最後の祝福 第一話
これはきっと、一生忘れられない出来事なのだろう。
何も出来なかった己を苛むかのように。
夢に現れた姿に、謝罪と懺悔を繰り返して。
そして疲れ切った頃、また変わらぬ朝が来る。
「……またお前か」
ベッドで起き上がり、片手で頭を抑えた男は歯を噛み締める。
苦々しく、一つの名を呟いた。
「ピエトロ……」
街は今日も変わりない。
賑やかな人混みを避けるようにして、レオリオは通りを歩いていく。
今日は特にバイトがある訳ではない。買い出しの必要もなく、食糧も日用品も備蓄は十分にある。それなのに何をする訳でもなく、彼は街をぶらついていた。
もう何度目かになる問いを、己に再度問うてみる。
(……何やってんだろうな、オレ)
親友が逝ってから早半年。街の景色は変わることなく、自分はバイトをする以外、大した目的を見い出せないまま過ごしている。
こうして行き詰まって、悲劇に酔っているだけでいいのかよ。頭の片隅で自分自身が言う。
それとも、アイツに会えるとでも思っているのか?
こうして探していれば、いつかは……なんて。
思い付いた考えに、レオリオは自嘲の笑みを浮かべる。
我ながら、何て女々しいのだろう。
そんなことを考えているうちに、レオリオは人気のない地区に入り込んでいた。
大通りから少し離れている割に地価が高いため、ほとんど無人の店が軒を連ねている路地だ。
その中に、見慣れぬ趣の店があった。記憶では確か空き家だったように思っていたが。
「……こんな店、あったのか」
ひっそりとした佇まいのショーウィンドウには、様々な大きさの人形がいくつも飾られていた。どうやら人形専門店らしい。
ウィンドウ越しに沢山のガラスの瞳が、レオリオを見つめている。洗練された彫刻のような芸術品と、同等の印象を持ったそれらから、知らずレオリオは目を離せずにいた。
「うちの人形が気になるかね?」
「え? あ、ああ……」
いつの間にか店主らしき男性が近くにいて、声をかけてきた。慌てて体を離すが、ガラスに残った指の跡からレオリオが冷やかしをしていたのは明らかだ。
「その……まるで生きてるみてーだなって思ってよ」
月並みな言葉だと思ったが、レオリオの反応に男はうんうんと頷いた。
「人形作りは命を吹き込む作業。腕が無ければ、魂の無いただの木偶となりかねない。『生きているようだ』というのは、人形師にとって最高の褒め言葉だよ」
「……そりゃどーも」
熱の込もった言葉に、レオリオは頭を掻きながら気のない返事をした。
改めて男の顔を見る。身長はレオリオと同じ位の長身。燻んだ銀色の長髪、気難しそうな面から覗く眼にどこか光が満ちている。
「どうぞ、入りたまえ」
気配を感じない動作で入り口まで動いた男は、ドアを引きレオリオを中に誘う。
チリン。扉の上に付けられたベルの小さな音が響く。
一瞬迷ったが、レオリオは店内に足を踏み入れた。
室内は薄暗い。カーテンがびっしりと閉じられ、外からの採光が遮断されている。僅かに窓の端から、太陽光が滲む程度だ。
「人形の保存には太陽の光を当てない方が良いのでね。足下に気をつけてくれ」
「ああ。……ショーケースに出してるのはいいのか?」
「あのガラスは特別製でね。人形の傷みの原因となる紫外線を防いでくれるんだ。それに、やはりある程度目立たせる必要はあるさ。彼らも持ち主が欲しいだろうからね」
「なるほど」
レオリオは室内を見渡した。狭い敷地内に置かれた棚には、上から下まで数えきれないほどの人形が飾られている。どこかホラーな様相を醸し出すそれらを倒さないよう気を付けつつ、案内されるままま進んでいく。
奥には作業台と思しき机があった。胴体だけの作りかけの人形や、腕のパーツ。服の一部らしき布切れが雑然と広がっている。
