早朝、繁華街の裏通り。

 黒い車体から、金髪の人物が降りた。

 それを見ていた影のいくつかが、さっと手をあげる。

 物陰に身を潜めたまま散開し、包囲網を作る。

 徐々に距離を詰め、気付かれないように中心に追い込む。合図ののち、彼らは電話をしているらしき金髪の人物に飛びかかる。

 しかし彼は、予想していたかのように身をがくんと屈める。その動きのまま足を伸ばし、襲ってきたひとりに蹴りをぶち込む。

 

「ぐわっ!」

 

 反撃に面食らった男が体勢を崩した先、待機していた体格の良い男がそいつを捕まえる。

 ほかの人間も逃げられないよう、控えていた面々が取り囲み抑えていく。

 

「上出来だな。こう上手く引っかかってくれると気持ちがいいぜ」

 

 レオリオが勝ち誇ったように言うなか、リンセンは被っていた金髪のカツラを無造作に外した。

 

「なんで俺がクラピカの格好をしなきゃいけないんだ」

「しゃーねーだろ。オレがしたら完璧にニセモンだってバレるじゃねーか」

 

 敵の狙いがおそらくクラピカであるという推論から、結婚式には気が早いものの、即席の囮作戦を決行することになった。クラピカの身代わりは、彼とそう身長の変わらないリンセンが行った。

 わざわざ手の込んだことを、という気もするが、可能性を確実なものにするためというレオリオの主張に結局は折れた。

 なおその時「お前がすれば……」と反論されたレオリオが放った「お前ら、そんなにマッチョなクラピカが見たいのか?」という一言が、案外効いたらしい。リンセン以外の組の人間は、誰も反対をしなかった。

「いつかの仕返しか?」と問うたリンセンに、レオリオは「さぁ、何のことだ?」ととぼけてみせる。そのまま転がっている男のそばに屈み込み、顔を上に向けさせた。

 

「コイツらの顔、見覚えあるか?」

「ああ。あの組の構成員だ」

「そうか。……よう、起きてるだろ?」

 

 レオリオは利き手の指で、男の瞼を開いた。トリックタワーの時のように、眼球運動を見るためだ。

 

「気絶したふりしても無駄だぞ。目は嘘をつけねぇ」

 

 真正面を向いていた男の目が動き、レオリオと視線が合う。即座に男は立ち上がり逃げようとするが、リンセンが足を引っかけ転ばせる。

 ひっくり返った無防備な頭に、リンセンは服越しに銃をあてた。男のこめかみに汗が伝う。

 

「お前らのボスの所に連れていけ」

 

 

 

 ノストラードファミリー事務所から、数キロ離れた場所に建つ館。

 一見ただの貴族の邸宅であるその建物に、マフィアの一群がなだれ込んだ。

 奥にある一番豪華な部屋で悠々とくつろいでいた男は、突然やってきた輩に面食らう。傍にいた護衛は、またたく間にのされていた。

 

「何だ!?」

「初めて会うな。スカラジファミリーのボス、スカラジ・ジュセル」

 

 リンセンはその名前を鋭く言った。

 スーツだけは高級そうなものに身を包んだその男は、趣味の悪いリングやバングルを付けている。

 

「お前は…ノストラードのとこの……」

「オルシアン宛てに脅迫状を送ったのはテメェだな。そしてその件に、俺たちノストラードが出てくるであろうことも予想していた」

「……へっ、まあな」

 

 観念してかあっさりと、スカラジは認めた。

 

 オルシアン氏への脅迫は、本来のターゲットを隠すためのダミー。事業がクリーンとはいえ、裏社会に片足を突っ込んでいるオルシアン氏が古くからの知り合いであるノストラード氏に相談することを見越して仕掛けていた。

 彼の狙いは依頼人のオルシアンファミリーではなく、ノストラードファミリー。ひいては、その若頭であるクラピカであったというわけだ。

 しかし、思いがけないことが起こる。クラピカに向けられた悪意に、花屋の店員が花に込めた念が反応したのだ。

 クラピカを危険から遠ざけるため、念は防衛機能のように働いた。本来の癒しの能力だけでなく、彼をその場から動かさないために、眠りの魔力となってクラピカを深い眠りに誘ったのだ。

 そしてクラピカは故郷の花々に惹かれるまま、深い眠りに落ちた。

 ……その部分は、目の前の男に語ることではなかったが。

 

 スカラジファミリーのボスは、憎々しげに語り出す。

 

