正義と破滅のアンチノミー

 

 

 

 今にして思えば、それは胸騒ぎに近いものだった。

 

 夜半過ぎに目を覚ましたナナシは、就寝中の同室のチームメイトの中に彼がいないことに気付いた。部屋の一番手前、壁際にあるベッドに近付き、丁寧に整えられた寝具に触る。

 掛け布団を蹴飛ばして寝ているギンタたちと対照的なそれは、まだ暖かい。トイレか何かかと考え、再び眠りにつこうとするが、何故か彼の行方が気になった。

 気配を消して部屋のドアを開けてみると、廊下の奥を彼が曲がったのが見えた。

 あそこは階段だ。階下に何の用事があるのだろうか。

 ナナシは彼を追いかけた。

 深夜であることもあり、城内は静まり返っている。今夜は月が出ておらず、星の弱い光だけが城の中を照らしていた。

 音を立てずに、けれども早足で、ナナシは彼を追った。気取られぬように、しかし見失わないように。

 何故だか、行かねばという予感がしていた。

 城を出た彼は、裏手から少し外れた林に入っていく。距離を保ちつつ、ナナシも草叢(くさむら)の中に踏み入る。

 やや先へ行った木の陰で、彼は耳元に手を当てて何者かに喋りかけていた。

 

 

「……明日の試合に出るのはギンタ、ジャック。それとナナシ。人数にもよるが多分ドロシーもだ」

 

 

 近くにほかの人間はいない。通信用のARMか。だがそれよりナナシは彼の会話内容に目を剥いた。

 動揺が出てしまったのか。身体が草に触れ、葉が擦れる音がしてしまった。

 その微かな音に、すぐさま通信を切った彼が振り返った。

 

 

「アルちゃん……いや“アルヴィス”。君は……」

 

 

 星明かりが照らし出した顔は、ナナシと同じように驚愕に強張っていた。

 

 

「チェス……やったんか」

「…………ナナシ」

 

 

 アルヴィスはしばし刮目していたが、徐々にその表情は落ち着いていった。

 その変化を見てナナシは、彼が本当にあちら側の人間であることを悟った。

 

 

「……何でや」

 

 

 声を、喉から絞り出すようにして問い質す。

 

 

「よりによって、何で君やねん!?」

 

 

 裏切られた怒りと憤りを腹に溜めた後、ナナシはやや早口で思いを述べる。

 

「……そりゃあ、もしかしたらスパイがいるかもしれんとは思っとった。ウォーゲームでスノウちゃんやジャックに対して、何故か相性の良い奴らばかり出てたからの。けど自分らの中にいるとは思わんかった!」

 

 それに…

 

 

「……思いたく……なかった」

 

 

 己の言葉が、自分の思う以上に切ない響きを持って反響する。

 

 

「…………自分らの前で言ったこと。あれは皆嘘やったんかいな」

 

 

 今見た現実を否定するかのように、強かった語気は最後には勢いをなくしていった。

 ナナシの問いを受け、アルヴィスは服を捲り、自分の腕を見せる。

 そこには以前にも見た、禍々しい文様が刻まれている。細い腕を這い、絡みつく蔦のように、それは彼の手の甲にまで模様を延ばしている。

 厳しい眼でアルヴィスは答えた。

 

 

「……オレがファントムに、ゾンビタトゥをいれられているのは本当だ」

 

 

 袖を戻し、アルヴィスは腕を下ろす。

 

 

「チェスが何の罪もない人々を殺して、メルへヴンを支配しようとするのを何とかしたくて、クロスガードに入ったのも本当だ」

「せやったら何で……!!」

 

 アルヴィスは地に落としていた視線を上げ、ナナシを睨んだ。その視線の苛烈さに、不覚にもナナシは怯んでしまった。

 同時にその眼差しに見える感情に、ナナシは心当たりがあった。

 これは……今の自分が抱くものよりもずっと強く、深い……

 