そして、そこから少し離れた机に、一つの人形があった。
店にある物の中でもサイズの大きい、人間とほぼ同じ大きさのものだ。
「ああ、それは新作なんだ。ひと月くらい前に完成したんだよ」
店主の声をどこか遠くで聞きながら、レオリオはその人形を覗き込む。
微かな太陽光と所々に設置されたランプ以外、ほとんど真っ暗な店内であるにも関わらず。
それはまるで、ほのかな光を放っているかのように存在していた。
すっと通った鼻の筋、ふっくらとした頬。
金色の短めの髪と、どこかの地方の青い民族衣装。
そして、宝石のような透明な碧い瞳。
美しい、少女のような造形をした人形だ。
自然と、レオリオは人形に指を伸ばしていた。
指が触れるその刹那、僅かに躊躇ったが、主人が止める様子はなかったのでそのまま触れてみた。
ひんやりとした感触。材質の所為もあり冷たかったが、レオリオの指の体温で徐々に温まる。指先の感覚が滲んでいく。
「如何かな? 美しいだろう?」
「ああ……」
夢見心地のまま、レオリオは答える。今まで目にした物とは違う、不思議な吸引力をレオリオはその人形から感じていた。
「……でもなんつーか……」
「…… 何だね?」
思うまま言いかけたレオリオだったが、我に返って言い淀む。しかし店主の視線に言葉を続けた。
「……こいつは、何だか悲しいような顔をしてんな」
正直に答えてから、やはりまずかったかと思うが、製作者である店主は機嫌を損ねるどころか「ふむ」と唸る。
「君はなかなか面白い青年だな」
そして先刻より砕けた口調になる。何が琴線に触れたのかはわからないが、どうやらレオリオはこの男に気に入られたらしい。
男は少し身を乗り出すように、レオリオに近付いた。
「どうかな。この人形を手元に置く気はないか?」
「え? いや、いいよ。オレ金持ってねーし」
「遠慮することはない。君の希望はなるべく聞こう。いくらまでなら出せるかな?」
「いや本当に、オレ金持ってねーんだよ」
嘘ではない。本当のことだ。しかしまた考え込んだ店主はそこで諦めるかと思いきや、思いがけない提案をしてきた。
「そうだな……ならばレンタルというのはどうかね?」
「レンタル?」
「ああ。一ヶ月五千ジェニーで、君にこの人形を貸すことにしよう。万一破損等を起こしてしまったら、流石に弁償してもらうことにはなるだろうが、君ならそう滅多なことも起こさんだろう。私が店にいる時に持って来てくれればメンテナンスも行おう。気に入ったら好きなだけ手元に置いてくれればいいし、飽きたらすぐに返してくれて構わない」
人形のレンタルに需要があるのか。業界の相場も事情も知らないが、そう払えない金額ではない。少なくとも、人形の製作費より遥かに低い金額であることは素人のレオリオにもわかった。
普段押し売りなどには断固引かないレオリオだが、困惑しながら主人に問うた。
「……何で、そんな熱心に勧めるんだ? こんなに出来の良い人形なら、オレなんかよりもっと相応しい奴がいるだろ」
確かに、綺麗だと思う。芸術に興味のない自分でも、やたら惹かれる思いもある。
けれどこれは、己が手にする必要がないものではないかとも思う。それこそ金持ちの子供とかなら、喜んで大事にするだろうに。
「人間が人形を選ぶのではない。人形が人間を選ぶんだ」
そう言って、人形師の男は微笑を浮かべる。底が読めない笑みだった。
「心を囚われているということは、君が主人として選ばれたということだよ」
◇◇◇
結局押し切られるような形で、レオリオはその人形をレンタルすることとなった。
