仕事中、胸ポケットの中でバイブ音を響かせたそれを、クラピカは取り出す。

 やはり見知った相手のものだったので、通話ボタンは押さない。緊急の用の場合は気配でわかる。どうしても伝えたいであろうことは、彼のことだからホームコードにでも残すだろう。

 するとさほど経たずに、再度携帯が震えた。

 またか、と思いつつ、クラピカはすぐに確認する。

 見たことのある数字の配列だった。誰だったか。

 考えながら見ていると、留守電に切り替わったようだ。しばしメッセージが録音され、やがて液晶画面が沈黙する。

 クラピカは再生ボタンを押し、携帯を耳に当てる。

 耳の内側で、こもった音声が再生される。

 かすかに息を飲む音が、場に響いた。

 

「……弱ったな」

 

 伝言を聞き終えた彼は、一人そうつぶやいて、

 らしくなく、頭を抱えた。

 

 

 

 

 

 街路樹のつぼみが、枝先で日に日に膨らんでいる。

 北半球に位置するスワルダニシティーでも、少しずつ春が近づいていた。

 十二支んの仕事を終えたレオリオは、同僚との挨拶を終えハンター協会ビルから出る。

 まだ寒さもあるが、ほんのりと暖かい空気が感じられ、すうっと息を吸ってみる。かすかに甘いような大気が、肺を満たした。

 

 暗黒大陸から無事に帰還して数ヶ月。ハンター協会は事後処理という名の雑務をこなしつつ、次の渡航に向けての準備を進めていた。

 レオリオもまた、医者になるための勉強を再開しつつ、業務の引き継ぎもあるので、現在も十二支んの亥のポジションに在籍していた。

 まだ午後の早い時間だ。どこかへ買い物にでもくり出そうか。

 などとのんびり考えている彼の近くに、一台の車が急ブレーキでやってくる。それは狙ったかのように、レオリオの真ん前でピタリと止まった。

 

「ん?」

 

 黒塗りの高級車だ。それ自体は、同僚が未だマフィアンファミリーに属していることから、見かけることはそう少なくない。

 だが彼は今日、丸一日ファミリーの仕事で不在のはずであったが。

 考えるレオリオをよそに、勢いよく車のすべてのドアが開かれ、複数の人間が降りてきた。黒服の男たちだ。

 ざざっと音を立てて、すばやく彼らはレオリオを取り囲む。

 

「なんだぁ?」

 

 強面ばかりの何人かは、サングラスなどで人相を隠している。だが最後に助手席から降りた一人に、レオリオは見覚えがあった。

 

「ん? アンタは確か……」

 

 自身を指差したレオリオの顔を確認して、男は言った。

 

「間違いない、やれ」

 

 命令を受け、サングラスをかけた男たちが一斉にレオリオに近づく。両手両足を遠慮なくひっつかむ。

 

「わ〜、何しやがる!」

 

 もみくちゃにされ、あっという間に車に乗せられる。

 

「あ〜れ〜」

 

 そんな気の抜けた悲鳴をあげながら、レオリオはどこかへと運ばれた。

 

 

 ところ変わって、会議室。

 

「あれ〜」

 

 休憩中、窓の下を見ていたビヨンが、危機感のない声をあげた。

 

「どうしたの?」

「なんかレオリオが拉致されてる〜」

「え!?」

 

 びっくりしたチードルは窓まで慌てて近寄る。見ると長身の影が黒い車に乗せられ、ビルからどんどん遠ざかっていく。

 

「あら大変!」

「おいおい、仮にもハンターだろ?」

「レオリオ、ダサッ!」

 

 呆れた様子で覗き込むカンザイとともに、クルックがするどく罵倒する。

 だが最初あわてた様子だったチードルは、あら? とまばたきをした後、落ち着いた様子になり席に戻る。

 

「いいのか? 放っておいて」

「ええ」

「そりゃトーシロにやられてたら、ハンター失格だろ〜」

 

 椅子に座ったままのボドパイが問うが、窓際で頬杖をついたビヨンが代わりに返す。

 

「違うわ。助けは必要ないと思っただけ→辰、卯」

「そうだな。あの面子なら大丈夫だろう」

「なに、ミザイストムもチードルも、あいつら知ってんの?」

 

