アルヴィスの七日間の休暇 3
次の日を一日移動に費やして、休暇の三日目にアルヴィスが向かったのは、パヅリカよりも遥かに大きなある島だった。
メルヘヴンの地図の端。主に三つの島で構成された、世界の東方に位置する魔法の国。
以前も訪れた、身の丈よりはるかに大きい重厚な門の前に立つ。
アルヴィスの姿を認めて、暇そうな顔をしていた門番の表情がみるみるうちに変わる。
「……もしかして、あなた様は……」
「お久しぶりです。ドロシーに取り次いでくれますか?」
かつてお弁当を魔物に盗られた門番が、反対側に立つもう一人と顔を見合わせる。
「しょ、少々お待ちください!」
ビシッと姿勢を正し、すぐさま連絡用のARMで通信を飛ばす。隣の彼は宮殿にまで連絡をしている。
「そんなにかしこまらなくてもいいんだが……」
慌てふためいて手続きをする様子に、アルヴィスは苦笑を漏らした。
「まさかアンタがここに来てくれるなんてね」
アンダータで門まで出迎えに来たドロシーは、意外そうに言いながらも嬉しそうな様子だ。
「ベルはお留守番なの?」
「ああ。彼女にも自由に過ごしてほしかったしな」
「へぇ。アンタたちが一緒じゃないのって、なんだか不思議ね」
以前訪れた時は観光どころではなかったこともあって、ドロシーは改めてアルヴィスにカルデアの街を案内する。
広場へと連れ立って歩く二人を、住人たちがどことなく見ている。中には好奇心を抑えきれずに、話しかけてくる者も多かった。
あの時はありがとう。ウォーゲームお疲れ様でした。あなたかっこいいね、本当に!
「……悪いわね」
「いや、いいさ」
幼子が建物の影から頭を出してこちらを覗く様子に、アルヴィスは微笑ましそうな目を向ける。
「ねぇドロシー、あとでアルヴィスさんと一緒におうちに来てよー」
「いいわよ。待っててね」
一人の子供の言葉に、ドロシーは笑顔で愛想よく手を振る。一緒にいるアルヴィスの了解を取らないところが彼女らしい。
無論反対する気はないのだが、アルヴィスはじっと彼女を見つめてみる。
その視線にドロシーは「バレた?」と悪戯っぽく笑い、ぺろっと舌を出してみせた。
そんな慣れたやりとりをした後、ドロシーはアルヴィスをカルデアの街にある隠れ家じみたARMショップへ連れていった。
常連らしいドロシーと何度か会話をした店主は、気を利かせてくれたのか席を外した。
日差しが窓ガラスに反射して、明かりを点けずとも店内は明るい。小さな店の中で、彼女に聞かれるままアルヴィスは己の近況を話した。
「ドロシーは今何をしているんだ?」
「残りのARMを集めてるわ。時々ここに里帰りしながらね」
「……まだ全部ではないのか」
アルヴィスが少し驚くと、ドロシーは苦笑に似た表情を浮かべた。
「何せ、ばらまかれたARMの数が多いからね。それにカルデアは元々ARMの輸出で成り立っていた国でもあるから、それらの品と混ざっちゃって。なかなか回収が進まないのよ」
集めた物をリストと照らし合わせたり、事務的なことも多くてね、と続ける。
もう、ただ闇雲に集めれば良いという段階ではないという。
しかし途中で愚痴めいた口調を消し、微笑んだ彼女は穏やかな口調で述べる。
「でもね、イフィーの口添えのお陰で、ほかの魔女や魔法使いたちもARMの回収に取り組むことを大ジジ様が認めてくださったの。だから全部とはいかないけど、近年中におおかたは回収できると思うわ」
ディアナの罪は、ドロシーだけが負うべき義務ではない。人々の負の感情を収めたオーブがある以上、いつかは起こり得た事態ではなかっただろうか。
メルヘヴンを管理するものとして、カルデア全体で取り組むべきではないか。そんなことを、イフィーは語ってくれたという。
「……そうか。良かったな」
「うん」
いずれ、彼女が務めから解放される日も近いだろう。