オモカゲと名乗った男は、そのまま人形の配送手続きを取り、レンタル代の五千ジェニーを受け取った。送料は取らなかった。一応確認したが、サービスだと言い頑として受け取らなかった。
そして現在、レオリオの手元には箱がある。帰宅して数時間、つい先刻届いたものだ。
……なんで断れなかったんだろうな。
自他ともに認める節約家……もとい、守銭奴の身としては、こんなものに金を出している余裕はないのだが。
とりあえずレオリオは、丁寧に梱包された箱を開き、緩衝剤に使われている紙を外していく。
人形のレンタル……洋服屋のマネキンなどならわかる。
そう言えばどこかの国では、祭事に使う人形をレンタルするといったこともあるらしい。しかしこの様な観賞用の高価なビスクドールのレンタルは、あまり聞いたことがない。
そもそもこんなことをして商売が成り立つのか、レオリオにはわからないが、自分が気にすることではないだろう。暫くしたら返せばいいだけの話だ。
何重にもくるまれた紙をめくり、人形を取り出した。
「よっと」
やはり等身大となると、いくら人形といえども動かすのにも力がいる。自然とかけ声を挙げながら、レオリオは人形を持ち上げ、部屋の壁に寄りかからせてみた。
店の中で見た時と変わらず、その人形は神秘的な魅力を放っていた。
少年か少女か、判別しにくい面差し。陶器の肌は薄く化粧を施したかのように、頬が微かに赤く色づいている。
まるで氷の中に命を閉じ込めたかのような、そんな趣きがあった。
「……それにしてもよく出来てんな。本物の人間みてぇだ」
金色の、光の色をした髪に触れてみる。材質は人工物だが、指通りは滑らかだ。冷たい頭皮に指が触れる。
そしてやはり瞳が目を惹いた。緑に近い、ブルーの瞳。
……美しい。
奥に見える虹彩の模様は均一でなく、細かく不規則に、絶妙な塩梅で施されている。素材はガラスのはずだが、あたかも本物の瞳のようだ。
……そういえば、店主が目のギミックがどうとか言っていた気がする。
レオリオは指の腹で、人形の瞳の上に触れる。押し出されるように数ミリ出て来た瞼を、下に下ろす。
カシャリ。
「お、閉じた」
碧い瞳が瞼に隠れた。スリープ・アイという仕組みだったか。
こうしてみると、本当に人間が目を閉じて眠っているかのようだ。
もう一度指をスライドして、レオリオは人形の目を瞬きさせてみたが、あまりいじると可哀想な気がしたのでそれきりでやめにした。
衣装は何をイメージしたものなのだろうか、そういったことを、あの店主からはほとんど聞かなかったことに思い至る。
借り物を床に無造作に置いておくのも良くないので、レオリオは人形をソファに移動させた。
生活感溢れる居住まいに人形があるのも奇妙な光景だが、まあいいだろう。
空箱に緩衝材を仕舞い、レオリオは晩飯の用意をすることにした。
その日の夜中、レオリオは目を覚ました。
薄暗い天井を眺めた後、目を開けたまま寝返りを打つ。
視界の奥で、カーテンが白いドレスの様に、風に揺れて踊っていた。
月の光が明るい。
「……あれ?」
何故、窓が開いているのだろうか。
レオリオは起き上がった。虫が入るからと、窓は寝る前に閉めたはずだ。
窓辺に、人影が立っていた。
「……だれだ?」
人影はこちらを背にして、月の光を浴びていた。
泥棒か? 一瞬警戒するが、すぐに違うようだと気付く。
短い金の髪が、青白い光に照らされ、なびいている。
あの人形だった。人形が、窓際に立っている。
まるで、生きているかのように。
人形がゆっくりと、こちらを振り向く。
途端に、レオリオは魔力に支配されたかのように動けなくなる。
時が止まったように、二人は見つめ合う。
立ち尽くすレオリオを、人形の二つの瞳が見据える。
月明かりの中、人形の瞳は片目だけが赤く光っていた。