆっくりと身を起こすと、下腹部の辺りがズキンと痛む。反射的に抑えるが傷などはないようだ。気を失っている間に、ホーリーARMで治癒してもらったらしい。
「……ん……」
くぐもった声がして目を向けると、サイドテーブルに突っ伏していたドロシーがモゾモゾと動き出す。
年端もいかない子供のような仕草でまぶたを擦り、むくりと起き上がった彼女を驚かせないよう、アルヴィスは静かに声をかけた。
「……ドロシー?」
するとアルヴィスの姿を認めて、ドロシーの顔が覚醒する。
昨晩と同じ格好で、帽子も着けたまま、呆然とアルヴィスを見つめる。
その顔がほっとしたように綻んで、それからくしゃくしゃに歪んで、じわっと涙が溜まって。
あっ、とアルヴィスが焦る前に、泣き顔は一気に怒りの表情へと変わった。
「〜〜〜ばか!!!」
ベッドに身を乗り出し、アルヴィスの耳元でドロシーは思い切り怒声を飛ばした。キーンと反響する声に頭がくらくらする。
「刃物を持ったヤツの前に飛び出すなんて、あんた正気!? 普通ARM使うとかなんかするでしょう!!」
わめき立てるドロシーに吃驚した表情のまま固まっていたアルヴィスは、おずおずと声を絞り出す。
「……だが相手は子供だったし……」
「でもバカはバカ!! 平気なフリして見逃して、結局失血で気絶してんじゃない!!」
もっともな言葉で一喝され、アルヴィスは思わず首をすくめた。
だがその後、ふわりとどこか甘い香りが鼻を掠めた。
ドロシーのピンク色の髪が、アルヴィスの顔のすぐそばまで来ていた。
「……死んじゃうかもって、思ったんだから……!!」
思いがけないほど強い力で抱きしめられ、アルヴィスは目を丸くしたのち視線を細める。
「バカアルヴィス……」
ぎゅうぎゅうと遠慮なく込められる力に、治癒された傷が少し痛んだが、その行為を甘んじて受け入れながら、アルヴィスは彼女の肩をぽんぽんと叩いた。
「……心配かけてごめん」
「…………ううん、謝るのは私の方よ」
小声でしばらく彼への罵倒を続けていたドロシーだったが、顔をうずめていた肩から離すと真剣な表情で頭を下げた。
「ごめんなさい」
面を伏せたまま、ドロシーは言った。
「私は、一瞬逃げた」
泣きそうにも感じられる声だったが、涙は流さなかった。
「お姉ちゃんを殺すことから、逃げたの」
彼女の独白に、アルヴィスは黙って耳を傾ける。
「このまま死ねば楽になれるんだって、一瞬でも思っちゃった」
この世でただ一人、血を分けた姉を自らの手で殺す。その使命から解放されるのだと、一瞬でも思ってしまった。
精神に干渉するARMを使われていたとはいえ、そこには抗い難いほどの強い誘惑があった。
幼い頃にきつく蓋をした、彼女の本心が隠れていたから。
「……でもわかった。私が諦めたら、それでまた誰かが傷つくのよね。あんたが私を庇ったみたいに。……身内の不始末は身内で。それって、そういうことだから」
禁を犯した者を赤の他人が裁くことは、新たな恨みの引き金となる。
故に古くからカルデアは、罪人には第三者ではなく、血の繋がりを持った身内が手を下すべきであると説いてきた。
それが当事者達には、どれだけ酷なことであろうとも。
「この連鎖を終わらせなきゃいけない。私がお姉ちゃんを殺して、終わらせる。……もう迷わないわ」
両の瞳に涙を溜めたまま、気丈に微笑んだドロシーにアルヴィスは口を開いた。
「……迷ったっていいさ」
ドロシーの表情が固まる。
「たった一人の、家族なんだろう」
強張った肩が、小さく跳ねる。
「大事にしてあげろよ。思い出だけでも」
息を詰めて、引き結んだ口元が戦慄く。
「……どうして……」
俯くドロシーに対して、アルヴィスは穏やかな声音で答える。
「オレには、血の繋がった家族はいないから」
「ちがうの……どうして……そんな……」
やさしい言葉を、くれるの?
