Ⅲ、

 

 

 

 行きと反対方向に向かう列車に、四人はいた。

 過日より一人客の増えた特等室だが、相変わらず広々としたソファは狭さを感じさせない。

 むしろ空いていたそのスペースを埋めるかのように、新たな住人はそこに馴染んでいた。

 

「どんどん小さくなるね」

 

 窓の外で、雄大な山のシルエットが遠ざかっていく。

 最初は不気味ささえ感じてられていたものの、毎日目にして見慣れてくると親しみすら覚えていたようで。眺めていたゴンはしみじみと言った。

 

「なんだか、ちょっと寂しいかも」

 

 対して、キルアは心の底からといった様子で答える。

 

「そうか? オレは清々する感じだけど」

「ゼブロさんやシークアントさんたちとも、また会いたいな。ねぇ、落ち着いたらさ、またキルアの家に遊びに行かせてよ。キルアの気が向いたらでいいから」

「あー。まぁいいぜ。何年後かわかんねーけど」

「それでいいよ」

 

 仲の良い二人のやりとりに、くすりとクラピカとレオリオは笑う。

 席の並びは自然と、ゴンとキルア、向かい側にレオリオとクラピカとなっていた。会話を続ける二人を、クラピカは微笑ましそうに目をすがめる。

 だが穏やかな空気とは裏腹に、レオリオはクラピカの視線に、先日までとは違うなにか別の感情(もの)が混ざり始めていることに気づいていた。

 試しの門にいた時とは違う。

 まるで、己とは遠い、別世界の出来事を眺めているかのような。

 

「……」

 

 触れるべきか、触れまいか。レオリオが逡巡している間に、風景を見ていたゴンが言った。

 

「ねぇ、せっかくだから寄り道しない?」

「寄り道?」

 

 全員の意識はそちらに向く。

 思いがけない提案に、レオリオだけでなくクラピカ、そしてキルアもあっけにとられた。

 

「うん。だって、これからしばらく会えなくなるでしょ? だから四人でいる今のうちに行きたいなーって」

 

 三人が考える間をどう思ったのか、ゴンは少し罰が悪そうな面持ちになった。

 

「ダメかな?」

 

 その顔に弱いのは、クラピカもレオリオも同じだ。

 そしてキルアも。レオリオはいち早く同意を表明した。

 

「ま、観光ビザの期限はギリギリだが、無理ってわけじゃないな」

「ああ。私も異論はない」

 

 笑みを浮かべて言う二人に倣うように、キルアも頷いた。

 パッと見るからに明るい表情に変わったゴンに微笑みつつ、三人を代表してクラピカがたずねる。

 

「では、どこで降りるんだ?」

「え?」

「……って、考えてないのかよ」

 

 キョトンとしたゴンに、ガクッと肩の力を抜きながらレオリオが突っ込んだ。

 

「え、えへへ……」

「ったく。提案するなら、まず案も考えてから言えよ」

 

 ごまかし笑いをするゴンに、レオリオはもっともらしく言う。

 キルアとクラピカは、顔を見合わせて苦笑いをする。

 はーっと大仰にため息をついたキルアの仕草を見たゴンは、言い出した手前、ガイドブックに付属していた地図を慌てて広げる。

 だが、大陸全体を見通せる縮尺の地図に細かい観光情報まで書いてあるわけがない。

 そもそも現在地すらわからず、目を点にして考え込んでしまう。

 耳から煙まで出そうな様子なので、助け船にクラピカが話を振る。

 

「キルア。この国はお前の故郷だろう? どこか良い場所はないか」

「え、オレ?」

 

 首を縦に振ったクラピカに、キルアはちょっと困ったように髪を掻く。

 

「ゴン、今回の目的は?」

「んー、とりあえず一日で良いから、皆でのんびりしたい! で、ちょっと観光もできたら良いな」

「なんつーアバウトさ……具体的な部分がほとんどないぞ」

「ご、ごめん……」

 

 もはや呆れ混じりのレオリオの言葉に、ゴンはさすがに頭を下げた。

 

「それなら……こことかどう?」

 

 しばらく考えていたキルアは、地図の中央からやや西の位置を指差した。

 

「今走ってる所からだと、あと二つ先の駅ね。のんびりするなら、そこかな」

「どれどれ。……ほー、聞いたことねぇ町だな」

「観光都市ってわけじゃねぇし。でもたしか今の時期、小さいけど祭りがあったはずだぜ」

「この季節にか? 珍しいな」

 

 季節は冬。レオリオの発言は、夏祭りのイメージが強いことを受けてのものだった。

 だが当然、その発言にクラピカが食いつく。

 

「いや、一概にそうでもないぞ。 地域によってじゃ冬に行う祭りはいくらでもある。宗教的な理由で星祭りなどは冬至に行うことが多いし、さらに……」

「へーへー、お前のうんちくはもういいって」

「なっ……」

「で、どうする? そこにするか?」

 

 不服そうに黙るクラピカを尻目に、レオリオはゴンに尋ねる。ためらう素振りもなく、ゴンは即決した。

 

「じゃ、そこで降りよう!」

 

 異論を唱える者はいなかった。

 

 

 

