Ⅴ、
時刻は夕方となり、徐々に空の端が暗くなっていく。夜のカーテンが降ろされる空とは対照的に、町は昼間よりもさらに賑わいを増していた。大通りにはいくつも出店が現れ、香ばしい匂いを漂わせている。
小規模とはいえ、賑わってくると気分も弾んでくるもので。さっそく影響されたゴンとキルアは、どちらからともなく走り出していた。
走り出した二人を見送る。場には自然と、年長者二人が残る形になる。
夕飯がわりの屋台でいくつかの品を買い、つまんだりなどして楽しむ。
だが、やはり、どうしても触れずにはいられなかった。
腹も一杯になったところで、レオリオはクラピカにかねてからの疑問を尋ねる。
「なぁ。お前、何があった?」
クラピカが、意味を聞き返すように視線を向ける。その視線を感じながら、レオリオはきまり悪そうに頭に手をやる。
「……いや、あった、じゃないな。質問を変える。お前、オレたちとなんか距離置き始めてるだろ。キルアの家を出てから」
予想していたのか、そうでないのかはわからないが、クラピカは表情を変えない。
「それはなんでだ?」
レオリオの質問から逃れるかのように、クラピカは前を向いた。緩やかな拒絶にも思えた動作を受け、レオリオは問い詰めるような真似はしなかった。
だが意外にも、クラピカが言葉を発した。喧騒にまぎれてしまいそうな声音で。
「……準備だよ」
しっかりと、言葉を耳で拾ったレオリオは、当然問う。
「何の?」
その問いには答えず、クラピカは片方だけ口の端を上げる。
歪んだ形をしたそれは、どこか自嘲めいた笑みだった。
不意に、クラピカが足の動きを緩めた。追い越さないように、レオリオも歩幅を狭くする。一定の速度の人並みの中で、足を止めると周りの景色だけが動いているような錯覚を覚えた。
世界が一瞬、スローモーションになる。
「……この旅が終わったら」
騒がしい人混みの中で、クラピカの声が、レオリオには妙にはっきりと大きく聞こえた。
「私は、人殺しになる」
レオリオは、足を止めた。同じように立ち止まっていたクラピカを振り返る。
周りには祭りの明かりが華やかに灯っている。しかしその中心で、クラピカは一人、暗い目でレオリオを見つめる。
「これから私は、医者を志す君とはまったく違う道を行く。死の匂いをまとった道。ゴンが知らない、キルアが抜け出した、君が忌むべき道だ」
口の中が妙に乾いた。立ち止まった二人を邪魔そうに、周囲の人々が避けて歩いていく。
だがクラピカの表情は変わらなかった。レオリオは、周りの温度が急激に冷めていくように感じられた。
……気付いていなかった訳ではない。ただ、考えないようにしていただけだ。
レオリオは、身につけていた赤いネクタイを、背広の上から無意識に握る。
先日買ったばかりのそれと同じ色の、赤い服を着たクラピカは、静かな感情を湛えてレオリオをなお見つめている。
その瞳が最初から見据えていたのは、同じ色をした仲間の遺骸だ。奪われた物。亡骸。一族の誇り。
……浮かれていたのは、自分だけなのだと、そのことを改めて思い知る。
「……けどそれは、仲間の弔いのためだろう。同じ殺しでも次元が違う。大体、覚悟はあるのか? トリックタワーで囚人を殺せなかったお前に、人を殺す覚悟はあるのか?」
これまでの様子から、レオリオの知るクラピカであったら動揺する場面であるはずだった。
だが予想に反して、クラピカの表情は変わらなかった。
「……だから変わるんだ」
欲しいのは揺るがぬ心。覚悟の証。
為し遂げるための、絶対的な力。
「それが自分の持つ何かと引き換えになるものなら、私は、全てを差し出す」
通りにぶら下がっている灯りが、ゆらゆらと揺れる。
レオリオの心情を表すかのように、光が揺れる。
「……命もか?」
「ああ。」
クラピカは、迷いなく答えた。
「手放せるのか、お前は。ゴンやキルアを」
自分を。最後の言葉は、口にはしなかった。
クラピカは目を眇めて、自身に言い聞かせるように答えた。
「私の生きる理由は、仲間たちの目を取り戻す……初めからそれだけなのだから」
レオリオは二の句を継げなかった。
もどかしげに歯を食いしばってから、
「……馬鹿野郎」
とだけ、とても小さな声で言った。
それを聞いたクラピカは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……生きるのが生き物の本能だ。生き抜くためではなく、目的のために、人を殺そうとしている私は、生き物として、人として外れた道を行くのだろう」
「……そこまですることを、お前の仲間は望んでいるのか?」
「わからない」
淡々とクラピカは言った。何度か考えたことがあるのか、明瞭な調子だった。
「だが、無念だと語りかけてくる瞳を思い出すと、何かせずにはいられない」
「オレじゃ……オレたちじゃ、お前を繫ぎとめる理由にはなれねーか?」
少しだけ、動揺したかのように、クラピカの肩先が揺れた。
だがクラピカは笑顔を作った。場の流れに不似合いなそれは、無理やり浮かべたような、歪んだ、困った微笑だった。
「……君では役不足だよ」
切ない音だけを残して、クラピカは歩き去る。
しかし、レオリオは動けないままだった。
その日、夜遅くまで、クラピカもレオリオも宿には戻らなかった。
何をしていたかは、互いに知らない。