Overflow 第三話
『————はい! もしもし?』
「よ、オレだ。元気か?」
『レオリオ! どうしたの?』
「実はお前ら二人に頼みがあってな」
『頼み? 頼みって?』
「明日オレがいない間、ちょっと面倒見てほしい奴がいるんだよ」
『誰それ? レオリオの女か?』
「残念、多分男」
『多分って?』
「聞いてないからわかりませんー」
『何だそりゃ?』
「ともかく、オレはバイトと予備校があるから一日家を空けなきゃならねぇんだ。夜の八時過ぎには帰れると思うから、それまでそいつをお前らに頼みたい」
『オレたちでその人の面倒を見ていればいいんだね。どうする?キルア』
『いいんじゃね? どーせ暇だし』
「そうだね。わかった、引き受けるよ!」
「助かるぜ」
『報酬にチョコロボ君一週間分な』
「おめーの一週間は普通の奴の一ヶ月分だからな、三日分で我慢しろ」
『えー? 何だよケチー』
『それじゃ明日の朝、部屋に行くね』
「おう、待ってるぜ」
『じゃあ、お休み!』
まばらな軽い足音が、朝の光で明るくなったアパートの廊下に響く。ありふれたインターホンの音が、二階三号室の周りに木霊した。
「おはようー、レオリオ」
ドアを開けたのは、黒くツンツンと尖った髪の毛が目立つ少年だ。歳は十二歳くらいだろうか。いかにも少年らしい、生き生きとした明るい表情が目を惹く。
事前の約束があるので家主の返事は待たず、彼は勝手知ったる知人の家に上がり込む。
「邪魔するぜー」
それに続くのは銀色の癖っ毛が特徴的な、先程の彼と同じくらいの年頃の少年。
目尻の上がったはっきりした目元や、隙を見せない立ち振る舞いが、見る者に猫みたいな印象を与える。
安物件にしては比較的ゆとりのあるワンルームで、スーツの上を羽織る最中のレオリオが小声で応えた。
「よ、来たか。ゴン、キルア」
横にあるベッドには例の人物が横たわっていた。ゴンと呼ばれた少年が、少し声を控えて尋ねる。
「この人が?」
「ああ」
「ふーん(男か女かよくわかんねーな)」
「目を覚ましたら冷蔵庫に水のボトルがあるから、それとこの栄養剤を飲ませてやってくれ。少し時間かかると思うが、まぁ根気よく付き合ってやってくれよ」
「うん、わかった!」
「それじゃ、留守のあいだ宜しく頼むな」
「ああ。オッサンも勉強しっかりな」
「おう。そんじゃ行ってくるぜー」
手を挙げて答えたレオリオは、小走りでアパートの廊下を走っていった。
玄関の扉が、ガチャンと音を立て閉まる。
「……とりあえず、様子が変わらなければ看ているだけでいいんだよね」
「ああ。何かあったら携帯に連絡しろって言われてるし」
キルアは音も無く玄関まで歩き、扉の鍵をかけた。鍵と言ってもアパートに備え付けられた簡素な造りのものだが、元の職業故の用心深い習性から、彼は鍵がしっかりとかかったのを確認する。
戻ってきたキルアは、毛布の乗っていたソファを陣取った。
「あーあ、暇だなー。ここにある漫画全部読んじまったしなー。仕方ねーから、人体解剖図でも見てよっかな」
「かいぼーず? 何それ」
「人体の作りを描いてある本だよ。ま、オレは暗記してるけどね」
「へ~すごいねキルア!」
「一応、オレもプロだったし。臓器盗むのに、場所わかってなきゃできないだろ?」
「ああ……うん……そだね」
時々遭遇する物騒な会話に、ベッドの横に腰を下ろしたゴンはちょっぴり苦笑する。そんなゴンを他所に至って普通の様子で、キルアは本棚からごそごそと本を数冊取り出す。
レオリオの本棚には医学書が沢山あったが、中には医学とまったく関係のないアレな雑誌も納まっていた。それらにちろりと目を向けつつも結局漫画本を選び、キルアはソファに戻る。
一連のキルアの動きを眺めていたゴンは、カーテンがはためく窓を見た後、正面へと目を向ける。ベッドの中の少年らしき人物は眠り込んだままだ。
「この人、どんな人なんだろうね」
「さあな。……ったく。それにしてもレオリオの奴、ホントお人好しだよな。知らない奴拾ってきて手当てまでするなんてさ」
本を読む合間に、キルアは眠る少年を横目で伺う。それにゴンが屈託ない様子で返す。
