Overflow 第4話

 

 

 

 久々のバイトに出向いたレオリオは、店長に田舎から親戚が移り住んできたこと(もちろん嘘である)、その面倒を見る必要があるので、平日の勤務日程を変更したい旨を伝えた。

 数日間休んでいたので少々小言はもらったが、レオリオの勤務態度は良い方であったので、気の良い店長はすぐに承諾してくれた。

 予備校も振替制度を利用し、時間はかかったが休んでいた分の講義を終えた。

 帰りがけに市場に寄り、足りない日用品と、先日増えた同居人の着替えなどを購入して帰る。

 部屋の前まで来たレオリオは、足で荷物を扉に押し付け、空いた指でインターホンを押しドアを開けた。

 

「帰ったぜー」

「レオリオ! おかえり!」

 

 扉を開けると、トランプを持ったゴンとキルア、そして横に座るゴンの手札をベッド上から覗いているクラピカがいた。どうやら三人で仲良くゲームをしていたらしい。

 

「よぉクラピカ、具合はどうだ?」

「ああ、今のところ悪くない。勉強お疲れ様」

「おぅ」

「レオリオ、クラピカってすごいんだよ。さっきからキルアの手を次々当ててるんだ」

「へー、そりゃすげぇな」

 

 テーブルに荷物を広げたレオリオが素直に褒める。クラピカは泰然とした様子で解説した。

 

「ゲームというのは、結局は心理戦だからな。カードは手札の内容があらかじめ決まっている分、相手の表情や性格からある程度手を想像しやすい。……でもキルアは強い方だよ」

「……う~……あ~……あーー!! また負けた!! クラピカ、今度オレについてよ。ゴンばっかずりぃ!」

「ふふ、わかった」

「え!! そんな、二人が相手じゃ勝てっこないよ!」

「へっへー、今度はお前の番だぜ、ゴン!」

「盛り上がってるとこ悪いが、それが終わったらそろそろ片付けてくれよ。あ、そうだキルア。約束のチョコロボ君だ」

「お!! やりぃ! ……って何で渡してくんねーんだよ」

「夕飯前に食ったら腹一杯になっちまうだろーが」

「え?」

「ほら、お前らに土産」

 

 机に置いた荷物の中から、底の浅い薄い紙箱を取り出す。

 湯気で微かに湿った蓋を開けると、チーズの香ばしい香りが部屋に広がった。

 

「わー! ピザだ!! これ食べていいの!?」

「勿論だ。晩飯くらいはこっちが用意するさ」

「「やったー!」」

 

 歓声を上げる二人の様子は子供そのもので微笑ましい。レオリオの口許に思わず笑みが上る。

 

「オレパイナップルのもーらい!」

「あー! キルアもう食べてる!」

 

 早速争奪戦を繰り広げる二人に、クラピカもくすくすと笑う。三人がすっかり打ち解けている様子に安堵したレオリオは、彼の傍まで赴き、薬局で市販されているゼリー形の栄養剤を渡した。

 

「クラピカにはこれだ。いきなり固形物だと体が吃驚しちまうから、まずは少しずつ慣らしていかねーとな。…といっても、今日からすぐにとは言わないが……」

「いや、戴くよ」

「そうか、やっぱな」

 

 予想していた通りの反応が返ってきたので、レオリオは容器の蓋を開け、彼の手に握らせる。腕の下に二つ折りにしたクッションを入れて、高さを調節し、クラピカが口元まで持ち上げる必要がないようにした。

 レオリオの気配りに礼を言い、口を付けたクラピカはゆっくりとゼリーを嚥下していく。

 

「どうだ?」

「……ああ。時間をかければ平気そうだ」

「そうか、良かったぜ。無理はすんなよ」

 

 頷いたクラピカに、キルアが指にくっついたチーズを食べながら聞く。

 

「美味いの? それ」

「うーん、味はよくわからないな……」

 

