最後の祝福 第二話
いつの間にか眠っていたのか。目が覚めるとすっかり朝だった。
しばらくぼーっとした後、レオリオは飛び起きる。
真っ先に窓を見るが何もいない。ソファに目線を遣ると、就寝する前と同じように人形が座っていた。
レオリオはソファに近寄る。人形の位置は動いてもいなければ、服などにも変化はないように思える。
試しに人形の腕を持ち上げてみるが、当然そのまま動き出すなんてことはなく。軽く叩いたりもしてみたが、やはり動かない。
一番気になっていたことを確認する。
「……やっぱり両方青いよなぁ」
レオリオは呟いた。昨晩月光の下では、確かに緋色に見えたのに。
スリープ・アイもいじってみたが、瞳の色は変わらなかった。
夕方までのバイトを終えた後、レオリオは昨日の店を訪れた。
扉を開けるか迷っていると、レオリオに気付いた店主が表に出て来る。
「やぁ、いらっしゃい。どうかね、昨日レンタルした人形は?」
「あぁ……まあ、ぼちぼち……」
レオリオは言葉を濁す。……考えてみれば、人形が動くというのも随分ファンタジーな話である。
夢でも見ていたのかと思われるのが普通だ。
「あの人形、勝手に動く仕掛けなんてのは、ねーよな」
「……何?」
「いや、何でもねぇ。忘れてくれ」
店主が言葉を返すか否かといった間で、レオリオは話を終わらせると踵を返し、そそくさと場を後にした。
そのため、レオリオの背中を見ながら、オモカゲが意味深に呟いたことにも気付くことはなかった。
「目覚めたのだな」と。
夜。風呂に入り終えたレオリオはラフなシャツ姿で、人形と向かい合わせに床に座っていた。
昨晩の事が夢ではないことを確かめるため、一晩中起きていることに決めたのだ。電気代は節約したいので、電灯の明かりは消した。
さぁ、長期戦だ。
……そして、真夜中。
やはりというか、レオリオは床に大の字になって眠ってしまっていた。
「……畜生、またかよ」
同じ失敗に悪態を付きながら体を起こすと、ソファに目を向ける。
……いない。
まさかと思い、レオリオは窓を見る。
昨夜と同じように、人形が窓辺にいた。
窓のほとりで、月を見上げていた。
気配を感じたのか、人形がレオリオを振り返る。
赤と青い瞳がまたレオリオを映す。
色の違う両目の中には光が渦巻いていて、瞳自体が呼吸しているかのようだった。
この世の物とは思えない場景だった。
喉の奥で声が詰まって、言葉が出てこない。
「……お前は……」
何とか絞り出すように声を出したレオリオの視界で、カーテンがはためいた。
翌朝、人形は元の様にソファに座っていた。
レオリオは再び人形の状態を確認する。
昨晩に続き変わらなかったが、彼の脳裏には、確かに昨夜の光景が刻まれていた。
◇◇◇
「人形?」
「それがどうしたって?」
近所のカフェで、呼び出した子供たちにレオリオはこの二日間の出来事を話した。
ゴンとキルアは、レオリオの友人だ。年は離れているが、決してレオリオばかりが面倒を見ている訳ではない。対等の付き合いの友人である。
「……動くんだよ……」
レオリオは精一杯の怖い顔で言ってみせたが、キルアは冷めた目付きで返した。
「今時、捻りも面白みもない怪談だな」
「嘘じゃねーよ!! 本当に動いたんだよ!! こう、幽霊みたいにゆらって動いて、そんで首をこっちに向けたんだ!」
「本当に?」
ゴンの問いにレオリオは頷く。誇張しているが、事実ではある。
「その人形、他に何かした?」
「いや、特に何も……窓際に立ってて、振り向いて……」
「その後は?」
「……覚えてねぇ」
「何で?」
「気が付くと寝ちまってて。昨日は動き出そうとする瞬間を見てやろうと準備してたんだが、やっぱりいつの間にか寝落ちてた」
「ダメじゃん」
鋭いツッコミだ。このまま話をうやむやにされては困るので、レオリオは出来る限りのことを思い出そうとする。
床を照らしていた青い月の光。色の違う両目。
「……そういや、片目が真っ赤だったな」
「目? 片目だけ?」
「ああ。昼間っつーか、寝る前に確認した時は、両目とも青いんだけどよ、夜動いてる時は、確かに赤く光って見えたんだ。……右目、だったかな。違うのは」
「夜にだけ動く人形。朝になると戻っていて、しかも片目の色が変わる……本当なら面白いけどな」
リアリストを自称するキルアは疑わしげな様子だ。レオリオの夢オチという展開を想像しているらしい。
「ねぇキルア、オレ達も行ってみない?」
「え? 今日か?」
「うん。自分の目で見るのが一番だし、三人いれば、レオリオが寝ちゃっても起こせるでしょ」
「おい、オレが寝落ちするのは確定かよ」
「だって昨日も寝ちゃったんでしょ?」
ゴンの無邪気な指摘にうっと詰まる。前科がある身なので否定できない。つまらなそうな顔をしていたキルアだったが、レオリオの反応に吹き出しつつ言う。
「ま、いっか。暇潰しにはなりそうだしな」
