ワンスモア・アゲイン

 

 

 

 そのきっかけは、レオリオの素朴な疑問だった。

 

「それにしてもよ。なんでゴンの親父さんは、ハンターライセンスを置いていっちまったんだろうな」

 

 キルアを迎えに、パドキア共和国へと向かう飛行船の中。三人の話題になったのは、数日前に電脳ページでめくったゴンの父親・ジンのことだ。

 ゴンの持っていたハンターカードが、ジンの持ち物であったことを知ったのはつい先日。

 高度な技術が施されたライセンスカードは、本人にしか使用することができない。弟子のカイトへの手がかりにするにしても、カードから得られる情報はわずかに名前のみ。わざわざ残していった割には少なすぎる。

 それにたとえ正規のハンターでも、身分を証明するライセンスカードがないと、利用できない特権がほとんどのはず。講習を受けた身としては、なぜ残していったのかと疑問に思うところだ。

 するとクラピカが「ライセンスを取ったばかりの自分達にはまだ先のことだが」と前置きし、考えながら述べる。

 

「そのカードは、おそらくダブルの称号だろう?」

「うん。サトツさんが言ってた」

「称号が更新されるたびに、ライセンスカードが追加発行されるという仕組みならば……基本的な機能は、今までのハンターライセンスでも事足りるからでは?」

 

 ハンターとしての特権。その筆頭に民間人が入国禁止の国の約90%、さらに立ち入り禁止地域の75%に入れるというものがある。

 加えて、公的施設の95パーセントがタダで利用できることも。

 それらをうまく活用し、先人たちは常人の倍以上の偉業を短期間で成し遂げている。

 なるほど、もっともな意見だ。しかしレオリオが異を唱える。

 

「けどよー、シングルとダブルじゃ全然違うだろうが。同じハンターでも信用度が段違いだぜ」

「たしかに……」

「第一どうせ使うなら、良い方を見せて使いたいじゃねーか!」

 

 レオリオはいかにも、といった風にドヤ顔をしてみせた。

 あはは……とゴンが乾いた笑いを浮かべる横で、クラピカは目に見えて呆れた表情を作った。

 

「………まぁ、おそらくジン・フリークス氏は、そういった見栄にこだわるような、レオリオみたいにせせこましい人物ではないということだな」

「……おい、そりゃどういう意味だ?」

 

 誰だって良いモン持ちたいのは当然だろう! と大仰に叫ぶレオリオに「品性は金で買えないよレオリオ」と、いつか聞いたことのあるセリフをクラピカが返す。

 その後も二人はゴンが口を挟む間もないまま、すでにジンが目的を遂げたために、ライセンスが必要なくなったからではとか、あるいは彼がさらに上のライセンスを手に入れたからでは、などと議論を交わしていた。

 二人の話を聞きながら、ゴンはポケットから件の物を取り出し眺めてみる。

 

 ……小さな鎖のついたライセンスカード。

 カイトがコンの親のキツネグマから、自分を助けるために放ち、そのまま幹へと残していった置き土産。

 

「でもオレとしては、置いていってくれて良かったよ」

 

 あの日。くじら島で、ゴンが初めてカイトと会ったあの日。

 死んだと思っていた父が生きていた事実と一緒に、ゴンが知った一つの言葉。それがハンターだ。

 

「これがあったおかげで、オレはハンターを目指そうと思ったんだもん」

 

 限られた者だけが名乗ることのできる職業。それを示す証だというカード。

 これは文字通り、ゴンの運命を変えたものだ。

 手に入れて以来、お守りのように持っていた。試験の途中、迷った時はいつも眺めていた。

 ジンとカイトが残したこれに導かれたと言っても、きっと過言ではないだろう。

 ゴンがカードに落としていた視線を上げると、レオリオとクラピカはいつの間にか議論をやめていた。二人とも心なしか優しげな眼差しで、ゴンを見つめている。

 柔らかな表情で、クラピカが相槌を打った。

 

「……そうか」

「ま、会ったら聞けばいいじゃねぇか。ライセンスを置いてった理由も、ハンターになった理由も」

 

 似たような目をしたレオリオが、そう言いながらゴンの頭をかき回した。

 それにくすぐったさを感じつつ、ゴンは破顔する。

 

「うん、そうする!」

 

 笑い合った瞬間に、視界の奥から夕焼けの光が反射して三人を照らした。ゴンは窓の外の景色を眺める。

 ふと、こうして飛行船から同じように外を見ていた横顔を思い出した。別にハンターになりたいわけじゃない、と語っていた友人。初めてできた同い年の友達。

 試験を受けた理由は、ただの気まぐれ。でも彼は最終試験の折、言ってくれたのだという。「ゴンと友達になりたい」と。

 キルアがハンターに興味を持って、試験を受けてくれたから、自分たちは出会えたのだ。

 そのことを、まだ伝えていない。

 