 クラピカが視線で食べてみるか?と問う。彼の手から容器を取ったキルアは一口吸ってみるが、薄味で美味いとは言い難い代物だった。正直な感想が顔だけでなく言葉にも出る。

 

「うーん、微妙」

「そりゃ病人用だからな」

 

 とレオリオが突っ込む。返されたクラピカは苦笑しつつ「でも皆での食事は楽しいよ」と言葉を添えた。

 

「オレもそう思う! ご飯って皆で食べた方が美味しいよね」

「そうだな」

 

 ゴンの賛同にレオリオとクラピカも笑う。キルアもはっきりと表情には出さないが楽しそうで、夕食の時間は和やかなものとなった。

 三人の旺盛な食欲に、あっという間にピザは残り僅かとなる。クラピカも調子が良いようで、ゼリーをほぼ全部飲み干した。

 

「ごちそうさまー」

「あれ、もう終わり?」

「これがあるからな」

 

 得意そうにキルアが示したのは、レオリオが箱買いしてきたパッケージだ。クラピカは目をぱちくりさせる。

 

「それは……お菓子か?」

「そう! オレの大好物!! ……あ~! やっぱチョコロボ君はうめーなー!!」

「ほんと飽きねーな、お前」

「おいしいのは事実だけど、ちょっと食べ過ぎだよねぇ」

「いいじゃん、食べたい時に食べねーとストレス溜まるし」

「それ、もしかして全部食べるのか……?」

「そうなんだよ、すごいでしょ?」

 

 まだピザを食べているゴンは、クラピカにキルアが如何にお菓子ばかり食べているかを力説し始める。そんな二人の会話を見物していたレオリオに、キルアがそっと声をかけた。

 

「レオリオ」

 

 親指でキッチンを指し示した彼に、夕飯で出たゴミを片付ける名目で腰を上げ、レオリオはキルアと共に狭いキッチンスペースに向かう。

 

「何だよ」

 

 他の二人に聞こえないよう、抑えたトーンで喋る。

 

「クラピカって、何者なの?」

 

 キルアの問いは至極当然なものだった。レオリオはリビングの二人に怪しまれないよう、コーヒーとゴンとキルアの為のカフェオレを用意しながら正直に答えた。

 

「さぁな。オレもよくわからねぇ」

「いいのかよ、あいつここに置いといて」

「……お前はどう思う?」

 

 反対に聞き返したレオリオに少し面食らった後、キルアは思考を巡らせる。

 

「……話し方が大人びてる割には、世間知らずみたいだし、かといって無知っていうには妙に色々知ってる。本で知識を付けたタイプかな」

 

 ……そう、クラピカは決して無知ではなかった。

 ゴンとキルアがレオリオの部屋から拝借したトランプをしている間、彼はそれに関する様々な知識(うんちくとも言う)を披露してくれた。トランプのマークは何を意味しているか、何故数が52枚なのかetc。

 ゴンの故郷のくじら島の話でも、動物の学名や自然現象の成り立ちなど、彼は実際に目にしていたゴン以上に詳しく知っていた。

 だがそれらを、クラピカ本人は一度も見たことがない。

 

 キルアは言葉を一旦切り、チョコロボ君を口に放り込む。

 

「アンバランス、って感じ。まぁ危ない奴じゃないと思うけど。……でもあいつ自身がそうでも、あいつの周りはわかんないだろ?」

「……そうだな」

 

 彼らしい論理的な指摘に、レオリオは静かに頷いた。

 沸騰したポットから蒸気が立ちのぼる。火を止めてお湯をカップに注ぐと、湯気が室内に溶けて消えていく。

 

「あいつに関しては、まだわからないことの方が多い。もしかしたら、何かに追われてるのかもしれねぇな」

 