「他に言い方はねーのかお前は」
何と言われようとも、証人が増えるのはありがたい。レオリオは二人の宿泊を快諾したのだった。
その晩は曇り空だった。風呂上がりのキルアが髪を拭きながら訊ねる。
「で? いつ動くんだよ、この人形」
「オレに聞くなよ」
「だって全然動く様子ねーじゃん。どう見ても普通の人形だし」
「だからお前らを呼んだんだろーが」
人形を覗き込むキルアに文句を返しつつ、レオリオは二人に眠気覚ましのコーヒーを用意する。
「それにしても、こんなに大きい人形があるんだね。オレ達よりも大きいんじゃない?」
「あ、ホントだ。こんなの買ったなんて、もしかしてレオリオ、兄貴と同じマニア?」
「だーかーらー、無理矢理押し付けられたって言っただろーが! それにレンタルだからな! 買ってはいねぇ!!」
断れなかったのは事実だが、人形マニアではないことはしっかり主張しておく。
そうやって賑やかなやりとりを続けていたはずだったのだが、気が付けば、またレオリオは眠っていた。
床で寝落ちたため、少し固まってしまった体を起こす。ゴンとキルアも近くで転がっていた。
三人とも寝ていたとは、情けない結果だ。
と、足下に自分達以外の影が伸びていた。雲の隙間から月光が差し込んでいる。
逸る気持ちを抑え、レオリオは窓に視線を向ける。
カーテンの下で、金色の髪が揺れていた。
レオリオは、やや高揚した面持ちで、その光景を眺める。
……これで三日連続だ。
「……おい、ゴン、キルア。起きろ」
「ん〜?」
「起きろって」
人形から目を外さないまま、レオリオは二人を足でつつく。眠そうに目を擦りキルアが体を起こす。
「まだ暗いじゃん……」
「寝ぼけてんじゃねーよ。ほら、見ろよあれ」
「え?」
「……!」
二人の寝ぼけ眼が驚きに見開かれる。先程のやりとりが聞こえていたのか、人形が三人の方を向いた。色の違う両目が、三人を視界に映す。
「……本当に、動いてる……」
キルアが呆然と呟く。だから言ったろと小声でレオリオは囁いた。
さて、どうしたものかと考えるが、レオリオより先にゴンが話しかけた。
「ねぇ君、名前なんて言うの?」
こういった時、物怖じせず尋ねられるゴンは大物だと残りの二人は密かに思った。
人形は、ゆっくりとゴンに顔を傾けた。
流石に少し緊張したらしく、ゴンが小さく唾を飲み込む音が聞こえる。
感情のない表情で、人形は答えた。
「……クラピカ……」
思っていたよりも低めの声だ。声質からして、少年だろうか。少女のような外見と違和感のないもの。
「クラピカっていうんだね。オレはゴン。こっちがキルア、こっちが、君と最初に会ったレオリオ」
クラピカの視線がゆるりと動く。
その眼が改めて自分を見た瞬間、初めて会った時のようにレオリオは動けなくなった。
……何だろう。胸の奥底にある小さな傷が、疼いたような。
ゴンは彼特有の警戒心を抱かせない笑みを浮かべ、更に問いかける。
「ねぇクラピカ、君はどうして動けるの?」
「……」
「君は一体、何がしたいの? もし、オレ達に協力できることだったら、力になるよ」
ゴンの言葉に「え、おい」とキルアが背後で言うが、彼の表情は変わらない。
すると感情のなかったクラピカの顔に、微かな揺れが見えたような気がした。
ゴンと同様に、レオリオもまた、クラピカの反応を待った。
クラピカの唇が、動く。
かすかな声音で、願いが紡がれた。
「……さがして……」
月の光を浴びながら、紅と碧い瞳でクラピカは言った。
「わたしを……みつけて……」
そこまで言って、クラピカはふっと瞳を閉じた。そのまま体が傾いでいく。
「あ、オイ!」
慌てて駆け寄り、レオリオはその身体を受け止めた。
腕の中にあるのは最初に触れた時と同じ、間違いようもない人形の体だ。しかし今のクラピカと名乗った人形には、表情があった。昼間動いていない時とは違う、生きた表情があった。
そのまま、クラピカは動かなくなった。何度かレオリオは呼びかけてみたが、反応はなかった。
気付けば空には雲が広がり、月は隠れてしまっていた。
「……もう動かねぇな」
レオリオはクラピカの体をソファに戻す。ゴンがクラピカの顔を見ながら呟く。
「『わたしをみつけて』って、どういう意味だろう?」
「さぁな。……てかさ、ゴン。さっきこいつに言ってたこと、本気かよ」
「うん。だって悪い存在じゃなさそうだしさ」
当たり前のようにゴンは頷く。ゴンの言う通り、クラピカにこちらへの害意は感じられなかった。キルアもそこは同意する。
「う〜ん、確かにただの幽霊とかじゃないみたいだけど」
「……この人、夜しか動けないのかな?」
「何にせよ、もっと情報が必要だな」
「そうだね。明日また聞いてみよう? いいでしょ、レオリオ」
「ああ……」
二人に生返事を返すレオリオは、眠っているクラピカから目を離すことができなかった。