「だって、あんたは……」
ディアナがファントムに与えた呪いのせいで。
この六年間、人よりずっと辛い思いをしてきたのに。
声にできないドロシーの心情を読み取ったかのように、アルヴィスは静かに言葉を紡いだ。
「……オレの呪いも、君の姉さんのことも」
「君のせいじゃない」
唇が震えた。
言葉に、ならない。
後から後から、伝えるべき思いの代わりに、両目から涙が溢れていく。
「う……あああ……!」
咽喉の奥から、こらえきれない嗚咽を零しながら。
自分よりも背の低いアルヴィスの身体に、ドロシーは縋りついた。
「あああぁあああぁああ……っ!!!」
誰しもが言った。
仕方のないことなのだと。己の責務を果たせと。
誰しもが問うた。
家族を殺すのかと。情はないのかと。
でも、どうしようもなかった。
はじめから、選択肢なんかなかった。
どうすることもできないから、全部捨てようとしていた。
でも、誰も言ってくれなかった一言を、貴方が言ってくれた。
貴方だけが、覚えていていいのだと。
やさしい思い出を、捨てなくてもいいのだと言ってくれた。
(誰かのせいにしたいわけじゃなかった)
(でも、私のせいじゃないよ、って)
(ずっと、だれかに、言って欲しかった)
子供のように泣きじゃくるドロシーの背中を、ぎこちない仕草ながらもアルヴィスは撫で続ける。
なだめるように、何度も、何度も。
そしておもむろに片腕を持ち上げ、頭を撫でてあげた。
やがてゆっくりと顔を出した朝日が、すべて暖かいオレンジ色に変わり出した頃。すすり泣きだった声がようやく止んだ。
「……ありがとう、アル」
初めて彼女に言われた呼び名に、アルヴィスは内心驚いたが続きを待つ。
「こんな私を、守ってくれて」
指先で目元を拭う。その拍子に、ドロシ―の瞼に残っていた最後の涙の粒が落ちた。
「今度こそ、私は迷わない」
ドロシーは微笑んだ。強がりではない、自然な微笑だった。
「貴方は、私の責任じゃないって言ってくれるけど。でも……やっぱり背負わせて」
これは、私のけじめだから。両手でアルヴィスの手を取りながら、ドロシーは言った。
「貴方が要らないというなら、せめて半分だけでも背負わせて」
タトゥの伸びた手の甲へ、労わるように自身の両手を添える。
「そんな必要はない」と言おうとも思ったが、揺るぎない眼差しの強さに打たれ、アルヴィスは黙ったまま頷いた。
その返しに笑みを深めた後、ドロシーは、やや声の調子を変えて続ける。
「その代わり、じゃないけれど」
アルヴィスの握られた両の手に、キュッと力が込められた。
「たぶんこの先も、揺れちゃうと思うの。迷わないって決めたけど」
自分が思う以上に、己の本質は寂しがり屋で、弱いから。
一人で立つのが辛い、その時は。
「だから……」
アルヴィスの見つめる先で、ドロシーの瞳が、ためらうように揺らめいた。
「……だから、力を頂戴」
ほんのわずかの間、伏せた顔を上げて。
結わいた三つ編みを大きく揺らし、ドロシーはアルヴィスの顔へ唇を近づけた。
触れた温もりに驚嘆するアルヴィスだったが、抵抗することなく、静かにそれを受け入れた。
体温が通い合う。
目を瞑る彼女に倣うように、アルヴィスもまた、瞳を閉じる。
朝の柔らかな日差しの中、密やかに交わされた口付けは、まるで神聖な誓いのようでもあった。
END
→あとがき