 古い昔は城壁都市だったらしいその町は、旧市街と市街に分けられている。四人が降りたのは、古い建物が多く残されている旧市街だ。

 石畳が基調の街並みは、勾配が目立つ。

 

「わー、結構人いるね!」

「あ、あれ、もしかしてお菓子の屋台じゃねぇ?」

「おいこら、まだ準備中だって」

「夜は賑わいそうだな」

 

 二時間もあれば回れてしまいそうな小さな町だが、一年に一度の祭りということもあってか、それなりに活気に満ちている。

 忙しそうに祭りの準備をしている人々を横目に、一同は町を進んでいく、

 宿に選んだのは、町の中央からふた通りほど、隣のブロックに移動した区域に位置する小さなホテルだ。昔ながらの木造の建物で、宿の中央を大きな階段が貫いている。

 頑なにハンターカードは使わない宣言するゴンを立てて、正規の価格で、一人ずつ部屋を取る手続きをすませる。

 少し手狭ではあったが、割とリーズナブルな値段だった。

 宿の人の話だと、この辺の学生が旅行でよく使うらしい。

 

「一旦荷物を置いて、三十分したらまた集合な」

「「はーい」」

 

 遠足のようにそろったゴンとキルアの後ろで、クラピカもわかったと頷いた。一旦解散した一同は、それぞれ思い思いにくつろぐ。

 集合時間近く、滑るように木の階段に体重をかけ、降りてきたキルアは、一番乗りかと思った認識を改める。

 階段脇のソファには、すでに本を広げているクラピカがいた。

 

「キルア、早いんだな」

「ん、まあね」

 

 キルアはホテルに設置された壁時計を見上げた。古い木製のそれは、振り子をゆっくりと動かしていた。

 ささやかなスペースの広間で、時計が音を刻む。

 

「……まだ時間あるよね」

「ん?」

「あのさ、ちょっと話さない?」

 

 促されるまま、クラピカはキルアと共にホテル前の広場にまで出た。

 

「アンタに、ちゃんと言ってなかったと思ってさ」

「うん?」

「……あの、さ」

 

 沈黙が降りる。気まずそうに視線を彷徨わせていたキルアは、やがて口を開いた。

 

 

「……ありがとな。一緒に、迎えに来てくれて」

 

 

 一際小さな声で紡いだ後、キルアはやや早口になりながら続けた。

 

「ゴンに付き合ってくれたんだろ。しなきゃいけないこととかあるのに、後回しにしてくれたの、嬉しかった」

 

 素直になれない彼なりの精一杯の礼には、どこか卑屈さも混じっていた。

 それを看過したクラピカは、ゆるりと微笑する。

 

「……キルア。誤解しているようだが、私はお前のことも気に入ってるんだぞ」

「え?」

 

 惚けて見上げてきた彼に対し、クラピカは真っ直ぐに見つめながら言う。

 

「ゴンと共に行こうと決めたのは、同調でなく私自身の意思だ。お前を取り戻したいと思った私のな。……レオリオもきっと同じだと思う」

 

 キルアはかすかに頰を赤らめながら、口を尖らせて問う。

 

「……そんなこと、真顔で言って恥ずかしくないの?」

 

 クラピカはいたずらっぽく笑う。

 

「お前の方が、ずっと恥ずかしそうだ」

「だ、だって、それは……! もういい! とにかく、礼は言ったからな!」

 

 子供みたいな仕草に、クラピカはくすくすと喉の奥を震わせる。おたがい初めの頃は考えられなかった態度だ。

 気恥ずかしそうに、キルアはしばらくポケットに手を突っ込んで背を向ける。

 悔し紛れなのか、キルアは確信を持って再度たずねた。

 

「でもゴンのこと、気に入ってはいるでしょ」

「それは確かにそうだな」

「理由は? 何で?」

「なんだ、嫉妬か?」

「ち、ちげーし!」

 

 噛みつくような勢いで否定する。

 ゴンには人を惹きつける魅力がある。最終試験の時のように、同じ場にいる者を自然と味方にしてしまう力。

 時に呆れてしまうほどの純真さと同時に、何かしてくれるんじゃないか、と思わせてしまう底の深さ。

 それは天性の才だろう。レオリオもクラピカも、それに魅せられた者だと、キルアは思っている。

 それに少なからずプライドを刺激されたのは事実だ。

 でも、今は違う。

 

 しかし、返ってきたのは意外な回答だった。

 

「似ているからかな」

「誰に?」

「昔の私に」

 

 キルアは、クラピカの表情を覗き込む。

 チクリと胸を刺すような、痛みが含まれた顔。

 

 

「外の世界に憧れていた頃の、私に」

 

 

 この表情は、憧憬だ。

 

 

「今は……」

 

 

 違うの?

 

 

 そうキルアが聞く前に、階段を降りてくる足音がした。二人の瞳は同時にそちらを向く。

 現れたのは、話題にしていた彼だった。

 

「お待たせ! あ、もしかしてオレが最後?」

「いや、レオリオがまだだ」

「そっか。どこ行こうかな。クラピカは考えた?」

「そうだな……ガイドブックに古い市庁舎があると載っていたから、それは見てみたいな」

「…………」

 

 切り替えたようにゴンと話すクラピカを、キルアは何とも言えぬ表情で見つめていた。

 

 

 

 

→ 夜行列車の光の先 Ⅳ