「レオリオはお医者さんを目指してるんだもん。怪我してる人を放っておくはずないよ」
「それがお人好しだって言うんだよ。騙されて寝首でも掻かれたらどーすんだ?」
「でもこの人は、悪い人に見えないよ?」
「まー……そうだけどさ」
でもわかんないし、などとぼそぼそ呟きながら、キルアは言葉を濁し明後日の方向を向いた。素直じゃない親友の態度に、ゴンはこっそり微笑む。
……心配してるんだよね。
レオリオのお人好しはいつものこと。損をすることもあるだろうが、誇るべき彼の美徳だ。
三人が出会った切欠も、元々ひったくりに遭いかけたゴンを横から彼が助けたことによる(最もゴンもキルアもすぐに反応し、彼が気を回さずとも取り返すことは出来ただろうが)。
それがわかっているからこそ、ゴンもレオリオのことが好きだし、なんだかんだ言ってキルアも彼に懐いているのだ。
「……っ……」
「あ、起きた?」
微かな声を耳聡く捉えたゴンは、少年に向き直り声をかける。
「えーっと、クラピカさん?」
「……」
知らない人物を認識して、クラピカは不思議そうにゴンを見上げる。それにゴンは無邪気な笑顔で応えた。
「オレはね、レオリオの友達のゴンっていうんだ。こっちはキルア」
ゴンの後ろからキルアが、距離を置きつつクラピカを覗き込む。
「レオリオに頼まれて、今日一日君の様子を見ることになってるんだ。よろしくね」
クラピカの顔に納得の色が浮かんだ。
「……そうか……迷惑をかけるな……」
「ううん、気にしないで。お腹空いた? それより喉乾いたかな? あ、まず顔とか洗いたい?」
「あ、ああ……ええと……」
「ゴーン、落ち着けよ。まずこいつが何したいかだろ」
「あ、そっか」
甲斐甲斐しく世話を焼こうとするゴンを落ち着かせるように、キルアが冷静にツッコミを入れる。仲の良い二人の軽快なやりとりに、どことなく緊張した様子だったクラピカの表情がほぐれていく。
ゴンに体を起こすのを手伝ってもらい、昨日と同じようにクラピカは水と薬を飲んだ。
その後、また横になるかと尋ねられるが、クラピカは起きたままでいることを選んだ。
血液が頭から下がる感覚と、体力を使う行為に消耗した身体をしばらく背もたれに預けた後、クラピカは口を開いた(ちなみに点滴は、ゴンとキルアの二人だけでは扱いに困るだろうと察したレオリオが外しておいた)。
「……彼は、レオリオはどこに?」
ゴンはクラピカの飲み干したボトルを、ゴミ箱に捨てながら答えた。
「レオリオは予備校だよ」
「ヨビコウ……?」
「うん。レオリオはお医者さんになるのが夢なんだ。ヨークシンには有名な医療大学があって、そこを目指してるんだって」
ゴンの言葉を聞いたクラピカは至極感心したように、瞳をほのかに輝かせ感嘆の声を漏らした。
「へぇ……医者か……知らなかった…」
「ま、今はまだヤブ医者の域だけどな」
「でも包帯を巻くのとか上手いんだよね」
「そうか……医者を……すごいんだな……彼は……」
年下の友人二人が彼を評するのを聞き、しみじみと呟いたクラピカは更に二人に尋ねた。
「ヨビコウというのは、学校のようなものか?」
「え? あぁ、うん。そうだよ。多分」
「難関大学や専門学校を受験する奴らが、それ用の勉強をするために行く所さ」
自信のないゴンの説明を補足したキルアは、クラピカを窺う。
「これくらい、ジョーシキじゃね?」
するどく問い返されたクラピカは戸惑った様子を見せた後、困ったような笑みを浮かべる。
「……すまない……私は世間知らずみたいなものだから……」
「ふーん? ま、いいけど」
「そっか、じゃあオレと同じだね」
興味なさそうにしつつ、ほんの少し探るような目つきでクラピカを見るキルアとは対照的に、ゴンが明るく言った。
「オレも島育ちで知らないことばっかりで、キルアやレオリオによく教えてもらってるから。オレ達、ちょっと似てるかもね」
「島……? ゴンは島で育ったのか」
「うん! くじら島って言ってね、小さな島なんだけど自然がいっぱいあるんだ。それに…」
