Ⅶ、
後ろの車両に移動したクラピカは、最後尾のデッキから景色を眺めていた。だが程なくして、新たな気配に気づく。
「よ」
ドアがスライドして現れた人影が、クラピカに向かって片手を上げた。気配から人物を察していたクラピカは、視線だけを動かす。
「……定員オーバーなんだが」
「席ねぇだろうが」
「狭くなる」
構わずにレオリオは横へと来る。
暗くなった世界が流れていく。風に煽られ、暗がりの中短い金髪が後ろから前へ揺れ続けている。
「……昨日、お前が言ってたことの意味だけどよ」
腕を手すりに乗せながら、レオリオは言う。
「『オレじゃ役不足』ってことは、自惚れてもいいのか?」
クラピカは、黙っていた。レオリオは苦笑した。
「否定、しないのな」
「偽証は、恥ずべき行為だ」
「お前、本当頭固いよな。とんだカタブツだ」
「伝わらなかったら、それでいいと思った」
「素直じゃねぇな、ホント」
クラピカはやや気まずそうに、首を外側に向ける。
寂しげにも見えるその眼差しの色を見て、レオリオは思う。
クラピカを構成するものは、ひどく矛盾している、と。
拒絶する態度をとりつつも、しっかりと本心を混ぜて、けれど伝わらないこと、伝えられないことに対し、心に小さな傷を作っている。
これまでもそうだ。クラピカは一見論理的で、一貫性があるように見えて、その実、端々で感情のまま動いている部分がある。海神丸でも、ゼビル島でも。
(でもそれは、すごく人間らしいってことだ)
レオリオは思う。修羅の道を行くクラピカが、この人間性を捨て切れることはないのではないかと。
それはこの先、少なからず彼を苦しめるだろう。大事な場面で葛藤となって、脆い心をきっと苛むことになる。
短い付き合いだが、そういった予想はついた。
それでも、止めることはできない。
クラピカの選択を、他者が無理やり変えることはできない。
彼が走るレールは、すでに彼自身の手で敷かれている。進路を変えるスイッチはもう押せない。
列車は進む。否が応でも、すでに走り出している。
押し流されるまま、振動は時を刻む。
時の隔たりが、距離が、自分たちを、離していく。
当たり前だった時は、当たり前じゃなくなっていく。
暗闇の中、列車は線路の上をひた走る。山を抜けるトンネルに入った。
景色が暗闇に沈むのもかまわず、ブレーキをかけぬまま、列車は走り続ける。慣性のまま、するりと流れていく。クラピカも、進んでいく。
……離れていく腕を、つかむように。レオリオはその一言を告げた。
「──約束をしよう」
クラピカの瞳孔が動く。
「次の約束をしよう」
瞳が一度かすかに収縮し、やがて大きめのそれが見開かれた。
「……約束?」
噛みしめるような声音で、クラピカは繰り返した。
「そうだ」
レオリオはクラピカの眼差しを、真っ直ぐに捉えて続けた。
「また会おう、って約束してくれ。何年先でもいい。お前が目的を終えた後でもいい」
「オレは絶対に、医者になる夢を叶えてみせる。だから、約束してくれ。いつかまた会おうって」
一瞬、クラピカはトンネルから出た目をかばうような仕草で、目を細めた。
光に眩むように揺らいでいた瞳は、ゆるりと凪いでいく。
「……それに何の意味がある?」
クラピカは、静謐な声で吐き出すように言う。
「守れなかった時に、辛いだけだろう」
どこか悲しみの混じっているその口調から、何かを重ねているのは明白だった。
「確かにそうだ。けど約束を守とうとすることが、頑張る理由にはなる。少なくとも、オレにはそうだ」
「……そんな無責任な約束はできない」
頑なな態度を崩さぬまま、クラピカは続ける。
「それに、君の夢とその『約束』が、同等とは思えない」
「は?」
しかし続いた発言に、レオリオは疑問符を浮かべる。
クラピカはなおも真顔で述べる。
「君が必ず医者になることを賭けるなら。また会うだけしかしない私は、いささか荷が軽すぎはしないだろうか。……私も同じだけのものを、賭けなければいけない気がする」
「はぁあ??」
真剣な表情から一転、あっけにとられた様子で立ち尽くしたレオリオは、クラピカを見つめて、しみじみと言った。
「……お前、本当にバカだな。絶対バカだ。ゴン以上にバカだ」
