Rewrite

 

 

 

 休憩時間、近寄った際にふわりと香ったそれ。

 いつか吸っていた水煙草の甘いものとは違う、ヤニの臭い。

 

「……煙草?」

 

 ぽつりと呟いた単語に、コンタクトのない蒼い目がこちらに向けられる。

 

「……気に障ったか?」

 

 失望を恐れるでもなく、淡々とした、凪いだ表情。

 

「いや……」

 

 思いがけないその静かな反応に対し、レオリオは言葉を選んだ。

 

 

「……吸うようになったのか、お前」

 

 

 ヨークシンで別れてから、時間は確かに経っている。だがどうしても意外な気持ちが拭えなかった。しかもレオリオの知識に間違いがなければ、これはかなり癖のある銘柄のはずだ。

 クラピカは落ち着きはらった態度で答えた。

 

「……いつも吸っている訳ではない」

「……というと?」

「今日、取引した相手が愛煙家でな」

 

 つまりは取引先の人間に気に入られるためにしたと、そういうことだ。

 

「……なるほど」

 

 煙草は嗜好品のみならず、処世術の一種だ。裏社会に関わらず一般的なオフィスの喫煙スペースは、部下と上司の交流の場でもあるという。

 近頃は禁煙・減煙運動も盛んであるからなおのこと、愛好家にとって同じ趣味がわかる人間というのは貴重なものなのだろう。

 

「……余っているが、使うか?」

「いや、いい」

「そうか」

 

 体に匂いを付けるため数本しか吸わず、まだ中身の残る箱をクラピカはポケットから差し出す。だがレオリオの返答にすぐに仕舞った。

 

 

「…………軽蔑してくれていい」

「……は?」

「私が覚えたのは、こういう事ばかりだ」

 

 

 何か考えていた訳ではない。だがクラピカはレオリオの反応に、自嘲じみた笑みを浮かべた。

 言葉にはしないが、他にも色々なことをしてきたのだろう。目的のため、同胞のためと言い聞かせ、気持ちを押し殺して。潔癖な彼が忌み嫌う汚いこともしてきたのだろう。

 そこはレオリオが口を出せる領域ではないことは、既に承知している。だが自身を痛みつけるかのような、その様子がやけに目についた。

 

 レオリオは懐をまさぐった。掌に収まる小さなビン。今シーズンに出た、先日買ったばかりの新作。お気に入りだったがためらいはない。

 

「これ」

「?」

「やるよ、匂い消しだ」

「……香水……?」

 

 クラピカはレオリオの顔を見て、首をかしげた。

 

「匂いを匂いで消せ、と?」

「上書きしとけ」

「……混ざって変な匂いにならないか?」

「その煙草よりはマシだろ」

 

 受け取ったクラピカは香水瓶を回し、何かを探している様子だ。

 ビンの裏側に貼られたシールを見てほんの少し、訝しげな目になる。

 その仕草をレオリオは奇妙に感じたが、にわかに気付く。

 

「……もしかして、香水付けたことねぇ?」

「……ああ」

「……はっ」

 

 何故だか、笑いがこぼれた。

 離れていた間に、すっかり暗い世界に染まってしまったと思ったのに。クラピカはやっぱりクラピカだ。

 

「説明書きなんてねーよ」

「……どうやって使えばいいんだ?」

「教えてほしい?」

 

 クラピカはむっとした表情を作る。レオリオはまた笑った。

 

「冗談だって。そうだな、まずは手首だな」

「待て。できれば手首は避けたい」

「あ? ……ああ、なるほど」

 

 クラピカの武器は掌の鎖。金属に匂いは移りにくいが、袖口が香るのは避けた方が良いだろう。

 

「じゃあ、うなじや耳の後ろだな」

「そうか」

 

 と頷いたクラピカは、くるくると香水瓶の蓋を回し、掌に思い切り出した。

 途端に、爽やかさが売りのグリーンノート系の香りが周囲に広がる。

 

「うわ! ばか、お前つけすぎだよ!」

「?? そうなのか?」

「自分の手嗅いでみろ」

「? ……!? く、くさい……」

「それ見たことか! こーいうのはな、ちょっとだけ出して使うモンなんだよ。クリームとかじゃねぇんだから」

 

 量を間違えれば、香りも十分に暴力的な刺激となる。すっかり辟易した顔でクラピカは手を身体から遠ざけた。

 多く出てしまった分はハンカチにでも染み込ませるよう指示し、その後煙草のにおいが取れたか、香水を返す、返さなくていいとひとしきり騒いでるうちに、あっという間に休憩時間が終わる。

 十二支んの会議室に戻る。二人が入るなり、机で菓子をつまんでいたクルックが不機嫌そうに言った。

 

 

「……何でアンタら、同じ匂いさせてんの?」

「「あ」」

 

 

 

 

 

 見慣れた黒塗りの車に乗り込む。

 軽く体をかがめた彼が手を上げるのに対し、クラピカも片手を挙げて返す。高さはないが、見えなくはないだろう。

 ふかされていたエンジンが再び動き出し、加速し始める。夜の景色と電灯の明かりが、後ろに向かってスクロールする。

 クラピカはシャツのボタンを外して緩め、背中のクッションにもたれる。腰を少し後ろに落とし、ラフに足を組んで車内に投げ出した。

 動作に連動して、首の後ろから香りが鼻を掠める。漂うのは爽やかなグリーンノート。

 

 (……あいつの匂い)

 

 まぶたを閉じ、クラピカは穏やかな車の振動と香りに浸る。ポケットには行きの時より荷物が一つ増えている。車体が揺れる度に液体もビンの中で踊る。

 ポケットの中の半分を占めた煙草の箱に、圧力をかけて幅を利かせている。強引にそれを渡してきた彼の仕草のようで、クラピカは微笑した。

 

 

 濁りきった思いも、君が浄化してくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

香りといえばレオリオですが、裏社会に属するクラピカもこんなことがあったんじゃないかなと思って一気に書き上げた話です。

ほんのりシリアスになりつつ、最後のクルックの台詞でライトな雰囲気になったと思います。

タイトルは「上書き」から連想して。どうしても「リライト」と書くとハ●レンのOPが出てきてしまいます(笑)

pixivでは前半だけですが、こちらにはプライベッターで翌日書いた後日談も並べて載せてみました。

レオリオにこっそり癒されてるクラピカに、あたたかい気持ちになっていただければ幸いです。

ご拝読下さり、有り難うございました。

 

 

2016.10.30