 のんびり菓子を口に放り込みながら、ギンタがたずねる。ミザイストムが答えた。

 

「クラピカの部下たちだよ」

 

 彼もまた仕事に戻るため、窓から離れる。

 

「なーんだ、デートか」

 

 そんな風に同僚たちに揶揄されていたことを、現在絶賛連行中のレオリオは、知る由もなかった。

 

 

 

 片手をそれぞれ両側の男に拘束されたまま、レオリオはとあるビルの一室に連れていかれる。

 

「あいて!」

 

 突き当たりの部屋の扉が開き、室内へといささか乱暴に放り出された。

 

「ボス! 連れてきました!」

「ああ、ご苦労だった」

「いえ!」

 

 黒服の男たちはびしっと礼儀正しく背筋をそろえ、お辞儀までして去っていく。よく訓練されているものだ。

 打ちつけた腰をさすりながら、レオリオはこのような強引な命令をしたであろう人物を見上げる。

 

「クラピカ! お前何のつもりだよ?」

 

 スーツ姿のクラピカは、表情を変えないまま彼を見下ろすと、そばに置いていた袋を投げ渡した。

 

「着替えろ」

「は?」

「いいから着替えろ」

 

 予想外のセリフを吐いたクラピカに、レオリオは目を点にする。

 まじまじと見つめてくる彼に、クラピカは不審そうな顔つきになる。

 

「……なんだ?」

「お前……オレに、は、裸になれと……! そういう趣味に目覚めちまったのか……!」

「…………お望みなら裸でいてもいいぞ。私は構わん」

「冗談だウソです頼む服をくれ」

 

 ワントーン低い声になり服を回収しようとしたクラピカに、レオリオは頭を下げる。胸元にどんと渡された服を確認する。

 透明な袋に入ったものは礼装のようだ。上は白で、下は黒。上品なデザインのそれは、まるで結婚式のタキシードみたいだ。

 

「正解だ」

「は?」

「さっさと着替えてこい」

 

 先程と同じような顔で自分を見つめるレオリオに、クラピカは面倒くさそうに言い放った。

 

 

 別室で着替えて戻ってくると、部屋にはクラピカ以外の人物がいた。クラピカが組の仕事のあとに十二支ん側に合流する時など、何度か顔を合わせた側近である男だ。

 名前はたしか、リンセンといったか。

 

「サイズはどうだ?」

「あ、ああ。ぴったりだ」

 

 壁にもたれていたクラピカが腰をあげる。

 近くまでやってきた彼は、レオリオを頭の先からつま先まで眺めて頷いた。

 

「……うん、やはり君が適任のようだ」

「なぁ、話が全然見えねーんだが……」

「端的にいうと、君にハンターとしての仕事をしてもらいたい」

 

 タキシードを着たレオリオに、クラピカは事の経緯を説明し始めた。 

 先日、クラピカたちはとある依頼を受けた。依頼人はオルシアンファミリー。ノストラードファミリーがまだ名前が売れる前から、懇意にしている一族だ。

 田舎のマフィアファミリー故に、組織の規模は小さく、ほとんど名前は知られていない。そのため裏社会に属しつつも、その事業は主に事務用品の売買とほぼクリーン。限りなく一般市民に近いと言っていいファミリーだ。

 そのファミリーの二人目の娘が、近々結婚するという。

 相手は若手の実業家。娘が自身の仕事で出会った人物らしい。

 しかし先日、そのファミリーのボスに脅迫状が届いた。

 結婚式を中止しろ。さもないと新郎共々、お前の娘を殺してやると。差出人不明の不審物がファミリーの事業所宛てに連日届けられたことから、単なる悪戯や嫌がらせではないと思われた。

 オルシアン氏の事業はクリーンであるが故に、荒事には得意ではない。かといって民間の護衛会社では、脅迫者と通じている可能性もある。金が物をいう世界だ。小さなファミリーでは見放され、裏切られるなんてことははいくらでもありえる。