 数日前の晩、靴も履かずに倒れていたクラピカを思い出す。

 どことなく神秘的な印象を受ける衣装に、他人を極端に警戒し、信用しようとしない冷めた口調。点滴ではない腕の傷。

 クラピカに関する様々な事柄が、レオリオに異常性を告げている。

 同時に「深入りしたらやばいのではないか」という警告も、レオリオの頭のどこかで聞こえていた。

 

「……でもよ、今更放っておけないだろ」

 

 しかしその囁きを自ら打ち消すように、レオリオは朗らかに笑って言い切った。

 それは彼が意志を固めた瞬間でもあった。黙って自分を見つめるキルアに、レオリオは悪戯っぽく尋ねる。

 

「お前はあいつのこと、気に入らねぇか?」

「……別に。嫌いじゃねーよ」

 

 素っ気なく言ったキルアの視線の先には、ゴンと談笑するクラピカの姿がある。

 おそらく素性が知れないので完全には信用しきれないのだろうが、基本他人を警戒する傾向のある彼にしては珍しく、クラピカのことを気に入っているのだろう。

 良い徴候だ、とレオリオはこっそり笑む。

 そんなレオリオの考えを読み取ったのか、キルアはしばし照れくさそうな素振りを見せたが話を進めた。

 

「ま。とりあえずヨークシン近辺で、気になる情報がないか調べてみるぜ。もしかしたらクラピカに関係してることが出てくるかもしれないし」

「そうだな。今のクラピカの体じゃ、さほど遠くから来たわけじゃなさそうだしな。そうそう。お前らハンターなんだから、前に言ってたハンター専用サイトっつーのを使ってみたら早いんじゃねぇか?」

「オレは違うってば」

 

 キルアはレオリオの言葉を訂正する。ゴンはプロハンターだが、とある事情によりキルアは今年の試験に落ちていたのだった。

 

「何かわかったら連絡する。ゴンもあいつのこと、結構気に入ってるみたいだし。それでいい?」

 

 幼さを残しながらも、しっかりとした面を持つ年下の友人に、レオリオはにっと笑い彼の癖っ毛をぐしゃぐしゃとかき回す。

 

「ああ、頼んだぜーキルア!」

「うわっ、やめろよ! 髪癖つくだろ!」

「元々癖っ毛だろうが、うりゃりゃりゃ!」

「ねー、さっきから二人とも何してんの?」

 

 騒ぎ出したキルアの声に、流石にゴンも話題に加わる。彼に適当な相槌を返しながら、狭いながらも暖かさに満ちた空間に二人は戻った。

 

 

 

 

「十九歳!?」

「ほらー、レオリオやっぱり誤解されてたー」

「嘘だ……絶対嘘だ。お前サバ読んでるだろう」

「あ!! てめぇ呼び方変えやがったな! 昨日までは『あなた』なんて丁寧に言ってたのによ!」

「そう年が変わらないからいいだろう。しかしその年でその顔とは……まるで詐欺だな」

「何だと!」

「まー、この顔だったらそう思うよな、普通」

「うっせぇ!! 老け顔のどこが悪いんだ!!」

「あ、認めた」

 

 

 

 

「それじゃオレ達、そろそろ帰るね」

 

 クラピカも交えた夜は、まるで昔からの知り合いのように話が弾み、楽しい時間が過ぎた。

 残り二時間で一日も終わるといった所で、キルアと目を合わせたゴンは立ち上がった。

 

「おー。じゃあ下まで送るぜ」

「いいよここで。それじゃクラピカ、また遊びに来るね」

「ああ。今日は二人とも有り難う」

「じゃあ、おやすみ。またね」

「ああ、お休み」

「気ぃつけて帰れよー」

 

 手を振る二人の姿が、扉の向こうに消える。鍵をかけに行ったレオリオは、大袈裟に肩を竦めてみせた。

 

「やれやれ。あいつらが来ると、一気に賑やかになるな」

「二人とも、とても素直でいい子だな」

「ゴンはともかく、キルアもか?」

「ああ。斜に構えた態度をとっているが、彼は結構わかりやすい性格じゃないか?」

「なるほど。確かになぁ」

 

