大人の証
カランカラン。聞き慣れたドアベルが、頭上で軽やかな音色を奏でた。
それとは対照的な足取りで、クリミアは地下への階段を踏みしめる。
石造りの階段に、重い足音が反響する。
お店のドアを開けると、グラスを拭いていたマスターが迎えてくれた。
「いらっしゃい」
カーニバルで集まった客達がはけた後のミルクバー「ラッテ」では、常連のサーカスの男性がカウンター席で寝息を立てている。
「珍しいね、仕事以外で来るのは」
「ええ、なんだか飲みたい気分なの」
店内をそっと見渡す。最近よく来ていたゾーラ族のプロデューサーの姿は見えない。きっとバンドメンバーとの打ち上げだろう。あの演奏は盛り上がっていたから……。
「今日はお疲れ様」
「ええ、マスターも」
「何がいいかい?」
「うーん、お任せするわ」
「はいよ」
他には誰もいないので、マスターの前の席に腰を下ろす。ゴーマンさんは相変わらずいびきをかいて寝ている。
グラスの水を差し出しながら、マスターが話しかけてきた。
「いい式だったね」
「ええ」
カーニバル当日の今日。クリミアの親友が結婚した。子供の頃からの相手だった。
本当に、素敵な式だった。白い清楚な花嫁衣装を装ったアンジュはとてもきれいだった。
幼い頃に憧れていたお嫁さんになった姿は、幸せそうだった。
……今日は、本当に色んなことがあったな。
ボトルを開ける音を聞きながら、クリミアは今朝の出来事を思い出す。
クロックタウンの上にあった、恐ろしい形相をした月が消え。
空に何日振りかのような太陽が現れ、まるで血の色に染まったかのような色の夜が明けた。
何も知らなかった妹が、無邪気に牧場へと駆け出していく。元気よく牛たちに挨拶する声を遠くに聞いて、当たり前の日常が戻って来たのを実感し、クリミアは長い息を吐いた。
するとアンジュ! と近くにいたアンジュの母が声を上げた。
見ると牧場の入り口に、行方不明だったカーフェイがアンジュと共にいた。
二人の手は、しっかりと握られていた。
その時、クリミアははっきりと悟った。
この恋の終わりを。
カーフェイが皆に今まで姿をくらませていたことへの謝罪をし、町長夫妻とも再会を果たしたあと。予定通り二人の結婚式が行われることになった。
車椅子に座る祖母にアンジュが「心配かけてごめんね、おばあちゃん」と謝る横で、彼女の母がかすかに聞き取れる声量でつぶやいた。
「……あたしはアンタに、謝らないと」
「え?」
「あたしは……カーフェイは、アンタの所にいると思ってたんだよ」
クリミアは曖昧に微笑んだ。
そうならばどれだけ嬉しかっただろうと、少しだけ考えてしまったのは内緒だ。
でも手を取り合って微笑む二人を見ていたら、心から思ったのだ。
あの禍々しい月が落ちなくて、本当に良かった、と。
グラスの中の水が揺れる。カウンターの景色を映しながら揺らめく波紋を、クリミアはしばらく見つめる。
……祝福したい気持ちと、悲しいような、悔しいような気持ちと。
どちらも本当だ。
だって、初恋だったんだもの。
どっちのお嫁さんになる?なんて、そんな問いを二人で彼に投げかけたこともあった。
どちらかなんて、わかりきっていたのに。
あの頃から、カーフェイはずっと彼女を選んでいた。
太陽と月のお面の約束も、二人はその時から交わしていた。
その事に、一人気付いていなかったわけではない。
ただ、諦めきれなかっただけ。
クリミアは憂いも全て飲み込むように、水をコクリと喉に流し込む。
すると、マスターが新たなグラスを差し出した。
その中に並々と注がれているのは、白く輝くミルク。
先日、緑の服の少年と一緒に納品した品。最高級のミルク、シャトー・ロマーニだ。
「マスター……これ」
クリミアは普段、自分が売る品には手をつけない。
飲もうと思えば自分の牧場でいつでも飲めるし、より多くの人に自慢のシャトー・ロマーニを飲んで欲しいからだ。
だがマスターはお茶目にウィンクしながら微笑んだ。
「今日はお祝いだからね、私のおごりさ」
「……」
「大人の証だよ」
その言葉が、己が先日背伸びしていた男の子に送った言葉と重なった。
『オトナの証よ』
ありがたく受け取り、クリミアはグラスを傾ける。
素材の味わいを引き出すため、あらかじめひんやりと冷やしてあるグラスに口を付ける。
冷たいミルクが喉を通る。滋味深く、それでいて何とも甘い味が、胸を満たす。
「……美味しい」
ぽつりと呟いたクリミアに、マスターが満足そうに頷く。
もう一口飲んだ後、クリミアはグラスの底を眺める。
白いミルク。白い衣装。綺麗なアンジュ。カーフェイ。
大好きな、大切な友だち。
……笑顔でお祝いできたよね、私。
だから、今夜だけ。泣いてもいいよね。
ミルク色の雫が、カウンターで跳ねる。
クリミアの瞳からこぼれた涙が一滴、二滴と、グラスの中へと落ちた。
「……きれいだったな、アンジュ」
「そうだねぇ」
「幸せになってほしいな」
「そうだねぇ」
クリミアの頼りないつぶやきに、マスターが短い相槌を返す。
そのやりとりを繰り返しながら、クリミアは微笑みを確かに浮かべる。
おめでとう。アンジュ。カーフェイ。
そして、さようなら。
「いつか私だって、いい人見つけるんだから。カーフェイに負けないぐらい、とびきり格好いい人を」
「……そうだねぇ」
「結婚式だって、やるんだから。お面もちゃんと用意しなきゃ」
「……そうだねぇ」
マスターはただ、やさしく相槌を打ってくれた。
そうしてしばらく涙を拭うクリミアの呼吸が整うのを待ってから、マスターはそっと言った。
「見つかるよ。きっと」
「……うん」
泣きながらも微笑んで、クリミアはシャトー・ロマーニをもう一度口に含んだ。
そうだ。あの悪夢みたいな夜が終わって、朝が来たみたいに。
またきっと、新しい恋ができる。
……そうだ。盗賊と戦ってくれた、あの男の子。
あの子が大きくなったら、きっと素敵な青年になるだろう。
そうなって、また会えたら。付き合ってみてもいいかもしれない。
今の彼は、ロマニーとお似合いのかわいい子だったけれど。
……そんな出会いも、この先あるかもしれない。
そう、きっと。
涙の風味がしたミルクの味を、私はきっと忘れないだろう。
END
3DSムジュラの仮面をプレイし始めた数年前、思い付いた話。ちまちま書いていたのがようやく書きあがったので。
ムジュラの世界観、人間模様が好きです。個人的にパメラ親子とバクダン屋の親子も好きです(マイナー)
2018.10.4