 

「………オレはこの世界が嫌いだ」

 

 

 ────裏切られた者の瞳だ。

 

 

「ダンナさんを殺した、この世界が嫌いだ」

 

 

 メルヘヴンが好きか? と聞いたその口で、

 世界が嫌いだと、彼はそう語った。

 

 

 ダンナ。かつてメルヘヴンの救世主と呼ばれた男。

 ナナシが名前でしか知らないその人物は、アルヴィスが父の様に慕っていたという、クロスガードのリーダーだった人間だ。

 

「……それが理由か?」

「…………」

 

 アルヴィスは答えない。

 

「けど、ダンナって人を殺したんはファントムやろ? 何でそいつが率いとるチェスに入る必要があんのや」

「アランさんは、……何の関係もないダンナさんを喚んで、世界を救う責務を押しつけた」

 

 日頃敬愛する男を侮蔑するような言葉を述べるアルヴィスだが、それはどこか苦みばしった表情だ。

 しかしそれでも、抑えきれない激情を絞り出すように、言葉を切りながらアルヴィスは続けた。

 

 

「ダンナさんに責任を負わせた。ダンナさんを、この世界に縛り付けた」

 

 

 愁眉に苦渋が刻まれる。吐き捨てるようにして、彼は言い放った。

 

 

「この世界が、ダンナさんを殺したんだ」

 

 

 アルヴィスの声には哀しみと、看過できない怒りが滲んでいた。

 

 

「……前回の戦争が終わった後、チェスを恐れ、戦いから逃げ出した者は大勢いる。それどころか、中にはチェスに寝返った人間すらいる。……今のクロスガードを見ろ。いるのは仮初めの平和に浸かりきり、ウォーゲームの参加資格すら得られないほど弱くなった者ばかりだ」

 

 

 そこにかつて少年が誇りとしていた、英雄たちの姿はもうない。

 気概のあった僅かな者たちは、前回の戦争時に無残にも命を散らしていった。

 

 

「そして力のない他の大勢の人間は、自分の身かわいさに、遠くからウォーゲームを観戦して文句や野次を飛ばすだけで何もしない。……人間なんて皆そうだ」

 

 

 『観戦』。皮肉な言葉だ。世界の命運をかけた戦いが、まるで酒場の賭け試合のように扱われている現実。そこには、ナナシも皮肉を感じないわけではない。

 

 

「まだ未熟なジャックやスノウが試合に負ければ怒り、自分たちは安全なところから見ているだけ。それに身勝手さを感じないと?」

 

 

 十字の紋章を縫い付けた服の袖を、アルヴィスはきつく掴んだ。

 その仕草を見たナナシの胸中に、彼の心情を否定する気持ちは湧いてこなかった。

 背の低い、幼さの残る顔(かんばせ)を見つめる。

 

 

「……でもな、アルちゃん」

 

 

 だからこそ、ナナシは尋ねる。

 

 

「自分には、アルちゃんが人々にそうさせた世界を……チェスを、憎んでいるように見えるわ」

 

 

 そう。今理不尽に対して憤りを示す彼は、ナナシが知っていた彼と変わらない。

 不器用で、実直な戦士の姿だ。

 彼に向かって、ナナシは一歩距離を詰める。

 

 

「信じてたんやろ?」

 

 

 世界を。人間を。

 

 

「信じてたから、辛いんやないか?」

 

 

 ナナシの言葉に、アルヴィスの青い瞳が微かに歪んだ気がした。

 

 

「…………なあ、君は本当は、チェスなんかに手を貸したくなんかしたくないんと違うか? スパイをしとるのも脅されてるとかで……例えば、ベルちゃんを人質に取られてるからとか……」

「今だって」

 

 アルヴィスの反応に、ナナシは力を得たように立て続けに聞くが、彼は強い口調でナナシの台詞を遮った。

 

 