 困った父親は、同業者であるノストラード氏に相談した。今は合法的な組織となったノストラードファミリーに、護衛任務を依頼したのだ。

 任務の期間は、結婚式の前後数日間を合わせた約十日。その後も不穏なことが続くようなら、護衛を続行する。

 ネオンの念能力でノストラード氏が成り上がっていた一時期、両家は疎遠でもあった。だがわだかまりも解けた今、旧友とも言える彼の頼みを、ノストラード氏は快諾したという。

 二つのファミリーは、娘たち同士も顔なじみである。ネオンも結婚式に参列する予定であるため、万が一にも失敗は許されない。そこで今回、若頭であるクラピカが直々に動くことになった。

 一介の護衛任務に大げさとも取れるかもしれないが、血のつながりが強いマフィアンファミリーでは、親しい者に対して義理を通すことがままある。クラピカという優秀な人材を使うことは、依頼人へのノストラード氏の誠意の印でもあるのだった。

 なお、暗黒大陸への旅で緋の眼の回収を終えたクラピカは、いずれノストラードファミリーを辞めるつもりである。

 そのため心の病から回復したノストラード氏に、若頭としての実権を少しずつ返上している。

 

 ……今回の任務は、結婚式までのボディガードが主である。加えて新郎が多忙なことから、結婚式の日程はずらせないということで、万が一に備え、結婚式当日に替え玉という名の囮を用意することになった。

 新婦は、髪の色が同じという理由で、クラピカが替え玉を行う。残るは新郎だが、肝心の彼の体格がやたらでかいという。

 そこで新郎役には、背格好が似ているレオリオに白羽の矢が立ったというわけだ。

 

「これが護衛対象の二人だ」

 

 リンセンが差し出した写真を、レオリオは見た。

 どこかのレストランだろうか。夜景をバックに、かわいらしい顔立ちをした長い金髪の女性と、精悍な印象の男性が寄りそって座っていた。

 

「彼に近い体格の者が、生憎うちの組にはいなくてな。しかけてくる相手がわからない以上、突発的な事態にも、臨機方変に対応できる実力を持つ人材が望ましい。できれば念を使える者。そこでハンターである君が適任だと思った」

「こいつ、何センチ?」

「195センチ」

「デケェな! 何食ってりゃそんなデカくなんだ!?」

「……私から見たら、君も似たようなものだが」

 

 常日頃バカでかいと評されているレオリオを、クラピカは胡乱げに見つめた。視界の端でリンセンが頷いている。

 一瞬複雑な心地になるが、レオリオはもう一度写真を眺める。

 

「んで、察するところ、この子は170越えってところか」

「ああ。モデルなどもしているらしい」

「つーことは、お前より身長は上?」

「ああ。ヒールを履けば十分だ」

「やる気満々だな。いつかの時みてーだ」

「誤解を招くような言い方をするな。変装は慣れているだけだ」

「けど、お前もドレス着るんだろ?」

「必要とあればな」

 

 からかうように言ってみせるが、平然とクラピカは返してきた。彼らしくもあるが、動揺が見られないことに、レオリオは少し残念な気持ちになる。

 

「話は大体わかった。けど、何もあんな手段じゃなくてもよー。もう少し他になかったのか?」

「? できるだけ早く連れてこいと命じたのだが……なんだ、何か不都合なことでもあったか?」

「あー……いや、もういいわ……」

 

 車に乗せるときの手際といい、先ほど放り出された時といい。クラピカの親衛隊とでも言うべき、忠実なる部下たちの私怨がこもっていた気がするが。気付いていなさそうな本人への追求は、控えることにした。

 まさかこいつの指示じゃねぇだろうな。レオリオはリンセンをこっそりと睨む。

 一方リンセンは、レオリオの視線なぞどこ吹く風とばかりに、涼しげな顔をしていた。

 

「じゃ、とりあえずオレ、着替えてきていいか?」

「ああ」

「なら説明も大体終わったし、俺は先に戻る。そろそろ東地区のカジノの業務報告書が上がってくるはずだ」

「ああ。わかった」

 

 最後にちらりとレオリオを一瞥してから、リンセンは部屋を出ていった。

 その仕草がどういった意味か計りかね、レオリオは彼が去ったドアを見つめる。しかし自分もまた用事を済ませにいったん外へ行った。

 