強大な力は、人を外れた道へと誘う。それを懸念するのは当然のことだ。故にARMの発祥地であるカルデアはメルヘヴンの管理者という側面を持っており、厳しい掟も存在するのも道理である。
だがそれらの掟は今を、未来を生きていく人々のために在るもの。人々を縛るだけのものではあってはならない。
……彼女やイフィー達がいれば、この国は良い方向に進んでいくだろう。
そんなことをしんみりと考えていたアルヴィスに向かい、ドロシーは不意に三つ編みを揺らして彼の顔を覗き込んだ。
「……言ってなかったケド、アンタのそれもカルデア出身なのよ」
「え? どれだ?」
「それよ、それ」
ドロシーの細い指が、アルヴィスの腰の13トーテムポールチェーンを指差す。
驚いたアルヴィスは反射的にそれを見下ろし、ゆっくりと首を元に戻して尋ねる。どこか気まずげに。
「……返した方が、いいのか?」
「あはは! 持ち主がいるなら取りはしないわよ。それじゃただの泥棒じゃない」
声をあげて笑う彼女だが、過去それに近いことをやっていたはずでは……とアルヴィスは思った。だが黙っていた。
「大ジジ様も『ARMが人々の生活に馴染んでいるならば、無理に回収することはない』と仰ってたし。……私は一つでも多く取り戻すことに、こだわってたんだけどね」
過去を思い出したのか、ドロシーは気まずそうに指をいじりながら続けた。
「手段を選んでる余裕なんて、ないって思ってたし」
それはおそらく、務めを果たさねばという彼女の義務感からも来ていたのだろう。
アルヴィスの見る横顔に、寂しげな少女の面影が混ざる。だが神妙な顔つきになった彼に気づいたのか、彼女はパッと表情を明るくしてみせた。
「まぁ、ARMハントは元々好きだったから、そうイヤなことばかりじゃなかったけどね」
「……そうか」
言葉を選びかねたアルヴィスは、強がりに対し無難に相槌を打った。
その後、自分にできる精一杯のいたわりを込めて言う。
「…………大変だったな」
するとドロシーは、長い睫毛の奥の目を見開き、数度瞬きをした。
虚を突かれたその表情に、アルヴィスは彼女の素顔を見た気がした。
「…………うん」
しばらく黙った後、空気の流れに紛れるような小さな声で、ドロシーは頷く。
それから時折ポツポツと零される彼女の言葉を、アルヴィスはほかに誰もいないその部屋で、ただ聞いていた。
主人に礼を言い、店を出た二人は街の西にある高台にまで登る。
東の方を眺めると、今ではすっかりシンボルと化したアースジャグラーが見えた。
足を止めたドロシーは、見慣れたカルデアの家々を見下ろす。吹き付ける風に、前髪がおどる。
「……不思議よね。時間の長さで考えたら、あの頃ってとても短かったのに。まるですごく長い間、皆と一緒にいたような気がするの。……なんでかしら?」
隣に並んで、アルヴィスもかつて仲間たちと眺めた景色を見つめた。
「……それだけ、大事な時間だったんじゃないか?」
数瞬ののち、言葉が付け足された。
「オレたちにとって」
ドロシーはアルヴィスを向き、満足したような表情で微笑む。
「そうね」
同じ感慨に、二人は目を細めて暫しのあいだ浸った。
「はい、これ」
別れ際、手の平に落とされたARMをアルヴィスは確認する。指輪型のよく知る物だ。
「……アンダータ?」
「そ! 次はあの女たらしがいる砦に行くんでしょ? 私のやつ、貸してあげる!」
お見通しとばかりに得意げに言うと、ドロシーはウィンクしながら念押しした。
「返しに来るの、忘れないでよ」
次の約束の意味も込めて。
「……ああ」
意図をしっかりと汲み取ったアルヴィスは微笑すると、無くさないように指輪を入れ替え、アンダータを指に通す。
瞬間的に魔力を高め、発動させる。ディメンションの白い光が身を包む。
移動する間際、振り返ったアルヴィスが最後に見たのは、笑顔で見送る彼女だった。