「人々は、ダンナさんの息子であるギンタに。異世界の、まだ十四歳の子供に、この世界(メルへヴン)の命運を押しつけている」

 

 

 アルヴィスは再度目付きを鋭くし、ナナシを見据える。

 

 

「この世界と何の関わりもないアイツに、人殺しをさせている。これを身勝手と言わないで、何と言うんだ」

「……何の関わりも無いとちゃうで」

 

 

 アルヴィスの問いかけを、ナナシはやんわりと否定した。

 かつてヴェストリでギンタが語った言葉が、ナナシの脳裏に甦る。

 

 

 『オレはあの人達を助けて、あの時の小雪の様になりたい!』

 

 

 向かい合う互いの表情を、判断するのが精一杯の薄闇の下。

 ともすれば暗い方向に沈んでしまいそうな思考の中で、それは希望を放っていた。

 

 

「あいつはホンマにこの世界を守りたいと思っとる。大好きな世界を守りたいってな」

「……子供の、甘い戯れ言だ」

「“好き”っていうのは、戦う理由にならへんのか?」

 

 

 少し自分の調子を取り戻したナナシは、にっと笑ってみせる。

 その笑みからアルヴィスは、目を逸らした。見るからに苦悩した、居たたまれなさそうな表情で。

 片手を反対の腕まで持ってきて、肘の辺りを掴む。痛みをこらえるようなその動作から、ナナシは彼の消せ切れない、この世界への想いを感じ取った。

 

「……ギンタにとって、この世界は夢なんやて」

 

 

 ナナシはアルヴィスへ注いでいた視線を外し、頭上へ顔を向ける。

 見えないけれど、そこにある筈の月を見上げる。

 そして裏切った者ではなく、親しい仲間へ向ける瞳で語りかけた。

 

 

「君だって、そう思ってたんと違うか?」

 

 

 決定打だった。静謐な夜の大気が、否定も肯定もせず周囲を流れていた。

 アルヴィスが口を開く。

 息だけを吐いていた唇が、やがて悲しい笑みを象った。

 

 

「…………そうだよ」

 

 

 ナナシの目の前には、今も世界を愛する、かつて夢見た少年がいた。

 

 

「だから今度こそ、ギンタにチェスを討たせる。オレがそうさせる」

「……え?」

 

 

 静かな彼の言葉に、ナナシの頭は思考を忘れる。

 

「…………ちょお待って」

 

 理性が理解を拒否する。

 

 

「今、君何て言った?」

 

 

 嫌な予感に、ナナシはアルヴィスの顔を二度見した。

 

 

「…………いくら世界が安定しようとも、人の負の感情というものは抑えようがない。平和な世界であっても、際限なく湧き出てくるものだ」

 

 

 雲が動き、星の光を遮り足元を暗くする。アルヴィスの顔に陰がかかる。

 

 

「今、メルヘヴンの人々の憎悪はチェスに向けられている。憎しみの象徴であるチェスが討たれれば、人々の負の感情は『戦争の勝利』という形に昇華される。……数十年とまではいかないだろうが、少なくとも数年間は世界に安寧が訪れる。一時しのぎにしか過ぎないだろうが、な」

 

 

 諦観が混じった口調ながら、アルヴィスの表情は柔らかいものだった。

 対してナナシの顔は、確信にどんどん強張っていく。

 

 

「アルちゃん………君は、もしかして」

 

「そのためにギンタを?」

 

 アルヴィスは答えなかった。だがその沈黙と青い瞳は、是を示していた。

 ナナシの胸中にいくつもの感情がわき起こる。口がなにかを言いかけたが、言葉にまではならなかった。

 理解した現実が、もどかしい想いとなって背中からつま先まで満たす。

 乾いた問いが喉から出た。

 

「…………平和になった世界に、自分も生きたいと思わんの?」

「オレには救いを得る資格も、権利もない」

「せやけど自分らは君を……」

 