 

 着替えて戻ってきたレオリオは、クラピカに服を返す。

 受け取ったクラピカは、再び話し出した。

 

「報酬のことだが……」

「ああ」

「オルシアンファミリーからは、ほかの護衛任務と同額の依頼料をもらう予定だ。だが君には、我々から君の望む額を出そうと思う。外部の人間である君の貴重な時間を使わせるわけだからな。好きなように使ってくれたらいい。……将来のためにでも」

 

 その言葉に、レオリオはクラピカの顔を二度見した。

 クラピカはその視線にちらりとレオリオを見返すが、何も言わずそのまま別の方を見る。

 

 ……もしかしたら、クラピカがこの役に自分を指名したのは、レオリオの医者になるという夢を援助する口実にしてくれたのかもしれない。

 確証はないが、そんなことを思った。

 

 ……素直じゃねーな。

 思えば出会った時からそうだった。ハンター試験のマラソンの時。レオリオの夢を聞いた瞬間から、クラピカの態度は少し変わった。普段口から出る皮肉は、夢を語るときには息を潜めていた。

 レオリオの態度や性格を揶揄しつつも、夢を馬鹿にすることは決してなかった。

 その理由は、すでに知っている。

 

 そのことに改めて気付いたレオリオは、歯がゆいような、照れくさい気持ちになった。胸の高鳴りをごまかすように、いたずらっぽく言ってみる。

 

「……お前がオレに依頼したのってさ」

「うん?」

「本当は、オレと一緒にいたいからじゃねーの?」

「……………はぁ?」

「スミマセン、ナンデモナイデス」

 

 ものすごく冷たい眼差しを作り見てきたクラピカに、レオリオはつい反射的に返してしまった。

 しかしその正直な反応は、どこか昔を思わせるものでもあった。ビビりつつも、先ほどまでの温かい思いはそのままに、レオリオは笑みを漏らす。

 それに気づいたクラピカは不審そうにレオリオを見ていた。

 

 雰囲気を変えるべく、クラピカは一度咳払いをする。

 

「……父親はともかく、娘は裏社会にほとんど関わりなく過ごしてきた人間だ。ファミリーにとって重要な客であることは事実だが、私としてもできれば穏便に任務を遂行したい」

 

 本心なのだろう。口調を柔らかいものにして言う様子から、彼の心情が察せられたので、レオリオもまた意気込んで返す。

 

「協力させてもらうぜ。報酬は終わった後でいい。遠慮なくもらうぜ。なーに、ぼったくりゃしないさ」

 

 どうだか、と肩をすくめてみせたクラピカに、レオリオは楽しげに笑った。

 

 

「明日以降の君のスケジュールは?」

「オレは春休みだから、いつもの十二支んの業務をするだけだよ」

「そうか。ならば明日は午後にでも、彼らに挨拶しに行こう。君の役目は当日だけだが、事前に顔を合わせたほうがいいからな」

「わかった。なら協会から直接向かうか」

「ああ」

 

 レオリオが脳内の予定帳にスケジュールを書き込む中、クラピカは懐から携帯電話を取り出す。部下に明日の指示を出すためだ。

 

「今日は突然すまなかったな、レオリオ。明日からよろしく頼む」

 

 歩き出して電話をかけようとするその腕を、レオリオは捕まえた。 

 

「待てよ。……せっかく会えたのに、今日はこれでもう終わりか?」

 

 声に甘さを含ませて、レオリオは言う。

 対するクラピカは、今にもため息を吐きそうな顔で視線を逸らした。けれどその目元は、かすかに赤らんでいる。レオリオの意図がわかっての反応だ。

 

「……明日また、会えるだろうに」

「仕事でだろ? それとも堂々と公私混同したいってか。それもそれでいいけど」

「……下手な誘い文句だ」

 

 胸の中に閉じ込めるように伸ばされた腕には抵抗せず、近づいてくる体を受け入れる。

 クラピカの携帯が、するりと手から抜けて床に落ちた。

 代わりに握られたのは、レオリオの指。

 

 距離を重ねた二人は、そのまま、長いキスをした。

 

 

 

 

 

  ◇◇◇