「早く会いたいな、キルア」

 

 

 

 

 

 

(……そんな話を。したこともあったっけ)

 

 くじら島の自室で、ゴンは目覚めた。ずいぶん懐かしい夢を見ていた。

 時刻はまだ夜中だった。夜の静けさが、部屋中をしっとりした空気で満たしていた。

 リーン。窓際に下がる鈴が、澄んだ音を奏でる。幼少の折にミトがぶら下げたウィンドベルだ。

 寝転がったまま、ゴンは目の前に手をかざしてみた。

 ……オーラはやはり見えない。念は使えないままだ。

 電話越しのジンの声が、耳で反響する。

 

『現状(いま)のお前がやれる事は何か、見つけるいい機会だ』

 

 ゴンは音を立てぬよう、そっと窓から出た。

 

 

 

 あてどなく森を歩き、ゴンは見慣れた水辺へと着いた。

 いつかキルアと訪れた場所だ。焚火の明かりの元で、たくさんの未来の話をした。色んなところへ一緒に行こうと語った。

 それがずっと昔のことのように思えてしまうのは、あまりに多くのことがありすぎたからだろうか。

 

(それともオレが、変わったから?)

 

 ゴンはもう一度両手をかざしてみた。かつてウィングから教わったように、全身の細胞をぎゅっと縮こまらせるようにして、体にオーラをまとうイメージを描きながら目を凝らしてみる。

 しかし景色は変わらなかった。

 自然の息吹はこんなにも身体中で感じ取れるのに、そのさらに奥にあった意識……念の世界は、完全に遠ざかってしまった。

 あんなに当たり前のように見えていたのに。

 ゴンは答えの出ない自問を繰り返した。

 

(……今の自分に、何ができるんだろう)

 

 

「ここにいたのね」

 

 沈んでいた思考を断ち切るように、柔和な声が響いた。ゴンは後ろを振り返った。

 そこにいたのはミトだった。寝間着にカーディガンを羽織った姿は、髪が少し乱れている。息もやや切らしているようだった。

 

「また行っちゃったのかと思ったわ」

 

 安心したようにため息をつくと、ミトは傍までやって来る。しかし小走りだったその足取りは、ゴンの表情を見ると、何かを悟ったかのように一度止まる。そして緩やかなものになり、一歩ずつ近付いてきた。

 ゴンが不思議に思っていると、ミトは彼の前に立ち、肩にかけたカーディガンを寂しげに指でつかんだ。

 

「……でもそれは今じゃないだけで。時が来たら、きっと行ってしまうのよね」

「……ミトさん?」

「あなたもジンも、大事なことは相談しないで決めちゃうんだから」

 

 ほんの少し恨みがましい口調とは裏腹に、ミトの顔は屈託のないものだ。

 それに親子だからこそわかる、かすかな寂しさも混じっていることにゴンはしっかりと気付いた。

 きまり悪くなり、ゴンは思わず謝罪の言葉を紡ぐ。

 

「……ごめん」

「いいのよ。別に責めてるわけじゃないわ」

 

 ゴンは一瞬迷った。勝手に出ていくなんて、そんなことしないよと。言おうかと一瞬考えた。

 だが言えなかった。嘘は嫌いだ。それに迷っている。

 このまま、この生活を続けていいのかと。

 ミトは、ゴンの逡巡を見透かしたかのように微笑んだ。

 

「わかってるわ。仕方ないわよね」

 

 諦めたような、けれど清々しさすら感じる声音で、ミトは言う。

 

 

「だってあなたたちは、ハンターだもの」

 

 

 ミトの一言と一緒に、大気がゴンの顔に吹き付けた。

 海の匂いを含んだ、遠い大陸からの風だ。

 港で嗅ぐ匂い。知らない世界へと導く誘いの風。

 それを全身で浴びたゴンは、視界がクリアになった気がした。眼に映る全てのものが、微細な部分まで見えた気がした。

 

「ジンと会って、目的を果たして。またやりたいことができたんでしょ」

「それは……」

 

 ゴンの脳裏に、世界樹の上でのジンとの会話がよぎった。

 

『道草を楽しめ。大いにな』

 

『ほしいものより大切なものが………』

 

 

「……うん。まだ、ちゃんとは見えてないけど」

 

 リーン。かすかだけれど、風の音色がたしかに届いた。

 

「でも聞いてみたいことはあるんだ。友達に。仲間に」

 

 みんなはどうだった? とか。離れている今、何しているの? とか。

 沢山、たくさん。確かめたいことがある。

 ゴンの言葉に、ミトは自身の寂しさを吹っ切らせるように笑った。

 

