感情フルリール
三月十四日の昼近く。昨晩帰りの遅かったクラピカは浅い眠りの後、地下の仕事場のソファで目覚めた。
シャワーを浴び、再びワイシャツに袖を通すと、服のボタンを留めながらパソコンを立ち上げる。
朝食代わりの携帯食料を口にしながら、組の仕事専用のメールアカウントを確認する。
新着メールは数件。メールには、懇意の業者から手配していた荷物が予定通り発送され、今朝無事に到着したことが記されていた。
バレンタインデーの贈り物の中身を、クラピカは知り合いのもの以外は、結局一つも口にすることはなかった。
しかしリストにした贈り主の女性たちに、礼状とお返しを贈るという礼儀は欠かさない。
丁寧に、しかし余計な意図は感じられぬように。年頃の女性が好みそうな品をピックアップし、部下に手配させた。
十二支んの業務もこなしながら、組の評判が落ちぬよう、しっかりと用意させたその手際に、側近の男は抜け目ないものだなと感心していた。
なおファミリーのボスであるネオンには、クラピカを含む比較的近しい立場の護衛と侍女の数人が、それぞれ思い思いの品をお返しに贈った。
一応物は被らないように、事前に品を示し合わせてはいる。
クラピカは、彼女のお気に入りブランドの新作菓子とぬいぐるみを贈った。
多忙なので直接渡すことはできなかったが、先ほど来ていた彼女の護衛担当からのメールによると「今日は朝からご機嫌です」とのこと。クラピカからのお返しも、気に入っていた様子だったらしい。
バレンタインデーの事といい、彼女も最近では人体収集癖も鳴りをひそめ、普通の少女らしい面が出てきたな、とクラピカはうっすらと思う。このまま落ち着いてくれたらいいのだが。
……そんなクラピカの考えとは裏腹に、彼女は先日、心臓の形をした何とも言えぬデザインのワイングラスを購入したりもしているのだが、それはまた別の話で語ることとする。
ファミリーの抱える案件について、側近である部下の男と打ち合わせをしたあと、クラピカはパソコンの電源を落とす。
寝不足で酷使していた目を抑えながら身体を伸ばす。
部下が気を利かせて出ていこうとしたところで、遠い喧騒が耳に入ってきた。
なにやら、上がざわついている。
「……何だ?」
天井越しに階上を見上げていると、組員が数人降りてきたらしい。階段からまばらな足音がした。
程なく部屋にノックが響く。返事をすると、少し慌てた様子で組員が入ってきた。
「あ、あの、ボス!」
「何だ、騒々しい」
「す、すんません! それが……表にボス宛てのプレゼントが届いてるんスけど……」
「ならば中に入れておけ。それで済む話だろう」
「いや、それがその……」
「……?」
歯切れの悪い様子で、組員はどう説明したものかといった顔をする。
部下と顔を見合わせ、クラピカは椅子から腰を上げた。
クラピカを追って、部下の男は外に出る。
表では、集まった組員たちがざわついていた。その間を抜けると、建物の前に立ったクラピカが絶句している気配がした。
彼の目線を追って、部下の男も思わず唖然とした。
繁華街の片隅に位置する路地裏。表側にあるバー兼ノストラードファミリーの事務所の一つ。
その前に、巨大な花カゴがあった。
開店前のひっそりとした佇まいには不釣り合いなほどに、華やかな色合い。ピンクや紫が基調の花束の中に、指し色として白が添えられ、全体としては非常にバランスが整えられている。が、問題はその大きさだ。
ドアよりも大きいそれは、パーティ会場でもそうそう見たことがない。
まるで企業か何かの開店祝いか? と思うほど。しかしこの辺りの通りでよく見かける、パチンコ屋の開店祝いのような下品さはない。
中心にある立て札に似た、これまた大きなメッセージカードには、でかでかとハンター文字で『クラピカ様』と書いてあった。
「……派手だな」と、部下は場違いの感想をこぼした。
ほかの部下たちが騒然としている横で、クラピカは舌打ちをしそうな勢いで呟く。
「あのバカ……っ!!」
おい、今ボス「バカ」って言ったか?
言った。何かすげぇ怒ってんな。
ひそひそと囁き合う下っ端たちには構わず、クラピカはポケットから苛立たしげに携帯を取り出した。
リダイヤルだろう。電話帳を見る様子もなく、すぐさま目的の相手にコールする。
数秒と経たず、電話はこのとんでもないプレゼントの送り主に繋がったらしい。
『お、クラピカか!』
「お前は一体なにを考えてるんだ!!」
音声が繋がった途端、クラピカは通りに反響するぐらいの声量で叫んだ。
滅多にない彼の大声に、周囲の下っ端どもが思わず身をびくつかせる。
部下の男も目を丸くする。だが、ほかの者のように慌てはしなかった。
今のクラピカを占めているのは、普段部下や交渉相手にすごむ時や、下衆な連中にふつふつとマグマのような怒りを煮えたぎらせている時とは、全く質の違う感情である。そのことが、側近である彼にはすぐに感じ取れたからだ。
『その様子だとちゃんと届いたみたいだな。どうだ? オレのホワイトデーのプレゼントは』
「……花は良い。だがこんなに大きくては目立つだろうが!!」
クラピカの言葉通り、花自体には文句はつけようがない。店員のセンスが良かったのだろう。花の種類が多いにも関わらず、あくまで清楚な印象を崩さず綺麗にまとまっている。まさしく匠の仕事だ。
しかしそれらを収めたカゴのボリュームが半端ない。普通のものの三倍はあり、置いてあるだけで道の往来を塞ぐようにしている。
これでは室内に運び込むにも一苦労だろう。
『どーせまた仕事で難しい顔してるだろうから、これ見て少しは和ませてやろうっていう、オレのやさし〜い気遣いのこもったお返しなんだけど?』
「だとしてもだ。少しは大きさを考えろ!」
『何だよ、嬉しくねーの?』
口を尖らせて聞いたであろうレオリオの問いに、クラピカは何度か息を吐いた。
遠巻きに組員たちが見守るなか、クラピカは自身を落ち着かせるように呼吸をくり返し、頭に手を当て髪を乱暴にかく。
苛ついたようにも見えるそれは、照れた仕草だった。
「……嬉しくないわけないだろう、馬鹿者」
小声での囁きは、近くにいた部下の耳にはしっかり聞こえていた。だが彼は聞かなかったフリをし、数メートルだけ、クラピカから距離を作ってやった。
悪態と素直じゃない礼を述べた後、いくつか指示を受けたらしい。電話を切ったクラピカは、自ら花かごに近づき手を伸ばした。
スタンドの中心から、小さな花束が取り出せるようになっていたようだ。腕に収まる大きさのそれを持ち上げる。
「変なところに気の利くやつめ」
ほかも分解できる仕組みのようで、下っ端に命じてパーツを外していく。「壊さないようにな」と注意を添えて。
次々に小分けにされて、建物の中に運ばれていく花が部下の前を横切る。
鼻先を掠めたそれは、前に嗅いだことのあるものに似ていた。
この香りは、と部下が思い出す脇で、クラピカは腕の中の花に顔を寄せる。
香水にも似た花の香りが、ふわりと漂う。
「……馬鹿」
小さく桜色の唇を綻ばせたクラピカの表情は、まるで少女のようだった。
Fin