「ノストラードの野郎……前までは俺たちと同じ田舎のただのファミリーだったってのに、娘の占いでどんどん出世していきやがった。あいつ自身には何の能力もないくせに、小娘の意味不明な力を自分の物のように使ってよ。この地方のマフィアの代表は、さも自分(てめえ)みたいなデカい面して、どんどん領域(シマ)を広げた挙句、ヨークシンにまでのさばりやがった。俺たちを踏み台にしやがって」

 

 けっ、とスカラジは床に痰を吐く。

 

「ヨークシンの騒動のあと、娘の占いが使えなくなったって噂を聞いていい気味だと思ったぜ。このまま潰れちまうと思ってたのに、それがあの金髪のガキが……ノストラードの代わりにしゃしゃり出てきたと思ったら、どんどん組を立て直していきやがった。ただの腰巾着かと思ってたのに、次々に事業を成功させやがって。お陰でこっちには仕事も何も流れてこねぇ。おまけにファミリーを真っ当な組織にまでしやがった」

 

「何度顔を会わせても、毎回すましたツラしてやがる。だから一度言ってやったんだよ。人の仕事まで取るんじゃねぇってな。そしたらあいつ、言いやがったんだ。我々はそちらの領域を侵してはいない。顧客が我々かそちらかのどちらかで、我々の方を選んだのなら、そちらに問題があるのだろうってな。ハッ、バカにしやがって!! こっちの半分も生きてねぇガキが、説教みてぇな言い草して、何様だってんだ」

 

 一同が黙って聞く中、スカラジは話をやめず己の言い分を続ける。

 

「今回だってそうだ。俺たちが仕掛けてきたことに感づいたのか、急にまったく表に出なくなりやがった。捕まえたらすぐには殺してやらずに、散々虐めて啼かせてからあの世に逝かしてやろうと思ったのに。汚ねぇことはオメェらみたいな下っ端にやらせて、自分は高いところからご見物してやがる。ああ、本当に気にいらねぇぜ」

「このゲス野郎……! さっき襲われた時、組員たちが銃を使ってなかったから、もしやと思ってたがな。そんな根性だから成功できなかったんじゃねぇか?」

 

 身を乗り出しつつ述べるレオリオを、横からリンセンが制した。同じように静かな怒りを湛えていた彼だったが、何も言わずスカラジを見つめた。

 リンセンはふぅーと深く、長く、息を吸った。それは彼のスイッチを入れる動作だった。

 

「……ペラペラと喋ってもらってありがとうよ。さて、オレ達を敵に回しちまったわけだが、潰される覚悟はできてるんだろうな?」

 

 懐から素早く出した銃を突きつける。見せしめのためか、サイレンサーも外す。床にガシャンと、それは乱暴な音を立てて落ちた。

 この男を撃てば、館中に銃声が響くはずだ。

 

「ハッ、そいつがなんだってんだ」

「強がりか?」

「小狡いボスが従えてるテメェらとは言え、一つの組に戦争ふっかけるんだ、これぐらいのことは予想してらぁ」

「その様子だと、ほかの部屋に忍ばせてた部下どもに俺たちを制圧させるつもりだろうが、あいにくだったな。この館はすでに俺たちの制御下にある。テメェの立つ場所の三歩後ろ、隠し通路にいる奴らも、こっちのモンが捕らえている」

 

 スカラジの顔色が、少し変わる。

 

「そいつらだけじゃねぇ。テメェの組の構成員の親兄弟、こっちは全員調べ上げてるぜ」

「……だったら何だ?」

「おい、ファミリーごと心中ってつもりかよ」

 

 レオリオは呆れ半分、憤り半分で言う。

 

「んなことにテメェの組全員の命かけてんじゃねぇぞ」

「俺たちファミリーは一心同体だ。報復を考えねぇで、組で仕掛けるほどバカじゃねぇ」

「ほー、小物のくせに言うことだけはご立派だな。人を嵌めることしか能のねぇ奴が」

 

 リンセンは一度眼を閉じた。銃をスカラジの頰に当てながらしゃがみこんだ。

 これ以上ないほど、低い声でささやいた。

 

「お前、アジャンの店の女に孕ませたガキがいるよな」

「!?」

「知ってるぞ。名前はユストだったか。毎月金も送ってるな。ご丁寧にそれ専用の口座で匿名で」

 

 目に見えて動揺する男とは対照的に、リンセンの表情は冷徹そのものだった。

 

「な、なんで、あいつらのことを……」

「テメェの知らねぇ方法で、人に聞く方法なんざこっちにはいくらでもあるんだよ。念の存在も知らない中途半端な野郎どもが」

 

 蔑むように言うと、リンセンは温度のない目で続ける。

 

