レオリオがクラピカの元に泊まった翌日。事務所のクラピカの私室にはレオリオ、リンセン、センリツの三人が集まっていた。
寝台には、昨夜から変わらない様子のクラピカがいる。
最初は疲れて眠っているのだろうと、レオリオは彼を起こさずにいた。しかし日が高くなっても目覚めないため、異変を感じて彼の様子を診た。だが何度声をかけても、少し痛いぐらいに頰を叩いてもクラピカは起きなかった。
そのためレオリオは側近であるリンセンと、今はクラピカの部下になったセンリツに連絡を入れた。センリツは別の仕事についていたが、知らせを聞いてすぐに駆けつけてくれた。
眠ったままのクラピカを見るリンセンは、一見様子は変わらなかった。だがわずかだが悩ましげに、眉が歪められていた。
細い目をジロリとレオリオに向ける。
「お前、何をしたんだ?」
「な、なんもしてねーよ」
「…………」
濡れ衣だと慌てて弁解する。まぁたしかに、同じ部屋の同じベッドで寝ていたが……。
レオリオの反応に、リンセンはふんと鼻を鳴らす。彼に二人の関係はとっくに知られているはずだが、そのことについての言及は、結局されることはなかった。
「体自体に異常は?」
「ない。体温も脈も普通だ」
強いて言えば脈が緩やかだが、眠っている以上それは自然なことと考えられた。レオリオが見る限り、クラピカの体に異常はない。
「とすると、念か?」
「……わからねぇ」
頭を抱えるレオリオの横で、センリツはクラピカの枕元に屈み込む。
センリツは自身の感覚を研ぎ澄ませながら、目を閉じる。レオリオたちは彼女の邪魔にならぬよう、自然と息を殺した。
しばし集中した後、センリツは小さな黒目を開く。
「……心音はとても落ち着いているわ」
「……そうか」
レオリオはホッと息を吐く。センリツは不思議そうに首を傾げる。
「聞いている限りは、疲れて眠っているだけに思えるけれど……」
「だとしても、どんなに声かけても起きないのはやっぱり変だろ」
「そうね。でもこれが念によるものだとしても、悪意のある念とは思えないわ。でなければ、こんなに心音(おと)が安らかなはずがないもの」
「そうなのか?」
「ええ」
一同は考え込む。
「……仮に念をかけられたとすると、タイミングは昨夜か?」
「けどオレは何も感じなかったぞ? クラピカもそんな様子はなかったし」
そう。レオリオはともかく、クラピカほどの念能力者ならば、他者の念に対しても敏感なはず。
眠っていても、自然と念が使えるようにまで修行するのだ。たとえ疲れが溜まっていたにしても、彼に限ってそんなことがあるのだろうか?
なんにせよ、今の段階では不明なことが多すぎる。
レオリオは再びクラピカを眺める。
寝顔は穏やかだ。……幸せな夢でも見ているのだろうか。
レオリオは名残惜しげに、閉じられた睫毛を見つめた後、枕元のセンリツに言った。
「こいつのこと、看ていてもらえるか」
「ええ、それはもちろん。……貴方はどうするの?」
未練を断ち切るように、扉に向けて一歩ふみ出しリンセンに振り返る。
「とりあえず、昨日こいつが言ってた依頼人のところに挨拶に行く。アンタなら知ってるだろ?」
「……ああ」
「そう。……二人とも、気を付けてね」
◇◇◇
清潔そうな、白い扉をノックした。どうぞ、という言葉にリンセンとレオリオは室内に入る。
大きな鏡が目立つ部屋だ。そこには一組の男女がいた。
「ノストラード組のリンセンです」
顧客向けの態度で、リンセンは二人に挨拶をした。
今日はオルシアンファミリーの令嬢と、その恋人の最終的な衣装合わせの日だ。
部屋の端には、すでに護衛任務についていたノストラード組の下っ端がいる。
「こんにちは、父から聞いてるわ。よろしくお願いします。」
女性は丁寧にお辞儀をした。モデルをするほどの長身、アップに結い上げた髪は、肩甲骨の下あたりまであるだろうか。瞳は緑に近いブルー。
なるほど、たしかに外見は、髪を伸ばしたクラピカに似ている。レオリオはいつかの受付嬢の姿を思い出した。
「あら、前に会った私の身代わりをしてくれるっていう彼は、今日はいないのね」
「クラピカは本日、別の仕事がありまして」
「そうなの。なーんだ、彼にもドレス姿見てもらいたかったのに」
冗談めかして笑う様子は可憐だ。空気も読めるのか、会話を理解しかねている隣の恋人に話しかける。
「貴方は会ったことなかったわよね、こちらの若頭さんって、女の子みたいに可愛い顔なのよ」
新郎になる男性は、へぇと優しく相槌を打つ。
彼に向かって、リンセンはレオリオを手で指し示した。
「紹介が遅れましたが、こちらの者が、今回貴方の替え玉を務める男です」
新郎に、レオリオは右の掌を差し出した。
「レオリオだ。よろしく」
「こちらこそ、ご迷惑をおかけします」
新郎は握手を返す。誠実そうな物腰だ。話している限りでは、人に恨みを買うような人物とは思えないが。
恋人たちを観察するレオリオを横目にして、リンセンは改めて、二人のスケジュールを確認していった。