 助けたいのだと。

 声に出せなかった言葉を悟ったかのように、アルヴィスは微笑んだ。

 哀しいほど、綺麗な笑みだった。

 

 

「……オレじゃないとダメなんだ」

 

 

 アルヴィスは手のタトゥに触れた。

 

 

「あいつは……ファントムは、オレがいないとダメなんだ」

 

 

 ナナシは今度こそ言葉を失った。

 人間を捨てた身でありながらも、人との繋がりを求めた愚かしい男を、見捨てられない。

 その優しさ故、彼は破滅の道をいくというのか。

 

 

「お前は……お前たちは、オレがいなくても生きていけるだろう?」

 

 

 ちがう、ちがう、そんなことはない。

 

 

「でも、あいつにはオレしかいないんだ」

 

 

 そうかもしれない。だけど、

 

 

「だからオレは……」

 

 

 その時、物音がした。誰かが近くまで来ているようだ。気付いたアルヴィスは、ズボンの右のポケットからアンダータを取り出した。

 

 

「ギンタに伝えておいてくれ。理由(わけ)を知りたいならウォーゲームに出ろと。勝ち続けて、裏切ったオレを殺しにこいと」

「アルちゃん!! 待ちや!」

 

 

 手が行き着く前に、魔力を瞬時に練り込み、彼はナナシの前から消えた。

 

 

「アルちゃん……アルヴィス!!」

 

 

 届く相手のない呼びかけが、漆黒に染まる夜空にむなしく木霊した。

 

 

『頼む、な』

 

 

 最後に聞こえた言の葉を握り締めるように、ナナシは拳を握る。

 次に会う時、彼の耳元にはチェスのピアスが光っているのだろうか。

 地面を照らすわずかな星芒は、答えをくれはしなかった。

 

 

 

 

 

 …………終わってしまった。

 かりそめの時間に別れを告げ、アルヴィスは髪で隠れていたピアスホールに、憎むべき陣営のシンボルを付ける。耳に下げたそれは思いのほか冷たく、重い。

 目の前にそびえ立つのは、先程まで共にいた彼らが目指していた敵の本陣、レスターヴァ城。宙に浮かぶ城の入り口は、絶えず横殴りの風が吹いていた。

 勝手知ったるその場所に、躊躇なく入る。

 

 

「おかえり」

 

 

 銀糸の髪の青年が、親しげな笑みを浮かべながら彼を出迎えた。

 

 

「待ってたよ、アルヴィス君」

 

 

 ────すまない、皆。

 

 

「さぁ、次の準備をしようか」

 

 

 ファントムに誘(いざな)われ、アルヴィスは城のさらに奥の部屋へと進む。

 闇が口を開くそこへ、自ら足を踏み込む。

 

 

 

 ────オレを許すな。そして憎め、ギンタ。

 

 

 

 

 その誓いが───世界を救う日が、必ず来る。

 

 

 

 

 

END

 

 

 

 

 

一度書いてみたかったアルヴィス内通者設定。大筋を思い付いたのはかなり前です。

アルヴィスファンなら、一度は妄想したことある設定ではないでしょうか…。

六年前からの変化も考えると色んな理由が妄想できますが、私の中ではこんな形に落ち着きました。

ファントムとアルヴィスの関係は、クラヴィーア編での描写を参考にしました。

アルヴィスとの会話からナナシが推し量れる程度なので、さらりとした描写です。

 

タイトルのアンチノミーは「二律背反」から。仲間を裏切る、けれど根底にはだれにも譲れない世界への愛と人への情がある彼を表す言葉として選びました。

なお文中の「憎しみを一つの対象に集中させる」というアイデアは、既に先駆者様もやられていたように記憶しています。コー●ギ●スでもありましたし。

ネタが被ったことに模倣などの意図は決してないのですが、違うものとして少しでも楽しめるものになっていることを願います。

 

ご拝読下さり、有り難うございました。

 

 

 

2016.10.31