プレシャス・モーメント 

 

 

 

 陽光に水飛沫が煌めく。弾けた水の粒の中に、周りの緑の色が映るのが見える。

 デイロード公園で再会した後、早食い競争をしていたゴンとキルアは、敷地の端にある水飲み場で髪や体に付いたアイスを洗い流していた。

 蛇口の下に体を入れ、頭から水を被ったゴンは、仔犬のようにぶるっと身を震わせる。

 

「ゴン、そのままでは風邪を引くぞ、ほら」

「ありがとう、クラピカ」

 

 どこからかタオルを調達してきたクラピカが、水を吸ってへにょっと垂れたゴンの髪を拭いていく。

 癖が強いゴンの髪だが、濡れているせいかそこまで指に抵抗は感じない。

 クラピカはしっかりと水気を拭き取っていく。隣では、キルアがレオリオに抗議の声を上げていた。

 

「いてて! もっと優しくやれよオッサン!」

「だ~れがオッサンだってぇ?そんな口を叩く生意気なお子様にはお仕置きだ! おりゃりゃりゃ!!」

「うっわ!! 大人げねー!」

 

 憎まれ口にぐりぐりと軽く拳まで入れるレオリオに、たまらずキルアは逃げ出す。だが四人で一番身長の高いレオリオは、すかさずタオルでキルアの顔を包む。

 視界を塞がれたキルアがもごもごと何事か叫ぶが、誰にも意味はわからなかった。その隙にレオリオは、手慣れた様子で彼の頭をわしゃわしゃと拭いていく。

 と、そこで大きくジャンプしたキルアが、タオルを剥いでレオリオに投げ付けた。駆けていく彼と待ちやがれ~と追いかけるレオリオを見て、クラピカは呟いた。

 

「……全く、あれではどちらが子どもかわからないな」

「あはは、ほんとだね!」

 

 だが変わらない仲間たちの空気に、クラピカはほっとした心地になる。この数ヶ月間、張り詰めていた心が解れたように笑いが零れる。

 しかしそこで、数ヶ月前、空港で交わした約束を思い出した。

 

 ——九月一日、ヨークシンで!

 

「……ゴン」

「ん? 何?」

「……すまなかったな。約束を守れなかった」

 

 約束? と一瞬ゴンは考えるが、すぐに意味を理解する。

 

「ううん、気にしないで。クラピカが大変だったのはわかってるし。会えて本当に良かった!」

 

 他意のない彼の素直な言葉に、クラピカは緩く微笑する。

 軽い叫び声が上がった。見るとレオリオがまたキルアに反撃を喰らっているところだった。ゴンは笑うが、クラピカはどこか遠い目をしたまま彼らを見た。

 そんなクラピカに、ゴンが囁く。

 

「クラピカ、レオリオのところ行ってあげなよ」

「え?」

「レオリオ、クラピカのことずっと心配してたんだよ」

 

 クラピカは再び、レオリオを見つめる。

 ゴンの頷きに背を押され、クラピカはタオルを片手に持ったまま、彼の方に近付いていった。

 

 

 

 

「よし、もういいぜ」

「やっと終わった……」

「何だよ、優しく拭いてやったじゃねぇか」

「あれのどこが『優しい』んだよ、この馬鹿力!」

 

 悪態を吐くキルアに、短い髪から雫を垂らしながらレオリオはがははと笑った。二人にお菓子をぶつけられた彼も軽く水を浴びたらしい。スーツにも少し水滴が残っていた。

 クラピカはレオリオの後ろに近付き、彼の肩に手を差し伸べる。 

 

「……君もまだ濡れているではないか」

「え? あ、ああ」

「動くな、前を向いていろ」

「お、おう」

 

 手でしゃがむように促して、レオリオを屈ませたクラピカは、レオリオの頭をタオルで包んで拭いてやる。

 ゴンよりも癖がなく、短い髪だ。

 二人の雰囲気に何かを察したキルアは、意味深な表情をしてゴンに耳打ちした後、二人から数歩離れた。

 

 奇妙な沈黙がその場を支配する。

 先に話したのは、クラピカの方だった。

 

「……大分、心配をかけたようだな」

 

 神妙な顔で為すがままにされていたレオリオは、目線だけをクラピカに向ける。

 

「まったくだぜ。お前、オレたちがどんな気持ちで待ってたか知ってるか?」

 

 電話だって、オレが出た途端すぐ切りやがって。続けたレオリオの言葉に、クラピカは髪を拭く手を鈍らせる。

 

「……すまない」

「な、何だよ。やけに素直だな」

 

 レオリオは逆に狼狽えた様子になった。

 

「……すまない」

 

 クラピカはもう一度同じ言葉を言った。

 

 

 約束を守れなかった自分を、待っていてくれたこと。 

 そのことについて、始めに話したかったはずなのに。気付けばクラピカは言うべき言葉を見失っていた。

 夕べのことを思い出そうとすると、この数時間で感じた沢山の感情が胸をよぎって、何も言えなくなる。

 

 ……こんな時、まず何から伝えればいいのだろう。

 

 

 

 クラピカの指の動きが止まって暫くの間、レオリオはじっと待っていた。

 だが、クラピカがずっと言葉を探しあぐねているようだったので、口火を切った。

 

「お前、これからどうすんのか、決めたのか?」

「え? ……いや」

「そうか。ま、いいじゃねーか。ゆっくり考えてけば」

 

 レオリオは穏やかな調子で言った。

 

 

「……お前の中では、全てが終わった訳じゃねーんだろうけど。これからはもっと、自分のことを考えてもいいと思うぜ」

 

 

 目的の為に生きていたこれまでだったら、一蹴していただろう言葉だった。

 だが変わってしまった現状と、レオリオの自分への思いやりから、クラピカはその言葉を素直に受け入れていた。

 ……どこか途方に暮れたような気持ちだったのは、今まで考えていなかった、未来のことが目の前に開けたかもしれない。

 クラピカは自然と彼に同意する。

 

「……そう、だな」

 

 いつの間にか、するりと言葉が出ていた。

 

 

「……ありがとう、レオリオ」

 

 

 それを聞いたレオリオが、首ごと振り向く。

 驚いた彼の表情を認めて数秒。

 クラピカは自分が発した言葉に、自分で顔を赤くしてしまう。

 

「……クラピカ、」

「……何を動いているレオリオ、前を向け」

「え?」

「いいから! 前を向くのだよ!!」

 

 レオリオの頭をつかんで無理やり前を向かせ、クラピカは赤い顔のまま力いっぱい手を動かし始める。

 

「おまえ、何照れて……あいててて!!」

「うるさい、黙れ!」

「おまえ、これ感謝の手つきじゃねぇぞ!?」

「うるさい! 大人しくしていろ!!」

 

 すっかり賑やかな空気になってしまった二人のやりとりを見て、一人は呆れた様子になり、一人は笑顔を浮かべたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2014年のオンリーの頃に思い付いた話です。

一年に一度のオンリー、しかも9月という季節に形に出来て、拙くも自分では満足しています。

 

初出:2015.9.20