「な……バカバカ言うな! 馬鹿!」
「言い方変えんな。バカ」
音のニュアンスを的確に指摘したレオリオの悪態に、クラピカはぐっと言葉に詰まる。
「これはオレ自身の願かけみたいなものだよ。お前に会うためだけじゃない、お前や、ゴンやキルアに胸張って会うために、何よりオレ自身のためにやることだ。お前はただ、忘れないでいてくれればいい。オレやゴン、キルアと旅したことを」
「……それだけで、いいのか?」
「ああ」
クラピカは、えも言われぬ表情で、レオリオを見つめる。
不器用な反応を見て、レオリオは肩の力を抜くように、真剣な表情を崩すようにして、小さく笑う。
「にしても、また会う『だけ』とは、ずいぶん言ったもんだな」
「……何?」
「オレたちとはもう、会わないつもりじゃなかったんじゃねぇの?」
「……あ……」
今気づいた、と言うように、どこか呆然と呟いたクラピカに、レオリオは苦笑してしまう。
「なぁ、お前は本当に切り離せるのか? オレたちを。オレたちだけじゃない、お前が大事にしているものを」
クラピカは答えない。否、答えられなかった。
「そうでもしないと得られないのが、強さばかりじゃないだろう」
迷いを自覚してしまったクラピカを、レオリオは困ったものを見るような目つきで眺めて、苦笑した。その表情は、普段よりもずっと大人びて見えた。
居た堪れなさを感じて、クラピカは瞳を伏せる。
……また会う『だけ』。それすらも、叶わぬ道に行こうとしている身のはずが、大それたことを語ったものだ。
そうだ、まだ矛盾している。覚悟を決めたようで、肝心なことは選択できないでいる。
無意識に再会を望んでいる。そのことに再度悟り、クラピカの思考は逡巡してしまう。
「……それでも」
迷いを断ち切るように、クラピカは声を発する。
「私は進まなければならない」
「わかってる。……引き止めるつもりなんか、最初からねぇ」
レオリオは落ち着いた態度で返した。
「けど、どんな形であっても、別れはやっぱり辛いもんだぜ」
「…………」
「たまたま同じ道を歩いた仲間として、最後の頼みだ。また会おう。もうこれきりなんてのは、イヤだぜ。……きっと、あいつらだってそうだ」
なんとなく察しつつも、触れないでいる同室の二人のことも。そう話すレオリオに、クラピカは幼い友人たちを思い出す。
クラピカが失ったものを持っている二人。
思いがけず得てしまった、あたたかいもの。
その笑顔を思い出して、クラピカの心はまた動く。だから今の自分にできる、精一杯の返答をした。
「……努力する」
それで十分だとばかりに、レオリオは笑った。
その表情に、もう揺るがないと決めたはずなのに、クラピカはなぜか切なくなった。
「前から思っていたが」
「ん?」
「君はよく、お節介と言われるだろう」
「それを言うなら、気配り上手のレオリオさん、だろ」
「自分で名乗るとは、なかなか図々しいな」
「……このヤロウ」
「…………部屋、戻らないのか」
「お前が戻るならな」
「一人で戻ればいい。私はまだここにいる」
「じゃ、オレもいよっと」
「何故だ」
「景色が見てぇから」
「この暗がりでか。物好きだな」
「それはお前もだろ」
「……ふっ」
「ははっ」
かすかな笑い声も、時間も全て車輪の音でかき消して、
闇夜を、列車は走り続ける。
翌朝は快晴だった。改札機に通した切符に、時刻が刻まれる。
いつもはさして執着もせず、どこかにやってしまうそれを、レオリオはポケットに大事にしまった。
そして三人の隙を見つけ、空港でインスタントカメラを購入する。
得意げに掲げたカメラに、驚くクラピカと、照れるキルアと、笑顔で賛同するゴンを引き寄せて、一枚の写真の中に映った。
……別れ際、空港でそれぞれの目的を話し合う。
一同の中心で出会いをつないだゴンが、その言葉を響かせた。
『九月一日、ヨークシンで!』
その約束を交わした時、はじめに手を差し出したのは、クラピカだった。
手を離した後、短い別れの言葉を告げて、四人は歩き出す。
つかの間、同じ時間を過ごした仲間たちに、背を向ける。
己の道を見据えて。
────終着駅は、まだ先。
END