「その店の女全員、皆殺しにしてやる。ついでに近くのガキ連中もな。その中にテメェのガキがいたら儲けもんだ。いなくても別に、こっちは痛くもかゆくもねぇ」

「ま、待ってくれ。あいつらは何も知らねぇんだ。それにこの数年会っちゃいねぇ。あっちは俺の顔なんざ覚えてねぇし、だから」

 

 スカラジは慌てるが、リンセンの眼はすわっている。

 

「ほぉ、情があるのか? 泣ける話だな」

「お、おい……」

「お前は黙ってろ」

 

 たまらずレオリオは口を挟むが、リンセンは冷たく言い放った。

 

「これは俺たちの領域だ」

「……」

 

 レオリオは言葉を失い、なりゆきを見守る。

 リンセンは乱暴な仕草で銃をスカラジの頭に当てた。スカラジの歯は小刻みに震え、カチカチと音を立てていた。

 

「……テメェは俺たちが真っ当な組織と思ってくれているみてぇだがな、それは若頭であるクラピカの作ったルールに従ってるからだぞ。そのボスに手を出そうとしたんだ。先にこっちの領域(シマ)に手を出しといて、殺されるだけで済むと思ってんのか。だとしたら、随分めでてぇ頭だな」

 

 じゃきりと、ハンマーが上がる。ひっ、と小さな悲鳴が漏れた。

 

「じゃあな」

 

 リンセンは、ためらいなく引き金を引く。

 しかしそれは、完全には引かれなかった、

 レオリオが銃身を掴んでいた。撃鉄の位置に指を挟んで。

 

「……何をする?」

「殺すな」

 

 レオリオはただ、その一言を言った。

 

「オレのいる前で、殺しはさせねぇ」

「そんな綺麗ごとで生きていけるほど、世の中安くねぇんだよ」

「そんなことは知ってる」

 

 百も承知だ。そういったことは、これまでレオリオがゴンたちに言っていた方だ。

 

「だけど殺すな」

「無茶苦茶だな」

 

 リンセンはレオリオを馬鹿にしたように、鼻で笑う。

 意見の割れる二人を見比べていたスカラジは、レオリオの異質性に気付いたようだ。

 

「……おい。テメェ、ヤクザじゃねぇな?」

「……」

「へっ、青二才が。甘っちょろいコトぬかしてんじゃねぇ」

「テメェのためじゃねぇよ!!」

 

 途端に怒声を出したレオリオに、男は思わず身体を震わせた。そんな様子を歯牙にもかけず、レオリオはリンセンを見据える。サングラスの奥の瞳を熱くさせて。

 

「こんなクズみてぇな男でも、家族ってのがいるんだろ。そいつらまで悲しませるようなことを、あいつが喜ぶわけねぇだろが!!」

 

 リンセンは銃を男に向けたまま、淡々と言う。

 

「……あいつのマフィアとしての顔を、お前は知らないだろう」

 

 スーツを着たクラピカ。それまでの民族服を脱ぎ捨て、明るい金髪と対照的な黒い色の衣装。

 懐に常に忍ばせるようになった銃(ぶき)。

 

「ああ。オレには見せようとしなかったからな」

 

 クラピカが忌み嫌うこと。後ろ暗い世界。

 それでも、人としての誇りを失わないように生きていた彼の姿。

 

「だが考えてることぐらいわかるさ」

「…………」

 

 レオリオの顔を見たあと、リンセンは一度銃口の向きを下に変える。それを見て、レオリオは手を放した。

 リンセンは目線を正面に戻す。ゆらりと動いた視線は男の顔を見ておらず、なんの表情も浮かんでいなかった。

 再び銃が構えられた。

 

 

「お前と俺は違う」

 

 

 銃が唸った。誰も動けなかった。

 硝煙の匂いが、一気に立ち込める。

 間近で放たれた銃声は、轟音のようにレオリオの耳を殴った。数秒経つと、耳の奥に響いていた反響がやむ。レオリオは目を開いた。

 リンセンの放った銃弾は、男の耳をギリギリに掠り、床の絨毯に打ち込まれていた。

 

「俺たちから手を引け。今後一切、俺たちノスラードとオルシアンに関わるな。さもねぇとテメェだけじゃねぇ……わかってんな」

 

 男は馬鹿の一つ覚えのように、ただ首を縦に振った。それしか動くことができなかった。

 腰が抜けた男の首を持ち上げ、リンセンは念押しする。

 

 

「忘れるなよ。テメェが何かしようとしたら、俺たちにはすぐわかるからな。テメェの振る舞いがガキや女の命も握ってるってことを、その軽い頭に刻んでおけ」

 

 