「じゃあ、やっぱり行かないと。あなたの答え合わせをしに」

「答え合わせ……」

「ええ、でしょ?」

 

 確信があるんだから、とミトは少し得意げに続けた。

 それから母親の表情になった彼女は、短い髪を耳へとかけた。

 そっとゴンの手を取り、両手で愛おしそうに触れる。

 

「……その時は、ちゃんと送り出してあげるから。今はちょっとぐらい惜しませてよ」

 

 幼い時から変わらない、ミトの柔らかい温もり。

 彼女の愛情を確かに感じながら、ゴンははにかむ。

 

「……うん。ありがとう、ミトさん」

 

 ゴンの言葉に、ミトは微笑を浮かべた。二人はしばらく抱きしめ合うようにそのままでいた。

 やがて表情を変えると、ミトは人差し指をゴンの鼻先に突きつける。

 

「あ、でもその時はちゃんと言うのよ。いきなり出ていくのは無しだからね!」

「う、うん!」

「あと、レポートはしっかり終わらせること! 昨日のやつ、字数足りてなかったわよ」

「う、うん(やっぱりバレてたかぁ)」

 

 一気に小言モードになった彼女に苦笑しつつ、おもむろに肩がほのかな熱を感じた気がして、ゴンはそちらを向いた。

 夜明けだ。細く淡い光が、森越しに水平線から現れ始めている。

 二人は刹那、夜が終わるのを黙って眺めた。

 

「……さ、帰りましょう。おばあちゃんが待ってるわ。朝ごはんの支度、手伝ってね」

「うん!」

 

 先に歩き出した彼女に促され、ゴンは家の方へと足を向ける。彼女を追いながらも、ゴンは背中を照らす朝日の方を振り返ってみた。

 ……いつかこんな風に、朝焼けを眺めた。あのハンターを目指す旅の途中。一人ではなく、皆で。

 

(確かめたいことが、たくさんあるんだ。みんなに)

 

 

 

「───オレさ、考えたんだけど」

 

 ゴンの発した声に、先を行く二人と、隣に並んで歩いていたキルアが振り向いた。

 キルアを加え、空港へと向かう途中。一同は今後の展望を話していた。クラピカはハンターとしての活動を開始し、雇い主を探すことを、レオリオは故郷に戻り大学受験の勉強を始めることを。

 ゴンはキルアと共に、ヒソカに借りを返す準備をする予定を話した。その後、先日の話題をふたたび上げたのだ。

 その場に不在だったために、前後関係を知らないキルアがきょとんとした顔になる。ゴンはほかの二人と一緒に説明したのち、自分の考えを口にした。

 

「親父がハンターカードを置いていったのは、ライセンスよりも大事なものが見つかったからかなーって」

「……大事なもの?」

「うん」

「なんだよ、それ」

 

 レオリオを筆頭に、興味深そうに見てきた仲間たちを、足を止めてゴンはじっと見返す。

 つられて三人も立ち止まる。目を瞬かせた三つの顔を見比べてみた。

 レオリオ。クラピカ。キルア。

 答えないままのゴンに、三人はそれぞれ不思議そうな顔になる。示し合わせたようにそろった反応に、ゴンの口元には思わず笑みがこぼれる。

 

「それは……まだわかんない」

「なんだそりゃ」

 

 レオリオがガクッと、あからさまにずっこけた。

 

「でも、会ったら聞いてみるよ。ハンターになった理由と一緒に」

 

 クラピカがふっと楽しげに笑う。

 

「そうだな、それが良い」

「答え合わせ、だな」

 

 キルアの言った言葉に、ゴンは大きく頷いた。

 

「うん!」

 

 

 ……朝日を見ながら、ふいにゴンはサトツの言葉を思い出した。

 

『大事なのは、ハンターになってから何を成したのか、ですよ』

 

 試験終了後、ライセンスを受け取るのをためらう自分に話した言葉。

 それに、先日聞いたジンの言葉がリンクする。そして仲間たちの懐かしい顔が、頭に浮かんだ。

 

 

 

 ……ハンターを目指そうと思わなかったら、あの出逢いも恐らくはなかった。

 生きる理由も、為すべき目的も。何もかもが違う自分たちを、引きあわせたもの。

 ハンター。

 なんて魔訶不思議な縁だろう。

 

 

 自分たちは、まだ夢の途中にいる。

 いつだって終わりじゃない。始まりだ。

 

 

 ……今じゃないけど。でもまた、会いに行くよ。

 どこにいても、きっと、また会えるよ。

 

 

「だってオレたちは、ハンターだもん」

 

 

 地平線から、太陽が顔を出し終えた。ゴンの呟きに応えるように、遥か彼方で弾けた光は、世界を新しい朝に染め上げていった。