背中合わせで、寄り添って<中>
「……アンタは人の所為にできるじゃない」
風を巻き起こしながら、ドロシーは呻くようにつぶやいたのちに叫んだ。
「私は、この手で殺さなきゃいけないのに!!!」
どうして、私の傍にいないの。なんて。
思ってしまっては駄目だ。
思えば心に隙ができる。隙ができれば、もう動けなくなる。
使命を果たすことが、できなくなる。
突風でほとんど掻き消えてしまったドロシーの叫びは、少年に向けたものではなかった。かといって、他の誰に向けたものでもなかった。
それはぶつける場所のない、彼女の嘆きだった。
一段と強い風を吹かせる彼女にアルヴィスが怪訝そうな顔を向けるが、それすらもドロシーの目には入らない。
頭の奥でとうの昔に封じたはずの、温かい記憶が甦る。
人形を作ってくれた姉。
ゼピュロスで一緒に空を飛んだ姉。
皆に尊敬されていた姉。
国一番の魔法使いだった姉。
優しくて、笑顔を絶やさなかった姉。
——————私はあの女の、唯一の血縁。
宮殿の暗い部屋。長老が冷たく問う。
“ドロシー、ディアナを殺せるか?”
“はい、殺します”
「うあぁあああああ!!!!!」
愛おしい思い出を振り払うように、大きくゼピュロスを薙いだドロシーは風を止めると、使い慣れたガーディアンを呼び出した。
「ガーディアンARM!! フライングレオ!!!」
知らず浮かんだ涙を宙に飛ばしながら、手を振り上げる。目の前にいる姉の幻影に向かって。
現れた白い幻獣が、体当たりでポーン兵を薙ぎ倒す。しかしそれすらも、今の彼女には慰めにならなかった。
低レベルのARMだというのに、極端に魔力を消耗し、息を切らしながら立ち尽くす。
「!! ドロシー!!!」
アルヴィスの鋭い声に、ドロシーは視線を正面へと戻した。
小振りのダガーナイフを手にした少年が、すぐ近くまで迫ってきていた。
「兄さんの仇だ! 死ね!! 魔女!!!」
ガーディアンを発動している今は動けない。
ARMを戻したとしても、この近距離では……避け切れない。
普通ならば、咄嗟に防御の構えをしようとするところだが、なぜかドロシーは動こうとしなかった。
感情の抜け落ちた表情で、迫りくるダガーの切っ先を見つめるだけだった。
状況に気付いたアルヴィスは舌打ちをし、向かい合っていた相手を倒すとすぐさま走り出す。
少年のダガーが、闇夜の中振りかぶられる。
「……お姉ちゃん……」
殺さなきゃいけないなら、殺される方がいい。
次に来るであろう衝撃を受け入れ、ドロシーは静かに目を瞑った。
最後の視界で銀色がきらめいたその瞬間、少年の前に、細い影が飛び出した。
閉じた瞳を、反射的にドロシーは見開く。
刃物が肉に突き刺さる、嫌な音がした。
「な……」
「え……?」
呆然とした声を上げる少年とドロシーの前には、毅然とした眼差しのアルヴィスが立っていた。
ナイフの刺さった下腹部からは、血が滴り落ちている。
少年の手が、アルヴィスの体から流れ出た赤に濡れていく。
「な、んで……」
「くうっ……」
アルヴィスはぎりぎりと歯を食いしばり、力が上手く入らない腕を伸ばし少年の手へと触れる。
「あ……」
固まっている小さな手を少しずつ動かし、ナイフを引き抜いていく。最後に手首をぐっと回転させると、彼の手の甲を手刀で叩いた。
アルヴィスの血に染まったナイフが、少年の手から滑り落ちて涼やかな音を立てる。
鮮血の滴る掌は、震えていた。
「……13、トーテムポール!!」
傷を押さえながら残った力を振り絞り、アルヴィスはガーディアンを発動させ、近くの草むらに潜んでいたチェスを吹き飛ばした。
低い苦悶の声とともに、最後の一人が倒れこむ。痛みによろめいた身体を立て直して、アルヴィスは近くの地面に転がっていたものを拾い上げた。
「幻覚を見せるARMだな……タチの悪いものを……」
手に魔力を集中させて壊す。すでにARMの効果は途切れていたが、ドロシーは己にまとわりついていたもやが晴れたような感覚を覚えた。
いつになく動揺したのも、隙を作ってしまったのも。陰から使われていたARMの影響で、精神をひどく乱されていたためだったのだ。
「あ……アルヴィス……」
いつもなら絶対に見せない、弱い顔で自分を見つめるドロシーにアルヴィスは苦笑する。泣き出しそうな幼子を相手にするような、優しいものだった。
同じように動揺したまま、自分を見つめている少年にアルヴィスは近寄った。
「……あ……」
「……怖いか」
「あ……あ……」
「これが、人を傷付けるということだ」
声も出ない少年の前に立つアルヴィスの身体からは、血がまだ滴っていた。