 クラピカの解釈にレオリオは納得する。

 

「二人はとても仲が良いんだな」

 

 そう言って微笑むクラピカは、とても懐かしいものを見るような眼をしていた。

 楽しそうに口許を綻ばせているが、その表情には、微かな切なさのようなものが交じっている。

 

「……クラピカ?」

「ん?」

「どうした、疲れたか」

 

 レオリオに尋ねられたクラピカはきょとんとしたが、ややあってから答えた。

 

「……そうだな。でも、楽しかった」

 

 しみじみと呟くと、クラピカは体の力を抜く。それに気付いたレオリオの介助で、クラピカは横になる。

 身体を横たえながら、クラピカは口を開いた。

 

「……医者を目指しているんだってな」

「……聞いたのかよ」

「駄目だったか?」

 

 小首を傾げるクラピカに「駄目ってわけじゃねぇけど」と言った後、レオリオは返す。

 

「何つーか……ガラじゃねぇだろ?」

 

 レオリオは決まり悪そうに笑うが、クラピカに茶化すような様子はない。話を聞く姿勢に入った彼の挙動に、レオリオはこそばゆい気持ちを覚えながら語り出した。

 

 

「昔……ってほど前じゃねぇけど。親友(ダチ)が死んだんだ。病気でな。決して治らない病気じゃなかった。けど治すためには金が要ったんだ」

 

 

 幼い頃から、兄弟のように育った親友の顔が脳裏によみがえる。

 

 

「オレ達みたいな庶民には、手も足も出せない金額だった。金もない上、ただの学生だったオレには医学のことなんかさっぱりわからなくてな。死にゆくあいつに、何にもしてやれなかった」

 

 

 割り切ったはずの過去だったが、レオリオの声音にはどうしても悔しさが滲む。何か言いたげにクラピカが口を開きかけるが、「いい」と首を振り思い出話を続ける。

 

 

「金があったらって何度も思った。けどそれ以上に、オレが病気を治せてやれてたらって、そう思った。例え金がなくたって、オレにそいつを治せるだけの力があったら、あいつは死ななくて済んだんだ。……その時決めたんだ。絶対医者になってやるってな」

 

 

 「医者」とクラピカは呟いた。「そうだ」とレオリオは頷く。

 

 

「そう決意したのが、高等学校二年の時だった。最後の年は学費を稼ぐため、毎日バイト三昧だったな。オレは頭が良い方じゃなかったから、学校の勉強だけじゃ医大に受からないと思ってな。一年間働いて、そのお金で浪人して入るっていう計画を立てたんだ」

 

 学校に通っている間は医療と直接関係のない、必修単位の勉強も必要だが、予備校だけならば完全に受験に集中できる。余裕がある時間にバイトをしておけば、入学後の学費の足しにもなるとレオリオは考えた。

 

「それで、このヨークシンに移り住んだんだな」

「ああ。有名な大学がある所には、良い予備校もあるからな。この国は物価が低い方だし、いざとなったらいくらでも稼げる場所だ。卒業してから住み始めて、丁度一年ぐらいになる。……学費やら何やら、医者になる為には金が必要だ。けど金なんか無くたって、どんな奴でも治療してやれる医者になりてぇ。そんでいつか、あいつと同じ病気の子に『金なんかいらねぇ』って言ってやりたいんだ。……ホント、ガラじゃねーだろ?」

「……そうだな」

 

 言葉とは裏腹に、クラピカの口調は優しさに満ちていた。理解してもらうことの嬉しさと恥ずかしさに、いささかレオリオは顔を赤くする。

 

 

「なれるといいな」

「ん?」

「お前の望む、医者に」

「……ああ」

 

 

 太陽を見る時のような暖かさを孕んだ、クラピカの言葉。それにレオリオは確かな決意を有して、力強く応えた。

 

 

 

第四話 終

 

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