故郷について夢中になって話すゴンの話は、クラピカにとっても楽しいもののようだった。好奇心旺盛な性格らしく、年下のゴンにしっかりと相槌を打ちつつ、興味がある事柄には積極的に尋ねていた。
彼をこっそりと観察していたキルアは、クラピカのことを「ま、今のところ害はないかな」と結論づける。
昼時。ゴンとキルアの間で、昼ご飯を買いに行く方を決めるジャンケン合戦が開かれる。
「ジャンケンポン!! ……よっしゃー!! オレの負けだから、買い出しはゴンだな」
「うー、つい癖で勝っちゃった……」
拳を握ったまま渋い顔で唸ったゴンに、キルアが財布を投げ渡した。先程までの会話で少し疲れて横になったクラピカは、二人を楽しそうに見ている。
「それじゃ行ってくるね。クラピカ、何か欲しい物とかある?」
「いや。私のことは考えなくていいよ」
「そう? キルアは何かリクエストある? お菓子以外で」
「えー? ん~じゃあ、ポテチ!」
「却下!」
「冗談だって。ゴンの好きなもんでいいよ」
「え、本当?」
「ああ」
「わかった。じゃあキルアも好きそうな物買ってくるね」
親友への配慮を忘れないゴンの笑みに、キルアも小さく笑う。財布をポケットに仕舞い、ゴンは玄関を元気よく駆け出す。
「じゃあ、行ってきまーす!」
「ああ」
開け放された扉が、勢いのままバタンと閉まった。ゴンが出て行ったことで、部屋は一気に静かになる。
キルアはゴンに見せた笑顔を消すと、何を考えているのか計れない顔付きになり、ソファからベッドサイドに移動して口を噤む。
クラピカもまた黙る。室内に心なしか、緊張感に似た空気が漂った。
「……アンタ、歳いくつ?」
先に沈黙を破ったのはキルアの方だった。話しかけられたクラピカはしばし思案した。
「多分、今年で十七になる」
「ふーん」
自分から話題を振ったに関わらず、キルアは半分興味なさそうに言った。「君は?」というクラピカの問いに、「十二」と短く返す。
すると、不意にキルアは、真っ正面からクラピカの顔をじっと見つめてきた。
内心狼狽えながらも、クラピカは彼の氷青色の瞳(ブルーアイズ)を見返す。
「……アンタさ、オレとどっかで会ったことない?」
「……君と?」
思いがけない質問に、クラピカは数度瞬きする。
「いや……すまないが、全く覚えがない」
「そ。じゃいいや。忘れて」
キルアが素っ気なく返すと、場はふたたび沈黙に戻る。
部屋に置かれたレオリオの目覚まし時計の針の音が、妙に大きく響く。
カーテンを時折揺らす風が、その都度キルアの銀髪を煽った。
数十分経った。
「……アイツ、おっせぇなぁ」
「……そうだな」
キルアのぼやきに、クラピカは彼の顔を仰いだ。
「……何かあったんだろうか」
「アイツ結構強いからだいじょーぶだとは思うけど。でもオレが見てねーと、危ないことばっかするからなぁ」
そわそわするキルアの様子を見て、自然と口許を綻ばせたクラピカは言う。
「……彼のことが、本当に大事なんだな」
その発言を受け、キルアは窓の外を眺めながら答えた。
「ああ。オレの友達、アイツだけだし」
「……それは少し違うんじゃないか?」
「え?」
思わぬ言葉を投げかけられ、キルアはクラピカに顔を向ける。
「たった一人の友達だからではなく、彼だから、大事なんだろう?」
小さく微笑んで自分を見つめるクラピカの言葉を、キルアは反芻した。
それはずっと前から馴染んでいたもののように、キルアの胸にすとんと落ち、じんわりと暖かい感触をもたらした。
「……まあね」
再度外の街並を見やり、キルアは同意した。
「ねえ、アンタ名前なんだっけ?」
これまでとは少し違った表情で聞いてくるキルアに、クラピカは密かに目を丸くするが笑んで答える。
「……クラピカだ」
「ふーん、クラピカね」
キルアは薄く笑った。
「覚えとく」
「たっだいまー!」
「おかえり。遅ぇーじゃねーか、何してたんだよ」
「それがさー、聞いてよー!」
悪態を吐くキルアに、ゴンが道中の話をし始める。そんな二人を見つめるクラピカの眼差しは、優しいものだった。
第三話 終
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