ぽたり、ぽたりと地面に落ちる血の音が、アルヴィスの言葉とともに実感を伴って少年の耳に届く。
「人を傷付けることは、同時に自分自身の心をも傷付ける。……当然だ。本来人は、人を傷付けるようには生まれてはいないからな。たとえ訓練された兵士でも、少なからず痛みが伴うものだ」
アルヴィスの真っ直ぐな青い瞳が、夜の深い闇を映しつつ少年を射抜く。
「だから人を殺したければ、それ以上の覚悟が必要だ」
少年は己の掌を上に向けた。乾いていない血で濡れた手は、震えがまだ止まらなかった。
……食い込んだ肉の感触が、まだ残っている。
「オレもドロシーも、相手はちがうが人を殺す覚悟がある。その上でウォーゲームに参加した。……きっと、君のお兄さんも同じだった。君を守るために、自分の手を汚すことを選んだんだろう。……ほかの全ての人に、恨まれる覚悟で」
誰かの命を奪えば、誰かに憎まれる。
己だけでなく、他人の命をも背負う覚悟。業を担う決意。
それでも止まらずに、進み続ける意志。
「君はその重さを、背負うことができるか?」
「あ……あ……」
アルヴィスの言葉を聞いていた少年が、ガクンとその場にへたり込む。
刺々しかったオーラは掻き消えたそこには、年相応の、幼い少年の姿があった。
「……ごめん……なさい」
かすかな声が聞こえた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
正気に戻り、ただひたすらに謝罪を繰り返す少年を、アルヴィスとドロシーは見下ろす。
彼の傍らへかがみ込み、アルヴィスは静かな微笑を浮かべる。
「……今日のことは忘れるんだ。まだ誰も死んでいない。今なら君は戻れる」
穏やかな様子で語りかけるアルヴィスに対し、顔を上げた少年は声にならない声で「でも」と言い募る。アルヴィスは痛みを堪えながら、気丈に笑いかけた。
「オレなら平気だよ。このくらい、ホーリーARMを使えばすぐ治る」
迷った様子を見せた挙句、立ち上がった少年はもう一度「ごめんなさい」と言った。それに頷き、アルヴィスは早く行けと言うようにひらりと手を振る。
少年がドロシーとアルヴィスを見比べる。目が合ってドキリとしたドロシーに、少年は頭を下げた。
「……待って」
走り去ろうとする彼を呼び止めたドロシーは、戸惑う少年を他所に地面に落ちているダガーを拾う。
ナイフの血を自身の手袋で拭き取ったあと、立ち尽くす少年に歩み寄り、その手に返した。
「……無駄死にするんじゃないよ、あんたは」
暗に、自分たちと同じところへは来るなと。そう告げる言葉に、少年は顔をくしゃりと歪ませた。
兄の形見であったナイフを腕に抱えると、二人を気にしながらも、少年は小走りで走り去っていった。
その小さな後ろ姿を、ドロシーは黙って見送った。
……一瞬だけ、幼い頃の自分を見た気がした。届かない背中を、追い続けていた誰か。
同じく去っていく少年を眺めていたアルヴィスが、そばの木に身体をもたせかけつつ皮肉るような口調で言った。
「……らしくないぞ、ドロシー」
「……悪かったわね」
「まったくだ。あの程度の魔力の気配に、気付かない、なんて……」
途切れ途切れの声にはっと目を向けると、アルヴィスの身体がだんだんと傾いでいく。
ずるりと滑る音がして、背を預けていた幹から後ろへと倒れ込むアルヴィスにドロシーは血相を変えて駆け寄った。
「アルヴィス!!」
体を抱え起こすと指に濡れた感触がして、ドロシーが自分の手を見ると血がべっとりと付いている。
強がっていた言葉とは裏腹に、意識をなくしたアルヴィスの顔は青白い。
「アルヴィス! しっかりしなさい!!」
気を失っている彼に呼びかけながら、ドロシーはすばやく傷を確認する。
(……大丈夫、急所は外れてる。傷自体は深いけど出血はおさまりつつあるし、さっきコイツ自身が言ってたみたいに、ホーリーで傷を塞いで安定させれば何とかなる)
幸いドロシーは、いくつかホーリーARMを所持していた。
それに城に戻ればギンタやスノウもいる。
でも。でも。
(もしこのまま目が覚めなかったら、どうしよう)
不安な気持ちが沸き起こる。先ほどまで使われていた精神に干渉するARMの名残りか、動揺からなかなか抜け切れない。
ドロシーは首をぶんぶんと勢いよく横に振ると、己を叱咤する。
(……考える前に動け!! 私のせいなんだから!!)
「……絶対、死なせないから」
祈るような気持ちで数秒、アルヴィスの細い体をかき抱くと、ドロシーはすぐさまジッパーを発動して中を探った。
→後編