「やっぱり新郎様は、もう少し裾を伸ばしましょうか」
「新婦様は、ヒールをはかれた方がいいかと……」
「そうですね。その方がバランスが良いと思います」
「もう、そんなに背が高いなんて。合わせるこっちは大変よ」
可愛らしい顔を膨らませて文句を言う彼女に、彼は苦笑いをする。
古来より得てして、女性の方が支度には時間がかかる。手直しする部分がありつつも、新郎の衣装の調整の方が早く終わった。
ドレスのボリュームや髪の結い上げ方を入念に確認し合う新婦と担当をよそに、場に存在する男供はどちらも、余計な口を挟むことは控えていた。
手持ち無沙汰に壁にもたれていたレオリオは、同じように壁にいた新郎の彼と目が合う。
「……おたがい、苦労しません?」
と、苦笑しながら、男性が話しかけてきた。レオリオも少し笑う。主語はないが意味はすぐにわかった。自分たちの身長のことだ。
「ああ。何かやたらと目立つしなぁ」
「そうそう。そのことを友人に愚痴ると『嫌味か』とか言われて」
「そうそう! 別に好きでこんな身長になったわけじゃねぇのにな!」
背が高い……と言うか、もはやデカすぎる故の悩みを共有できる。それに思いがけず嬉しさを覚えながら、二人はテンション高めに会話をする。
「……っと、すまねぇ。クライアントなのにタメ口利いちまった」
「いや、いいですよ。年もそう変わらないでしょう。僕らぐらい背があると、服もなかなか無いんですよね」
「スーツも全部オーダーメイドだしな。かと言ってサイズだけで選ぶと、腰のあたりがぶかぶかになってよー」
「あるある! 股下もいちいち測らなきゃいけなくて」
「けっこう損なこと多いよな」
わかります、と何度も頷いていた彼は、ふいに着替えをしている恋人を見つめる。会話のあいだに生まれた間に気づき、レオリオが彼の視線を追ったのに気づいてか、ふと、男性は表情を変えた。
「……でも、彼女を抱きしめた時、初めてこの身長で良かったと思ったんです。背の高い彼女を、全身で抱きしめてあげられるのは、俺だけなんだなって」
「…………」
「すみません、恥ずかしいですよね、こんなこと」
自分で言いながら真っ赤になった青年を見て、レオリオは思い出す。初めてクラピカを腕に閉じ込めたときのことを。
恥じらいに伏せた眼差し、困ったようにしながらも、はにかんだ控えめな笑顔。
存在の全てに、痛烈な愛しさを覚えたことを。
「……いや、いいな。そういう話」
「貴方にも大事な人が?」
「ああ。……どうなるかは、わからねーけど」
「きっと上手くいきますよ。応援してます」
屈託なく言う彼にレオリオは礼を言う。戻ってきた花嫁は、楽しそうに笑い合う花婿とレオリオを見てどうしたの? と不思議そうにした。
その後特に何か起きることはなく、無事用を済ませた二人は後のことを護衛担当に任せて車に向かう。駐車場の中央を横断しながら、リンセンがぼそりと言う。
「ずいぶん盛り上がっていたようだな」
「ん? まあな」
答えたレオリオを、リンセンはちらりと横目で見た。しかし何も言わずに、視線を前方へ戻す。
……恥ずかしい部分の会話は小声でしていたが、耳ざとい彼のことだから聞かれているかもしれない。
しばし俗っぽい考えに浸っていたレオリオだが、表情を真面目なものに戻す。
「……本当に彼らに脅迫状が来たのか? 話した感じ、恨まれるような人間には到底思えないんだが」
「あの二人というより、狙いはオルシアン氏だろう。オルシアンファミリーは小さな企業に過ぎないが、この地方では事務用品の二番目のシェアだ。実業家である優秀な花婿を手に入れることで、それが変わるかもしれないと一部では噂されている」
地下の駐車場内では足音が反響して、妙に長く響く。
「……あの娘(こ)の親父が、クラピカを嵌めたって可能性はあるか?」
「何のために? それはないだろう。第一オルシアン氏がうちのボスを狙うことによるメリットがない」
マフィアンファミリーは、一つの組が一つの街を治めるのが暗黙のルールだ。ヨークシンみたいな大都市は別であるが、それぞれの地域で明確な縄張りを設けている。
ノストラードファミリーが合法的な事業しか行っていないことから、報復の手段が限られるとはいえ、その縄張りに別の組織が踏み入るにはリスクがある。オルシアンのような、小さなファミリーでは尚更だ。
「なるほどな。……じゃあその親父さんが誰かの恨みを買ってるってことか。会社の社長ならやっかみもあるだろうしな」
「……忠告しておくが」
考えるレオリオに、リンセンは流し目で言う。
「敵の姿を勝手に描かないほうがいい。この商売は恨みの中で成り立ってるんだ。想像で可能性を狭めてしまえば、予想外の事態に動くことができない。そうすれば依頼人を危険に晒すことになるぞ」
レオリオはわずかに息を飲んだ。その反応に、リンセンは黙って前を向いた。
どこかの電球が点滅したのか、レオリオは足元が一瞬暗くなった気がした。
◇◇◇