トゥモローズ・マイルストーン 最終話
クラピカはレオリオの机の引き出しを開けた。
見慣れた箱。そこからイヤリングを取り出し、耳に付けた。
石の亀裂以外は他に傷もなく、問題なく付けられた。
耳で揺れる馴染みのある感触に、クラピカは微笑する。
外に出ていたレオリオが帰ってくる。
「ただいまー」
「おかえり、レオリオ」
部屋に入ってきたレオリオは、クラピカを見て立ち止まった。
「……クラピカ」
クラピカはレオリオを振り返る。
「すまない、引き出し、勝手に開けてしまった」
レオリオはクラピカの耳に下がるイヤリングを認めて、全てを悟った。
「明日、組(ファミリー)に戻るよ」
「……思い出したんだな」
「……ああ」
「…………そうか」
その日の夕食は、互いに言葉少なだった。
何時の飛行船を取った、組には連絡を済ませたなどといった、事務的な会話が主だった。
センリツには、クラピカが自分で連絡を入れた。記憶が戻ったことを、センリツは心底安心した様子で喜んでくれた。
「明日、十四時発の飛行船で戻る」
『そう……。……悔いの無いようにね』
電話の最後、彼女はそう言い残した。
最後の夜も、二人は床に布団を並べて寝た。
明かりを消してから数十分、お互い目を開けたままでいることは察していた。レオリオが先に口火を切る。
「……寝たか?」
「いや、起きている」
「……悪かったな。お前の記憶のこと、すぐに話さなくて」
「……私のことを考えてくれたからだろう」
レオリオは吐き出すように言った。
「……お前が嘘を嫌うのを知ってたのに、オレは黙ってた」
「……黙っていることは、偽証ではない」
「……クラピカ?」
「私も同じだ。本当は、もっと前に記憶が戻っていた」
レオリオの目が、暗がりの中見開かれる。
「すまない。君の優しさに、甘えていたんだ」
申し訳なさに、クラピカに瞳を伏せて言う。
沈黙が漂う。何も言わない時間が流れる。
やがてレオリオが、そっと笑った。
「楽しかったか?」
「……うん」
「なら、良かった」
レオリオはそう呟いた。夜の闇に混じって消えそうなほど、やさしい響きだった。
「レオリオ……」
「ん?」
「……おやすみ」
「ああ。おやすみ、クラピカ」
今日だけは、夜が長く続けば良い。明日が来るまで、もっと時間がかかれば良い。そう思った。
二週間振りの空港は、変わらず賑わっていた。
搭乗手続きを済ませ、クラピカは待っていたレオリオの元まで来た。
「ではそろそろいくよ」
「ああ。体に気を付けろよ」
「君も勉強しっかりな」
「おう」
軽快に返したレオリオをクラピカは見上げる。
言おうと決めていたことがあった。
センリツの言葉を思い出す。
「レオリオ」
クラピカは彼の名を呼んだ。
レオリオの顔を、正面から見つめた。
恥ずかしさに、少し視線が下に泳ぐ。
そんなクラピカの挙動を、レオリオは不思議に思いながらも待った。
勇気を出し、クラピカは彼の瞳を、真っ直ぐに見つめながら告げた。
「全てが終わったら、君の為に生きたい。……それまで、待っていてくれるか?」
レオリオは驚きに固まった。
自分の前に立つクラピカを、ただ見つめ返した。
そして、思い切り、笑顔になった。
「その時までに、お前に似合う新しいイヤリングを見つけておくぜ」
その返事に、クラピカの表情が微笑へと変わる。
どちらからともなく近付き、二人は、抱き締め合っていた。
腕の中の温もりが愛おしかった。通じ合った想いが嬉しかった。
ゼロ距離で見つめ合う。こんなに近くで顔を見上げるのは、見下ろすのは初めてだと思った。
首を上へ、下に伸ばし、二人は唇を近付けた。
唇が触れる。体温が、溶け合う。
多分、いや、きっと。
今だけ、世界中に二人きりだ。
長いキスを終えて、唇を離す。クラピカの瞳がほんのりと緋色に変化しているのをレオリオは見た。
「……綺麗だぜ、お前の目」
クラピカの頬が赤く染まる。何か言いたそうに口を動かしたが、やがて見たこともないような甘い表情で微笑んだ。
無音だった世界に喧噪が戻ってくる。搭乗アナウンスが聞こえた。フライトの時刻が迫っていた。
クラピカの瞳が、ゆっくりと青に戻っていく。
「……じゃあ、また」
「ああ」
名残惜しげに体を離し、クラピカは搭乗ゲートへと向かい歩き出す。
その背中に向かって、レオリオは声を張り上げた。
「クラピカ!!」
クラピカが振り返る。
「オレはずっと待ってるからな!!」
遠目ではあったが、クラピカが満面の笑みで笑ったのが見えた。
飛び立つ飛行船の窓から、レオリオのいた街をクラピカは見下ろす。
ヨークシンを去る時も、こうして飛行船の中から街を見ていた。
けれどあの時とは違う、満ち足りた気持ちをクラピカは感じていた。
忘れていても、憶えていることがある。
気付いていないだけで、そこにあるものがある。
過ごした時間、感じた気持ち、重ねた想い。
振り返ればそこにある、これまでのこと。歩いてきた道のり。
それらがすべて、きっとこれからの道しるべになるのだろう。
クラピカは左耳のイヤリングに触れた。
いつかのことを思う。それだけで、この先も歩いていける。そう信じられた。
END