 身を翻し、リンセンは去っていく。そのやりとりを見ていたレオリオは、遅れて彼を追った。

 部屋を出たリンセンは、外で待機していた部下たちに、指のサインで何かを命じた。男たちはすぐに頷き、かけ出し、それぞれに仕事に駆け出していった。

 

 

「アイツらにはしばらく監視をつける。何か手を出して来たらその時は今度こそ命を取る」

「その……ありがとな」

「……お前のためじゃない」

 

 そっけなくリンセンは返す。クラピカは報復という手段を嫌っていた。そのことを思い出したからだった。

 

「わかってる。でも礼を言わせてくれ」

「…………」

 

 まっすぐに自分を見ていうレオリオに、リンセンは視線を向ける。

 それまでの感情を捨て、一度息をついてたずねた。

 

「お前、クラピカのどこがいいんだ?」

「は?」

 

 そうして聞かれた問いは予想斜め上のもので、レオリオは本日一番の大声を上げた。

 

「は、どこがって、えぇ!?」

「なんでそんな慌ててんだよ。中学生男子か」

 

 素っ頓狂なレオリオの反応に、リンセンは鬱陶しそうに顔をしかめた。

 

「さっき自分でも言ってただろ。あいつには他人に見せない顔がある。それでも、あいつが好きなのか?」

 

 レオリオは立ち止まる。

 いつかのクラピカの、後ろ姿を思い出す。

 

 

「オレはあいつの全てを知ってるわけじゃねぇ」

 

 

 触れられない過去。

 傷。

 今のクラピカを、クラピカたらしめているもの。

 

 

「けど誰だってそうだろ。オレにだって、あいつに見せたくねぇ顔がいっぱいある。それでもオレは、あいつと 一緒に生きたいと思ったんだ。……たとえオレが、あいつにふさわしくなかったとしても」

 

 

 最後の言葉に、リンセンは意外そうに目を大きくした。

 だがレオリオの考えは変わらない。

 

 

 あの花屋の店員の念は、人を癒すもの。

 そして、故郷の花で触発されたのは、クラピカのクルタの人々への思い。

 クラピカ自身の大事な人たちへの思いが、彼を眠りにつかせた。そのお陰で、彼はスカラジファミリーの脅威から逃れることができたのだ。

 そう。クラピカにとって大事な彼らが、彼を守ってくれていたのだろう。今回の件も。そして、念として作用する前の、これまでもずっと。

 

 

 だからこそ思う。自分では、クラピカの傍にいる資格がないのではないか。

 すべての緋の眼を終えたあとも、クラピカの心の大部分を、彼の仲間たちが占めていることを知ってしまったから。

 なおのこと、その考えはレオリオの心の中心に居座っていた。

 

 しかしそれを聞いて、リンセンは呆れたように嘆息した。それも心の底から。

 

「クラピカもアレだが、お前も大概にぶいな」

 

 あっけにとられるレオリオに、リンセンはクラピカの携帯を差し出した。

 反射的に受け取るレオリオだが、「え、なんでお前持ってんの?」という顔になる。

 

「クラピカの代行をするのに必要だったんだよ」

 

 と、リンセンはすかさず返す。

 余計な誤解はまっぴらとでも言うように。

 

「見てみろよ」

「…………」

 

 画面で開かれていたのは電話帳だ。仕事用のものがほとんどの中に、自分のものもあった。

 

「……これがどうした?」

「……お前、電話番号変えたか?」

「? ああ。機種変した時に、ちょっと変えたぜ」

「そうか。その連絡はどうやってした?」

「電話で……あいつのメアド、いまだに知らねーし」

「……クラピカも、携帯を数回替えている」

「そうだな。前持ってたやつと違うのは覚えてる」

「クラピカにはな、プライベート用の携帯があるんだよ。機種変更する前の機種だ。ハンター試験での知り合いとのやりとりは、それでやっていると前に言っていた」

 

 レオリオは疑問を感じる。携帯を使い分けているのは、おそらく万が一の際、友人たちに火の粉が飛ばないようにするためだろう。公私を分けている彼らしい。だがなぜ自分のは……?

 

「その携帯には、お前の電話番号があるよな」

「……ああ」

「ここまで言わないとわからないか? お前を切り離すチャンスは、クラピカにはいくらでもあったんだよ。それでもお前の番号を残し続けた意味がわかるか?」

 

 

 携帯電話を持ったまま、レオリオは立ち尽くした。

 

 暗いものしか存在させていない、クラピカの裏の顔の世界に、唯一あった己の番号。

 その意味に思い至り、感情のまま走り出した。

 

 

 リンセンは車を拾うことも忘れ、ただ目的の場所へひた走るレオリオに、呆れた眼差しを向けていた。

 だが、その目は自然に羨むようなものになっていた。